東京校の講義レポート

平成25年(2013)【5月14日(火曜)】  現地歴史学 ~旧岩崎邸、三菱史料館

2013/05/14 20:54:14
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●1日の流れ
1、新聞アウトプット
2、旧岩崎邸 見学
3、三菱資料館見学
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『議事録』----------------------
9:30  朝礼
10:00 新聞アウトプット
 ①「先端技術でインフラ強化(5面by牛島)」
  政府が6月にまとめる成長戦略について予告したという記事。
 輸出強化で本当に日本が成長するのか中心に議論。

 ②「新 紛争地図(6面by高田君)」
  国を持たないクルド人と、彼らが暮らしているトルコなど中東についての記事。
 紛争地域について日本人としてどう思うのか 議論。

 ③「日本文化、海外へ発信(38面by佐藤君)」
  日本の伝統文化やサブカルチャーの海外発信の強化策を
 検討する私的懇話会が近く発足するとの記事だ。
 どうすれば日本の伝統文化を広められるか議論。

11:00 旧岩崎邸見学
  ガイドの人の案内で旧岩崎邸を見学。
 建築様式や中の壁紙など、建物そのものの説明中心。
13:00 お昼
14:00 三菱資料館見学
  岩崎弥太郎が作り、現代まで続いている三菱の歴史を
 学ぶため資料館を見学。個人個人での見学。

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●旧岩崎邸庭園

 ここでは岩崎弥太郎についてというより
建物について学んだ部分が大きかった。

 イギリス人のジョサイア・コンドルにより作られた屋敷は
東洋と西洋とその間にあるイスラムの文化を取り入れ
部屋ごとにテーマがあり、ユーモアも感じるようで素敵だった。

 ところどころに三階菱の紋をイメージしたデザインもあり
三菱のマークへの想いを感じられた。

 一番驚いたのはガイドさんの知識の量だ。

 岩崎邸の建築物としての外観から話していただき、
装飾、外壁、材料、構造など詳しく教えていただき、
中に入ると、内装についても詳しく、さらに
当時の岩崎久弥の写真について
三女の綾子が福沢諭吉の孫に嫁いだことや、
久弥の妻の寧子と会津の保科家との関係など
とにかくがっつりお話ししてくださった。

 歴史が所々でつながりとても面白く勉強になった。

●三菱史料館

 岩崎弥太郎の創業から現在の三菱に至るまでの史料館。
正座の弥太郎がお出迎え。

 海運から保険、銀行、鉱業、倉庫業、エネルギー、地所、電機、重工業
渋沢栄一の時も感じたが必要と感じたらやる、という感じ。

 社長は岩崎一族だが
会社全体を組織として機能させるシステムも充実させている。

 大学卒業者を雇い重要な役割を任せたりもしていたようだ。

 また靖国神社で見た常陸丸の記念碑、
その常陸丸は日本郵船のものだったということで
この史料館でもその名前を見ることができ縁を感じた。

見たもの、情報、多すぎて濃すぎた。
三菱史料館、ちょくちょく通おう。
岩崎弥太郎を一層尊敬した1日でした。

From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生

●学んだこと

1、新聞アウトプット
 新聞アウトプットで国を持たないクルド人の人々の話に触れた。
 植民地政策の弊害で、国境を適当にひいたために、今もなお戦争が起こっているという。
クルド人の人々の要求は民族としてはとてもまっとうなもので、テロ組織のようなものではない。
しかしそういった要求を通す手段が攻撃しかないということが悲しい。

