【平成24年11月6日(火)】 『リアル歴史学』 頭山興助先生(呉竹会アジアフォーラム 会長)

●議事録
9:50 半蔵門駅出口に集合
10:10~ 新聞アウトプット
・1面「意欲奪う『ブラック企業』」
・3面「不認可大學 法的措置も」
10:40~ 朝礼
11:00~ 講義:頭山興助先生「玄洋社と胆力」
○玄洋社と歴史
明治維新
・意見が違う薩長土肥が、外国に対抗するために手を組んで行なった。
西南戦争
・西郷隆盛の本意ではなかったが、純粋な若者が中央政府と対立して起こった。
自由民権運動
・西南戦争後、板垣退助ら多くの言論人が現れる。玄洋社もその動きに加わった。
明治維新後の日本は、外国に対抗できる国力を付けていったが、
中央の権力掌握も進んだ。
日露戦争では、黒龍会はロシアの内情を調べ、革命を助けた。
・しかし、結果としては相手が悪かった。
・事が成った後、情勢が悪くなった。中国も同様だった。
○玄洋社を学ぶ
玄洋社を学ぶ理由
・それは人間にとって大切な「胆力」を知るため。
→これがないと理想もくじける。方法論だけではいけない。
玄洋社の目的
・列強から日本を守ること
命が要らないというところまで自分を突き詰めなければならない。
・弁護士でも、ただ資格を持っているだけの人と、腹が据わっている人は全く
異なる。
・何がしたいのかはっきりしているかどうか。
明治維新も、腹が据わっている人が集まった結果起こった。
維新をする人と、その後に政治をする人は別のタイプ。
アジアは未だに欧米に独立を押さえられている。
アジア独立のために活動した玄洋社・黒龍会。
・国が出来ないことをし、外国に対抗できる実力を持っていた。
・炭鉱を保有し、開発。それを売却して革命支援を行なった。
→口では言えても、腹が据わっていなければできない。
玄洋社の何が優れていたか。それは精神力。
→大隈外相を暗殺しようとした来島先生。
→自決。失敗しようと成功しようと命を投げ打つ。「命を的にして働く」
死に方を格好つけること。
・そのためには生き様をしっかりしないと出来ない。
→赤信号で隣の人が渡った時に自分はどうするか。決めたことを続けられるか。
→新幹線で席を譲る。
→玄洋社を尊敬、見習おうというのなら、まずここから始める。
○頭山家のエピソード
頭山満先生の言葉
「自分のことでも、他人のことでも、
生き死にに関わるもの以外で『大変』とは言わない。紛らわしい。」
「体の不都合があること、貧しいこと、何も恥ではない。
本当に恥ずべきことは他にある」
→堂々と生きるという意味。
「侍は、暗がりから賊が現れたり、急に刀を突きつけられたときには驚いても良い。
その後の動きで町人との差が出る」
(ホームで)「ここに立っていれば電車がやってくる」
芸者
・侍は芸者がいないと話ができない。芸者は取り持つ役割を持つ。
・伊藤博文が惚れた芸者・洗い髪のお妻が、頭山満先生に惚れ込んだことがある。
犬養木堂との関係
・頭山満先生の盟友と呼ばれたが、息子の秀三先生(興助先生の父)は5.15事
件に関与し収監される。
頭山満先生と秀三先生の親子関係
・秀三先生が出所して、趣味の良くないハンドバッグを買ってきた。
頭山満先生は息子の思いを慮り、「何も言うでないぞ」と他の家族に言った。
・秀三先生は、指を詰めていた。
→本人は結婚を認めさせるためだとしたが、実際には5.15に関して、父に対
してしたことではないか。
興助先生から見た祖父
・興助先生にとって、祖父は身内というより尊敬する人という感覚。
・げんこつ勝負、すね相撲というものがあった。
→骨が痛いが、痛くても言わない。人に弱みを見せない。
・合気道の稽古があった。板の間に思い切り投げつける。家族に対しても容赦
無い。
・興助先生のおじさん、おばさんは多い。
・いじめられた朝鮮人が、頭山満先生に頼み、苗字を貰い受けたことがある。
・孫に対しては、勉強についての見張りはしなかった。それでも、自然に学んだ。
先生が見た、植芝盛平、中村天風の精神力。
○頭山興助先生の恋愛観
・現代は、女性が社会に進出して、貢献し始めている。
・恋愛について、子や孫に言うこともあるが、あまりこだわってはいない。
→家に連れてくるもよし、連れてこぬもよし。
→親に見せられる彼氏と見せられない彼氏、両方いる。
・今の人は忙しいのか、異性に対するぎらぎらしたものが無い。
→うそつきか口が固いのか、精神力があるのか…
→自分から言って、相手に振られても気にしないこと。
・男性には逃げ場がある。女性のほうが本当は強いのではないか。
○政治について
・戦後の議会制民主主義も古くなってきた。
→投票しても、良い人が当選しない。
また、良い人であっても、政治家として腹が据わっていない。
・政治家は本来、たとえ100万人に反対されても、目的に突き進まねばなら
ない。
