平成26年(2014)【1月15日(水)】 日経新聞学/細矢明信先生(エヌアイイーイー 総合研究所 代表取締役)
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●1日の流れ
13:00 朝礼、掃除
13:30 新聞アウトプット
13面「イオン、自動車の専門学校」
イオンが専門学校を始めることについて、自転車の市場や今後の採用について議論した。
2面「サントリー、米ビーム社買収」
サントリーがビーム社を買収したことから、世界での戦略について議論した。
15:30 準備
16:00 学生同士のディスカッション
新聞を読む前と読むようになってからの違い
最近の気になる記事
人が選んだ気になる記事に質問
17:00 細矢明信先生の講義/日系
新聞の読むべき場所
1月1日の新聞は残しておかなければならない。
日経平均で3カ月先が見える
経営者の景気予想は残しておき、一年後に予想はどうだったか見比べる。
1月1日の一面の特集はその年一年のテーマ
18:30 終了
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●新聞アウトプット
この日は1日新聞について学ぶ講義。午後からの授業だったので、
いつもより準備に時間を使うことができた。
私は都知事選についての記事を取り上げたが、他の人が選んだ記事についても
ある程度読んでいたので、議論をしていてもすんなり頭に入ってきた。
朝、新聞アウトプットの前に読み込めば読み込むほど、議論をするときに
得られるものが多くなると感じた。
残りの3ヶ月、ベンチャー大學で学べることは最大限、活かすことを意識して学ぶ。
新聞の読み込みの時間をもっと取るようにする。
●新聞を読んだ1年間を振り返ると
今元局長に新聞の講義をしていただいて、新聞を読み始めてからの
一年間の振り返りをすることができた。
考えてみると始める前と今では、私という者が全く別人になったということすら感じる。
読む前はあまりにも知識がなく、大学時代、よくそれで就職活動をしていたなと思う。
就活生にとって新聞を読むことが必須と言われる理由がわかった。
今元局長に話を振られて議論をしていると、まだまだ勉強不足なことがわかる。
本質を掴むということも、充分にできていない。
しかし周りの仲間を見てみると、何年も新聞を読み込んでいる人は、
それに応じて力もついていることが明らかだ。
私もずっと続けていく。
●二割の人になる
細矢先生の日経新聞講座は何度か受けさせていただいたが、
この日は新しく学ぶことができたことも多くあり、気持ちを新たに受けさせていただいた。
ヒト・モノ・カネは全て有利な方向に向かうということ、一年間の変化の
比較をするために1月のはじめの記事は取っておくべき、ということなど、
まだまだ学ばなければならないことは山程ある。
細矢先生の最初のお話も印象的だった。
ご自身の経験談なのだが、試験に何も勉強せずとも新聞を読んでいたので、
なんと受かってしまったという。
新聞の多機能さ、奥深さをまた一つ知った。
先生が最後に教えてくださった、二・八の法則。
学んだことを実行する人はほんの二割で、それを継続できる人はそのまた二割。
私も二割の人間になる。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●気付き
・新聞アウトプット
久々に新聞アウトプットをしたが、議論まで行かず、自分の考えを一度出す
くらいしかできなかった。
知識もそうだが、何故そう言った策をとるのか、何故今なのかを考える力が弱い。
しかしこういう力はビジネスをしていく行く上で必須となる。
新聞をただ読むだけではなく、どうして今というタイミングなのか、
そういう施策をとる理由は何なのか考えながら読む。
そして考えたことをアウトプットしていくことで、精度を高めていく。
・今元局長の講義
最近気になる経済記事について話せ、と言われた時に、しばらく浮かばなかった。
なんとか無難なものが思い浮かび話したが、ぱっと思い浮かばなければ
いざというときに答えられない。
何故すぐに思い浮かばなかったのかというと日常に活用するということがまだできていないためだ。
ただ読んで、知識を得るだけでは読んでいる意味があまりない。
内定先も決まっていて、絞ることもできたはずなのにしていないことはもったいない。
今後はただ読むのではなく、自分に役立てることができる記事を探すようにする。
・細矢先生の講義
講義を受けさせていただくのは4回目ほどだが、回数を重ねて少しずつ分かるようになってきた。
知識が足りないことと、頭が情報量に追い付いていない。
新聞で、いつもは飛ばして読んでいた部分に今後の海外の経済状況が読みとれたり、
今後の経済情勢が予測出来たりと、新聞はただそのときそのときの状況が書いてあるだけではなく、
深く読もうとすればとんでもなく奥が深いものだということを学んだ。
自分は記事を読んで、知識を蓄えることで精一杯となってしまっているので、
今回学んだことを活かし、いつもは飛ばすところも休日に読むようにする。
From:牛島知之@東京校5期生(熊本県出身・熊本県立大学卒)
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●今元局長による講義
新聞は時勢を知るための手段であり、
1回2回読むのではなく、
続けて読み続けることで力が付いてくる。
自分はまだ1年程だが、2年、3年と読んでいる人の方が
本質をつかむ力があるのは
発言を聞いていると明らかだった。
読んでいる時間が少ないぶん深読みをして行き、
さらにそれだけで終わらず、
その記事が自分とどう関係してくるか、
利用するにはどうするかなどを考え
すべての記事を自分事にできるようにして行きます!
