【平成24年12月2日~6日】 『上海研修』

≪1日目≫
14:30 成田国際空港へ集合
16:55 上海へ向け出発
※到着後はホテルへ直行。食事で自由行動
≪2日目≫
午前中 自由行動、散策
午後 上海丸興電子有限公司様を見学
夜 小南国にて丸興電子様と井上電気様との懇親会
≪3日目≫
大阪校・平岡さんの案内で上海市内散策
テレビ塔→外灘→南京東路→静安寺→古北→豫園→徳平にて懇親会
≪4日目≫
午前:リビアス様の店舗見学
ココさん、周さんの講義
午後:自由行動。水郷(蘇州または朱家角)を見学
20:00 味千拉麺で4期生全員
21:00 外灘の夜景
22:00 自由行動
≪最終日≫
5:30 ホテルロビー集合
8:50 空港出発
12:00 成田空港へ到着。ミーティング後、解散


○何でも許せる感覚になる
例えば上海のケンタッキーにはチキンが置いていない。
普通に置いてあるメニューも日本のものと違う。
またトイレに住んでいるっぽいおじさんが居たり、
電気自転車が歩道を走っていたり、
モノが定価の20倍で売られている事などざらにある。
日本では常識を覆している事でも
中国ならあり得る事だと納得出来てしまう。
日本ではつまらない事や
些細なサービスが至らない事で怒ってしまう事にも寛大になる。
中国人に成りきったつもりで居ると色んなものを
許せる価値観になるのだなと感じた。
○マスコミが報じている中国と違う
反日デモは市内では全く無く、新聞やニュースは
上海は綺麗な部分だけが切り取られ、
田舎のひどい生活をしている人は大概報道から外されている。
報道している部分はたった一部なのだなと感じた。
日本を嫌いな中国人の若者もあまり居ないし、
命の危険を感じる事もあまり無かった。
実際に話してみると中国の優しい気持ちに触れる事もある。
食堂のおじちゃんは指さし会話帳を読んでいると、
まさに指さしで会話してくれたり、最終日に朱角家という
中国版ヴェネツィアに行ったときは、カフェのお姉さんが優しかった。
お姉さんは私達が日本人だと分かると、オルガンで
日本のラピュタなどの曲を心を込めて弾いてくれたり、
写真を撮る事を頼むとこっち側の方が景色が入って良いよと
そこへ案内して写真を撮ってくれたりした。
朱角家の流れる時間が非常にゆったり流れていて、
こっちの心も落ち着いて洗われてくる。
押し売りも居なく静かな所で滞在した。
マスコミの中国人はこうだと過激なイメージでの曲がった押し付けで
想像するのではなく、中には本当に優しい人達も
居るという事を他の日本人にも分かって欲しい。
○中国で「子どもは宝」
ココさんとシュウさんのお話をお聞きし、教育についてお話をした。
中国の親は自分の子供を宝の様に思って育てる。
それは一人っ子政策と、経済面での理由がある。
1人にかけるお金は凄い。その一部に結婚がある。
中国の女性と結婚するには、第一条件として持ち家がある事が必須らしい。
日本ではまずアパートなどを借り、結婚してからローンを組んで
家を買うので非常に違いがある。
ここに中国人の家に対する価値観が見える。
日本人はもうモノを持たなくなって来ているが、
まだ中国人はモノを持ちたがる。
だから親は子供の家を買うのに費用の半分を負担するらしい。
それだけ大切に大切に育てる子供なので、少しワガママに育つ。
その代わりに自分への不当な扱いや不満に対しては
声を大にして主張する。中々日本人は不満を飲み込む事が多いが、
中国人はそういう価値観に育って来た経緯もあるのだなと理解すれば、
改めて見る街の風景も変わって来たのが良かった。
○初日からの田舎町に住む体験
私は初日に田舎の暮らしが出来た事が良かったと思う。
人民元は1元13円と安く、都会で食事をしても30元などで済み
日本よりも相当安い。しかし私達が住んだ少し都会から外れた町の
ホテルの周りでは、恐らく中国でも極貧生活をしている人達が集まる。
言い方は悪いが小汚い家に住み、市場の様な所で食料や
編み物を売って生活している人達である。
身なりも少し貧相で、便利なファーストフード店などはない。
治安はある程度良い所ではあるが、食事は1食5元で済むような所である。
後で上海の都会にも行ったが、都会の暮らしの人達は
良い服を着てアルバイトでもある程度暮らしてゆけている様子だったので、
田舎で生活する人達はなぜ都会に出て行く欲が無いのかと感じた。
また、初日の外国で田舎に住むか都会に住むかで、
お金に対する価値観は変わる。
恐らく最初の日から都会に住んでいたらそれを普通だと思い、
お金を湯水の様に使ってすぐ無くなっていただろう。
観光ではついつい栄えている所に行きがちだが、
金銭感覚を掴む為にも是非田舎に住む事が大切だと感じた。
○土地は国のもの
中国には法律がある。70年経つと国に土地を返さなければいけない。
相当国の力が強い所である。斎藤さんと歩きながら
南京東路のお話を聞いた。あそこは金融で栄えた街で、
元々は河の右側外灘に沢山会社があったが、
ビルが溢れたので南京東路に移動させられたらしい。
国の力が強く、移動すると言ったら移動させられる。
他にも、大きな道路が南京東路に敷いてあったが
それも国がここに道路を敷くと言ったら家なども撤退しないといけない。
国の決定権とスピードは日本より遥かに早く、そこは羨ましい所だなと感じた。
○旅の後では悪い思い出も、良い思い出に変わる
街ではよく普通の人は買ってもしょうがないものを売っている人が居たり、
その人に騙されて定価より遥かに高い値段でものを買う時もある。
他にも1人で海外で迷ってしまう人が居たり、
自分も試食をして買わないと言うと売り手に怒られたりという経験をした。
嫌な気持ちになったり本当に危ない経験をする時があるが、
何にも通じなくても日本語で会話したり、
買い物で値段交渉をしたり、積極的に何かしないとドラマは生まれない。
だから怖い気持ちとか嫌な気持ちなる事があっても、
後で良い思い出に変わるんだろうなと思って
旅を楽しむ気持ちもとても大切だなと感じた。
From:小林諒也(公立はこだて未来大学院卒、北海道出身)@JVU4期生