・→興助先生の息子さんは、現在たちあがれ日本事務局のスタッフ。
・→興助先生も、自分が買って出て済むことがあれば買って出る。
→どうしてもやらねばならないのなら、頼まれなくても自分が勝手にやる。
・今は微妙な時期であり、政治家も本当はテレビで話したくない。
尖閣問題
・米軍基地の場所を見ると、南は沖縄まであるが、北は三沢まで。
・ヤルタ・ポツダム体制の名残が現代にもあり、米軍は北海道に入らない。
→むしろ北海道の人の方が、将来故郷を追われることになりかねない。
小林よしのりの漫画
・ストレスが無いことから入れば良いのではないか。
どうせ先は長くないのだから、若い人も遠慮して生きることはない。
→自分がやりたいことをやるべき。
本は出していない。短い文を頼まれて書くことはあるが。長い文はややこしい。
12:30 頭山先生の講義終了
12:40 講義
山近義幸社長「仕事ができる人の心得」
0021 新しい
0028 穴熊社長
0042 ありがとう
0046 安全
0094 器
0177 思う
0300 技術
0468 声が大きい
16:00 終了、解散

頭山興助さんの貴重なお話
頭山満という人物は目的を貫ける強い精神力と、
人をその気にさせる影響力がある人物だと感じた。
『何か大事を為すのに大切なのは、"胆力"』
だと頭山興助さんは言われる。
伊藤博文を睨みつけて「わかっているんでしょうな」と言って
伊藤を黙らせて日露戦争に入ったエピソードや、
玄洋社の黒龍会では私達と同じ位の歳の若者がロシアという危ない土地に、
現地調査として自ら志願して行く。
いざという時に瞬時に判断し行動出来る度胸があり、
人が口ではいくらでも言える事を、
腹をくくって行動に移せる人物だと言える。
それに魅せられる人も居て、
何かしなければと焦らせるよう人を
生んでいった所に頭山満の魅力があると感じる。
頭山満の胆力は普段の行動から身に付くと
頭山興助さんは言われる。
信号を赤で渡らないなど、
普段の行動の中で自分で決めた事は守って我慢をする。
私も普段の行動の中で、習慣付けをし確固たる目的を
貫ける人物になりたい。
山近社長
仕事が出来る人の心得
【新しい】
人類の歴史は組み合わせを変えてきた歴史で、
新しいものなどこの世に無いと社長はいう。
ホテルをベッドを無くしたからネットカフェになったかもしれない、
レストランの時間を変えたら居酒屋になったかもしれない。
周りにアイデアが無いと思わず、
時間・場所など組み合わせを変えて、
既存のものから幾らでも新しいものを作れると感じた。
【器】
「人は肩書きを貰って器が大きくなる」と感じた。
身に余る器を貰って少し無理をして、人は成長する。
だから色々な人の立場に立って考える習慣を忘れてはいけない。
また社長の言われる「行く」事にこだわらないと
器を大きくできないと感じた。
現地・現場・現物にこだわることが経験を多くし、器を広げる。
From:小林諒也(北海道出身、はこだて未来大学卒)JVU4期生

・頭山興助先生
頭山先生のお話を聞いて、印象に残ったキーワードが3つある。
それは、「胆力、精神力、覚悟」である。
頭山家での教えの一つに、「生き死にに関わらないことであれば、
大変という言葉を使うな」ということがある。
普通であれば、少し忙しかったりすると、「大変」という言葉を使ってしまうが、
「大変」という言葉はそう簡単につかってはいけない。
本当に大変なのかどうか紛らわしいからである。
また、「痛くても痛いと言うな。相手に見透かされる」との教えもあるそうだ。
胆力というのがどういうのかまだまだわかっていないので、学んでいく。
・新しい
本日の『仕事ができる人の心得』で一番印象的だった言葉。
組み合わせを変えることで新しいものができる。
同じ飲食店でも、場所を変えたら、時間を変えたら、と何か要件を変えると
新しいものが生まれる。
事業創造が行き詰まってきたので、この組み合わせを変えるということを
意識して新しいものを創っていく。
From:松田崇義(千葉県出身、慶應義塾大学卒)JVU4期生
『なぜ今玄洋社なのか』
それは、今必要な胆力を知る為である。
胆力というのは、忍耐力とは違い、
腹を据える覚悟を持つことである。
何事にも腹が据わっている人とそうでない人では
行動を起こしても結果が変わってくる。
明治維新も同じように胆力がある人が集まった結果であり、
いかに覚悟して実行したかが分かった。
最近になって頭山満さん(玄洋社)を
少し耳にするようになったが、
この方ほど今学ぶべき存在はいないと考えた。
むしろここでいう胆力とは
今の教育にも必要になってくるだろう。
玄洋社は今の社会の縮図でもあると考えた。
今こそ頭山満さん(玄洋社)を学び、
これからの社会を生き抜くヒントになるに違いない。