●細矢先生による講義
毎回新しい方のために同じお話をしていただくが、
間が空いているおかげで、
前はよくわからなかったことが、
得心が行くようになったり、
自身の注目する点が変わっていることに気づいた。
新聞は毎日読むものなので、
自分の中に落とし込む読み方をできるようにしてゆきます。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」2日目、JVU全国会議

●合宿2日目…1月8日(水曜日)
7:00
朝の散歩 2日目の朝、ものすごく寒かった。
体を温める為に体操をし、松陰先生と弟子の金子重ノ輔が入れられた
野山獄と岩倉獄に向けて歩く。
残っているのは、獄跡地のほんの一部で
そこから当時を想像するのは難しかったが
「獄に咲く花」や「蒼天の夢」で見た映像を思い出しながら
そこに立っていると、
一層寒さが際立って感じた。
金子重之助が亡くなったのも同じ1月、
当時だってまともな防寒ができたわけでもないだろう。
病気と重なれば命を落とすのも当然だと感じた。
そしてそのような体調でもまともな施しを受けられないことに
野山獄の武士と岩倉獄の武士より下の身分の者との
絶対的な格差を感じた。
8:00
朝食 朝食を食べるまえに梅地さんから
松陰先生の食事について教えていただいた。
松陰先生は食事にはお金をかけず
ご飯、みそだけでの食事が主だったそうだ。
そのため常に栄養失調気味だったそうだが
それだけお金を勉学に充てようとすることの
情熱を感じた。
自分の食事を振り返った時
食は豊かなのにエネルギーでは松陰先生には
到底及ばないことを感じた。
9:00
塾生生家めぐり 前原一誠は明治後政府にも加わるが
松陰先生の教えから少しずつそれていく政府から
離れていき、そして萩の乱につながっていくようだ。
国を変えるような松陰先生の教えでも
国を背負う立場になると貫くことは難しいのだと感じ
政治というモノの大きさと重さを感じた。
井上勝は長州ファイブで知っていたが
長州ファイブが藩の命でどれだけの覚悟で
密航したのかもっと知りたいと感じた。
映画を観よう。
最後には薩長土連合密議之處の石碑を見たが
ここで久坂玄瑞、坂本竜馬、田中藤七が
国事を語ったそうだ。
薩長土肥連合の先駆けであり
ここから明治維新に向かっていくと考えると
興奮した。
10:00
上田宮司講義、松陰神社祈念館にて てっきり松陰先生や松下村塾についての講義だと思っていたが
武士道という言葉が多く聞かれ、それがテーマのようだ。
それは松陰先生や塾生の史実を学ぶことより
皆それぞれが持っていたであろう武士道という精神について
学ぶことが大切ということなのではないかと感じた。
講孟余話や士規七則を教材としていただき
少し難しかったが、学生でも理解しやすいようにお話ししてくださった。
講孟余話で印象的だったのは
「経書を読むのは第一義は聖賢にに阿らぬこと要なり」
という言葉だった。
どんな立派な書物や立派な人の発言でも
それを鵜呑みにすることは害にさえなるということだ。
勉強すればするほど意識しなくてはいけないことだと感じる。
物事の本質を知るためにも勉強し
学んだことできちんと判断をできる人間になる。
士規七則では"三端"という言葉が印象に残った。
七則を達成するための立志、択交、読書のことであり
自分の志を立て、良い人と交わり、学ぶことが
大切であるということを感じた。
11:30
松下村塾へ ついに松下村塾の敷居へ入る。
宮司の講義として特別だそうだ。(普段は入室禁止)
かつて松陰先生、そして塾生たちが
実際に学んだ松下村塾に実際に入らせていただくことは
人生でも大きな経験だ。
塾生たちと同じように座り
松陰先生の座っていた位置を教えていただくと
当時のことがなんとなくイメージできる。
ここで行われた教育は
会読や対読のように読書をすることや
時事問題について討論すること
野外活動や武芸とのことで
ベン大と似ていて、ベン大がいかに松下村塾を
目標としているのかを感じた。
この場所で松陰先生は塾生たちと
一人一人語り合い、そして明治が作られていったのだ。
松陰先生は屋根裏に寝ていたようで
そこも見ることができた。
終始、静かに興奮した。