『ありがとう上海、また行くよ、上海!!』
生まれて初めて海外に行きました。
行き先は、上海。 上海、やばいです。想像以上に刺激的。
価値観が違う国に行くだけで、ここまで心がドキドキするものなのか…。
癖になりそう。(笑)運が良いことに、
日本は世界的にも稀な国で、パスポートさえ持っていれば、
どこの国へも入れるそう。 次はどこ行こう。
『安い!安い!!安い!!!安い!!!!』
上海にはコンビニがいっぱいあった。
特に、ファミリーマートが目についた。
物の値段は、日本の半分よりちょっと高いくらい。
特に安かったのが、肉まん。20円で食べれたので、
研修中、毎日のように食べました。(笑)。
タクシー料金は、日本の半分以下。
場所によって違うが、初乗りは約150円。
地下鉄も安い。100円あれば20駅は余裕で行ける。
新幹線だって、500円で乗れる。
『上海の人々』
上海の人は、基本的に雑。自己中。
「ホスピタリティ」という言葉は、上海には、ほぼない。
電車を乗り降りするとき、降りる人優先という文化はない。
だから降りるときはちょっと大変。
レストランでもコンビニでも、愛想のいい人はほぼ皆無。
チケット売り場や換金所では、
チケットやお金を当たり前のようにポイっと投げられた(笑)
はじめは衝撃を受けたが、だんだん、これが中国なんだ、と受け入れれるようになった。
中国にはスターバックスが結構進出していた。研修中、15店舗は見た。
スターバックスは接客が売りのコーヒーショップ。
気になって覗いてみたら、やはり他の店より接客が丁寧。
だが、「お~い!」と言いたくなるようなシーンも多々あった。
壁に体を預けて注文をとる等々。 これが中国。
店員さんも悪気があるわけではない。
だから、こっちもそこまで不快にはならない。 おもしろい。
『上海、只今成長中!!』
上海の土地の値段がどんどん上がってきているそう。
景気がいい証拠だ。世界各国から企業がやって来ている。
上海はまだまだ発展途上で、ルールが整っていない。
だから、ある意味なんでもありの状態。多様性。自由。
アメリカみたい(笑)
3年後位に、上海でビジネスに挑戦したい。
自分のアイデアがどこまで通用するか試したい。
From:井浪康晴(島根大学卒、京都府出身)@JVU4期生



『上海研修』
≪1日目≫
14:30に成田国際空港へ集合。
・集合は2時間前に
…初めの集合時間は出発の2時間前でした。
少し早いのではないかと感じたのですが、手続
きや検査などで時間がかかり、ちょうどよいくらいでした。
先を想定して時間に余裕を持つことが必要だと学びました。
・荷物は最小限に
…不必要なものは持って来ずに最小限必要なものだけ
全員持って行きました。
そのおかげでスムーズに移動することができました。
≪2日目≫
大阪校や徳島校と合流し、井上電気様のご紹介で
現地の日系企業の丸興工業様の工場を見学させていただく。
その後夕食に上海料理をご馳走になる。
・日本語がペラペラ
…丸興工業様の説明をしてくださったワンさんは
全て日本語でした。日常会話だけでなくビジネスのことも
日本語を使うことができることに驚きそれほど
勉強されているのだと感じ、海外で働くには
それだけ勉強が必要なのだと気付きました。
・幹部は賃金で転職しない
…中国では高い賃金の会社へ移ることはあたりまえだと
聞いていましたが、ワンさんを含め幹部の方は
移動されないとのことでした。それは長く働いていることや
環境の変化が嫌だという理由でしたが、
会社からすると信頼できる人材がいると
心強いだろうなと感じました。
・人件費の上昇は辛い
…上海では年々10何%最低賃金が上がっている
とのことで、それは会社にとっては辛いと
おっしゃられておりました。ただそれでも内陸に
移動しないのは従業員を大切にしているから
ではないかと感じました。近辺で働く人にとっては
大きく環境も変わり大変なので、会社の都合だけでなく
従業員のことも考えることは大切だと学びました。
≪3日目≫
リビアス様の平岡さんに上海を案内していただきました。
リビアス様の紹介で合田さんも一緒に案内していただき、
1日で上海を満喫することができました。
麻婆豆腐やチンジャオロースなど現地の食事をしたり、
ローラースケートなどいらないものを買ったりと楽しい体験をしました。
ホンハイの景色は格別で、地震が多い日本と違い
様々な高層ビルが建っておりました。
日本では見ることができない光景に感動しました。
・値切り交渉
…人生初の体験でした。現地では日本人観光客とわかると
商品を売ってきました。最初はわざと高値をふっかけてくるのですが、
いくらにしろというと下がっていきます。最終的に
それじゃ買わないというとさらに下げてきて
いったい原価はいくらなんだと気になりました。
そしてついつい日本では使わないであろう
ローラースケートを買ってしまいました。
ただいい経験ができたと感じました。
・飲み会
…リビアス様に現地の社員や他店舗の方との
飲み会の場を提供していただきました。
ただでさえ忙しい中で私たちのために場所を選び
予約したり声をかけて下さったりといろいろと
していただきありがたい気持ちがいっぱいでした。
現地の方とお話する貴重な体験もさせていただき、
言葉が通じないことの難しさやジェスチャーでも
少しコミュニケーションが取れる嬉しさを体感しました。
ただ、やはりもっと言葉を勉強していくべきだったなと反省しました。
≪4日目≫
・リビアス・宮内さんの素晴らしさ
…リビアス上海店舗を任せれていた
宮内さんのお話を聞くことができました。
どんなことがあっても前向きな姿勢は驚いたとともに
人を惹きつける魅力があると感じました。
上海に来た理由も面白そうだからということで、
給料も現地の平均月収になり、大幅に下がり環境も
大きく変わる中でも楽しく仕事に取り組もうとされる姿勢は
素敵でした。どんなことにも前向きに楽しく取り組める、
こんな社会人になりたいなと感じました。
・ココさん、周さんのお話
…夢は自分の好きなことでないといけない、
ココさんがおっしゃられておりました。
そして私心を捨て相手の立場を考え、何かしてあげる姿勢が
ビジネスには大切だと教えていただきました。
国は違ってもビジネスに大切なことは日本と変わらない、
人として守るべきことをすれば国が変わっても
ビジネスはできると感じました。
周さんには、今の上海にはチャンスがあると教えていただきました。
まだまだ発展している上海に今こそ自分たちがビジネスを興し
チャンスをつかむべきたと感じました。
現地でビジネスをされている方に言われると
説得力があり、実際に自分の目で見てまだまだ上海には
工夫の余地、ビジネスチャンスがあるなと感じました。
これまで日本での起業しか考えていなかったので
上海で起業と新しい発想が生まれました。講義を聞き、
価値観が変わりました。
・水郷の美しさ
…周りを川に囲まれた街が水郷と呼ばれます。
私たちもそこに訪れました。端から見た光景が美しく、
夕日が出たときはついつい2回見に行くほど格別でした。
観光客が多いためお店も多く、焼き鳥やせんべえ、
餅など食べました。さらり大きな建物も建設されており、
さらに開発が進んでいくなと感じます。
≪最終日≫
・お金を使い切る
…端数は換金することができないと言われ、手数料も
勿体ないので、すべて使い切った方がいいと教えていただきました。
確かにそうだと感じ、お土産やお菓子を買いました。
ただ、空港は高いなと感じ、もっとお店などで
買っておくべきだったと反省しました。
≪まとめ≫
今回の上海研修が初の海外でした。
初めは文化の違い、環境の変化など不安が大きかったのですが、
慣れてくるととても住みやすいなと感じました。
また日本とは違う文化に触れることで自分の中の
狭い価値観も変わっていきました。こんな世界もある、
それを知ることができたことがいい経験になったと思います。
反省も多く出てきまして、やはり言葉を事前に
もっと勉強したほうがより楽しく海外で過ごすことができると感じました。
今後海外へ行く際は今回の反省を生かして
より充実したものにしていきます。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生



