平成26年(2014)【1月25日(土)】 大阪笑い学/ワッハ上方訪問、コント作り
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●1日の流れ
1、「大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)」訪問
2、アウトプット
3、コント準備、ネタ作り
4、コント発表
5、終礼、解散
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●気づき
「東京と大阪の価値観の違い」
文献の中に、東京と大阪の違いについて書かれていました。
東京では恥を書くことを避け、わざと失敗して笑いを取るような
ことはしません。しかし、大阪では笑いを取ることが勉強や
スポーツよりも優先され、わざと失敗して笑いを取ります。
このように大阪と東京では価値観が異なります。
「漫才の難しさ」
資料館訪問後に漫才をしましたが、難しかったです。
どうすれば見ている人に笑ってもらえるか、わかりませんでした。
アドリブでとっさに場をつなげる能力が必要だと感じました。
普段から、とっさに話を出来るよう意識する必要があると感じました。
「二十年後にも笑顔でいること」
上村さんの発表が印象に残りました。
日頃笑顔でいる人は二十年後も自然に笑顔になる。逆に常に怒っている人は
自然に怒ってる顔になるという話がありました。
笑顔でいるとがんが治るや人が集まってくるなど数多くのメリットがあります。
笑顔でいるかどうかは単純な問題ですが、
笑うことで大きな味方をつけることが出来ると感じました。
●感想
ワッハ上方の周辺はとても賑やかで、大阪のパワーの源だと感じました。
大阪ではなぜお笑いが発展してきたのか勉強することが出来ました。
また、実際に漫才を行いましたが、笑いを取る大変さを実感出来ました。
場の空気が良くないと、何を行っても笑いは取れず、空気が温まると
こちらもやりやすく、笑いを取ることが出来ました。
打ち合わせどおりにやっても上手くいかず、アドリブを使うことが有りました。
アドリブは一瞬、言葉に詰まってしまい、とっさの対応が出来ませんでした。
何か言われてすぐに返す反応力が不足しました。
日頃から笑いと反応力に注意していかなければいけないと感じました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成26年(2014)【1月18日(土)】 スマイルサークル/河野悦子先生(スマイルセラピスト)
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●1日の流れ
1、朝礼、掃除
2、新聞アウトプット
3、河野悦子先生(スマイルセラピスト)によるスマイルサークル
4、荒川先生によるマインドアップ学
5、終礼、解散
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●気づき
・創造と連想が大切
荒川先生にマインドアップを教えていただきました。
マインドアップでは「創造と連想」の繰り返しでした。
人のイメージに強く残ることは、言葉を聞くと同時に
思い浮かぶものがあります。
京都ならお寺が浮かび上がって来るように。
そのため、自分たちが他人にイメージを植え付けるには
連想さそればいいということです。
イメージは第一言語です。
創造と連想を行い、日頃からイメージを描くことが大切
だと感じました。
・建前は人に流された結果
講義の際、「建前をなくせ」と何回も言われました。
ワークの際、人を気にして建前を完全に消せませんでした。
しかし、講師の方の元気によさやパワーに触れるうちに、
ワークに本音で向き合うことができました。
また、他の人のワークを見る機会もあり、
本人の考えるに否定的にはなりませんでした。
人に流されなくなったときに本音が出てきたので
建前は、人に流された結果だと感じました。
・潜在意識は無意識に出てくるもの
スマイルサークルや地球のワークの結果は的中しました。
手から潜在意識が出てくるので、
的中するみたいです。
悪口や不満は悪い方向に流されると聞きますが、
潜在意識はつねに自分の体から出てくるので
真実であると感じました。
・新しい試みは困難
新聞アウトプットの際、ユニクロの海外進出と
任天堂の今後について話題がでました。
任天堂が異分野に手を出すべきか話し合いましたが、
これだという案は出ませんでした。
ユニクロのように走りつづけるのは困難で、
得意分野から離れるなど
新しい試みには障壁が数多くあると感じました。
●感想
久しぶりに大人数の講義でした。
新聞アウトプットも講義も刺激的でした。
荒川先生はベン大のことに興味を持たれていて、
ベン大の環境は恵まれている、と言われました。
苦労は買ってでもするもの。
挑戦しないことが失敗である。
など、懇親会の席では、言葉のシャワーをたくさん受けました。
ベン大にいることは絶対に無駄でないと感じました。
また講義中は、荒川先生と河野先生はベン大を褒め続けて
くれていました。講義に真剣に取り組めたのはこのためだと
感じました。
褒めるのはプラスの効果がありますね。
岸口さんリーダーお疲れさまでした。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」2日目、JVU全国会議
●合宿2日目…1月8日(水曜日)
7:00 集合(民宿の大広間)
朝の散策では野山獄跡と岩倉獄跡を見に行きました。
密航の罪にとらわれ、松陰先生は野山獄に。
一番弟子の金子重之助は岩倉獄に監禁されました。
金子重之助は足軽であったので十分な生活を送れず、獄中で亡くなって
しまいます。
道を挟んですぐ近くにあった牢屋で身分の差によって悲しい事件が
起きてしまいました。
この出来事が身分の差に関係なく学べる松下村塾の環境を作ったと感じました。
また、松陰先生は牢獄の中で本を読み、教育活動をしていました。
牢獄という厳しい環境でも行動しつづけた松陰先生の姿が感じられました。
8:00 朝食