11:45
萩研修アウトプット この研修を経てベン大は松下村塾に
とても近いということを感じた。
大切なことはその貴重な場をいかに自分の身にするかである。
松下村塾に通った塾生の中には数週間だけ通っただけでも
そこから行動につなげる人がいたそうだから
やはり学んだことをいかに行動につなげるかが大切である。
今元さんが「歴史は発酵する」と仰っていたように
価値と学びのある歴史を学び
自分が今何すべきかを考え行動することが大切なのだと感じた。
13:30
JVU全国会議 昼食を終え、ベン大の全国会議が始まる。
各校の話を聴くと、各校のテーマがあるのを感じた。
名古屋はビジネススキル、徳島や山口は実行、
そうして考えると東京は決めてはいなかったものの
現地現場というのがそれにあてはまるように感じた。
それにしても何かテーマを考え軸にすることは大切と感じた。
各校講義や歴史の学びにも特徴があり
いずれも共通して大切なのは自主的な行動であると感じた。
その中でもやはり東京校は他の分校に比べ
毎日通っている分貴重な機会が多くあることを改めて感じた。
それを生かしていくことがとても大切である。
16:00
道の駅萩往還「松陰記念館」 萩研修を終え、みな解散し、
自分は今元さんの車に乗せていただき移動したが
その途中で道の駅にある「松陰記念館」に立ち寄った。
初日の萩に行くときにも来たのだが
一緒にいた大阪校大上さんや熊本校片橋さんがまだ見ていなかったため
改めて見学した。
この史料館はとてもよくできているのが感動した。
特に松下村塾の講義風景が実物大の教室と
松陰先生と塾生の人形で再現され
音声でどのような講義がされていたのかも
再現されている。
この史料館のおかげで萩でも
松下村塾の講義風景をイメージしやすかった。
資料の展示の仕方も見る人を楽しませる工夫があり
松下村塾についての学びだけでなく
そういった見せ方の勉強にもなった。
16:30
梅地さんを病院へ 梅地さんの病院につき、病室まで送る。
初日の夜の懇親会の時に横でお話を聴きながら感じたのは
梅地さんの足の細さだった。
どのような病気かは聞けなかったのでわからないが
そういった状態でもベン大の合宿に来ていただき
たくさんの場所に行き、たくさんのことをお話ししていただいた。
それはやはり松陰先生の歴史をただ学んでいるのではなく
そこから何かを実行に移しているということなのだと感じる。
そしてそれが歴史力として大切なのだと強く感じた。
梅地さんには心から感謝である。
●まとめ
今回の萩合宿は、昨年1年間のことを振り返り
自分を見つめ直すためにとても良い機会だった。
終始興奮し、いろいろなことを想像しながら
自分の今までのこと、これからのことを考えられた。
久しぶりに会う分校の学生や経営者の方々、
初めて会う人との出会いに恵まれ
松陰先生について語り合うこともできた。
今回の感動と真摯な気持ちを忘れずこれからも生きて、
忘れそうになったらまた萩に来て自分を見直そう。
とても特別な場所に行くことができ、
様々なことを感じることができた
とても良い合宿だった。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
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●松下村塾合宿日報、2日目
7:00 朝の体操と散歩に向かう
松陰先生が二度も投獄された野山獄と、共にペリーの船に密航を
企てた金子重之助が投獄された岩倉獄に向かう。
野山獄と岩倉獄は一本道を隔てて向かい合っていた。
二つの獄の距離はとても近く、隣接していながら何もできなかった
松陰先生の残酷な運命を想像すると、胸が苦しくなった。
松陰先生の志がきっかけで金子重之助は夭折してしまった。
友思いの松陰先生がそれからさらに活躍していくのは、公への思いが
あまりにも強かったからだろう。
雨の降る中、狭い獄跡はとても重い空気が立ち込めていた。
ここでの経験が、松陰先生のお考え、意思をより深めたのかもしれない。
8:00 民宿に戻って朝食を取る
久々の数品揃った豪華な朝食。
しかし、松陰先生の普段とっていた食事は、米と金山寺味噌だけという、