玄洋社を学ぶのであれば、死に様を良くする必要がある。
そのためには、生き様をしっかりさせることだ。
例えば、赤信号を渡るか否かでも、変わる。
隣の人が仮にやったとしても、
自分自身がどうするか考えるだけでも違う。
ここから実践し、生き様を良くしていく。
『新しい』
新しいものというのは、
常に違った組み合わせのことである。
既存の商品を考えてみると、
コピー機とFAXの組み合わせや、
テレビとパソコンの組み合わせなど数多く存在する。
私たちが事業を考える時にも
この組み合わせをどうするかによって変わる。
社会自体組み合わせの連続でもあるので、
上手く利用し、事業創造にも活かしていく。
教育の分野にも組み合わせるべきものが絶対に出てくるので、
それを突き詰めて考えていく。
From:安齋義仁(福島県出身、いわき明星大学卒)JVU院生
【平成24年11月1日(木)】『映画学』
●議事録
講義:映画学
08:45 朝礼
09:10 新宿の映画館で映画鑑賞
映画『終の信託』
(あらすじ)
…恋愛で心に傷をおった女性医師が、
自身の担当患者と、一枚のオペラの曲をきっかけに心を通わせていく。
患者は重度の糖尿病で働く事は不可能な状態。
患者は女医にお願い事をする。
妻に負担をかけたくない、そして、肉の塊になってまで生きたくはないから、
その時が来たら楽にしてください、と…
患者は女医を全面的に信頼していた。
女医は、患者からの心からの望みを胸に、
意識が戻る見込みがなくなった患者に最期の決断をくだした。
女医は逮捕された。
この映画は、尊厳死について考えさせる。
患者が心から信頼して、自分の命を託した女医が
逮捕されるのは間違っているのではないか。
尊厳死・安楽死の議論に一石を投じる映画だ。
12:00 映画アウトプット
12:30 昼食
12:50 新聞アウトプット
・12面「ゾゾタウン、衣料配送完全無料に」
・13面「投票型SNS、カギは」
13:30 公園へ移動
14:00 感謝祭の出し物の練習
15:30 終礼
●どちらも辛い
尊厳死を望む患者と医者の関係はどちらも辛いものだなと感じました。
命を救うはずの医者が命を奪ってしまう。
患者の頼みとはいえそれは普通できるのものではありません。
しかし、自殺未遂で同じように死ぬ寸前の体験をしたからこそ、
その頼みを聞いて尊厳死をさせました。
しかしその後、家族の訴えにより裁判で
有罪の判決がでます。
どちらが正しいという問題ではなく、
どちらの選択をしてもつらいなと感じました。
●家族の大切さ
尊厳死された患者の息子や娘は、ほとんど病院にお見舞いに来ませんでした。
それにも拘わらず起訴しました。
父親の本当の気持ちが理解できていなかったのです。
親子関係はそっけないもので、
会話も続かずといった感じでした。
父親の気持ちが理解できないことは悲しいことだなと感じ、
自分もそうなっているのではないかと改めて見つめなおし反省しました。
●死ぬ間際は聴力が最後に残る
死期が近づくと視覚から衰え最後に聴力が衰えるという話が出てきました。
昏睡状態にある人に話しかけるということは大切なんだなと感じました。
悲しい戦争体験の話もあり、いろいろと考えさせられました。
From:渡辺寛高(広島県出身、尾道大学卒)JVU4期生
映画学「終の信託」
《死を決めること》
本日は映画学として、「終の信託」を見ました。
前半は、長く重い喘息に苦しむ患者と、
担当の女医との関係が主に描かれています。
患者の死を中心にして物語が展開する、
終始重い内容の映画であり、
ストーリーと背景について考えさせられました。
病状が少しずつ悪化し、死を意識するようになった患者は、
チューブに繋がれ、肉の塊になってまで生きたいとは思わないと女医に訴えます。
女医は患者と関わる中で、患者に心から共感を抱きます。
日本の法律では、尊厳死には厳しい条件が付けられています。
自分の死を自分の意志だけでは決められないこともあります。
人は、人生の中で多くの人と関わっていく以上、仕方がないことではあります。
ただ、制度として本人の意志をもう少し尊重することも必要ではないかと思います。
誰にでもいつかは訪れる死について
自分はどのような形で死にたいのか、周りの人はどんな死生観を持っているのか、
今のうちから知り、伝えていきたいと感じました。
《証拠》
映画後半は、検事室を舞台に、女医と検事がやりとりを行います。
検事は、女医が患者を殺害したと考え、犯罪を立証するという立場から、
証拠を提示して質問を行い、女医の証言を引き出します。
事件当時、患者や女医がどのような思いを持っていたのかは注目せず、
あくまで客観的な事実関係だけに注目しています。
相手を揺さぶるためのテクニックを使ったり、
相手の証言を単純化させて、
自分の想定した事件のシナリオを事実と認めさせようとします。
