平成26年(2014)【8月6日(水)】 1部:平和記念式典参列(広島市) 2部:広島平和資料館見学 3部:クラウドファンディング説明会(in 広島)

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●1日の流れ
6:30 出発
7:40 原爆ドーム集合
8:00 平和記念式典
8:15 黙祷(原爆投下時刻)
9:00 広島平和記念資料館の見学
・原爆以前の広島の発展
・なぜ広島に原爆が投下されたか?
・原爆被害の悲惨さ
11:00 カブトムシ&クワガタイベントのミーティング
・プログラム ・役割分担
12:00 解散
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「あの出来事は忘れていけない」
●平和式典
実際に行くのは、今回が初めてであった。そして、式典に参加するのも初めて。
雨が降ったのは確か、40年ぶりであったらしい。しかし多くの方がこられていて驚いた。
さらに、外国人の方も大勢いて、世界が注目する式典は珍しいと思う。
しかし、その参加者の中に、本当に祈りをこめて黙祷した人は何人いるのか、
と考えると、そんなに多くはいないだろうと感じた。
それは、写真を撮ったり、何かの運動があったりとイベントのようなものに
なっていたからだ。
私もその1人であると気付いた。だから、私に必要なことは、
他人の思いを自分の思いに変換できるかだと思う。
なので、それを意識していきます。
●広島平和記念資料館
今回で2回目である。1回目は、高校の修学旅行で行った。
当時の写真や原爆の仕組みなどが展示られて、高校生であった自分の考えとは
また違っていたと思う。それは、なぜ、米国は原爆を広島に落としたのか、
当時の人たちの苦痛の叫びを想像ではあるが、イメージをすることができて、
やぱり行ってみることの重要性を感じた日であった。
その中で、特に印象に残っているのは、当時の被害にあった男性の写真と
女性の写真である。
放射線よりも熱風による被害や苦しみの方が多かったのではないか、と推測する。
そんな状況を日本人は忘れてはいけない。これを後世に伝えていかなければ
ならないのは私たち若者であるからだ。
その様な思いを今回の平和資料館で感じた。
From:嘉形俊輔@東京校6期生(山形県出身、山梨学院大学卒)
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●平和記念式典~ヒロシマに半歩近づく
広電で原爆ドームまで近づいていくと、「原発反対」の怒声が聞こえてきた。
今まで聞いた中で一番声の大きい「原発反対」だったような気がする。
他にも平和運動などの団体がいくつも入っていて、そういう人が集まる場所なのだなと感じた。
一方で、ここには私たちのように、被曝者と直接関わりのない人々も
大勢来ているが、一体どんなことを感じているのだろうか。
こういう式典は、毎年行われ、毎年これだけの人数が集まることに
意味があるのだと思う。もし首相が出席しないようになったら、
もし開催が打ち切られてしまったら...。
そして、私たち一人ひとりがここに来て、ヒロシマと自分自身を
どのように結び付けるかが、とても重要である。
●広島平和記念資料館
印象に残ったことが2つある。
1つは、原爆の熱線で沸騰し泡立った瓦に触ることが出来るコーナーで、
担当の女性が語ってくれたことである。
原爆の熱線は爆心地で4000℃、数百メートル離れた場所でも2000℃ある。
それは地表に噴出したマグマが1000℃程度なのに比べ、恐ろしく熱い。
だから、1200℃の窯の炎で作る瓦も、熱線に曝されて泡立ったのだが、
他の瓦の陰に隠れた部分は何事もなかった。
それを指して女性は、こうして間一髪で命が助かった方もいた、とおっしゃった。
本当に、生きるか死ぬかは、どうにもならないことがあるのだと思い知った。
もう1つは、原爆を落とした翌日にアメリカのトルーマン大統領が発した言葉である。
いわく、太陽のエネルギー、次世代の力が、戦争を始めた者共に降り注いだのだ、と。
ここまで独善的な言葉があろうか、と唖然とした。しかし、それでは、
私はこの類いの言葉を無意識に使ってしまってはいないだろうか。
戦争、核兵器の問題でなくとも、例えば人間関係の上で、自分こそが
絶対的に正しいと信じきってしまっている言葉を吐いてはいないだろうか。
私は、このトルーマンの言葉にあるおぞましい矛盾を、反面教師とせねばならない。
今回、平和記念式典に出たことで、全く遠い存在、テレビの中の存在でしか
