【平成24年10月30日(火)】 『戦後体制とは何か』 赤池誠章先生(前衆議院議員、日本ベンチャー大學理事)

●議事録
講義:戦後体制とは何か
講師:赤池誠章先生
09:00 朝礼
09:20 掃除
09:40 感謝祭についの話し合い
11:00 会場セッティング
12:00 昼食
12:30 新聞アウトプット 「京王グループ、明治大学生にビジネスアイデア求める」
13:00 講義「戦後体制とは何か」
■映画『南京の真実~七人の死刑囚~』上映
(あらすじ)
…東京裁判で死刑を言い渡された、いわゆるA級戦犯と言われる、
7人の日本人の、刑執行宣告をされてから最期の24時間までを描いた。
彼らは何者なのか。
どのような罪で裁かれたのか。
日本人は、いわれなき大虐殺という汚名を未来永劫、背負い続けるのか。
映画を通して見えてくるのは、戦後日本が立ち返るべき原点。
■戦後の日本について(赤池先生による解説と質疑応答)
本当の戦争終結は、1952年4月28日。
サンフランシスコ講和条約発行(主権回復。賠償金などすべて支払う)。
GHQにより、日本の弱体化計画がはじまる。
学校教育の自由化、労働組合組織化など。
GHQは、修身、日本の歴史、地理を教える事を禁じた。
GHQは、日本国憲法を作り、
その中で、日本が軍備を持てないようにした。
17:00 終礼、解散