この検事は恐ろしい敵役ではありますが、
患者や女医にも問題はあったのではないかと思いました。
患者は、自分の病気によって負担をかけているという負い目から、
自分の家族に対して、気持ちを打ち明けることができませんでした。
女医も、患者が打ち明けた思いを大切にしようとするあまり、
ほとんど自分だけで決断を下してしまいます。
阿吽の呼吸や相手の気持ちを慮ることは必要なことではありますが、
命にかかわることなど、取り返しのつかないことに関しては、
それだけではいけないと思います。
また、何かあった時に、後から振り返ることができるように、
日常的に、客観的に見て意味のある証拠を残すことが必要です。
自分が決断を下す時には、最終的には自分の責任となりますが、
自分の思いを多くの人に伝えていきます。
以上です。ありがとうございます。
From:野田貴生(山梨県出身、都留文科大学卒)JVU4期生
本日は「終の信託」という映画を観た。
看護師と、喘息の患者を中心に話が進んでいった。
25年間喘息を患っている男性が、症状が悪化していき、
「チューブまみれになってまで延命されたくはない。
少しでも多くのお金を家族の為に残してあげたい」という思いから、
自分が意識を失い、治る見込みがないとしたら、
治療を続けるか続けないかは担当医である看護師に託した。
その後男性が意識を失い病院に運び込まれ、
看護師は男性の上記の思いと、これ以上辛い思いをさせてはいけないという思いから、
男性の延命措置を止め、男性は亡くなった。
しかし、看護師は殺人罪となってしまった。
自分はこれ以上辛い思いをしてまで生きたくない、
男性をこれ以上苦しませてはいけない
という思いがあったのに殺人罪となってしまう。
命の大切さとは、個人の幸せとはということについて、
考えさせられたが、答えを見つけることはできなかった。
From:松田崇義(千葉県出身、慶應義塾大学卒)JVU4期生
【平成24年10月30日(火)】 『戦後体制とは何か』 赤池誠章先生(前衆議院議員、日本ベンチャー大學理事)

●議事録
講義:戦後体制とは何か
講師:赤池誠章先生
09:00 朝礼
09:20 掃除
09:40 感謝祭についの話し合い
11:00 会場セッティング
12:00 昼食
12:30 新聞アウトプット 「京王グループ、明治大学生にビジネスアイデア求める」
13:00 講義「戦後体制とは何か」
■映画『南京の真実~七人の死刑囚~』上映
(あらすじ)
…東京裁判で死刑を言い渡された、いわゆるA級戦犯と言われる、
7人の日本人の、刑執行宣告をされてから最期の24時間までを描いた。
彼らは何者なのか。
どのような罪で裁かれたのか。
日本人は、いわれなき大虐殺という汚名を未来永劫、背負い続けるのか。
映画を通して見えてくるのは、戦後日本が立ち返るべき原点。
■戦後の日本について(赤池先生による解説と質疑応答)
本当の戦争終結は、1952年4月28日。
サンフランシスコ講和条約発行(主権回復。賠償金などすべて支払う)。
GHQにより、日本の弱体化計画がはじまる。
学校教育の自由化、労働組合組織化など。
GHQは、修身、日本の歴史、地理を教える事を禁じた。
GHQは、日本国憲法を作り、
その中で、日本が軍備を持てないようにした。
17:00 終礼、解散

【歴史の真実に目を背けるな】
本日は赤池先生による特別講義。
映画「南京の真実」を観て、解説していただく。
この映画を観て率直に感じたのは、難しい、重いである。
多くの人がそう感じるだろう。
しかし、これは現実にこの日本で起きたこと。
これを過去のことだからと、一言で終わらしてしまってはいけない。
いかに現代の人が目を背けて生きてきたかがわかった。
歴史の真実を知ることは、現代の問題にも繋がる。
とくに今回の事件は、現に外交問題に繋がっている。
政治に関わる人だけでなく、日本人である以上誰しもが、
歴史の真実を知る必要があると感じさせられた一日だった。
【戦後の日本】
歴史を決して単純視してはいけない、というテーマである今回の講義。
後半は、映画の解説と共に戦後の日本の流れについて教えていただいた。
戦後の日本は軍事国家から経済国家へとシフトしていった。
私はこれについては、良いことであると思っている。
高度成長期が生まれ、先進国の一員になれたからだ。
しかし、経済大国になれた一方、
他国と比べ精神的に弱くなっていったと教えていただいた。
それが領土問題にも繋がったかもしれない。
日本は隙があれば周りの国から責められる。
精神的に強い国になるためには、、祖国愛が必要である。
過去の事実をもっと知らなければ。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)JVU4期生
『戦後の日本』