なかったヒロシマに、半歩だけ近づくことが出来たように思う。
回天研修からずっとそうだが、どうやって自分自身と歴史的事実を
結び付けるか、今後もよく考えていきたい。
From:須藤雄介@東京校6期生(群馬県出身、早稲田大学卒)
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●広島平和式典&広島平和記念資料館
広島平和式典に参加するのは今回、初めての事で、
今までにテレビで少し見た程度でした。
式典では雨が降っているにも関わらず、デモをしている団体や警察が
たくさんいて物々しい雰囲気でした。
その一方で多くの参加者は二度と戦争を起こしてはいけないという想いで
参加していたのではないかと感じました。
From:柳沢一磨@東京校6期生(神奈川県出身、帝京大学卒)
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平成26年(2014)【8月5日(火)】 もうひとつの特攻隊 人間魚雷「回天」大津島合宿 2日目

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●合宿スケジュール
6:00 ラジオ体操・ヤッホー体操
・回天訓練基地跡まで散策
7:30 朝食
・そうめん、おじや、味噌汁等
9:30 「回天とは…」
・『出口のない海』の一部朗読、映像ハイライトシーンを鑑賞
・振り返り&ディスカッション&アウトプット大会
12:00 フェリー乗船(徳山港に13時44分着)
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●回天研修2日目
・回天訓練基地
訓練基地に行くまでに長いトンネルを抜けなければいけない。
そのトンネルには、当時、運んだであろう痕跡が残っていた。
今元局長からは、「頭で考えるよりも、その場の空気を感じろ」という
アドバイスをもらい、実践してみた。早くお国のために出撃しなければと
急いだ人もいるだろうし、やっぱり後悔してゆっくりとトンネルを
抜け出す人もいるであろう。それぞれの感情を想像して…
でも、回天に乗るとき、独りになったら涙を流す人のほうが多いと私は感じた。
数時間にはこの世にいなくなるという感覚は体験した人にしかわからない。
だから、こんな貴重な経験をさせていただいて本当にありがたいと感じた。
もっと感謝を持って生きていかなければと誓う。
・ディスカッション(名古屋校とともに)
名古屋校には気持ちの部分で圧倒された。それは、声にも顕著に出ていた。
私自身もそうだが、第一声が小さいことに気がつく。
あとは、この研修に向けてしっかりと名古屋校の学生は準備していた。
何が違うのか?と考えたときに、同じベクトルを向いているか否かの違いであると感じた。
それは、行動規律にも出ていたし、意見を言うときでも自分の意見を
言えているなとつくづく自分たちの力不足を感じたし、正直に悔しかった。
だから、名古屋校と同じ土俵には上がらずにしても、東京校の味を、
色をこれからつけていこう、と決意した。
From:嘉形俊輔@東京校6期生(山形県出身、山梨学院大学卒)
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●訓練所跡
回天の発進訓練基地跡の建物の前まで、回天を運んだトンネルを通って向かった。
コンクリートの外壁、魚雷を海に降ろす大穴、そして回天用のクレーンの跡が残されている。
この建物が残されているのは、単に開発の手が及ばずそのままにされていたからであるという。
そのおかげで私たちが建物の前に立てるのだから、そういう偶然にも感謝である。
訓練と言えども、回天の乗組員は密室の中で、命がけで操縦していた。
そんな過去を持っているからか、訓練所から見た島と海の景色は少しもの悲しく映った。
●全体アウトプット
最後に、一人一人が何を学び、どう感じたかを話し合った。
この時私は、「自分自身と歴史的事実を、どのように結び付ければよいのか?」と悩んでいた。
今になって振り返ると、今回の回天研修で得たことは、その結びつきには「感謝」が
必要だということだ。
桑野校長も感謝の大切さを語って下さった。また他のメンバーも口々に感謝を述べていた。
それを基に考えると、回天記念館や訓練基地跡の存在、それからこうして大津島に
集まって皆と語り合うことが出来ることに感謝できる。
感謝することで、自分なりに回天や様々な物事、そして人物に近づいていけるのではないかと思う。
From:須藤雄介@東京校6期生(群馬県出身、早稲田大学卒)