【歴史の真実に目を背けるな】
本日は赤池先生による特別講義。
映画「南京の真実」を観て、解説していただく。
この映画を観て率直に感じたのは、難しい、重いである。
多くの人がそう感じるだろう。
しかし、これは現実にこの日本で起きたこと。
これを過去のことだからと、一言で終わらしてしまってはいけない。
いかに現代の人が目を背けて生きてきたかがわかった。
歴史の真実を知ることは、現代の問題にも繋がる。
とくに今回の事件は、現に外交問題に繋がっている。
政治に関わる人だけでなく、日本人である以上誰しもが、
歴史の真実を知る必要があると感じさせられた一日だった。
【戦後の日本】
歴史を決して単純視してはいけない、というテーマである今回の講義。
後半は、映画の解説と共に戦後の日本の流れについて教えていただいた。
戦後の日本は軍事国家から経済国家へとシフトしていった。
私はこれについては、良いことであると思っている。
高度成長期が生まれ、先進国の一員になれたからだ。
しかし、経済大国になれた一方、
他国と比べ精神的に弱くなっていったと教えていただいた。
それが領土問題にも繋がったかもしれない。
日本は隙があれば周りの国から責められる。
精神的に強い国になるためには、、祖国愛が必要である。
過去の事実をもっと知らなければ。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)JVU4期生
『戦後の日本』
戦後の日本について教えて頂きました。
日本は大東亜戦争に破れ、降伏しました。
終戦後、東京裁判が開かれ、そこでは、
戦争の中核を担った7人の日本人が死刑を宣告されました。
東京裁判は、不当な裁判です。
事後法によって人を裁いた裁判です。
責任は重大だとしても、死ぬ必要のない人が亡くなりました。
東京裁判以降、日本は弱体化していきました。
それを先導したのが、GHQ。
GHQは、日本の強さの源である教育に手をつけました。
教育勅語を廃止し、修身・歴史・地理の指導方法を変えました。
教育とは自分を磨くこと。
自分を磨く為には、自分を知る必要があり、
自分を知るためには、日本の本当の歴史を知る必要があります。
日本人は本当の歴史を知らないため、
自虐的になっており、日本に誇りが持てないでいるように感じます。
南京大虐殺なんて中国が作ったデマにも関わらず、
それを信じてしまっています。
日本の浮上は、基礎となる歴史を知るところからはじまります。
縁のある方に、今日、自分が学んだ日本の歴史を伝えていきます。
From:井浪康晴(鳥取大学卒、京都府出身)JVU4期生
・南京の真実
本日「南京の真実」を見て、いわゆるA級戦犯に対する
イメージががらりと変わった。
高校までの歴史の授業を受けた限りの印象では、東条英機さんに対して
戦争を主導した悪人というイメージがあった。
しかし、東条英機が、戦争によって多くの人が亡くなった責任は自分にある、
自分が死ぬのは以降の平和の為であるということがわかり、
東条英機に対するイメージが変わった。
戦争で人を殺すことは罪にとわれない。
とわれるのであれば、日本に原爆を落とした人も罪にとわれることになる。
しかし、裁かれてはいない。
東京裁判は、戦勝国による敗戦国日本を裁き、
自分達の正しさを示すためだけの裁判だということがわかった。
東京裁判の映像はアメリカにあり、全てはまだ公開されていない。
全貌が明かされる日が早くきてほしい。
From:松田崇義(千葉県出身、慶應義塾大学卒)JVU4期生
《人間としての戦犯》
本日は特別講義として、映画「南京の真実」を鑑賞し、
赤池誠章先生に講義をしていただきました。
映画では、東京裁判で「A級戦犯」となり、死刑判決を受けた
7人の方々が処刑されるまでを中心に描いた映画です。
7人は「A級戦犯」としてまとめて語られることが多い中で、
この映画では1人ひとりにほぼ均等に注目しています。
映画ではそれぞれ1人ひとりの持つ、日本への、家族への、
戦争への思いが描かれました。
7人は、処刑までの間、巣鴨プリズンで、
自分の思いを手紙や言葉、歌で伝え、静かに最期をを迎えました。
7人は、彼らに死刑の判決を下した裁判の不当性は認識しながらも、
負け戦の指導者として、
死をある意味で受け入れていたのではないかと思いました。
処刑された7人それぞれが、自分の人生を生きた人間だったということは、
後世を生きる私達からすると忘れがちなことです。
レッテルをもとに、ひとくくりにして軽々しく善悪を論ずるのではなく、
人間に注目して行かなければならないということを感じました。
《戦後体制》
映画のあとは、赤池先生に講義をしていただきました。
日本が敗戦した後、日本を占領した連合国が、
日本の体制をどのように変えさせていったのか、を学びました。
第二次世界大戦後の連合国が、
占領した日本の様々なところを変えようとした大きな理由として、
戦争中に日本兵が見せた戦いぶりがあったということでした。
硫黄島の戦いや沖縄戦、それに前後して行われた特別攻撃などで、
日本兵は不利な状況下で命を捨てて戦いました。
その様子が、連合国の人々に尊敬と恐怖の念が入り混じった感情を抱かせ、
日本兵が戦う背景として日本の伝統があると考えられたことから、
戦後の政策が決定づけられました。
守るべきもののために命を捨てて戦い続けることや、
そのような敵に対して、複雑な感情を持つことなど、
政治的な合理性だけで政策が決まるわけではない、
人の心理や思いも、歴史を動かすきっかけになるということを学びました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)JVU4期生
【平成24年10月27日(土)】 『松陰先生命日 終焉の他めぐり』