質素そのものだったという。
梅地先生に教えていただいた。
それからは私も食事を質素にすることを意識している。
大事なのは、松陰先生は節約した分を自分の勉学のために充てていたという
ことだ。
私も自分への投資を第一に考え、松陰先生に習って、過食にならずに過ごしていく。
9:00 松陰神社まで、塾生たちの生家を巡りながら進む
北尾さんに解説していただいたが、知らないことばかりで、明治維新後も
日本を創るために力を尽くした方々が大勢いることに驚いた。
生家には今も大きな石碑が立っている。
そのわけがわかった。
また、松陰先生に教わった同じ塾生でも、松陰先生没後の行動にかなりの差が
あることを学んだ。
私も塾生たちの動きを学び、松陰先生の教えをどう活かすのか考える
必要があると思った。
10:00 松陰神社にて、上田俊成宮司の講義
松下村塾にとどまらず、国家としての日本、武士道にまで
現代の私たちのこれからに訴えるお話をしてくださった。
日本は権力ではなく権威がずっと威力を保っていた。
それは武士道にも通じることなのだろう。
中国とは違った日本独特の精神。
私は素晴らしいと思う。
知行合一、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。
上田宮司はこれら、日本精神を解く鍵を勉強すべきとおっしゃっていた。
よく学び、身につけ、自分の行動に活かす。
士規七則は京都研修のときに学んだが、友は選ぶべきという「択交」の
意味を取り違えていた。
交わるべきものを選ぶのではなく、自らを磨かなければ良い交わりが
できないという意味だ、と教えていただいた。
松陰先生の言葉の一つ一つの意味。
海のように深く、学ぶべきものは限りなく多い。
また、学んだことをそのまま鵜呑みにすることは自分のためにならない、
という教えが印象に残った。
自分はそのまま取り入れてはいないだろうか。
鵜呑みにしないことも意識する必要がある。
宮司からの講義は、これからの活かし方次第で宝になるお話ばかりだと思った。
11:00 ついに松下村塾に入室
狭い。
まず感じた印象はそれだった。
これほど小さいところから、日本を変えるほど大きな方々が生まれた。
やはり松陰先生の教育の成果なのだろう。
人が本来持つ可能性を最大限引き出したのではないか。
中から感じた雰囲気は暗くて厳かだったが、当時は漏れ出すほどの熱気に
包まれていたのだろう。
私たちは松下村塾生のように腰を下ろし、上田宮司には講義をしていただいた。
松陰先生の伊藤博文の評価の話が印象に残った。
初代内閣総理大臣になった伊藤博文は、人徳はあったが当時まだ能力の低い
人だった。
私にも絶対に何か大きなことができる。
確信が深まった。
私が座った席は、たまたま松陰先生がいつも座っていたところだった。
もう実行しないわけにはいかない。
12:00 全員でアウトプット、梅地先生に総括を頂く
今元さんから、「歴史は発酵する」というお言葉をいただいた。
腐る、とは違う、発酵。
学びに来たとしても、その人の姿勢次第でその価値は全く違うものになる。
思えば昨年は最後のアウトプットで自分の不甲斐なさを謝り、
全くお門違いな発言をしてしまった。
全然自主的でなかった、私の姿勢に問題があったのかもしれない。
梅地先生からの、実行をすべきというアドバイスも受け入れることができなかった。
なぜそうおっしゃったのか、意味がわからなかったのだ。
一年経って、今年ははっきり「実行する」と言うことができた。
梅地先生には、私の性質を見抜かれていたのかもしれない。
実行力のなかった私も、必ず変わる。
これからは吉田松陰先生を、尊敬する歴史上の人物の、第一に挙げたい。
13:30 この合宿に集まったメンバーで、JVU全国会議を行った。
各校独自の色があり、運営方法も異なる。
分校の取り組み、例えばビジネス色の強い名古屋校の東南アジア体験研修、
山口校の地域密着の講義などのお話はとても刺激になった。
こうして年に数度集まり、状況を発表し合って意見を述べ合うことは大切だと思う。
ベンチャー大學は運営側も学生も、全国それぞれ強い想いが原動力だ。
この、学校との出会いの場で、一年経ち、学ばせていただけていることを改めて