2、旧岩崎邸
 ガイドの方に案内していただいたが岩崎久爾が依頼しジョサイヤ・コンドルが建てた、
ゲストハウスについてのお話が中心だった。
 ゲストハウスは完全に洋風であったが、そこには職人のこだわりが見て取れた。
全ての部屋について色も模様も同じ壁紙はなく、しかもその壁紙も金唐革紙という特殊な技法で
作られたもの。さらに玄関には一枚板を曲げて作った綺麗なアーチもあった。
 岩崎久爾は洋風の建物を建てようとしたが、コンドルは純西洋風だと日本に合わないと思い、
日本と西欧の中間あたりにある中東の技法も混ぜて違和感をなくしたとのことだ。
 言われた通り、ではなく日本に合う合わないなども考えて、合わないならどうすれば合うのか
考え実践し、成功したとはコンドルはすごい。
 こだわりを持ちつつ、相手の意見も聞く。
 まずはこだわりを持つ。

3、三菱資料館見学
 三菱の起こりろ発展、財閥解体を経験し、今にどうつながっているか学んだ。
 この中で、三菱は革新的かつ効果的なことを多くしていたのだなと感じた。
 例えば、当時としては革新的だったという会計処理時の減価償却などだ。
減価償却といえば今では当たり前にすることなのだが、当時はまったく普及していなかったようだ。
 その後も今でいう事業部制組織をしたりなど今のスタンダードかつ、当時で革新的なことをしており、
日本を創ってきた企業の一つなのだなと改めて思った。

 そのように革新的なことをしてきつつも、終戦後の財閥解体時に
「私どもは国に対し、何ら恥じることはしていない」
と言いきれるくらいクリーンだったというのはすごい。

 私も、おごらず、新しいスタンダードを私が作るのだ!とでもいうような気慨を見習ってゆく。

From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生

●新聞アウトプット
 海外へのインフラ輸出とトルコのクルド人について、日本の文化の発信という、3つの記事を扱った。
私はリーダーだったが、舵を上手く取れなかった。知識を身につけると同時に、司会のやり方も学んでいきたい。

●旧岩崎邸庭園
 三菱創設者である岩崎家の本邸を見学
した。無料のガイドツアーに参加したので、とても詳しく学ぶことができた。

 今回は三菱の初代社長である岩崎彌太郎について学ぶつもりだった。しかし、他の思わぬ偉人を勉強できた。それは庭園のメインの洋館を設計した、ジョサイア・コンドルである。

 ゲスト用に作られたという洋館は日本の要素はほとんどなく、まさに西欧の建物といった印象なのだが、話を聞くとイスラムなどの様々な国の様式が取り入れられている。
コンドルは鹿鳴館も手がけたようだ。鹿鳴館も様々な様式が取り入れられた。
しかし、ヨーロッパ的な建築を求めていた財界人たちはそれに反発を覚え、それらを徐々に撤去していってしまった。
 コンドルは、ヨーロッパの建築をそのまま作っては日本には合わない。だからヨーロッパでもアジアでもない、イスラムなどを取り入れて新たな建築を作った、という。

 私の見学した感想では、ごちゃまぜの様式であったにもかかわらず、全く違和感を感じなかった。私は建物だけのところを見学するのはあまり好きではないのだが、一切退屈せずに楽しめた。
この洋館が日本にあることに異質感を感じなかったし、むしろ魅力的に感じた。

 コンドルの設計は大成功なのではないかと思う。
彼の建築家としての才能と、芸術家としての信念の強さに敬服する。
私も表現者を目指しているので、彼の意志を見習いたい。

●三菱史料館

 岩崎彌太郎からの三菱の歴史について学ぶことができた。
創業者の彼は、「商売をする以上は武士のプライドを捨てて商人になりきれ」という信条を徹底したという。
考えてみると、明治維新前後の変化の差はもの凄い。武士だった人間は特にである。
その、時代の変化の適応能力が抜きん出てた方だったのだろう。
渋沢栄一や福沢諭吉にしてもだ。
 史料館の奥に岩崎彌太郎が掲げていたという「おかめさん」があった。大きくてふっくらと、血色の良い肌色をした、今までの見た中で一番迫力のある「おかめさん」だった。
岩崎彌太郎の商人としての気持ちの強さを感じた。

 創業者の彼以外の三菱については知らなかったので、学べて良かった。

From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生

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