●議事録
9:00 十思公園(※1)にて集合 朝礼
※1: 伝馬町獄跡。下田番所で取り調べを受けた際に送られた牢獄でもある。
そして数年後、松陰先生の刑が執行された場所。
・10/27(土)の命日に十思公園に来る人は中々いない
・考えて学ぶ講義より、現場で感じる講義
9:20 公園の掃除
9:30 十思公園前に集合 説明
・公園名の由来…10時の処刑の時間に、様々な人が色々な想いを抱く事から付いた
・当時の人達は何を思ったのか、感じたのか?
・斬首刑から弟子達が汚名返上するため、小塚原回向院に松陰先生の首を運んだ
・松陰先生は自ら自白し、役人に自分の思いを語って説き伏せようとした
・当時、井伊直弼による安政の大獄で、政府に逆らった人間は容赦なく殺されていた
・命は絶っても魂は残す、という意味を込め『留魂録』を残した
9:45 公園内「松陰終焉の地碑」、「吉田松陰留魂碑」前 松陰読本 読み上げ
(辞世の詩「吾れ今 国の為に死す、死して君親に負かず。悠々たり 天地の事、
鑑照 明神に在り。」)
9:55 処刑時間まで石碑周辺を見る
10:00 全員で黙祷
10:05 書籍「二十一回猛士(吉田松陰)」の読み上げ P.130, 131 「志を継ぐ者たち」「松陰百日祭」
10:21 鳥越先生より総括
・私達と同じ位の歳、25歳でこの牢獄に入れられた
・同じ年齢の私たち学生は、志士を目指すべき
・日本の国を良くするため、先生の意思を継ぐ
10:30 移動
10:40 小伝馬町駅 出発
10:45 南千住駅 到着
10:50 小塚原回向院(※2) 到着、先生のお墓を見る
※2 :安政の大獄で亡くなった尊王の志士が葬られている墓場。松陰先生のほか梅田雲浜・橋本左内、
瀬三樹三郎等の墓がある。
11:07 南千住駅 出発
11:59 三件茶屋駅 到着
12:20 国士舘大学 昼食
13:00 講義再開
・「永訣の書」は家族宛てに書き残した
・ここら辺の土地は昔、長州藩の敷地だった
・松陰先生は、自分のお墓は地味で小さくして貰うよう言った
・松陰神社の近くには日露戦争を勝利に導いた総理大臣、桂太郎の墓もある
・留魂録は1通は塾生の手に、もう1通は同じ牢に入る沼津吉五郎に渡す
13:32 国士舘大学 出発
13:40 桂太郎のお墓を見学
13:50 松陰神社(世田谷若林)参拝
13:53 松陰先生他烈士墓所 見学
・徳川幕府によって破壊された墓所だが、後に徳川幕府が謝罪の意を込めて
石灯籠と水盤が寄進された
14:10 終礼 本日の気付きを全員で発表
14:30 終了

『十思公園』
吉田松陰先生が処刑された場所として有名だが、
想像以上に知られていない場所だ。
周りを見ても、通行人や浮浪者が目立つ。
10月27日の10時に十思公園に来る人は
相当知識が凄い方だろうと言われるぐらいだ。
その中で、処刑が執行された10時に
全員で黙祷を捧げたが、
その時に松陰先生は
どのような気持ちだったのだろうと考えていた。
処刑が言い渡されていたので、
ある意味清清しかったのかもしれない。
松陰先生は他の塾生などに慕われていたので、
もっと広げてくれるだろうと信じていたので、
そういう意味では安心だったのだろう。
『色んな人がいる』
松陰先生を尊敬する人は、
全国に相当いるのは理解できる。
ただ、やって良いことと悪いことがあることに改めて気付いた。
その一つに、売名行為だ。
松陰先生のお墓は、ひっそりたたずんでいるのに
お墓に備えているお花に大きく名前の書かれている看板。
それをやっているのは、地元・萩のお偉いさん。
松陰先生について学んでいるならば、
この行為は何を考えてのことだろうか。
宣伝効果としては絶大だろうが、
こればかりは、逆に恥である。
やはり、いろいろな人がいることを改めて実感した。
『牢屋の看守をも巻き込む人間力』
松陰先生は処刑を宣告される前、取調べを受けていた。
そこで当時の看守にまで行動を起こし、
ディスカッションをしようとする姿勢に圧倒された。
松陰先生は普通の人がやらないことをするイメージが強いが、
日本を変える熱い想いの持ち主だということには変わらない。
処刑をするのが勿体無い人物と思わせてしまうのも
松陰先生の凄いところである。
日本を変えようと正面から戦う姿には
私たちも脱帽している。
絶対に無理だと思っていることでも、
行動することで可能性を広げられることを考えた。
From:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)JVU4期生