感謝する機会となった。
ベンチャー大學は、今までの人生で私が真剣に学ぶことができている、唯一の
学校だ。
終生、大切にしていく。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」1日目
2014/01/07 松下村塾合宿
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●合宿1日目…1月7日(火曜日)
12:00
松陰神社前集合 山口県萩、松陰神社に到着して感じたのは
世田谷の松陰神社と大きく違うことだ。
その大きさからは松下村塾誕生の地であるということの誇りと
萩にとって、松陰先生がいかに重要な存在かを感じることができる。
参拝に行く道中、さりげなく左手に松下村塾があった。
右手にある至誠館に注目していたため
危うく見逃すところだった。
それぐらいされげなくあり、またそれが松下村塾らしくて
本物を見ることができたことにとても感動した。
鳥居前の石碑には「明治維新胎動之地」とあり
「胎動」という言葉の表現がとても松下村塾のことを上手く表していて
感動して興奮した。
松陰神社内のお土産屋さんにあるうどん屋さんで
松陰だんご(330円、柚の香りがさわやか)を食べていると、
外に続々と各校の学生や
参加経営者の方々も集まってきた。
いよいよ萩研修が開始するのだという緊張感も高まった。
12:30
杉家幽囚室、松下村塾 改めて松下村塾を見ると
本当にこじんまりとしていた。
その場所に松陰先生が謹慎させられ
講義を行っていたと考えると
なんとなく緊張した。
裏手にある井戸も見たが
今元さんは「その井戸を見て何を感じるか」と学生に尋ねたとき
自分は特にぴんと来ていなかった。
しかし、今元さんがその井戸の石でできている部分を触りながら、
木は腐るから新しいものに変わるかもしれないが
この石はきっと当時からあったはず、
とお話しされたときにとても納得した。
現場に来た時に何が一番大切かというと
場所の距離感、そして観る、触れる、澄ます、嗅ぐ、なめる
やってみる、であるということが身に染みた。
13:00
歴史ウォーク 吉田稔麻呂生家跡、伊藤博文旧家跡を見る。
今までは塾生の中でも超メジャーな人物のことしかよくは知らず
他の塾生はあまり親近感ももてていなかったが、
今回、生家をめぐる中で松陰先生とのエピソードや
松陰先生死後の行動なども聴くことができ
今までより興味が沸いた。
それにしても歩いてみるとわかるが、本当に松下村塾から近いことがわかる。
伊藤博文は来原良蔵の紹介で入塾し
松陰先生からは人と人をつなぐのが得意なため
政治家に向いているとアドバイスをもらったそうだ。
松陰先生がいかに人を見る目があったかがよくわかる。
それだけでなく後の講義で聴くが伊藤博文は松陰先生から
「才能はないし、学もない。素直であるが花がない。
僕すこぶるこれを愛す」
という言葉を遺している。
この言葉だけでも暖かい愛情を感じ、
松陰先生がなぜ慕われるのかがよくわかった。
玉木文之進旧宅、団子岩と向かう。
玉木文之進旧宅は松下村塾発祥の地であり
杉家がかつてあった団子岩のところから
坂を下りてすぐのところにある。
かつて松陰先生が学び、生き方のルーツとなった場所である。
団子岩のところには杉家の間取りを見ることができ
10人近く住んでいた場所と思えないその狭さに驚いた。
その狭さや父と農業をして過ごした日々は
きっと家族のきずなを強くしたのだろう。
そしてこの場所から見える指月山と萩の城を見て
公に仕える志を育てていったのだろう。
そう考えるとこの場所が松陰先生の精神的なルーツでもあるのだと感じ
印象強い景色は目に焼き付いた。
今回の萩合宿では松陰先生の家族のつながりを
知ることができたと感じる。
産湯の井戸に触り、指月山を背に集合写真を撮り
松陰先生や萩出身の名だたる方々のお墓をお参りし
松陰先生と金子重之助の銅像前で写真を撮った。
この場所は春は桜がきれいだそうだ。
次は来るときは春に行こう。
14:30
「至誠館」見学 松陰神社に戻り至誠館を観る。
ここには本物の留魂録がある。
とても小さい紙の束だと感じたが