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●回天訓練基地跡
今ではこの大津島にしか残ってないと言われる回天訓練基地跡に行きました。
回天訓練基地跡には外観のコンクリート部分しか残っておりませんでしたが、
ここで回天の訓練を命懸けでしていたのか…と思うと、感慨深いものがありました。
●学生とディスカッション
名古屋校の学生と一緒に、日本の領土問題や回天についてのディスカッションをしました。
ディスカッションという形で他の学生と議論するのは初めてで、私にはとても
新鮮で楽しかったです。
しかし、ディスカッションの中身については、名古屋校の学生に押されて
少し白熱した議論にならなかったかな、というのが正直な感想でした。
そのため、次のディスカッションの機会までにもっと歴史的な知識と
他人の意見を論破する力が必要だと感じました。
From:柳沢一磨@東京校6期生(神奈川県出身、帝京大学卒)
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平成26年(2014)【8月4日(月)】 もうひとつの特攻隊 人間魚雷「回天」大津島合宿 1日目

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●合宿スケジュール
12:40 大津島巡航フェリー乗り場(山口県周南市)集合
13:10 フェリーで大津島へ(13:36に馬島着)
・荷物の移動など
14:00 人間魚雷「回天」訓練基地(遠くで眺める)
・北尾洋二さん(山口校校長)による「回天」の説明
14:45 回天記念館 見学
・松本館長の講話
16:15 講義:テーマ「歴史と人間力」/山近義幸理事長代行
<内容>
・黒木博司氏
・久住 宏 氏
・簗瀬千尋氏
・毛利勝郎氏
・池田勝武氏
・5K(気付き・決定((覚悟))・行動・継続・覚醒)
・3つの力(ライバル・目標設定・誰かのため)
17:00 討論会
<テーマ>
・日本人 ・領土問題 ・靖国
・原子力 ・戦争
19:30 食事(手作り回天カレー)
20:30 日本を熱く語る 懇親会
・桑野社長による講義(報恩謝徳)
・夜のレクリエーション
・ビデオ鑑賞「出口のない海」
26:00 就寝
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●回天記念館
回天とは、太平洋戦争末期に開発された人間魚雷。その作戦は極秘だった。
100%死ぬと分かっていて、一体何のためならば死ねる、というのか。
自分が死ぬという時に、家族や友人、恋人のことを気遣い、泣くな!と
声を掛ける心境とはどんなものなのだろうか。
回天乗組員たちの遺品、写真、そして手紙を読みながら、
また記念館の館長さんのお話を聞いて、考えてみた。
しかし、どうにも自分の実感とは程遠く、どうやってこの事実に
近づいていけばいいのか分からなかった。
●ディスカッション
名古屋校の学生たちと一緒に、領土問題や原子力問題など、答の難しい問題について話し合った。
彼らは自分の意見を堂々と述べる心構えが出来ており、圧倒されてしまった。
こういう問題は、その場での胆力も必要だが、それ以上に普段から
自分の考えを持っているかどうかで議論へ参加できるかどうかが決まってしまう。
そうすると、物事を考えるための軸のようなものが必要だと感じる。
自分の中に軸があれば、複雑な問題を考えるための手掛かりが見つかるからだ。
今後、自分の軸を決める努力をしていきたい。
●山近理事長の講義
今回、回天の乗組員と関係者の偉人伝を教わった。
特に、命がけで回天のことを後世に伝えようとした人々と実際に会ってきているのが、
社長の凄いところである。
また、自ら開発した回天に乗り込んで、死ぬ間際まで事故検証ノートを
書き残した人物、米軍に機密が漏れないようにハッチをこじ開けて
回天もろとも海底に沈んだ人物など、信じがたいような人々の話を聞いた。
そういう日本人がいたということを知り、自分も同じ日本人として一歩でも近づいてみたいと感じた。
●名古屋校・桑野校長の講義
桑野校長は、開口一番に「君たちの言葉は、軽い」とおっしゃった。
大津島で、なんとなくどうしていいか分からないでいた私にとっては、
当然そうだな、という感じがした。
桑野校長は「感謝力」をとても大事にされていた。
私は、日本のために命を捧げようと本気で回天に乗り込んだ人たちがいたこと、
そしてそのことを伝えてくれる人が何人もいて、今、私たちが学べることに感謝しよう。