本日は、松陰先生が処刑された
十思公園からお墓のある小塚原回向院
そして、松陰神社と東京での吉田松陰先生のゆかりの地巡りを行いました。
今回の松陰学は、直接現地に行く事で
様々なことを肌に触れて感じとる事が出来大変良かったです。
・十思公園
松陰先生が処刑された十思公園ここで本日の学びが始まりました。
ここは、安政の大獄で吉田松陰はこの地で処刑された場所で
園内には吉田松陰終焉之地碑や吉田松陰顕彰碑,辞世の碑など
吉田松陰先生に関する碑が立っていました。
良く歴史上の人物の命日には、ゆかりの地に多くの人が訪れるのですが、
ここ十思公園には、そのような人は見られませんでした。
また、本日公園の掃除を行っていた時によく公園に来る老人から
お話を聞いたことなのですが、
去年までは、25日に花を携える人がいらっしゃったとのことです。
そのようなことを聞いて、確かに来る人はいる。
しかし、なぜそんなに少ないのかと思ってしまいました。
もっとこういう場所こそ大切にしないといけない。
そのためには、知ってもらうために発信が必要だと感じました。
・松陰神社
松陰神社は、荏原郡若林村長州藩の藩邸があった場所です。
ここは、高杉晋作・伊藤利輔・品川弥二郎・山尾庸三・白井小助
・赤根武人らが小塚原にある松陰先生の墓を、
荏原郡若林村に移したという記録があります。
この日は、松陰神社で幕末維新祭りが行われていたので、多くの人がいて賑わっていました。
また、ここの近くには桂太郎のお墓があり、壮大な墓所でした。
そして、松陰神社にある松陰先生のお墓は、
質素でありおごそかなものでありました。
その周りに松陰先生を慕っていた塾生のお墓があり、
「死しても輝き続ける」というものを
この日初めて、そのことを自分の目で見て感じ取れました。
・帰り道
この日の講義が終わった後なんとなく新宿の寮まで歩いて帰ろうと思って歩いて帰りま
した。小塚原にある松陰先生の墓を、荏原郡若林村に移した距離と比べると半分ぐらいの
行程ですが、この距離だけでもとても時間がかかりました。
しかし、当時今ほど交通が発達していない中で荒川から
世田谷まで江戸幕府の影響化の中そのようなことを行ったということは、
本当にそこまで周りに影響を持っていた人物だと感じ取りました。
From:森優太(長崎県出身、日本大学卒)JVU4期生

《人を惹きつけられる人間とは》
本日は吉田松陰先生が処刑された、先生の命日でした。
それにちなんで、先生が処刑された牢獄があった小伝馬町の十思公園、
処刑後の遺体が葬られた小塚原回向院、
門下生たちによって改葬された松陰神社の3カ所で、学びました。
松陰先生は罪人として牢獄に入れられましたが、
牢獄の役人や牢名主など、
そこで新たに関わった人々からも尊敬を集めるようになります。
また、門下生たちも、罪人となった松陰先生のために、
危険を顧みず奔走します。
松陰神社には松陰先生のお墓がありますが、
その周りには門下生たちの多くの墓が寄り添うように立てられていました。
松陰先生がどれほど多くの人に慕われていたかを、直接感じることができました。
人柄や知識といったことももちろんあるとは思いますが、
何よりも、自分の志を持ち、それを周りの人に伝え続けて実行したからこそ、
ここまで人を惹きつけられるのだと思います。
人望があり、周りの人に影響を与えられる人間になりたいのであれば、
小手先のテクニックではなく、自分の芯を持ち、
実行することが最も大切だと、本日の経験から学びました。
《現場で学ぶ》
もう1つ学んだことは、
実際に自分で現場に赴いてみることで、
初めて感じられることがあるということです。
今回は、松陰先生が処刑された時間、その現場に行きました。
もし自分が松陰先生の立場だったらと思うと、
とても先生のような態度はとれないと感じます。
自分が現場に行くということだけではなく、
他の人に伝える場合にも同じです。
他の人に伝えたいことがあるならば、
その人と共に現場に行ってみることが、最も効果的なことだと感じました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)JVU4期生
【平成24年10月24日(水)】 『本質思考』 坂本善博先生(資産工学研究所 社長)