戦後の日本について教えて頂きました。
日本は大東亜戦争に破れ、降伏しました。
終戦後、東京裁判が開かれ、そこでは、
戦争の中核を担った7人の日本人が死刑を宣告されました。
東京裁判は、不当な裁判です。
事後法によって人を裁いた裁判です。
責任は重大だとしても、死ぬ必要のない人が亡くなりました。
東京裁判以降、日本は弱体化していきました。
それを先導したのが、GHQ。
GHQは、日本の強さの源である教育に手をつけました。
教育勅語を廃止し、修身・歴史・地理の指導方法を変えました。
教育とは自分を磨くこと。
自分を磨く為には、自分を知る必要があり、
自分を知るためには、日本の本当の歴史を知る必要があります。
日本人は本当の歴史を知らないため、
自虐的になっており、日本に誇りが持てないでいるように感じます。
南京大虐殺なんて中国が作ったデマにも関わらず、
それを信じてしまっています。
日本の浮上は、基礎となる歴史を知るところからはじまります。
縁のある方に、今日、自分が学んだ日本の歴史を伝えていきます。
From:井浪康晴(鳥取大学卒、京都府出身)JVU4期生
・南京の真実
本日「南京の真実」を見て、いわゆるA級戦犯に対する
イメージががらりと変わった。
高校までの歴史の授業を受けた限りの印象では、東条英機さんに対して
戦争を主導した悪人というイメージがあった。
しかし、東条英機が、戦争によって多くの人が亡くなった責任は自分にある、
自分が死ぬのは以降の平和の為であるということがわかり、
東条英機に対するイメージが変わった。
戦争で人を殺すことは罪にとわれない。
とわれるのであれば、日本に原爆を落とした人も罪にとわれることになる。
しかし、裁かれてはいない。
東京裁判は、戦勝国による敗戦国日本を裁き、
自分達の正しさを示すためだけの裁判だということがわかった。
東京裁判の映像はアメリカにあり、全てはまだ公開されていない。
全貌が明かされる日が早くきてほしい。
From:松田崇義(千葉県出身、慶應義塾大学卒)JVU4期生
《人間としての戦犯》
本日は特別講義として、映画「南京の真実」を鑑賞し、
赤池誠章先生に講義をしていただきました。
映画では、東京裁判で「A級戦犯」となり、死刑判決を受けた
7人の方々が処刑されるまでを中心に描いた映画です。
7人は「A級戦犯」としてまとめて語られることが多い中で、
この映画では1人ひとりにほぼ均等に注目しています。
映画ではそれぞれ1人ひとりの持つ、日本への、家族への、
戦争への思いが描かれました。
7人は、処刑までの間、巣鴨プリズンで、
自分の思いを手紙や言葉、歌で伝え、静かに最期をを迎えました。
7人は、彼らに死刑の判決を下した裁判の不当性は認識しながらも、
負け戦の指導者として、
死をある意味で受け入れていたのではないかと思いました。
処刑された7人それぞれが、自分の人生を生きた人間だったということは、
後世を生きる私達からすると忘れがちなことです。
レッテルをもとに、ひとくくりにして軽々しく善悪を論ずるのではなく、
人間に注目して行かなければならないということを感じました。
《戦後体制》
映画のあとは、赤池先生に講義をしていただきました。
日本が敗戦した後、日本を占領した連合国が、
日本の体制をどのように変えさせていったのか、を学びました。
第二次世界大戦後の連合国が、
占領した日本の様々なところを変えようとした大きな理由として、
戦争中に日本兵が見せた戦いぶりがあったということでした。
硫黄島の戦いや沖縄戦、それに前後して行われた特別攻撃などで、
日本兵は不利な状況下で命を捨てて戦いました。
その様子が、連合国の人々に尊敬と恐怖の念が入り混じった感情を抱かせ、
日本兵が戦う背景として日本の伝統があると考えられたことから、
戦後の政策が決定づけられました。
守るべきもののために命を捨てて戦い続けることや、
そのような敵に対して、複雑な感情を持つことなど、
政治的な合理性だけで政策が決まるわけではない、
人の心理や思いも、歴史を動かすきっかけになるということを学びました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)JVU4期生
【平成24年10月27日(土)】 『松陰先生命日 終焉の他めぐり』

●議事録
9:00 十思公園(※1)にて集合 朝礼
※1: 伝馬町獄跡。下田番所で取り調べを受けた際に送られた牢獄でもある。
そして数年後、松陰先生の刑が執行された場所。
・10/27(土)の命日に十思公園に来る人は中々いない
・考えて学ぶ講義より、現場で感じる講義
9:20 公園の掃除
9:30 十思公園前に集合 説明
・公園名の由来…10時の処刑の時間に、様々な人が色々な想いを抱く事から付いた
・当時の人達は何を思ったのか、感じたのか?