《発展途上の街》
上海に到着した12月2日夜、ホテルに荷物を置いた後、
夕食を食べるために、学生は早速上海の街に出ました。
今回宿泊したホテルは、上海市内ではありますが、
中心部や空港からはかなり離れたところにありました。
この地域でも、広い道路や地下鉄、高層ビルなど、開発は進んでいましたが、
一歩裏の路地に入ると古い建物が立ち並んでおり、
おそらく昔ながらの、安い食堂や屋台、商店が多く残っていました。
都市部とはいえ、貧富の格差が大きいことを感じました。
2日の夕食は、そんな食堂の1つで取りました。夜遅くだったので、
店の従業員が集まって夜食をとっている横で食事をしました。
程よい味付けがされ、限られた食材を使って
できるだけ美味しい食事を作る努力がされていると感じました。
中国の経済成長が続く中で、このような雑多で独特の風景も
次第に見られなくなっていくと思います。
今回、発展途上の街の風景を見ることができ、
歴史の流れの途中を垣間見ることができました。
《上海の日系企業》
12月3日は、井上電気株式会社・斎藤様に案内をしていただき、
上海丸興電子有限公司の本社工場を見学させていただきました。
上海丸興電子有限公司は、中国の日系企業としては
かなり早い90年台半ばに設立されました。
その当時は中国での活動が成功するか、
予想がつかない時期だったというお話をうかがいました。
現在では当たり前のように日系企業が中国に進出していますが、
上海丸興電子有限公司のような先駆となる企業が、
リスクを覚悟して進出し、成功したために、今があります。
世の中に新しい動きを作り、発展させていくためには、
まず着手してみることが大切だと感じました。
現在は、周辺に日系企業はないそうで、
上海の発展と共に、中心部から郊外への
流れが起こっていることも感じました。
工場では、多くの女性の従業員が働いていました。
会社の幹部は長く会社に勤めることが多く、
そうでない人は、他の会社と給料を比較して、
あっさりと転職してしまうことが多いということでした。
経済成長が続き労働力が求められているという背景がありますが、
日本とは大きく異なる考え方に驚きました。
《繁華街と観光地、その周辺》
12月4日は、合田文男様に案内をしていただきながら、
上海中心部の主な見所をまわりました。
よく上海の映像などに登場する上海テレビ塔の前に集合し、
南京東路、静安寺と西に向かって歩き、
最後に豫園に移動しました。
南京東路周辺は、上海市の中心にある繁華街だけあって、
とても人通りが多く、道も整備されていました。
発展する中国の、最も華やかな一面を体験することができました。
豫園は多くの店が密集しており、ここも観光客で混雑していました。
この日は、店の客引きや路上販売、物乞いなどに多く遭いました。
日本では、歌舞伎町くらいでしか同様の経験をしたことがなかったので、
はじめは戸惑いました。
外国に滞在していると金銭感覚が分からなくなりますが、
客引きに流されていてはお金がいくらあっても足りないので、
自分の出費の方針を自分で決めて、必要なものを
納得できるまで交渉して購入することが大切だと感じました。
上海の中心部近くであっても、繁華街や観光地を少し離れると
だいぶ様子が変わり、地元の人々の生活の雰囲気を感じることができます。
ホテル周辺よりは栄えていますが、路上に普通に洗濯物が干してあるなど、
表通りにはない人間味が体験できます。
定番のコースを少し外れてみることで、
ただ目立つ所を歩いているだけでは味わえない、
人間の生活を感じることができました。
《様々な面を持つ上海》
12月5日は、大阪校を運営する株式会社リビアス様の、
現地店舗を見学させていただいた後、
現地店舗の経営に関わっておられ、日本に長く滞在された経験のある
シュウさん、ココさんのお二人から、中国の特徴と、日本との違いについて、
実体験に基づいたお話をしていただきました。
ある場所で、生粋の地元民でない人が
ビジネスをする場合、多くの苦労があります。
それをどれだけ我慢するか、また、
どれだけ楽しめるかということが
大切だというお話をしていただきました。
少し苦労しただけであきらめてしまっては、
何をしても長続きはしません。
苦労を逆に楽しんでやろうというほどの心意気を持って、
社会で生きていきたいと感じました。
また、中国人と日本人の人生設計に対する違いも学びました。
上海では、立派な家と車を持っていなければ、
結婚することが難しいそうです。
資産としての魅力、借家のリスクの高さに加えて、
家の面子が背景にあります。
ただ、今後はそれも変わってくる可能性があるということで、
その変化にうまく乗ることができれば、
日本流のビジネスを中国でも展開できる可能性があると考えました。
午後は班別行動となり、私達は上海市内から
バスで1時間ほどのところにある、朱家角という所に向かいました。
小さな町ですが、観光地であり、多数の土産物店が密集していました。
豫園よりだいぶ落ち着いた雰囲気の場所でした。
そのため、ある程度じっくりと店を見て、土産物を交渉して購入できました。
川が街の中心を縦横に流れており、渡し舟が通っています。
土産物店も、独特の風情を生かして営業しており、
同じ買い物であっても、豫園よりも楽しむことができました。
観光地では、個々の店と全体の雰囲気をどのように調和させていくかが
利益をあげるために重要だと感じました。
夜には、中心部の外灘に集合し、上海テレビ塔を
はじめとする近代的な高層ビル、市街地の
ヨーロッパ風の建物の夜景を見ました。
同じ上海市内で、全く異なる雰囲気を1日で体験することができ、
充実した最終日となりました。
翌日は朝の便で日本に帰国したため、
実質的にはこの日で、上海研修を終えました。
初日、ホテルを出発する前に、ごく最低限の中国語は覚えたつもりでしたが、
実際に現地の人とやり取りをする時には、
なかなかうまく使うことができませんでした。
観光地周辺では、日本語や英語を交えて
何とかコミュニケーションを成立させることができましたが、
そうでない場所が多く、身振りや本を見ながらのコミュニケーションとなりました。
文字の表記に漢字が使われているために何とかなりましたが、
そうでない国に行き、観光地以外の場所を訪れる場合には、
それなりの準備をしなければ、やりたいことも思うようにできないと感じ、
事前の準備の大切さを学びました。
研修の前は、少人数での行動が多いことから、
どのようなトラブルが起こるかと不安でした。
現地に行ってみて、日本との文化の違いから、
日本と同じ感覚では危険だとは感じましたが、
特にトラブルに巻き込まれるということはなく、
全く初めての場所でも、ある程度気をつけていれば、
充分楽しめるということが分かりました。
機会を見て、積極的に海外に行ってみたいと感じました。
経済成長している国を自分の目で見て、体験することができました。
本当に貴重な機会となりました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生