【議事録】
9:00~ 朝礼、掃除
10:00~
《ナレッジファシリテーション》坂本善博先生
悩みはあずきに例えられる。
砂糖だけでは甘いだけ、僅かな塩をいれることで引き立つ。
→「なぜ」を考える。「やったことが無いから分からない」ではない。
・書籍のナレッジシート化
今日からやることを書く欄を作っておく。
A4、1枚でつくり、1枚をポケットに入れて常にチェックする。
真似をしてスタイルを揃える。
・3のn乗の法則
100人に説明したとすると、
分かった、良かったと思う人が81人、
うち、内容を見直す人が27人、
うち、やってみる人が9人、
うち、やり続ける人が3人、
うち、ものにする人は1人以下。
・講義を通して武器をもたせているのだから、使うように。
・学生によるナレッジファシリテーション
井浪「からあげ屋の売り上げを月10万円にする」
まず、前提として参加者に状況を伝える。
そうしなければ、みんな決めつけてやってしまう。
南出「若者とシニアをつなげるビジネス」
13:00~ 昼休憩
14:00~ 新聞アウトプット
15:00~ 掃除、終礼
From:野田貴生 (都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生

【ナレッジシート】
ナレッジシートの作成方法を詳しく教えていただく。
原理と原則の部分が最も重要。
ただ本の各章を写すのではなく、自分の言葉に替え、
自分の為に作成しなければならない。
この自分の為にという部分が欠落していた。
私はただ本をまとめただけで満足していたのだ。
ナレッジシートは作成しただけではなんの意味もない。
作成して、何度も見直し、最終的にはすべて自分のものにしなければならない。
坂本先生は、そこまでする人は1割にも満たないとおっしゃっていたが、
意識すれば何も難しいものではないと感じた。
要は、やるかやらないかだ。
【ファシリテーション】
初めてのファシリテーター。
いざやってみると非常に難しい。
みんなからのポストイットがなかなか得られなかった。
テーマ選びも重要であるが、進行がもっと重要であると実感した。
用紙にポストイットを貼ることに意識がいきすぎており、
あまり話せなかったのが原因であると考える。
これではポストイットを出す方も困るのは当然である。
再度リベンジしたい。
From:南出浩 (桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生

本日は、坂本先生の講義でナレッジシートの作成方法と
本のナレッジシートの確認を行いました。
その中でただ本の各章を写すのではなく、
原理と原則の部分をしっかりと表して、
自分の言葉に替え、自分の為に作成することを教えていただきました。
・原理と原則
ナレッジシートの作成方法と本のナレッジシートの確認のときに
教えてもらったことですが、
ただ本をまとめただけで満足した、
ナレッジシートは作成しただけでは意味はないということです。
その中でただ本の各章を写すのではなく、
原理と原則の部分をしっかりと表して、自分の言葉に替え、
自分の為に作成するすることが重要だということです。
確かに本のナレッジシートは、ただ本の各章のことを写して、
まとめただけのものでした。
今回のことを踏まえて再度ナレッジシートを作り直す必要性を感じました。
・100から1になる
これは、本のナレッジシートの確認のとき先生が
「100人いてこれをやって自分のものにする人は100人に1人」
と3のn乗の法則を教てくれました。
これは、「100人いて同じことを話したら、
81人が「わかった。よかった」と思う、
だけど、その内容を見直す人は27人しかいない。
さらにその中の9人が実際にやってみて、
それをやり続ける人は3人いる、
そして最終的にものにするのは1人である」ということです。
私たちはまだまだ、この法則に例えると27人の方に当たり、
それを3人そして、1人に持っていかないといけないと感じました。
・なぜ1枚にするのか
ナレッジシートは、紙1枚にまとめる理由を
今回初めて教えていただきました。
このことは、とても奥が深いと感じました。
理由は、紙一枚にまとめるとポケットに
コンパクトに収まりいつでも取り出せるというものです。
確かに考えればそうです。
だけど、普段ポケットというものには、
財布やカードケース、名刺、免許証ぐらいを入れていました。
これからは、常に持ち歩く姿勢で臨みます。
From:森優太(日本大学卒、長崎県出身)@JVU4期生
本日は坂本先生による本質思考の講義を受講させていただきました。
書籍をまとめそこからの活用法を教えていただきました。
やはりただ、教えてもらうだけでは意味が無く実践して
身につけることが大切だと改めて気づくことができました。
1万人に1人くらいの割合でしか
ナレッジシートを活用出来ないとのことで
自分もその一人になれるよう厳しくしなければと感じます。
またファシリテーションでは店舗の売り上げの上げ方や、
新たなビジネスチャンスの創出などを行い新しい意見が聞け
楽しく講義を受けました。
これを元に行動を変えていきます。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生
【平成24年10月23日(火)】 『手帳学』横前淳子先生 『DJ学』横前忠幸先生(いと忠 社長)

