東京校の講義レポート

【平成25年2月2(土)】 『リアル歴史学』 杉田秀夫先生(元回天潜水艦運転士)

2013/02/02
●議事録

9:00 朝礼、掃除
9:45 新聞アウトプット
 11面「SNSで被害連鎖 なりすましや乗っ取り」
 6面「EV普及 各国競う」
 2面「4Kテレビを成功させるには」
 7面「北京 久しぶりの青空 大風で汚染物質吹き飛ぶ」
 1面 春秋
11:00 昼休憩
12:00 ベン大全国遊学の旅 会議
 ・青函トンネルをどう通るか(車、JR、フェリー)
 ・知覧合宿以降で予定がある人聞き取り
12:30 待機
13:00 ~ 15:20 杉田秀夫先生の講義、質疑応答

[杉田秀夫先生の講義]

・機械をいじるのが好きで、横須賀の海兵団や鈴鹿第三防空隊へ入団し
機関兵となる
・ラボール港やニューギニアのラエなど世界中へ行き、第三防空隊で
飛行機を防衛する役割を担う
・食糧も豊富にあり、海深く潜れる潜水艦に憧れディーゼルエンジンの
勉強をする
・大竹の潜水艦学校では、潜水艦に関するあらゆる事を3ヶ月で
習得させられるもの凄い厳しい訓練を受けた
・潜水艦でトラフトやメレヨン島にも行き、戦争下の日本兵の
悲惨な食糧不足事情に遭遇した
 ((ex.) 日本兵が来て、タバコと大金を交換した事。日本兵が潜水艦に
載せた米袋を破って生米を食べて、「日本の米を一口食ってから
死にたい」と言っていた。)
・人間魚雷「回天」を積んだ潜水艦「イ336」の乗組員になる
・人間魚雷の作戦を伝えられたときは、人間魚雷とは言わず「マルロク」
と言われていた
・テレビ朝日「報道ステーション」に出演したときは、実際に
回天にエンジンをかける為のハンドルを回した時の様子を再現した
・人間魚雷「回天」で特攻した英雄成瀬謙治隊長とは大変仲が良く、
特攻する数時間前まで会話していた
・「行く(特攻する)人の気持ちをとにかく理解してあげる事が大切」

15:20 掃除、終礼
《当事者のリアルな話》
本日は、太平洋戦争中に潜水艦「伊366」の乗組員をされた
杉田秀夫先生に講義をしていただきました。
杉田先生は、人間魚雷「回天」の発進の時にもその場におられました。

講義では、杉田先生が海軍に志願されてから
終戦後までの軍歴が中心になりました。
杉田先生は、当初海軍航空隊の機械科に所属して
ニューギニアに出征されました。
その時、ニューギニアとの移動のために
潜水艦に乗って関心を持ったことがきっかけとなり、
志願して潜水学校に入り、潜水艦の乗組員になられました。

潜水艦は昼間、ずっと潜行してゆっくりと進み、夜には浮上して航行します。
その時に艦橋付近でタバコを吸ったときに入ってくる外気のうまさ、
食料のない南方の島から傷病兵を連れ帰る時に、
密航しようとして艦に忍び込んだ兵士を、
艦長が名簿を書き換えて本土に連れ帰ったこと、
南方の島で、本土から持ってきたタバコを現地の兵士に分けて、
お礼に本土に帰ったら使えとお金をもらった話など、
当時の潜水艦乗組員の様々なエピソードを学びました。

杉田先生は、戦場で3回死にかけたことがあるというお話もされました。
そのような、命のやり取りをする過酷な戦場であっても、
兵士たちは一人の人間として生活をしていたということを感じました。
個人の一人一人のリアルな生活を知ることで、
現実味をもって歴史を学ぶことができました。

《思いを学ぶ》
杉田先生は、戦争末期、伊366で回天を発進させたことについて、
特に気持ちを込めてお話をされました。
伊366は回天用の設備を付ける改造をされ、瀬戸内海の大津島で訓練を行い出撃
3隻の回天を発進させて敵の輸送船を攻撃しました。

杉田先生のような潜水艦乗組員は、回天で出撃し亡くなった方々の、
人生最後の時を共に過ごされました。
杉田先生は当時、回天搭乗員の方々に対して、
どうか頼む、やってくれという思いを抱かれたそうです。
兵士たちは、苦しい戦局の中で、
何とかしなければという必死の思いを持たれていたのだと感じました。

本などでは、戦場での個人の生活や思いは、
あまり大きく取り上げられることはありません。
今回杉田先生の講義を受け、現場にいた方々のお話は、
歴史を学び、人生を考える上で大きな価値があるということを感じました。
今後も、直接学ぶ機会を大切にしていきます。


From:野田貴生(山梨県出身、都留文科大学卒)JVU4期生


本日は、回天で潜水艦を輸送し、回天のワイヤーを切り離す
役割を担ってらっしゃった杉田さんの話を聞きました。
実際に経験したからこそ話せる内容でした。
映画や小説漫画では、さまざまな回天を扱った作品が多いですが、
今日のほどリアルに感じたことはなかった。

また、回天の搭乗員であった成瀬さんとの話の内容を聞いたとき、
どんな思いで切り離しただろうかと考えました。
私には、それを感じることは、到底無理です…。

 講義の始まる前に日章旗や海軍旗を掲げさせていただき、
講義の初めには軍歌を流されました。それは英霊に捧ぐためだと言われており、
今でも特攻されていった方たちのことは思い続けていらっしゃるのだと感じました。
今の軍隊でそこまで思う人はいるのだろうかと感じました。

From:森優太(長崎県出身、日本大学卒)JVU4期生

杉田さんは戦時中、回天を積んだ潜水艦の乗組員で、
回天が発射される際、繋がれたロープを離す役割をされておられました。

発射される際の、隊長と回天操縦士との生々しい会話などを、僕たちに伝えて下さいました。
隊長『いくか』
回天操縦士『はい、いきます。いかせて下さい』
また、杉田さんは、回天操縦士のお一人である成瀬隊員と非常に気が合い、
色々な事を話されたそうです。
お二人は、心から信頼しあっておられたのでしょう。
成瀬隊員は、杉田さんに『お前がロープをはずしてくれ』と頼まれたそうです。
最期は、真の友の手で迎えたいという思いだったのでしょうか。
回天の操縦士の方々のお年は、20歳前後のまっすぐな若者だったそうです。
今の自分より若い方たちが、日本を守る為に決意され、突撃されていかれました。
守って頂いた自分は、これからどうするか。どう動くか。考えて、やるのみです。



From:井浪康晴(京都府出身、鳥取大学卒)JVU4期生
『当事者じゃないと分からない幸せ』

トラフ島での生活や潜水艦内の経験を聞き、衝撃が走った。
そこでの生活は不自由そのものだったので、
この経験は当事者じゃないと分からない。

例えば、潜水艦の中から地上に戻った時の
空気の美味しさや、基地から見える風景だったり、
また、生米一粒だけでも恋しかったことを聞くと私の中でそこでの生活が
壮絶なものだったのかなと考えた。
私は実際にこれを経験していないので、どれほど辛いものなのかは分からない。
ただ、生米一粒でも、ということだったので、少なくとも今している生活よりも
相当辛いことは確かだ。(想像するのは誰にでもできるが)

そういった不自由があったから
元に戻った時の爽快感も物凄かったのだろう。
以前聞いた話とはまた違うものだったので、より生々しさを感じることができた。

From:安齋義仁(福島県出身、いわき明星大学卒)JVU院生

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