【1日目】
・コンビニ
基本的に日本と置いているものは変わらないが、
日本の3分の1の価格。
市内から少し離れた土地でもコンビニはあちらこちらにあった。
セブンイレブンよりファミリーマートが多く感じられた。
現地のコンビニもあったが、日本のコンビニの方が品数や味、
そしてサービスが良かった。
しかし、まだまだ日本のほうがサービスが良い。
・飲食店
飲食店を求め、ホテルの近くをぶらり。
さすがに12時を回っていたせいか、閉め始めている店が目立つ。
一件目は私たちの注文の少なさに、「もう閉める。」と断られる。
人件費を考えてる風には見えず、面倒臭かったのだろう。
二件目は他のお客様もまだ食事をされており、入ることが出来た。
注文が遅かったせいか、6人とも私が注文した青椒肉絲飯で丸め込まれた。
いや、これも作るのが面倒臭かったのだろう。
ピーマンと肉のバランスがおかしかったが、味は申し分ない。
家族でやっているとこが多く、閉めてから家族揃って食事をとっている場面が印象的だった。
【2日目】
・工場見学
上海市内にはもうほとんどない工場の見学をさせていただいた。
整理、整頓、清掃、清潔、躾の5Sの貼紙が至る所に貼ってあった。
日系企業ならではと感じた。
案内をしていただいた方に出稼ぎについてお話していただいた。
出稼ぎの人たちは、上海に出てきてから仕事を探すという。
今の日本では考えられない。それだけ仕事があるということか。
そして、給料が1元でも高ければ、簡単に移ってしまうらしい。
仕事内容、環境よりも、お金をとる事に驚いた。
・高級中華
昨夜とは異なり、高級中華レストランに。
さすがにサービスも良かった。
大きな円卓に次から次へと料理が運ばれてくる。
日本の中華料理と異なり、見たこともない料理もたくさんあった。
井上電気のコウさんがいたため、何かは分かったが、味付けも日本と全く異なっていた。
円卓はみんなの顔が見え、会話が弾む。
日本ももっと円卓があって良いと感じた。
【3日目】
・上海市内
大阪校平岡さん、大西社長のお知り合いの合田さんに
上海市内を案内していただく。
ネットや本などでは載っていない見所やルールを教えていただいた。
市内は日本以上に発展している箇所も多かった。
どの店、どの建物も我こそが一番と目立っており、東京よりも大阪に近い感じがした。
メイン通りと言われている南京東路の一本裏の道に入ると、生活感溢れた市外の風景があった。
上海が栄えて行くにつれこういった人たちはどこに追いやられて行くのだろうと感じた。
市内を歩いていると、物乞いの方がたくさんいる。
歩み寄ってきたり、座り込んで前に缶などを置いたりと方法は様々である。
こういった人たちを見ていると複雑な気持ちになるが、
大半がこれを職業としていると聞き、無視を貫いた。
所得格差の大きさとそれを利用する
非人道的行為の多さを目の当たりにした。
・豫圓
上海の伝統を受け継ぐ場所、豫圓。
豫圓の中までは入れなかったが、買い物を満喫。
しっかりと店を構えて商売を行っているものもいれば、
自転車でやってきて時計などを売りつける個人スタイルで商売を行っているものもいた。
前者は大量に品物を揃え、安さで勝負している。
まさに中国の基本スタイル。厄介なのは後者。
店を持たないので自由に行き来でき、
少しでも買うそぶりをしたらどこまででも追いかけて来る。
高いと言えば、安くなり、いらないと言えば他のものを出してくる。
言葉もあまり通じない中、このしつこさは非常に勉強になる。
ターゲットを絞り、相手が折れるまで営業し続ける。
私がこの方々から学んだのは、しつこさはもちろん隙があれば一気に詰め寄るというもの。
少しでも迷った顔をすれば、その表情を察してつけ込んでくる。
この観察力とタイミングには頭が上がらない。
【4日目】
・シュウさん、ココさん。
リビアスの大西社長と共同出資をしている、お二人の話を聴く機会をいただいた。
日本と中国の違い、これからの上海、経営者にとって
大切なことなど様々なお話しを聴くことが出来た。
中国の経営者の考えと日本人の経営者の考えは異なっている箇所もあり、
私にとって大変貴重な時間を過ごすことができた。
お二人の話しを聴いて学んだことは、
1、自分の好きなことをする
2、ビジネスをする土地を愛する
3、決めたら即実行
この3点をしっかり心に刻む。
・水郷
午後からは3班に分かれ、水郷へ。
私たちの班は上海から1時間程度の郊外にある「朱家角」。
到着すると同時に感じたのは、車のクラクションの無さ。
大変静かな場所で、何より景色が素晴らしい。
川で洗濯や洗い物をしている方もおり、
人の生活には水が欠かせないということを改めて気づかされる。
帰りはバスを使い、一通りの交通手段は経験できた。
全てにおいて言えるのは、粗い。
【まとめ】
この5日間は非常に多くの学びがあった。
異なる土地、文化、環境に触れることは、自分の視野を拡げることに繋がる。
日本も以前は中国のような時代があったと考えると、ビジネスは無数にある。
日本が駄目なら海外へといった考えも持つことが出来た。
中国人の自己主張の強さを体験できたのも大きかった。
今後、中国企業もライバルに考えると質とともに、決断力の早さも必要になってくるだろう。
何事も早く決断して行動に移すことを肝に銘じる。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生