【議事録】
9:00~ 朝礼、掃除
10:00~ 《手帳術》横前淳子先生
・各学生が自分のシンクロ体験を発表。
その後、横前淳子さんご自身のシンクロ体験の紹介
→経験を積むほど、ハードルは高まっていく。
→一度挫折しかけたが、出会いのシンクロが起こった。
・妬み
→自分のあこがれに近い者に対して起こる。
自分の知っている人にできるのだから、自分もできる。
・横前淳子さんの経験された営業
専門の営業ではなかったが、営業1筋の男性社員とエリアがかぶる。
→圧倒的に勝った。
→お客様の事を考えるか、ライバルの存在を考えるかの違い。
愛されるかどうかは相手が決めること。
・学生1人ひとりがマインドマップ作成を開始。
12:00~ 昼休憩
13:00~ 《DJ学》横前忠幸社長
・DJとは何か?
→人に物事を伝える技術。
プレゼンとしての方法論。
→興味が無い、聞いたことがない人にどう伝えるか。
・基本的な手法
1.つかみ 知っていそうな、とっつきやすそうなもので興味を引き出す。
2.基本 最も伝えたいもの。
3.バリエーション 広げる。「こんなものか」と思わせない。
4.締め 最後のまとめ。
・DJ学実践講義
ABBA特集
→世界的に知られたABBAのレベルを落とさないような紹介の工夫
・学生の体験DJ
渡辺「広島発のアーティスト~奥田民生(ユニコーン)」
南出「大阪発の珍曲特集」
野田「世代の象徴としての19(ジューク)」
・「編集の魔力」
編集の方法によって、面白くもつまらなくもできる。
→例えば、細かく区切って解説を入れることで飽きさせない。
→有名な曲のなかに1つだけマイナーな曲をいれると、まとまりが崩れる。
16:10 掃除、終礼
From:野田貴生 (都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生

横前淳子さんによる講義を受講させて頂きました。
まずはじめに前回の講義から今回の講義までの間に起こったシンクロについて、
一人一人発表しました。
シンクロとは、頭で考えていたものが、現実になる現象のことです。
1つ目のシンクロは、東北の復興の為に何かしたいと思っていると、
ある講演会で、東北の復興支援をしているsetという団体と出会い、
東北支援活動とかかわれる事となりました。
2つ目のシンクロは、YouTubeで僕の好きな葉加瀬太郎さんの音楽を聞いた数週間後に、
金券ショップで、葉加瀬太郎さんのコンサートチケットが販売されているというものです。
願い事を強く想い、さらにそれを手帳などに書き出すとそれが叶いやすくなる事を実感しました。
潜在意識についても、営業を例に講義して頂きました。
横前さんは以前、営業職をされており、
そのときに、ナンバーワンの成績を取り続けられました。
なぜ取り続けられたのか。それは、潜在意識に達するほど、
「お客様のため」を軸に動かれていたから。
もしも軸が「自分の成績をあげるため」だとすれば、
お客様が抱く想いと自分の想いが一致しません。
だから、互い引き寄せ合い、いい関係を築くためには、
潜在意識まで、お客様のためという想いを落とし込まないといけない。
研修で営業体験をさせていただいたので、ものすごく納得するお話でした。
From:井浪康晴(島根大学卒、京都府出身)@JVU4期生
横前淳子先生の講義の中で、一番印象に残った言葉は、
「妬まないこと」
妬むとは、自分の理想とする姿に自分より近い、
すぐれている人をうらやましく思って憎むこと。
その人は自分の理想とする姿に自分より近いわけだから、
その人を妬むことは、自分の理想とする姿を妬むことに繋がり、
理想とする姿を突き放すことになってしまう。
なので、うらやましく思えど、妬んではいけない。
妬むくらいなら、理想に近づくために努力をするべきである。
とてもはっとさせられる言葉でした。
From:松田崇義(慶應義塾大学卒、千葉県出身)@JVU4期生