松陰先生から留魂録を託された沼崎吉五郎は
それを4つ折りに小さくし衣服に縫い付けて
大切に守ったからのようだ。
自分が死ぬとしてもやるべきことを教え子に託し
日本を変えていったのだから
その想い、使命感と行動力はすごいものだと感じた。
そして家族にあてた永訣の書。
今までは留魂録にばかり注目していたが
萩で松陰先生と家族のつながりを知ったこともあり
永訣の書に今回改めて惹かれた。
『蒼天の夢』の中で、幼い松陰先生は
「家族を幸せにしたいと思うことは私の心」
というようなことを言っていたことを思い出すが
どんなに公のために尽くしても
それでも何より大切なのは家族だったのではないか
と今回の研修では強く感じた。
それが永訣の書にも現れているようで
今までよりもそこに書かれている文章が染み入った。
しかし、個人的に至誠館で一番衝撃的だったのは
松陰先生のグローバルで研ぎ澄まされた先見性だ。
展示されている與地全図のところで
今元さんと梅地さんがお話しされているのが耳に入ったのだが
松陰先生は、かつて竹島についても
「早く日本の領土にすべきだ」ということを発言した記録があるそうだ。
今も続く問題に150年以上も前から問題意識を持っているなんて
桁違いの天才なのだということを今まで以上に感じた。
16:00
萩城下町 バスで移動し、萩の城下町にたどり着く。
桂小五郎、高杉晋作の生家を続けてみると
本当に近いことがわかる。
身分のある家同士の青春もきっとあったのだろう。
松陰先生の基礎的な部分は少しずつ知れてきたので
周囲の人間ももっと知りたくなってきた。
北尾さんの案内で菊谷家住宅と萩の町のマークの話や
鍵曲についてのお話も聴くことができる。
16:30
高杉晋作の通塾路(晋作生家~松下村塾) 高杉晋作がかつて親の目を盗み
松下村塾へ通っていた道を皆で歩く。
晋作は、この道を何を考えながら歩いたのか
自分なりに想像しながら歩いてみた。
当時の親は絶対的な存在である中で
その目を盗んでまで通う理由、通いたい気持ちは何か、
勉強になるからか、より多く学び国に尽くすという使命感か。
自分の中で一番しっくりきたのは、
ただただ楽しかったから行きたいだけではないかと感じた。
自分の知らないことを知ることができ、
自分の考えを発し、塾生の考えを聴き、松陰先生の考えを聴き、
今まで藩校で学んでも満たされなかった
好奇心が満たされたのではないかと感じた。
そして松下村塾に通う時も
昨日に学んだことを思い返したり、
自分の考えをまとめたりしながら、
松下村塾で今日は何を言い、
どんな議論をするか、何を質問するかなど
いろんなことを考えながら歩いていたのではないかと感じた。
そう考えていると、自分がベン大に入るよりさらに前、
大学4年生の夏休みに見学で通っていた時のことを思い出した。
少し見学するつもりが、毎日見学し、
ほぼ夏休みをベン大で過ごしたあの時は
今までの学校とは違うことを知ることができて
ただただ楽しくて通っていたように感じる。
あの時にあって今はないものが何かあるように思えて
とても大事なことに気付いたような気がした。
そんなことを考えながら歩いていたら松下村塾にたどり着いた。
この日気づいたことは一生大切にしよう。
18:00
民宿美城浜荘へ到着 夕食を終え民宿に到着した。
部屋の名前が吉田、高杉、桂などなど
何とも心をくすぐる名前だった。
しかも自分の部屋は吉田。
同じく吉田部屋で隣に一緒にいた早稲田大学の浅見さんと
若干はしゃいだ。
19:30
松陰先生に迫る講義 風呂を終え、講義に移る。
松陰先生についてまだまだ知らないことや
うまく落とし込めていないことがたくさんあった。
まず基本的なこととして松下村塾の何がすごいのかというところで
他の私塾のように優秀な人材を集めたのではなく
近所の若者が日本を変える人物に育ったことが
他の私塾と圧倒的に違うということが確認できた。
また今回改めて特に感じたことを3つ挙げるならば
一つ目は「華夷弁別」だ。
どんな場所でも世界の中心であり、
萩から日本を変えていった松陰先生の言葉として聞くと
とても説得力を感じる。
今の自分でも全力で何かに取り組めば
それが何かにつながり、少しずつ大きなことにつながっていく。