全体的に私は、この4日間で中国の上海で
なぜここまで発展しているのかということが分かりました。
それは、とにかくその場をどうやって生きていこうか、早く先進国に追いつきたい。
それこそが今の中国現状だということです。
それこそが中国が発展している事だということです。
また、個人的には、今の勢いの中国人に日本的なサービス精神や気遣い、
細かすぎるということが身に付いたら、日本がそれ以上に上へ上へ行かないと
すべてにおいて負けるということです。
また、中国人という人自体に対してテレビや上海研修では
ステレオタイプと同様に見えましたが、
個人個人に目を配ると、とても人情にあふれていて、
とても普段想像している中国人や
上海研修で見かけた中国人とは、違うということです。
私自身もこのような中国人から少しずつ
ポジティブさや必死に取り組んでいくこの姿勢など、
日本にも取り入れられるところは取り入れないといけないと感じました。
・張りぼて
中国の建物を見ていて外見はとても優雅で日本にはない、
また、別のセンスというものを感じました。しかし、その建物の外見とは裏腹に
内部はというと、とても外見とは違う不衛生や散らかっていたりとして
閑散としていたら逆に賑わっているところもありました。
その部分だけでも中国人とは、いかに外見に
とてつもないこだわりがあるということを感じました。
しかし、これは、欠点ではなく、利点としてみることができました。
このとてつもない外見を作れる中国人はとてもすごい存在だということです。
・同じアジア
空いた時間に私は、上海の路地裏やスラム街などの
普通観光ではいかないところへも足を運びました。
それは、そういう所こそが、何か発見ができると感じたからです。
その中で、スラム街にある建物を見ると、日本と同じ建物が多くあり
それがその通りに多く並んでいました。
また、その中を歩くと日本でも同じような山谷やあいりん地区に
似たものがありました。発展の途上でそのようなものは、多くある。
しかし、中国は、急速な発展でそのような場所が多く取り残されてあり、
それがとても目立ち、日本での時代の流れの中での風景の
博物館のようにも感じとても良い経験でした。
・同じ中国
蘇州に行くときに新幹線を使うのですが、新幹線を使う過程で
チケットを買うのにパスポートが必要だということに驚きました。
また、それは、外国人だけではなく自国民にも
IDパスがないと買えないようになっていました。
同じ自国民ですら国内の移動に制限がかけられるということは、少し戸惑いを覚えました。
しかし、これこそが共産主義・全体主義というものであるということを垣間見れました。
漫画やアニメ、映画などで見るIDパスがないと自由に行動できない。
それを私は、自分の体験の中を通して感じることができました。
・世界遺産に対して
蘇州の水郷に行った時のことです。
蘇州にある水郷は、東洋のベニスと呼ばれ世界遺産に登録をされていており
多くの観光客が世界中から来ていました。
中は、現代とは違う雰囲気で日本の古都京都のような感じかと言えばそうでもない、
不思議な町のつくりでした。
しかし、その世界遺産に登録されている対象の地域の周りには、
多くの高層ビルが立っており、せっかくの夕焼けも
高層ビルで拝むことも困難な状態でした。
中国という国は、対象の地域だけ守っていれば
良いということなのかと私は感じました。
また、これが日本だとしたら、京都のように古い外観を残すために
市の条例で制限がかけられているところです。
見る目を変えれば、そのようなことに対して上海のような都市以外にも
中国という国は、発展しているということがうかがられます。
もはや中国の中で時代は、上海の発展だけではなく、
それ以外の地域にも及んでいるということを感じました。
もしビジネスを中国で行うのであれば、上海だけではなく
それ以外の周辺の地域やまた、別の地域もターゲットにしなければならない。
そのように私は、蘇州の水郷に来て感じました。
・中国人ということについて
最終日一日前の自由行動でいろいろもっと上海を知りたいと思っていた私は、
いろいろな場所を歩いていて起こったトラブルで経験したことですが、
間違えて終電の電車を逆方向へ乗ってしまいホテルから20キロほど離れた場所に降りてしまいました。
次の日には帰らないといけないのに、そこでなんとか手持ちの127元でホテルに帰れるまで
上海の地図一枚を頼りに歩こうと考えて歩いている最中に、
今の現在地が分からなくなってしまいました。
そして、車に中で食べ物を食べている中国人のカップルがいて、
今の現在地がどこなのかを聞きました。
そしたらまだまだ、3キロしか一時間で進んでないことが分かりました。
そして、「どこへ行くの」と英語でしゃべりかけられたので
今までの経緯を話すと「ここから目的地まで歩いて5時間はかかる」と言われました。
そして、「これを本当に歩くの?」と聞かれたので「お金がないから」と
私が言うと財布の中から50元渡されて「これでタクシーを拾え。
そして、黒や赤色の色が濃いのタクシーが交渉できるからそれで帰った方がいい」と
言われその人たちと別れました。
そのあとに実際に色の濃いタクシーを捕まえてホテルまでいくらかかるかと聞いて
交渉をすると、90元で連れて行ってやると言われたので
最終日ぎりぎりでホテルに戻ることができました。
このような経験から中国人は実は、ビジネス抜きで接すると
意外と日本人よりも人情味があるのではないかと感じ取ることができました。
今の日本にこんな人はいるだろうか、私は自分も含めていないと思う。
そんな見ず知らずの人にお金を渡すことなんて無理だ。
ケースバイケースで連れて行ってやることはするかもしれないが。
また、タクシーの運転手にも感謝している。
いくら商売だからといってふつう300元以上払う距離だったのに
事情を話して交渉したところ90元で連れて行ってもらった。
そんなことは、まず日本では到底あり得ない話だ。
この4日間の間で一番私が印象に残ることだった。
確かに中国人という人種は、自分勝手でプラスマイナスの関係で物事を考えて、
自信過剰かもしれない。
しかし、人口が日本の10倍だとしたら
日本にも非常識な人間が1人いたら中国には10人いると考えられる。
そしたら数の多い方がクローズアップされる。
私も含めて今の日本人は、中国人に対して、
一部のクローズアップされている部分だけですべてを決めつけずに
もっと大きくそして、深く見なければならないのではないかと感じました。
以上この4日間の上海研修のまとめでした。
この4日間は、とても濃い経験になりました。
このような機会を与えていただきありがとうございます。
From:森優太(日本大学卒、長崎県出身)@JVU4期生