・斬首刑から弟子達が汚名返上するため、小塚原回向院に松陰先生の首を運んだ
・松陰先生は自ら自白し、役人に自分の思いを語って説き伏せようとした
・当時、井伊直弼による安政の大獄で、政府に逆らった人間は容赦なく殺されていた
・命は絶っても魂は残す、という意味を込め『留魂録』を残した
9:45 公園内「松陰終焉の地碑」、「吉田松陰留魂碑」前 松陰読本 読み上げ
(辞世の詩「吾れ今 国の為に死す、死して君親に負かず。悠々たり 天地の事、
鑑照 明神に在り。」)
9:55 処刑時間まで石碑周辺を見る
10:00 全員で黙祷
10:05 書籍「二十一回猛士(吉田松陰)」の読み上げ P.130, 131 「志を継ぐ者たち」「松陰百日祭」
10:21 鳥越先生より総括
・私達と同じ位の歳、25歳でこの牢獄に入れられた
・同じ年齢の私たち学生は、志士を目指すべき
・日本の国を良くするため、先生の意思を継ぐ
10:30 移動
10:40 小伝馬町駅 出発
10:45 南千住駅 到着
10:50 小塚原回向院(※2) 到着、先生のお墓を見る
※2 :安政の大獄で亡くなった尊王の志士が葬られている墓場。松陰先生のほか梅田雲浜・橋本左内、
瀬三樹三郎等の墓がある。
11:07 南千住駅 出発
11:59 三件茶屋駅 到着
12:20 国士舘大学 昼食
13:00 講義再開
・「永訣の書」は家族宛てに書き残した
・ここら辺の土地は昔、長州藩の敷地だった
・松陰先生は、自分のお墓は地味で小さくして貰うよう言った
・松陰神社の近くには日露戦争を勝利に導いた総理大臣、桂太郎の墓もある
・留魂録は1通は塾生の手に、もう1通は同じ牢に入る沼津吉五郎に渡す
13:32 国士舘大学 出発
13:40 桂太郎のお墓を見学
13:50 松陰神社(世田谷若林)参拝
13:53 松陰先生他烈士墓所 見学
・徳川幕府によって破壊された墓所だが、後に徳川幕府が謝罪の意を込めて
石灯籠と水盤が寄進された
14:10 終礼 本日の気付きを全員で発表
14:30 終了

『十思公園』
吉田松陰先生が処刑された場所として有名だが、
想像以上に知られていない場所だ。
周りを見ても、通行人や浮浪者が目立つ。
10月27日の10時に十思公園に来る人は
相当知識が凄い方だろうと言われるぐらいだ。
その中で、処刑が執行された10時に
全員で黙祷を捧げたが、
その時に松陰先生は
どのような気持ちだったのだろうと考えていた。
処刑が言い渡されていたので、
ある意味清清しかったのかもしれない。
松陰先生は他の塾生などに慕われていたので、
もっと広げてくれるだろうと信じていたので、
そういう意味では安心だったのだろう。
『色んな人がいる』
松陰先生を尊敬する人は、
全国に相当いるのは理解できる。
ただ、やって良いことと悪いことがあることに改めて気付いた。
その一つに、売名行為だ。
松陰先生のお墓は、ひっそりたたずんでいるのに
お墓に備えているお花に大きく名前の書かれている看板。
それをやっているのは、地元・萩のお偉いさん。
松陰先生について学んでいるならば、
この行為は何を考えてのことだろうか。
宣伝効果としては絶大だろうが、
こればかりは、逆に恥である。
やはり、いろいろな人がいることを改めて実感した。
『牢屋の看守をも巻き込む人間力』
松陰先生は処刑を宣告される前、取調べを受けていた。
そこで当時の看守にまで行動を起こし、
ディスカッションをしようとする姿勢に圧倒された。
松陰先生は普通の人がやらないことをするイメージが強いが、
日本を変える熱い想いの持ち主だということには変わらない。
処刑をするのが勿体無い人物と思わせてしまうのも
松陰先生の凄いところである。
日本を変えようと正面から戦う姿には
私たちも脱帽している。
絶対に無理だと思っていることでも、
行動することで可能性を広げられることを考えた。
From:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)JVU4期生

本日は、松陰先生が処刑された
十思公園からお墓のある小塚原回向院
そして、松陰神社と東京での吉田松陰先生のゆかりの地巡りを行いました。
今回の松陰学は、直接現地に行く事で
様々なことを肌に触れて感じとる事が出来大変良かったです。
・十思公園
松陰先生が処刑された十思公園ここで本日の学びが始まりました。
ここは、安政の大獄で吉田松陰はこの地で処刑された場所で
園内には吉田松陰終焉之地碑や吉田松陰顕彰碑,辞世の碑など