『DJ学』 講師 :横前忠幸 先生
昨日の講義では、DJ学で発表を担当させていただきました。
人の発表を聞くのとは違い実際に自分でやると上手くいきませんでした。
テーマを選んだ理由や、アーティストの紹介などで
抜けている箇所があり減点の対象になってしまいました。
もっと注意深く見ておくべきだったと反省しました。
まず、テーマを選んだ理由として自分が広島出身
であることを伝えわすれておりました。
他の人は知っているだろうと勝手に決めてしまっておりました。
相手が何も知らないと思って発表しなければならないと反省しました。
アーティストは奥田民生について発表したのですが、
肝心の井上陽水との関係などを抜かしており調査不足でした。
これもまた反省しなければならないことでした。
実際に発表してみて、難しさと課題を見つけることができました。
またリベンジの機会がいただけるかもしれないので挑戦してみます。
横前社長と比べ本当にまだまだ編集ができていないと感じます。
桑田さんのDJ学の編集は素晴らしかったです。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生

【初めての体験DJ】
本日は初めてDJを体験した。
公開講座ということで、改めて一般的なDJとは異なる、
横前流DJについて基本的なことを教えていただく。
その後、ABBAの見本をしていただき、
自分の計画しているものと照らし合わせる。
丸々一曲を流さず、非常に満足感が得られるものであった。
横前社長のDJを聴いていると、少し自信が無くなる。
私は音源に不安を抱えつつ、いざ本番。
始めは緊張していたものの、時間が経つにつれ楽しくなってくるのを感じた。
DJをやり終え、質問タイムや横前社長からのアドバイスをいただく時間は
非常に学びがたくさんあった。
一番の学びは、一つの失敗が全体の失敗に繋がるということ。
悩みに悩んだ一曲目が、他の曲とは異なるジャンルを流してしまい、
全体的に統一感が失われてしまったのだ。
つかみを意識しずぎて、みんなの知っている曲でないといけない、
と勘違いしていたのが原因である。
一つのミスが命取りになるとはこのことだと実感した。
しっかりと趣旨を理解し、何度も見直すことを心がける。
From:南出浩 (桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生
【平成24年10月19日(金)】 『必然創造学』 青柳智大先生(総産 社長)

●議事録
9:00~ 朝礼
9:16~ 掃除
9:40~《二十一回猛士学》今元英之局長
・脱藩
なぜ重罪とされるのか。
→ルールとして決められたものではあるが、それが本質ではない。
武士は15歳で独り立ちし、藩士となる。
→つまり、命を主君に、藩に預ける。脱藩はこの忠義を破るために重罪とされる。
・武士の命
斬首(他人の手)←→切腹(自ら)
→切腹の方が名誉ある死だと考えられた。
→自分の手で、最後に命を「お返し」する。
・松陰先生
一度脱藩という大罪を犯したが「育」となった。
→優れた人物を失わないためのはからい。
藩の許可を得て参勤交代に随行し、江戸に向かう。
→そこで問題を起こしてしまう。幕府の手前、今度は「育」とはいかない。
→牢獄に入れられる。
何故、松陰先生は自分で自分の首を絞めるような行いをしたのか。
11:15~ 昼休憩
12:10~ 新聞アウトプット
13:00~
《必然創造学》青柳智大社長
・仮説(手段)←→目的(目標)
・これまでの学生の目標・仮説の確認と明確化・見直し
・過去対比では、多少なりとも改善はできる。
→しかし、最終的にどうなるのか。
→人間は「努力した」という安心感で怠ける。
・経験、検証を積み重ねて答えにたどり着く。
やってみなければ分からない。
→やった自分の○日後、○月後はどうなっているかも想像する。
・自分の発想には、必ず足りてない部分がある。
他に何があるのか、考えてみる。
→まんだらメモも同じ。
足りないところは会っても良い。
→だが、仮に出来なかったら…前提条件が変わったら…どうするのか。
→実証・検証。
・仮説
仮説の精度は、経験が多い人>少ない人。
思いつくだけなら、対して頭は使わない。
本気で自分の仮説を考える。
→場を作る。質問をきっかけにする。
ポイントは、1.何をするか 2.どうやるか
目標は遠大でも良い。仮説をしっかり立てる。
・決めたら必ずやる。
しかし、これがなかなかできない。
・ベースは考え方、心得。センスやテクニックはその後。
いっときの上下ではなく、冷めない情熱をもとう。
目標ぐせを付ける。勝手につまらない目標を作って全力でやる。
・間違った回答を恐れない。
足りていないことに気づくこと。
恥をかくひとは成長できる。
・視覚、聴覚、触覚。わざわざ手で書く。
→頭に入る。
15:30~ 掃除、終礼、終了