『上海に行くからには』
上海という普段とは違う環境に飛び込むに当たり、
常に一人で行動していると思わなければならない。
これはただの旅行ではない。
自分を磨く為の修行だと考えながら行動するものである。
にも関わらず、初日から甘えが出てしまった。
道がわからない時に他の人が積極的に調べたり、
言語も一生懸命調べている中で、
私の中にどうにかなるだろうという甘えがあった。
それが行動に表れてしまっていた為、
後に注意をされることになってしまった。
要するに、「お荷物」同然だ。
これは甘え以外の何物でもない。
このままでは去年と変わらない。
去年の経験とは違った新たな成果が出せない。
自分から切り開いていく大切さを実感した。
『英語すら、通じない』
現地の飲食店での出来事だが、
中国語が全然分からない状態で行ってしまった事もあり、
何を聞いても分からなかった。
英語なら通じるだろうと話しかけてみるも、
全く、反応がない。
旅行用のガイドブックを使ってやっと通じるレベルだ。
出来て当たり前だと思っていたことが、覆された。
常に大丈夫だろうと思っては
本当にやっていけないことを肌で感じた。
ただ、ガイドブックを使ってでも
現地の人に言いたいことが伝わると、
少しだけほっとした気分になった。
(去年は他の人に任せっきりだったので、
余計に感じる部分が大きかった)
分からなくても、とにかく行動すれば、
何かしらのヒントは得られることを学んだ。
『普段の生活って、本当にありがたい』
昨年泊まったホテルは5つ星中3つ星だったが、
今年は2つ星のホテルに泊めさせていただいた。
空間があるだけでも本当にありがたいことなのだが、
星の数が減るだけで内容が変わり、
サービスが行き届いてると思ったら大間違いだ。
その違いとして、英語が出来るスタッフがあまりにも少なかったこと、
シャワーにバスタブがついていなかったこと、
備え付けのお茶が有料だったことなど、
挙げればきりが無いことだが、
逆に甘えていることに気付かせてくれたのかもしれない。
高級ホテルならサービスも行き届いていて、
何不自由なく過ごせるのだが、
そうでないところでも気付きという感動がある。
この上海研修自体、自分で乗り越えられる力を
つけさせてもらっていたのかもしれない。
普段自分自身が何気なくできることに
感謝すべきなんだなと感じた。
『丸興工業さんに行ってみて』
井上社長のご縁で、日系企業の見学をさせていただいた。
まず、入ってすぐに気付いたことだが、
ちゃんとお出迎えしてもらったということだ。
日系ということも関係しているからか、
接客する時の態度もきちんとできていた。
中国では、高級なお店でないと目にしないが、
こういう企業もあると、また一緒に仕事をしたくなるのだろう。
工場も見学させていただいたのだが、
日本からの技術も勿論だが、
役割による帽子の色の工夫や
作業員の集中力の高さにも驚いた。
何より一番驚いたのは、
中国人の幹部が日本語で自らの業務を説明できることだ。
日本語が非常に流暢だったので、
一生懸命に勉強されたことが目に見えた。
日系の企業は技術は勿論のこと、
あり方が非常にできていると感じた。
日本人でよかったと感じることが出来た時間だった。
『リビアスさんへの訪問』
一年ぶりにリビアスさんが経営する
上海の美容室に訪問させていただいた。
宮内さんのこれまでの生活を聞いてみると、
上海での給料はそれほど高くなく、生活も相当苦しいそうだ。
奥さんとお子さんも支えるのも重なってくる。
食事も最悪ピーナッツをかじって凌いでいると聞いたときは、
上海での生活が相当大変だということが
ひしひしと伝わってきた。
それでも明るさと前向きさを忘れないところに感動した。
寝る時間も惜しんで仕事しているのに、
不思議で仕方が無かった。
私たちと接してくださっている時だが、
明らかに滑った一発ギャグも
必ずいいところを見つけて褒めていただける。
絶対に否定しないというところから来るのかなと感じた。
苦境ばかりの時にも、
少しでも希望が必ずあると信じて
行動することが大切だと感じた。
『ココさんと周さんの講義』
学生が将来起業するのを想定されたからか、
中国上海の話の前に、あり方を教えていただいた。
地域のビジネスをするのであれば、
まず、その町を愛し続けることが必要だ。
愛せなければ結局文句ばかりになってしまう。
そうなってしまえば、やめてしまったほうがいいとのことだった。
確かに成功している人を見ていると、
辛いことがあっても乗り越えられる。
なぜなら、愛しているからだ。
それを踏まえて、もし行き詰まっても
固定概念を捨てて、まずやってみることだと教えていただいた。
全てのビジネスの基本である。
事業を起こす前に、いかに本気かということも問われ、
あり方というところで差がつくのだと気付いた。
これを大切にして、今後の事業を考える一つの手がかりにしていく。
From:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)@JVU3期生
【平成24年11月30日(金)】 『筆跡鑑定学』 長谷美稀子先生(筆跡鑑定師)

9:00 朝礼、掃除
9:40 HR 上海研修の最終確認
12:00 講義 長谷美稀子先生「筆跡鑑定学」
・赤ちゃんと経営者の共通項
・感情(怒り)は表には出さないが、我慢しないようにする。
自分怒ってるなと冷静に自分を見る。
・カルマ=偏り
偏りを分けて、人を見る
・2人1組になって、一方が10分間質問を投げかける。
その際、比較、判断、評価をしてはいけない
13:17 休憩
13:25 講義
・いい恋愛ができる人は、幼少期のころ、母親の精神状態が安定していた
・収入の大きさは、幼少期の幸福度による
・ゼロになる
0÷0=0ではない。無限大である。
・ベン大生の筆跡を鑑定
15:00 掃除、終礼

【ゼロになる】
ゼロになった人ほど怖いものはない。
これは自分の信念やプライドをゼロにし、
相手に対し、比較、判断、評価をしないというもの。
自分は相手を通して、どんな価値観を持っているかを知るとのこと。
実際に講義の中でペアになり、
ゼロになれるかやってみたが、非常に難しい。
何より、このゼロの状態を作り出すことができると
自分自身が楽になるという。
相手の本音を引き出しやすくなるからだ。
自分を良く見せようとしては 駄目で、
自分を認められれば、相手を認められる。
私には時間がかかりそうであるが、
普段からゼロを意識していく。
【筆跡】
最後に一人ひとりの筆跡を診断していただく。
私は昨年に引き続き二回目。
結構昨年と変化しているものがあるのに驚いた。
この1年そこまで意識して書いてきてはいない。
しかし、この長谷先生の診断は非常に当たっており、
自分自身が変化したということだ。
正直、書き方を変えるだけで
性格なんて変わらないと考えていた。
常に意識すれば、きっと性格も
自分自身でコントロールできる。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生

『「0」になる』
理想的な生き方を教えて頂きました。
それは、「0」になる事。
0とは、自分を人によく魅せようしたり、自分を守ったりせず、
どう思われてもいいんだと、心が開いている状態のことをいいます。
人はみんな自分を守るために武装をしています。
でも実は、その武装を外していった先に、
恐れのない世界(0の状態)があると教えて下さいました。
0の状態だと、人と本音で語りあえるようになり、
相手の本当のニーズを掴むことも出来るそうです。
先生と話していて感じました が、先生は0だなと思いました。
なぜなら、心を許してもいいなと思ったからです。
0の生き方は、リーダーには必須条件だと思います。
なぜなら、講義でも触れておられましたが、
従業員の方の本当の思いを聴く為には、
まず自分の心をオープン(0の状態)にしないといけないからです。
真のリーダーとなる為にも、良い人間関係を築く為にも、
0の状態を意識していきます。
From:井浪康晴(島根大学卒、京都府出身)@JVU4期生

長谷先生は筆跡からその人の性格・特徴が
分かっておられ驚きました。
微妙な癖が、文字にも出るんだなと感じました。
講義の中で、嫌いと好きは表裏一体と
教えていただきました。
どちらも相手に関心を持っているということで、
嫌いな相手でもなぜ嫌いなのかを
教えてくれる存在と考えると
好きになるということでした。
第三者的視点から自分と相手を見ることが必要で、
そこから新たな発見があるということです。
自分も今後これを意識し、今まで相手に持った印象が
変わっていくことを体験してゆきます。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生
【平成24年11月29日(木)】 『必然創造学』 青柳智大先生(総産 代表取締役)

9:00 朝礼、掃除
9:40 新聞アウトプット
5面「個人情報の売買解禁」
11:00 昼休憩
12:30 講義 青柳智大社長「必然創造学」
・最小の努力で最大の効果の出る方法を最大の努力で実行する
・人は本人の意思のみで動く
・やると決めたらやる
・迷った時にいくかやめるか
やめるのは甘えではないのか。
やらなくなる瞬間にどう思うか
13:40 休憩
13:50 講義
・自分の「前はやってたが、今は出来ていないこと」、「変わってないこと」、
「前は出来なかったが、今は出来ていること」を書き出し、
将来自分はどうあるべきか、自分の理想の姿を確認する
・SMAP21の作成
S(Self)
M(Management)
A(Action)
P(Power)
自分の気にすること、無理すること、対立・対話すること、我慢することの書き出し
15:20 掃除、終礼