それが今の私の感覚で、自分自身とのつながりを感じられることである。
桑野校長の語る言葉に、深みや確信があるのには、仏教の教えを学んで
いらっしゃることが一つ理由になっていると思う。
偶然、京都研修中にお世話になった住職さんから聞いたのと同じお話が出てきた。
それを聞いた時、もっと仏の教えというものを知ってみたいという気持ちになった。
それも自分の軸を定めるために必要なことだろうと思う。
From:須藤雄介@東京校6期生(群馬県出身、早稲田大学卒)
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●回天研修1日目
・回天記念館
遺書や展示物など、当時のものがずらりとあった。
実際の回天の展示物が見ることができて、私たちと同世代の方々が
決死してお国のために戦場へ向かったのだ。
訓練中にも亡くなったもおり、回天の中でどんな気持ちで
操縦していたのだろうと考えてしまう。本当に現代の私たちに欠けている
勇気を当時の若者は持っていた。
また、松本館長のお話を伺った。話をされている松本館長は
涙目になりながらお話をしていただいた。そして、志願した若者、
400名の中には私と同じ山形県出身者も何人かいて、
親近感をを抱いてしまった。東北から中国地方まで、お国のために行く、という
決意には相当の想いがあったのだと感じた。
さらに、和田稔さんの言葉、「私は今、私の青春のまひる前を私の国に捧げる」
を見て、自分の人生をかけてまで日本という国を守りたいと、いうメッセージを
私は感じた。同時に、本当にすごいと感心してしまい、言葉を失ってしまった。
もっと、歴史を知らなければと感じた。
●山近社長の講義
特に印象に残っているのは、池田勝武さんと毛利勝郎さんである。
まずは、池田勝武さんで、3人の回天発進ボタンを押し、殺してしまったと
悔やんでいる姿には衝撃を受けた。戦争の最中であったため、
誰を批判することはないにしろ、池田さん以外にも多数、同じ境遇にあった方は
いると思う。そして、池田さんの願いは「平和な世界になってほしい」と仰られていた。
私もそれが実現すればいいな、と単純に思える。
けれども、現在も世界のどこかで紛争などが起こっている。
どう解決していくのが正解なのか、今後の私たちの課題である。
次に、毛利勝郎さんであるが、この方がいなければ回天記念館は作られて
いなかったといわれている。それは、終戦後、米兵が回天の設計図をはじめ
出撃隊員の写真や遺品を焼き払ってしまうのを恐れて、一刻も早く遺族に渡そうとして
金庫から持ち出した。それがなければ、私たちは回天のことも知ることができなかった。
思い立ったらすぐ行動するところなどは私たちは見習っていかないといけない。
●桑野社長の講義
テーマが「報恩謝徳」である。今の私たちが存在しているのは先代のおかげであると
いうことを認識しなければいけない。頭では理解しているが、実際に墓参りへ行ったり、
おじいちゃん、おばあちゃんに連絡を頻繁にとっているか?と聞かれると
首を立てには振れない。だから、回天でなくなった人たちももちろん、
日本人であれば忘れてはいけないし、自分たちの家系をもっと大切に
するべきであると感じた。
From:嘉形俊輔@東京校6期生(山形県出身、山梨学院大学卒)
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●回天記念館
私は今まで特攻隊と言えば飛行機の神風特攻隊しか聞いたことがなく、
大津島の回天と言われてもはっきり言ってピンと来ませんでした。
しかし、この回天記念館を訪れたことで回天というのは
人間ごと特攻する魚雷だということを知りました。
記念館では特攻隊に行った若者の写真や石碑、さらに家族や恋人にあてた
手紙があり、特攻隊に行った若者の中にはまだ17歳くらいの、
自分より年下の子も特攻に行っていて、とても驚きました。
また、なぜ若者たちは特攻に行ったのかと思っていたのですが、
館長の松本さんのお話を聞いて特攻に行った若者たちは家族のため、
大切な人のため、国のために命を懸けて特攻行ったと知りました。
松本さんのお話を聞いて、私はそういう人たちがいたことすら
今まで知らなかったのはとても無知で恥ずべきことだと思い、
もっとこれから歴史を深く勉強する必要があると感じました。
●山近社長の講義
私が特に印象に残った方は、毛利勝郎さんと池田勝武さんです。
最初に毛利勝郎さんは回天の整備士であったため、特攻した人たちの
遺品を預かっていて、戦後、それを米軍から守るために命懸けで