今回の研修を終えて振り返ると
新聞を読んでも何か見方が変わった気がする。
小さな自分でも大きな何かを変えることができるかもしれない、
そのためにももっと勉強しようと感じた。
二つ目は、送序についてだ。
松陰先生は塾生を送り出す時
その人がこれからどうすべきかのアドバイスだけでなく
自分の人脈を利用してその学生のためになる人を
紹介していたそうだ。
それが死後も明治維新を後押しする原動力になったのではないかと感じた。
そして三つ目がバックボーンとしての「家族の存在」だ。
今回の研修ではこのことに多く触れる機会があったが
一つ気になっていたのが、なぜ松陰先生は
文之進のスパルタ教育に対して反発等をしなかったのかということだ。
当時の親は絶対的ということもあるのだろうが
梅地先生に質問をすると、それは玉木文之進が
まじめな人間であることが幼い松陰先生にもよく伝わり
信頼関係ができていたからではないかと教えていただいた。
このことは松陰先生の至誠にもつながっていると感じ、
松陰先生のルーツには家族との信頼関係が一番にあるのだと感じた。
24:00
『蒼天の夢』鑑賞 懇親会も終わり、最後に蒼天の夢の鑑賞会を行った。
松陰本舗での店番のこともあり
耳に残るぐらい聴いているのは事実だが
それでも萩で松下村塾にいて学んだ後に
見る映像はまた違った。
松陰先生の家族や塾生とのつながりが
一層強く印象に残った。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
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●松下村塾合宿日報、1日目
12:30
萩の松陰神社で集合 私が日本ベンチャー大學を知ったのは、ちょうど1年前の松下村塾合宿だった。
山近理事長の鞄持ちとして参加させていただいたのだが、大学時代の当時は
合宿にきちんと向き合うことができず、全く学びにならなかった。
ひどい姿勢だったと思う。
しかし、そこでベンチャー大學を知り、当時の学生の皆さんの輝きを見て、
先輩方に励まされ、それがきっかけでベンチャー大學への入学を決めた。
それから一年、ふたたび松下村塾合宿の日を迎えた。
今回人一倍、思い入れは強かったと思う。
また今回の合宿の、個人的な目標は、自らの今後の行動を律することだった。
吉田松陰先生や塾生たちの生き方を全身で感じて、自分の行動に繋げる。
13:00
吉田松陰先生や塾生たちの当時の生の物語を実感 まずは本物の松下村塾を見学し、梅地先生の案内で、塾を取り巻く人々の
ゆかりの地を巡った。
松下村塾や塾生たちの家々、周囲の町並みに実際に行って、見て聞いて、
ときには触れていると、知っていた事実の他の、現実感のあるドラマが
次々と浮かんできた。
そこには青春の輝きや、熱い意見のぶつけ合い、袖を濡らした
悲しみの体験もあったのだろう。
それらは現場だから感じることができたことで、松下村塾のドラマに親しみが湧き、
胸にぐっと込み上げてくるような気持ちも湧いた。
山口県萩、本家の松陰神社の規模は東京よりさらに巨大で、塾の威厳と、
その存在の大きさを感じた。
本物の松下村塾の建物を取り囲むようになっていて、塾と幽囚の館では
松陰先生の引きつけ力、塾生たちの熱心な学習の日々を感じた。
井戸もあり、その石は恐らく当時からのものであり、見るだけではなく、
時には触れることで、全身で感じることの大切さを学んだ。
松陰神社の外、塾生たちの生家などを巡っていると、当時の松下村塾に通う
日々の様子を思い浮かべることができる。
松陰先生ご自身の生家やお墓がある団子岩まで、先生に解説をしていただき
ながら歩く。
細かい事実、エピソードまで教えていただき、松下村塾を巡る人々について、
より深く知ることができた。
松陰先生の生家はかなり小さく、豊かでないご自身の幼少期の生活が
よくわかった。
ただその場所は高台で眺めがよく、萩の街や城、その全体を見渡すこと
ができた。
松陰先生も幼い頃より、そこから萩全体を眺め、さらにそれより外に
思いを巡らして育ったのだろう。
松陰神社から団子岩までのウォークだけでも、松下村塾を取り巻いた環境を
立体的に掴むことができ、人々の感情面での動きも想像することができた。