【自分自身】
青柳社長の講義では、まず今のマンダラメモの
進捗状況を共有するところから始まる。
もうすでに達成した人もいれ ば、何一つ変わってない人もいる。
これだけの同じノウハウを与えられているのに、
差が生まれるのは自分自身のやる気の問題。
やる気というのは持つのは簡単であるが、
それを継続させるのが難しい。
そこで、本日はやると決めたら
やる自分の作り方を教えていただいた。
それは自分自身に対する働きかけを考え、
自分自身を変えなければならない。
結局は自分自身であり、なにより
変わろうとする気持ちがないと継続できないと感じた。
アルバイト一つにしても、本気でやらなかったら
その時間を無駄にしてしまう。
いかに青柳社長のおっしゃっていた、
土鍋のやる気を作れる状態にするかである。
【書く】
青柳社長はノートを常に三冊は持ち歩いているという。
移動の際など、少しでも空いた時間があれば
とにかく目標実現のための行動を書いているという。
書くことによって、整理され、無駄なく行動できる。
これが最も重要であり、書くだけで終わってしまってはいけない。
それを何度も何度も見直し、
目標を達成していく。
本日は、実際に書く時間も与えてくださり、少し整理できた。
方法を教えていただいたのだから、
後は実践あるのみである。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生

《突き詰める》
前回までのまんだらメモに続いて、
紙に自己分析と、自分がイメージする将来像を書き込み、
どのような行動をすれば、その将来像が実現できるかを書き出しました。
私は、どちらもなかなか書き出すことができませんでした。
書こうとすると、漠然とした、現実味の薄い表現になってしまいます。
本日は、一口に将来像、実現する方法と言っても、
表現の方法によって、自分に対する影響が変わるということを学びました。
曖昧な言葉ではなく、様々な側面から、
できるだけ分解して考えることで、
その事をどれだけ本気で考えているのかが分かります。
そうして突き詰めてみると、私が普段、
徹底して自分のことを考えていないということが分かりました。
自分に関心を持って、徹底して考えて、
良い方向に変えていきます。
《結局は自分で行動できるかどうか》
本日は自分が望む将来像を明確にするための手法を学びました。
しかし、良い手法を学んだとしても、
それを自分に適用していかなければ、
自分にとって何の意味もありません。
自分が行動しているか否かという証明は、
自分が前に比べて変わったかどうかという点によって可能です。
自分では行動しているつもりでも、
客観的に見て変わっていないのであれば、
行動できていないということになります。
学んだことをヒントにして、自分に合った方法を使って
自分の今後の人生を考えて、
まずは、変わったと他の人から言われるように、
行動していきます。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生

青柳社長から、前回掲げた目標に
どれだけ近づけたかチェックしていただき、
そこから見えてきた問題に
どう対処すべきなのかなど教えていただきました。
新たな課題も見つかり、次回までに
どうのように対処していくか、
教えていただいたことをもとに実践してゆきます。
●楽しいではなく愉しい
以前に一度教えていただいた言葉なのですが、
実際に今アルバイトでNO.1になるために行動していくなかで
この言葉の意味が分かってきました。
自分から達成したい目標を掲げ、
それに向け計画を立て行動してゆく、
その計画通りにうまくいき、成長を実感できると
ただ楽しいのではなくもっとやりきった感じが出てきます。
それが愉しいなのだと感じました。
同じ読み方でも意味が違うと体験を通じて学びました。
●個別撃破
集団に対して個人でいっても、勝てる可能性は低く
勝つためには作戦が必要だと学びました。
その作戦の1つとて個別撃破ということを
教えていただきました。まず一人を味方につけ
そこから徐々に崩していく。そして最終的には
自分の思った通りに行動してもらう。
地道な作業ですが次回までに実践してみます。
●自分自身に働きかけをする
相手にやってもらいたいことがあるときに
何か行動を起こす、それでもやってもらえなければ
やり方を変えていく。
自分が望んだ行動をしてくれないのは
自分の働きかけが間違っているから、
という考え方を学びました。
それを自分自身にもあてはめ、
自分がやりたい、なりたいと思っている自分に
なれていないときは自分に対しての働きかけが間違っている。
やり方を変えていかないといけないと思います。
そのことを意識して行動してみます。
From:渡辺寛高(尾道大学卒、広島県出身)@JVU4期生
【平成24年11月28日(水)】 『事業創造』 鳥越昇一郎先生(マーケティングウィング鳥越事務所 代表)

9:00~ 朝礼、掃除
9:50~ 新聞アウトプット
11:15~ 講義
《事業創造》鳥越昇一郎先生
■経営者と人格
・あいさつの重要性
→武蔵野の「解約訪問」
・経営者の人格は会社に影響する
・恩義を感じるか感じないか
→紹介してくれた人にこそ恩を意識する
■熱い思いを活かす
・松下政経塾で感じた熱い思い
→志の具体的な姿を見ると燃える
・もっと思い切ってやって欲しい。
・本当の情報を得て、活かす
■日本経営品質賞
・常に時代のニーズに合わせて価値を高めていかなければならない
■学生の事業創造
・気合がまだ足りない。徹底的にアドバイスをする。
→この事業に魅力はあるか。1000万出資できるか。
・明るく徹底して進めよう
11:40~ 昼休憩
12:40~ 再開
■志と夢
・いつか固めなければならない。そうしなければ、いつまでも終わらな い
■事業創造者としての自覚
・新しいお客様価値の創出
・力ある経営者になる
・自己変革と挑戦
現場に行くと、具体性がでる
■ミッション
・儲かるタネづくり(経営者)
・儲かる仕組みづくり(幹部)
■マーケティングの5P
・5要素をどのように組み合わせるか
→マーケティング・ミックス(次回までの課題)
◎学生によるワークショップ
・事業は、日本の文化に合っているか
・本当に自分のやりたいこと、得意分野を事業にしているか
・自分だけの思い、色を出す
16:20 終礼