吉田松陰先生に関する碑が立っていました。
良く歴史上の人物の命日には、ゆかりの地に多くの人が訪れるのですが、
ここ十思公園には、そのような人は見られませんでした。
また、本日公園の掃除を行っていた時によく公園に来る老人から
お話を聞いたことなのですが、
去年までは、25日に花を携える人がいらっしゃったとのことです。
そのようなことを聞いて、確かに来る人はいる。
しかし、なぜそんなに少ないのかと思ってしまいました。
もっとこういう場所こそ大切にしないといけない。
そのためには、知ってもらうために発信が必要だと感じました。
・松陰神社
松陰神社は、荏原郡若林村長州藩の藩邸があった場所です。
ここは、高杉晋作・伊藤利輔・品川弥二郎・山尾庸三・白井小助
・赤根武人らが小塚原にある松陰先生の墓を、
荏原郡若林村に移したという記録があります。
この日は、松陰神社で幕末維新祭りが行われていたので、多くの人がいて賑わっていました。
また、ここの近くには桂太郎のお墓があり、壮大な墓所でした。
そして、松陰神社にある松陰先生のお墓は、
質素でありおごそかなものでありました。
その周りに松陰先生を慕っていた塾生のお墓があり、
「死しても輝き続ける」というものを
この日初めて、そのことを自分の目で見て感じ取れました。
・帰り道
この日の講義が終わった後なんとなく新宿の寮まで歩いて帰ろうと思って歩いて帰りま
した。小塚原にある松陰先生の墓を、荏原郡若林村に移した距離と比べると半分ぐらいの
行程ですが、この距離だけでもとても時間がかかりました。
しかし、当時今ほど交通が発達していない中で荒川から
世田谷まで江戸幕府の影響化の中そのようなことを行ったということは、
本当にそこまで周りに影響を持っていた人物だと感じ取りました。
From:森優太(長崎県出身、日本大学卒)JVU4期生

《人を惹きつけられる人間とは》
本日は吉田松陰先生が処刑された、先生の命日でした。
それにちなんで、先生が処刑された牢獄があった小伝馬町の十思公園、
処刑後の遺体が葬られた小塚原回向院、
門下生たちによって改葬された松陰神社の3カ所で、学びました。
松陰先生は罪人として牢獄に入れられましたが、
牢獄の役人や牢名主など、
そこで新たに関わった人々からも尊敬を集めるようになります。
また、門下生たちも、罪人となった松陰先生のために、
危険を顧みず奔走します。
松陰神社には松陰先生のお墓がありますが、
その周りには門下生たちの多くの墓が寄り添うように立てられていました。
松陰先生がどれほど多くの人に慕われていたかを、直接感じることができました。
人柄や知識といったことももちろんあるとは思いますが、
何よりも、自分の志を持ち、それを周りの人に伝え続けて実行したからこそ、
ここまで人を惹きつけられるのだと思います。
人望があり、周りの人に影響を与えられる人間になりたいのであれば、
小手先のテクニックではなく、自分の芯を持ち、
実行することが最も大切だと、本日の経験から学びました。
《現場で学ぶ》
もう1つ学んだことは、
実際に自分で現場に赴いてみることで、
初めて感じられることがあるということです。
今回は、松陰先生が処刑された時間、その現場に行きました。
もし自分が松陰先生の立場だったらと思うと、
とても先生のような態度はとれないと感じます。
自分が現場に行くということだけではなく、
他の人に伝える場合にも同じです。
他の人に伝えたいことがあるならば、
その人と共に現場に行ってみることが、最も効果的なことだと感じました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)JVU4期生
【平成24年10月24日(水)】 『本質思考』 坂本善博先生(資産工学研究所 社長)

【議事録】
9:00~ 朝礼、掃除
10:00~
《ナレッジファシリテーション》坂本善博先生
悩みはあずきに例えられる。
砂糖だけでは甘いだけ、僅かな塩をいれることで引き立つ。
→「なぜ」を考える。「やったことが無いから分からない」ではない。
・書籍のナレッジシート化
今日からやることを書く欄を作っておく。
A4、1枚でつくり、1枚をポケットに入れて常にチェックする。
真似をしてスタイルを揃える。
・3のn乗の法則
100人に説明したとすると、
分かった、良かったと思う人が81人、
うち、内容を見直す人が27人、
うち、やってみる人が9人、
うち、やり続ける人が3人、
うち、ものにする人は1人以下。
・講義を通して武器をもたせているのだから、使うように。