14:30
貴重な史料が収められた、至誠館を鑑賞 松陰先生ゆかりのものが多く展示されていた。
幼少時代、藩主に講義をしたときに身につけた裃、松浦松洞の書いた松陰先生の
肖像画など、松陰先生の歩んだ人生が体に染み入るようだった。
その中、一番奥に留魂録があった。
至誠の志は永遠で、たとえ死んだとしても魂が朽ちることはない。
そう書き記し、松陰先生は、弟子たちに未来を託した。
松陰先生の大和魂はやはり朽ちることがなく、塾生たちは日本を変えた。
まさに今の日本を作った、魂の留まった書だと思った。
その魂に、私たちも学ばなければならないだろう。
実際の書に出会って、学ぶ決意を新たにした。
16:00
高杉晋作が松下村塾に通った道を辿る 高杉晋作は何に引き寄せられ、夜中に、親の目を盗んでまで松下村塾に
通ったのか。
その理由を推測しながら歩いた。
自由な気質の晋作だから、そこにはよっぽど面白いものがあったのだろう。
ひょっとして松下村塾にのみ、自らの生き甲斐を感じていたのかもしれない。
身分制度がはっきりしていた当時、身分の差のある者同士では話すことも
ままならなかったという。
それが松下村塾では、身分に関係なく語り合える。
また松陰先生は各人それぞれの本質を見て、長所短所は指摘し、長所は
伸ばしてくれる。
松下村塾に、人間としての喜びを感じていたのではないだろうか。
のらりくらりとした自由人の晋作は、意外にも確固たる意志で、一つの場所を
目指していた。
19:30
今元さん・梅地さんによる、松陰先生についての講義 名もない近所の青年たちが日本をひっくり返した。
それがどういうことか。
吉田松陰先生が、指導者としてあまりに優れていた。
もう一つ。
誰にでも何かを成し遂げられる可能性がある。
松陰先生は人の性質を見抜き、長所を伸ばすことが上手かったという。
人はそれぞれ、長所短所があるが、誰にでも何か大きなことができるのでは
ないかと思った。
それは大きな励ましにもなる。
私自身も、短所は数限りなくあるが、それでも何か、私にも大きなことができる
のではないかと思っている。
今回の研修で、その確信はより確かものとなった。
今元さんの講義で、吉田松陰先生、松下村塾の凄さが、実感として分かり始めた。
塾費無料で賄い付き、24時間営業で、期間はたった1年間。
身分の差はなく、松陰先生は例えば品川弥二郎のような当時幼かった者にも
熱く教えたという。
根っからの教育者であった。
ご自身の行動はことごとく失敗しても、塾生たちに夢を持たせて、大成功させた。
それは松陰先生の成功と同義だろう。
続いて梅地先生も講義をしてくださった。
先生には昨年鞄持ちで参加させていただいたときお世話になり、今回私のことも
覚えていてくださった。
先生はご病気で大変な状態だが、私たちのために合宿に付きっきりで
教えてくださった。
吉田松陰先生はやったこと全てが失敗したが、失敗など屁とも思っていなかったと
いう。
実行してだめなら次へ。
それでいいのだ。
先生も最後には成し遂げた。
実行するしかないのだ。
また梅地先生にお会いできて、お話を聞くことができて、本当に良かった。
知識だけでなく、熱も、活力もいただいた。
先生の実行力、行動力が、何よりの学びだった。
いつまでも元気でいていただきたい。
一年後、またもっと色々なことを教えていただきたいと思った。
21:00
参加された方々と「日本を熱く語る」懇親会 今回、鈴江社長、岡崎社長、梶井社長という分校の
校長の方々や、事務局の皆さん、分校の皆さん、大学生の相馬くん、浅見くんなど、
多くの方の参加で成り立っていた。
この合宿で学んだことは、私たちが今の時代で活かしていかなければならない。
そうでなければ、松陰先生や塾生たちに全く申し訳が立たないだろう。
話していて、皆さん意識が高いと感じた。
私ももっと時代に向き合わなければ。
ここで一緒に学んだ方々、同志の皆さんを今後も大切にしていく。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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