東京校の講義レポート

【8月29日】オカムラ歯科医院 岡村興一先生 『生命理(いのち)』

2009/08/29
・根本生理
人間が生きる上で必要な行動が生理である。
そのなかでも自分自身でコントロールできる生理を根本生理と岡村先生は呼んでいる。
根本生理を正常な状態に戻すことにより人間らしい活力に溢れた生活ができるようになる。

根本生理は声、呼吸、咀嚼、接触、行動の5つの要素からなり、それぞれがリンクしあっている。
根本生理が乱れていると様々な問題が起る。
そこで、一旦これをリセットする必要がある。
そのための方法が子どもに戻ることである。
何も考えず子どものように生理行動を取り生理を整える。
以上が復習。

この考え方は実に理に適っていると思う。
ここには思想や宗教的な要素とは離れた現実に基づく理屈がある。
岡本先生は色々な宗教や哲学を学んだ上で、医学的な見地から根本生理を提唱しているので受け入れていくのも抵抗がなかった。
人間は体と心で成り立っている。
そのどちらが欠けても真に人間らしく在ることはできないだろう。
そういう意味で生理の調整は体の側面から人間を浄化する考え方なのだと感じた。

・3つの要素
物事は3つの要素で考えると上手くいく。
もともとは陰陽五行の考え方であるらしい。
五行のうち最初の2つと最後の2つを各々1つの要素と捉え、その間の1つの要素と合わせ3つとする。
二元論で物事を考えると偏りが生じる。
その間に中間となる要素を置くことによりバランスがとれる。仏教でいうところの中道の考え方に似ている。
間に挟まれた要素はふり幅が大きく変化の余地が残されている。この変化の中でどう在るかが重要なことなのだと思う。

・生理の拡散と収斂
生理の在り方は経験をつむことで拡散から収斂に向かっていく。拡散状態の生理は全てのものを在りのままに捉えようとする。
逆に収斂された生理は物事を吟味する。
これはどちらが良いというわけではなくそう在るということだそうだ。
私が面白いと思ったのはこの生理の収斂である。
死が近づくにつれ人間の生理は研ぎ澄まされていく。
この状態が仏教でいうところの悟りの状態であろう。
親鸞聖人の考え方では人間は死ぬ前にすべからく悟るとある。それは死に触れることで生の喜びを感じ取ることが出来るように
なるからである。
この考え方を医学的に証明していたことに驚きと感動を覚えた。しかし、悟ることが一概に正しいことかと言うとそこには疑問が起る。
悟るということは欲を取り除き在りのままを受け入れるということ。
つまり、上昇していこうという気持ちがなくなるということだ。この点について岡村先生も警鐘を鳴らしていた。
今の私ではどちらが良いのかということは判断できない。
ただ、どちらにしろ若い内に悟りを開く必要はないのかもしれないと考えられるようになったことは大きな収穫だったと思う。

日本ベンチャー大學1期生 小林大哲(駒澤大学卒・神奈川県出身)

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