『目標を必ず達成する方法』
必然創造学とは、
「偶然ではなくて、100%目標を達成する方法」です。
その方法というのは、たとえば、
・目標を立てたら、それを達成するためのありとあらゆる方法を考える。
(絶対に、穴があると思って、どんどん方法を考える)
・一日一日の自分の行動を振り返る。
(これはなかなかできないらしい。毎日1時間やれればすごい)
・自分の目標を達成した人にあって教えてもらう。
(人に頼るのも解決策のひとつ)
・やるべきことは、なんとしてでもやる。
(酔っ払ってても、寝不足でも、機会のごとくタスクをこなす)
・本番を想定した本気のロールプレイングをする。
以上のことを無意識にできているようにする。
長い目で見て、習慣まで落とし込むことが大切です。
手帳とノート使い、体に少しずつしみこませていきます。
まずは、形から入る。量を積み重ねて、自分のものにしていきます。
From:井浪康晴(鳥取大学卒、京都府出身)JVU4期生

『経験を、する』
とにかく、経験を重ねることが大切だと感じました。
やらないよりも、やった方が変化が表れやすいということです。
経験が多くなるにつれてレベルが上がり、閃きのヒントになっていく…
そして経験が多い人の仮説は精度が高いということも教わりました。
たくさんの実践があるからこそその分の知識が蓄えられているので、
経験をつむことが大切だと言えると思います。
そのためには、実行する自分自身を作り出す。
自分自身が動かなければ、何も変わらない。
まず、まんだらメモの実践などできることをし、
とにかく行動あるのみにしていきます。
『まんだらメモの変化』
前回の講義まで、私はきちんとメモに目を通すことをしていませんでした。
反省し、バイト前後には必ずメモを見て、
今日やることの確認と復習をする習慣を始めました。
考えるだけと見て実行するのでは全然違いました。
考えるだけでは、忘れてしまうのがオチですが、
見て実行すると行動に変化が出てくるのが分かり、
新たな課題も閃きやすくなることが分かりました。
私の場合だと実行した後は、
どの位数字を上げるのに貢献できるかが問われてきます。
それ次第では、売り上げに大きく影響が出るに違いないと感じました。
また、提案方法も考えていけば、目標に掲げたナンバーワンにも近づけると思います。
もっと実行を増やし、新たな気付きを得て、今後すべきことを考えます。
From:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)JVU4期生

・躊躇しない
躊躇してしまうのと、思いきって行動するのとでは、
思いきって行動した方がいい。
自分にとってプラスになるならば、ためらうことなく
思いきって行動するべきである。
・行動する
人の考えは見えない。行動は見える。
人の心は見えない。心遣いは見える。
自分がどんなに良いことを考え、やろうと思っていても、
行動に出さない限りは相手に伝わらない。
実際に行動に移し、目に見えるものとしなければいけない。
・土鍋タイプになる
熱しやすく冷めやすいタイプよりも、熱したら熱さが持続する
タイプになったほうがいい。
私は熱しやすく冷めやすいタイプだと青柳社長に指摘していただいた。
青柳社長に教えていただいた、その日に学んだこと、自分に足りないと
気付いたこと、改善点をノートに書き出し、その横に改善策を書いて、
日々書いたことを見直して、忘れないで行動するようにしていく。
From:松田崇義(早稲田大学卒、千葉県出身)JVU4期生