・学生によるナレッジファシリテーション
井浪「からあげ屋の売り上げを月10万円にする」
まず、前提として参加者に状況を伝える。
そうしなければ、みんな決めつけてやってしまう。
南出「若者とシニアをつなげるビジネス」
13:00~ 昼休憩
14:00~ 新聞アウトプット
15:00~ 掃除、終礼
From:野田貴生 (都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生

【ナレッジシート】
ナレッジシートの作成方法を詳しく教えていただく。
原理と原則の部分が最も重要。
ただ本の各章を写すのではなく、自分の言葉に替え、
自分の為に作成しなければならない。
この自分の為にという部分が欠落していた。
私はただ本をまとめただけで満足していたのだ。
ナレッジシートは作成しただけではなんの意味もない。
作成して、何度も見直し、最終的にはすべて自分のものにしなければならない。
坂本先生は、そこまでする人は1割にも満たないとおっしゃっていたが、
意識すれば何も難しいものではないと感じた。
要は、やるかやらないかだ。
【ファシリテーション】
初めてのファシリテーター。
いざやってみると非常に難しい。
みんなからのポストイットがなかなか得られなかった。
テーマ選びも重要であるが、進行がもっと重要であると実感した。
用紙にポストイットを貼ることに意識がいきすぎており、
あまり話せなかったのが原因であると考える。
これではポストイットを出す方も困るのは当然である。
再度リベンジしたい。
From:南出浩 (桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生

本日は、坂本先生の講義でナレッジシートの作成方法と
本のナレッジシートの確認を行いました。
その中でただ本の各章を写すのではなく、
原理と原則の部分をしっかりと表して、
自分の言葉に替え、自分の為に作成することを教えていただきました。
・原理と原則
ナレッジシートの作成方法と本のナレッジシートの確認のときに
教えてもらったことですが、
ただ本をまとめただけで満足した、
ナレッジシートは作成しただけでは意味はないということです。
その中でただ本の各章を写すのではなく、
原理と原則の部分をしっかりと表して、自分の言葉に替え、
自分の為に作成するすることが重要だということです。
確かに本のナレッジシートは、ただ本の各章のことを写して、
まとめただけのものでした。
今回のことを踏まえて再度ナレッジシートを作り直す必要性を感じました。
・100から1になる
これは、本のナレッジシートの確認のとき先生が
「100人いてこれをやって自分のものにする人は100人に1人」
と3のn乗の法則を教てくれました。
これは、「100人いて同じことを話したら、
81人が「わかった。よかった」と思う、
だけど、その内容を見直す人は27人しかいない。
さらにその中の9人が実際にやってみて、
それをやり続ける人は3人いる、
そして最終的にものにするのは1人である」ということです。
私たちはまだまだ、この法則に例えると27人の方に当たり、
それを3人そして、1人に持っていかないといけないと感じました。
・なぜ1枚にするのか
ナレッジシートは、紙1枚にまとめる理由を
今回初めて教えていただきました。
このことは、とても奥が深いと感じました。
理由は、紙一枚にまとめるとポケットに
コンパクトに収まりいつでも取り出せるというものです。
確かに考えればそうです。
だけど、普段ポケットというものには、
財布やカードケース、名刺、免許証ぐらいを入れていました。
これからは、常に持ち歩く姿勢で臨みます。
From:森優太(日本大学卒、長崎県出身)@JVU4期生
本日は坂本先生による本質思考の講義を受講させていただきました。
書籍をまとめそこからの活用法を教えていただきました。
やはりただ、教えてもらうだけでは意味が無く実践して
身につけることが大切だと改めて気づくことができました。
1万人に1人くらいの割合でしか
ナレッジシートを活用出来ないとのことで
自分もその一人になれるよう厳しくしなければと感じます。
またファシリテーションでは店舗の売り上げの上げ方や、
新たなビジネスチャンスの創出などを行い新しい意見が聞け
楽しく講義を受けました。
これを元に行動を変えていきます。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生