何十年も守りぬいた人で、この人が居なければ、回天記念館も
なかったと言ってもいい位の人物でした。
次に池田勝武さんは潜水艦の乗組員で、回天を発進させるボタンを押す人でした。
池田さんは、自分が3人のボタンを押したことを戦争が終った後も
後悔していて、映像で涙ながらに語っていて、見ている私も
悲しい気持ちになりました。
戦争というのは生き残った人たちの心にも長い間影響を与えるもの
であると感じました。
●桑野社長の講義
名古屋校の校長でピアズの社長でもある、桑野社長に講義をしていただきました。
桑野社長からは「報恩謝徳」という言葉を教えられました。
今の私が居るのは親や先祖の人たちが居たからであり、
もっとそういう人たちに感謝するべきだと思いました。
From:柳沢一磨@東京校6期生(神奈川県出身、帝京大学卒)
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平成26年(2014)【8月2日(土)】 京都1週間自修、成果発表会

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●1日の流れ
12:00 日本ベンチャー大學大阪校へ到着
各班打ち合わせ
13:00 リハーサル①
・チーム【朱雀隊】
14:00 リハーサル②
・チーム【若者たち分裂&再結成】
<アドバイス>
•発表は最初の掴みが重要
•蓮如の話ばかりで京都研修の話がないと発表会の意味がない
15:00 京都研修発表会 開始
・チーム【朱雀隊】 テーマ『ご縁』
紙に自分達が行った地域を分かりやすく絵に書いて
須藤君と小笠原さんを中心に、自分達が経験したこと
感じたことを発表
・チーム【若者たち分裂&再結成】 テーマ 『京都研修と蓮如』
蓮如について分かったこと、京都研修で体験したことをそれぞれ発表
16:30 大阪校との懇親会
17:30 各自解散
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●京都研修発表会
つかみが足りない。今元さんから「お前の話し方は眠い!」と言われて、
初めて気付いた。ちょっとショックである。
その点、由真さんのクラウドファンディングについての説明は、
とても学ぶところがあった。最初にイメージを分かってもらうために、
桃太郎の例で絵付きで説明したところなどである。
発表だと思ってやるのが間違い、というのは確かにそうだ、と感じた。
誰か友人に分かりやすく説明するように、リラックスして話すことが
出来ると、聞き手を突き放す感じは避けられる。
また、リハーサルを早めにやってしまうことも重要だと感じた。
内容がまとまっているかどうか以上に、どう聞き手の心を掴むかが
大事であることに早く気付けたので、本番でどうするか考える
時間がもらえた。時間配分についても同様である。
怖がっている場合ではなく、今元さんからの現実を直視したアドバイスを
早く頂くことが重要だったのである。
京都研修で、私たちの班は分裂のような大事件を経験した訳ではない。
極限に挑むようなことはなかったが、苦しい時に逃げ出さず、
8日間を戦い抜くことが出来たことに自信を持ちたい。
From:須藤雄介@東京校6期生(群馬県出身、早稲田大学卒)
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●成果発表会、まだまだやれた
・練習不足
大阪で京都研修の発表を行った。研修中は、全く打ち合わせが
できずに本番を迎えてしまい、正直、その場しのぎであったなと感じた。
リハーサルの際に今元さんからは、「最初のつかみを大切にしろ」という
アドバイスを頂き、聴いている側の視点をもっと意識しなければいけないと感じた。
そして、"蓮如"というテーマだとマニアックであるとの指摘もあり、
せめて、顕如にすればよかったと思う。それでも、大阪校の平田くんも
参加して発表ができた点と、皆が一つの事について考えた点については、
良い経験となったので良かった。
あとは、もっとクオリティーの高いものができるように
今後、頑張っていこうと決意した。
●須藤くんチームについて
一言で言うなら、うらやましかった。それは、なぜかというと
チーム内の雰囲気が良かったこと、宿交渉をすべて成功させたこと、
役割がしっかり果たされていたこと、が挙げられる。
研修中はどうしても比較してしまうことが度々あって、
何度も落ち込んでいましたが、客観的に見ると、違うことに気付いた。
まず、雰囲気が良かったというところでは、お互いに励ましあうことなど