卒業まで残 された月日も少なくなって来ました。
まだ君達は本気で課題を進めていないと言われ、
その通りだと想い、先生に対し申し訳なく感じています。
ワークショップで は、鳥越先生の「そろそろ事業も固まって来たけど、
再度、新しいビジネスをやる気持ちでやろう」という視点で、
「この事業の魅力はあるだろうか」
「この人に1000万円を出資したいと思えるか」と
皆で本気で思ってアドバイスをしてみようと言われました。
私の事業創造発表は、先週は「文章だけではアプリの機能や動きが分かりづらい」と
コメントを頂いたので、今回はそのアプリの機能や
5年後のビジネスの形までどういう計画でやるのか、
を中心にプレゼンを作成し発表しました。
発表後、私は事業 の良い部分しか見せなかった事を反省しました。
自分に都合の悪い面(例えば収益が成り立つのか)を見せなかったので
現実味から遠ざかり、見ている人に
何かうまく行きそうな気持ちにさせてしまいました。
見てくれる相手に、もっと本気で考えて悩んで頂いて、
質問からレベルの高い議論にしていくには、
自分に都合の悪い部分ももっと見せる事が大切と感じました。
また今回は、後ろ からアドバイスをくれた今元さんの、
ビジネスに対する発想の仕方が大変勉強になりました。
発想のコツは『資 源を使わないビジネス』です。
頭を使って今ある資源を有効活用しようと考える。
その例が松田くん の宅飲み居酒屋です。
まず宅飲みという「値段を安く済ませたい」という今のニーズに合っている、
また「冷蔵庫にあ るものを取った分だけお金を取る」というやり方は、
後で掃除だけをすれば良いし、人件費が全然かかりません。
鳥越先生の言われる
『人々のニーズの変化がビジネスチャンスになる!』という言葉通り、
自分の事業も行きづまりを見せれば、
今の人々のニーズに合わせたサービスに変化させようと感じました。
また安斎さんの世 界で活躍できる
グローバルな人材を育てるビジネスでは、
毎日新聞のこども新聞を売ればよいと言われ、
その代わりに子供を塾として預かり新聞による教育を
自宅で行うという「ただで行うサービスを加え」れば、
お母さんも喜んで 新聞を買ってくれると言われていました。
中々新聞を買って 貰えずに悩んでいる新聞社の悩みも解決し、
子供を預かってくれる託児所のような場が必要な
親の悩みも解決できる。この「ただでサービスを行う事」も
営業の仕方として有効な手段なのだと感じました。
こういった柔らかい頭の発想の仕方で、
今のニーズに合ったビジネスへ変化させていくことを
私達も見習わせて頂こうと感じました。
From:小林諒也(公立はこだて未来大学院卒、北海道出身)@JVU4期生
『無いものねだり』
今まで掲げていた事業として
国際人の卵を育てようと
歴史の教育をしようと考えていた。
今回、歴史の部分を外し、
方向転換しようと考えたが、
余計にプランが固まらなくなった。
その原因として、
無いものねだりだということが分かった。
グローバルという意味では
海外渡航経験が2度しかなく、
教育という意味でも
子どもに触れ合っていない。
その代わり、歴史は他の人に比べたら
現地に行って勉強している。
自分の強みを分かっていないと感じた。
もう一度歴史を視野に入れ、
私にしかできない事業を考えてみる。
『今元さんの発想力』
後ろで聞かれていた今元さんの発想力には
ただただ驚くばかりだった。
ベン大生の考えた事業を
どれだけ知っているのかは分からないが、
キーワードだけを拾って
一気に広げてしまうところに、
これが経営者と学生の発想の差なのかと考えさせられた。
点と点を線で結んだだけで
殆どの学生の事業よりも
面白いものがどんどん出てくるところに、
普段経営者がいかに考えているかを
思い知らされた。
1日5分ということを継続し、
もっと固まった事業ができるようにしていく。
rom:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)@JVU3期生
《事業創造を固める》
4月から、鳥越先生に毎月行なっていただいている事業創造の講義も、
残す所わずかとなりました。
卒業の際には、自分の事業創造を完成させて発表します。
しかし、現時点で、発表が可能なレベルに達しているとはとても言えません。
今回私は、これまでの事業創造の構想を発展させて、
新しい方向性を考えました。
自分ではそれなりにまとまったと考えていましたが、
本日鳥越先生や皆さんのご意見を聞かせていただき、
まだまだ改善したり詰めていかなければならない点や、
事業の方向性についての、新しい考え方を知りました。
時間が残り少なくなってきましたが、
不完全なものには絶対にしないことを前提に、
多くの意見を聞かせていただき、
第三者からの厳しい目線で見ていただきながら、
事業をまとめていきます。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生
【平成24年11月27日(火)】 『歴史現地学 ~旧陸軍桶川飛行学校』

1日の流れ
10:00 桶川駅集合、 朝礼
10:30 山近社長合流、移動
11:00 桶川飛行場到着、見学
・最初の特攻隊について
・当時の面影から何を感じ取るのか
12:10 昼食
12:45 移動~関東食糧へ
13:00 関東食料到着
13:15 山近社長と別れ、移動
14:00 歴史施設見学
14:20 終礼・解散

《過去を伝える》
山近社長のご紹介で、埼玉県桶川市にある
桶川飛行学校跡地を見学しました。
大分傷んではいますが、当時の建物が現存しています。
建物の中は展示スペースになっており、
この桶川から特攻隊として
知覧に向かわれた方々を中心に、
戦争、航空などに関する多くの資料が展示されていました。
戦時中に実際に使用され、
戦後も引揚者向けの住宅として
長く使われたという建物の中で
当時の様子を生々しく想像することが出来ました。
この建物は現在は使われておらず、
取り壊される予定でしたが、
地元の方々が保存のための運動をされたため、
現在のように資料館として残りました。
過去の遺産は、何もしなければ消えていってしまいます。
何を残して行かなければならないのか、
これから社会に出ていく若者が、
考えなければならないことだと感じました。
From:野田貴生(都留文科大学卒、山梨県出身)@JVU4期生

【時と共に】
本日は埼玉の桶川駅の近くにある、
桶川飛行学校跡地に行ってきた。
資料などが残されていると聞いていたので、
しっかりと整った施設だと思っていた。
しかし、いざ行ってみると当時の学校そのままの状態で
残されており、教室らしきところに資料が並べられていた。
今にも抜けそうな床の中、資料を拝見させていただく。
大変貴重な資料が数多く存在した。
実際の教室の中で写真や遺書などを見ていると、
テレビや本以上に多くのものを感じられる。
改めて、現場に足を運ぶ大切さに気づかされた。
当時のままの状態で残すことは非常に価 値はあるが、
時が経つにつれ劣化していく。
歴史施設の多くは県や市、あるいは
個人で資金を出し、整備されている。
ここ桶川飛行学校もこのままではいけない。
そして、時と共に衰退していくのは、施設だけに限らない。
戦争(特攻隊)というものも忘れられていく。
忘れられないためにも、県や市がしっかりと整備し、
もっと多くの人がこれる環境を作らなければならない。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)@JVU4期生

今回、山近社長の御案内の もと、
桶川飛行学校跡地を見学させて頂きました。
桶川飛行学校は、特攻隊の方々が
訓練されておられたところです。
知覧から沖縄へ、特攻隊として
はじめに飛び立っていかれた伍井さんという方も、
そこで学んでおられたそうです。
伍井さんという方は、私が通わせて頂いている
日本ベンチャー大學の会員企業様である
関東食糧株式会社の臼田満様の
お祖父様だという事も伺いました。
特攻作戦というのは、
負けると知りながら若い命を奪ったという意味では、
称えられるものではありませんが、
日本を守ろうと必死であったことは事実です…。
手を合わさせて頂きました。
私たち若者には、今の日本を継承していく義務があります。
本気でがんばらないといけません。
From:井浪康晴(島根大学卒、京都府出身)@JVU4期生