他人を労わることをしていたことや、なんといっても須藤君の度量の大きさ
であると思う。
次に、宿交渉に関しては、京都市街地の周りを戦略的に回っていたこと。
さらに、役割の件で、私たちのチームは写真や1日の行動記録などの
報告ができていなかったのだが、須藤君チームはそれをこなしていたので、
本当にすごいな、と率直に感じた。
今度こそは、言われた役割についてはしっかり全うしておかなければ
社会に出ても役に立てないので、努力をし続けていきます。
From:嘉形俊輔@東京校6期生(山形県出身、山梨学院大学卒)
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●ぶっつけだった発表会
私のチームのテーマは「蓮如」でしたが、
京都研修中はなかなか発表会について皆で
話しあえず、はっきり言って準備不足でした。
発表会のリハーサルでは今元局長からダラダラと
ただ決まったことを話していて、聴いてる側からすると
退屈でつまらない、と言われてしまいました。
また、京都研修中のことがほとんど入っていないのは、
京都研修自体の意味がない、とも言われてしまいました。
そのため、本番では「蓮如」について調べたことを交えながら、
京都研修のことも印象的なエピソードを中心に発表することになりました。
結果的には発表会は何とかやり遂げましたが、やはりもう一つの
チームと比べると準備不足感が否めなかったです。
しかし、こちらは向こうのチームが出来なかった経験が出来たので
その点では向こうのチームより成長出来たと感じました。
そして、おそらく私の人生で、何十年経っても
この京都研修のことは忘れることはないと思います。
From:柳沢一磨@東京校6期生(神奈川県出身、帝京大学卒)
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平成26年(2014)【8月1日(金)】 京都一週間修行(7日目)

↑沢山の方にお世話になり、
やっと宿交渉を成功することができました。
柳澤くん、鈴木くん、平田くん、全員が一生懸命
頑張ってくれたおかげです。感謝です。本当に感謝です。
チーム:「若者たち分裂&再結成」
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1、宿交渉の数と成果
10件→1件
2、お世話になった人
興徳寺の服部さん、今元さん、事務局の皆さん。
頂き物:麦茶、スイカなど(興徳寺さん)
3、回った場所
清水寺、銀閣寺
・清水寺→平安時代に坂上田村麻呂が開いたとされている。
安産祈願のお寺や縁結びのものなど数多くの建物がある。
そして、清水寺から飛び降りる人が現在までで234人だという。
最近は、フェンスを張っているために飛び降りる人が減りつつある。
・銀閣寺→8代将軍、足利義政公が造られた。
正確には、東山慈照寺とされている。中には、国宝とされる
『東求堂』や銀沙灘、向月台などがある。さらに、当時の色を再現した展示物がある。
4、使ったお金
1500円(拝観料)
5、活躍した人
柳澤くん→全て宿交渉をしてくれた人物。何度も断られ続けたが、
諦めずに交渉を続け、宿を決めた。本当にご苦労様。
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↑朱雀隊、須藤です。
今晩泊めて頂くお寺さんです。
凄いところに来てしまいました...!

↑法然上人の一番弟子である西山上人と、
その補佐を務めた宇都宮頼綱のお墓があります。

↑長岡京駅で全員合流しました。
これから発表会のため、新大阪へ。
チーム:「朱雀隊」
1、宿交渉の数と成果
前々日に予約済みのお寺
2、お世話になった人
・長岡京途上の国道で通りがかったお婆さんに
「あなたたち暑いのに大変ね」と声を掛けて下さった。結構、この言葉に救われた。
・泊めて頂いたお寺のご家族の方々
住職の方に、由緒について教えて頂いた。
2歳のゆうや君は「こちらへどうぞ!」と案内してくれた。大変立派である。
また、朝食を作って頂いた。
3、回った場所
・東本願寺
全員で撮影。
実は無料で水やお茶を飲める。気付かなかった...。
・東寺(教王護国寺)
京都駅から割と近く、五重塔が見える。
蓮の花が見頃で、いいタイミングで来ることが出来た。
・JR長岡京駅
驚くほど何もない。かつて都が(10年だけ)あった土地なのだが、今はベッドタウンに・・・。
4、使ったお金
0円
5、活躍した人
全員
とにかく歩くだけの1日であったが、よく耐えて歩いた。お疲れさまでした。