松陰先生の食事は米と味噌のみで質素なものだった。
24時間塾を開き、90名あまりの門下生を輩出したエネルギーは
どこから来るのかと思った。
それに比べ、今朝の私たちの食事は豪華すぎる。
人間にとっては少し足りないくらいの環境が適している、と感じた。
9:00 塾生たちの生家めぐり
民宿を出発し、門下生の跡を巡った。
活躍された門下生の数は本当に多いと感じた。
歩いて回れるほどの距離で門下生の生家が数多く存在しており、
松陰神社周辺の若者が日本を変えて行ったんだと思った。
10:00 上田俊成宮司の講義
松下村塾についてではなく講孟余話や士規七則についてのお話でした。
本を読んだり人と会うことで得られたことは鵜呑みにしていては
自分のものにならず、自分の意識が必要があるというお話が印象に残りました。
講孟余話の中では死して後已むという言葉が新鮮でした。
死ぬまで行動し続け、自分の寿命が尽きるまで精一杯生きぬく。
死してようやく終わるということでした。
松陰先生を表す言葉だと感じました。
択交という言葉があります。
この言葉の意味は、良い人に会うには自らを磨かなくては
ならないという意味でした。
松陰先生の考え方の根底には大和魂があり、
知行合一、名義、勇など日本にしかない考え方を学ぶ重要性を感じました。
11:00 上田俊成宮司の講義②(記念館にて)
松下村塾に入室することができました。
部屋のなかは暗く、広さも十分とは言えない環境でした。
しかし、昔この場では門下生たちが必死に学びに来ていたと考えると
当時は熱気に包まれていたと感じました。
この場所では日本の将来についての話し合いが行われ、
偉人が誕生していったと感じました。
講義では松陰先生の伊藤博文に対する姿勢が印象に残りました。
伊藤博文は天才ではなく、特別な人ではありませんでした。
しかし、松陰先生は伊藤博文の性格が好きですと言っており。
門下生一人一人に真摯に向き合って教育をしていたんだと感じました。
どんな人にも才能があり、環境が整っていれば、誰でも羽ばたいて
いけると感じました。
松下村塾は来年から入れなくなるかもしれないので
本当に貴重な体験をさせていただきました。
12:15 松陰神社記念館にてアウトプットと総括
全員のアウトプットと総括を行いました。
一人一人感じ方が全く違いました。
松陰先生の生き方は本当に奥が深いと思いました。
私は松陰先生の感化力を見習いたいと感じました。
人を感化させるためには、一人一人に真摯に向き合った松陰先生の
姿勢が大切かと思いました。梅地さんは「塾生を感化させたのはあふれるほどの
知識量があったから」と教えていただきました。
松陰先生は本を貸してもらい、すぐに移しては別の本を貸してもらったり、
人が読んでいる本を見て知識を吸収したりと、知識に対してとても
貪欲な方でした。
自分自身に置き換えた際に、貪欲に行動できておらず、
控え目な行動ばかりでしたので是非見習っていきます。
13:45 JVU全国会議
ベンチャー大學全国校講義が始まりました。
大阪校以外はベン大の目標を明確に持っており、
目標は何か聞かれた時上手く答えられなかったので、
課題が明確になりました。
東京校では岩手や滋賀、名古屋校では被災地研修など活動が活発的だと
感じました。
学生が主体的になって動き、活動を展開している印象を受けました。
大阪校では講義ばかりで受け身な姿勢が目立ちました。
何か一つ大阪校で新しいことを始めなければいけないと感じました。
16:15 萩の道の駅
途中、梅地先生が作られた資料館に立ち寄りました。
ここでは松下村塾が忠実に再現されていました。
音声によって当時の教育が再現されていました。
自分の立場ではどうするのかを考えさせ、意見をぶつけ合う
活発な様子が想像できました。
●感想
長いようであっという間に二日間が終わりました。
この研修に参加する前は松下村塾は何の事だかよくわかりませんでしたが、
この研修を通じてようやく理解することができました。
現地に行くことでわかることがたくさんありました。
萩の雰囲気であったり、距離感など足を運ばなければ絶対にわからないことでした。
松下村塾は最高の環境があったと思います。この塾の存在は日本に
取っての誇りであると感じました。
松陰先生の死後、明治維新が起き、教育の成功事例は、まさにここではないかと
思います。
この松下村塾の考えを実行していくことがベン大生の使命だと感じました。
このような貴重な機会を与えていただきありがとうございました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」1日目
●合宿1日目…1月7日(火曜日)
12:30 杉家幽囚室と松下村塾を見学
萩市の松陰神社に集合しました。松陰神社は東京の世田谷にあるものと
比べると規模が大きく、
まさに発祥の地に来た、という印象を受けました。「明治維新胎動之地」と
書かれた巨大な石碑もあり、この場所からすべてが始まったと感じました。
松陰神社にはかなり早めに到着しましたが、言われるまで参拝を
しませんでした。
これからは礼儀として、すぐに参拝するようにします。
松下村塾を見学する際には、井戸の石を触るように教えられた。
現場でしか感じることができないものをつかむため、些細なことでも
見逃してはならないと感じました。
松陰先生の幽囚室は三畳ほどの小さな空間でした。この小さな空間で
本を読み続け、教育を始めた松陰先生の熱意はすさまじいものでした。
13:00 梅地先生による歴史ウォーク
・吉田麻呂生家跡 ・伊藤博文旧家
・玉木文之進旧宅 ・杉家と門下生の墓 ・松陰先生誕生地
松下村塾にゆかりのある人の場所を巡りました。
梅地先生はとても詳しく説明してくれましたが、私の準備不足で
話の内容についていけない部分もありました。知識面では準備不足でした。
伊藤博文など明治維新の中心となった人たちのゆかりの地が
歩いて行ける範囲内にあり、
身近な人たちを集めて教育をしていると感じました。
松陰先生のお墓も見に行きました。
お墓には常に花が飾られているそうで、松陰先生の影響力を感じました。
お墓には松陰先生の弟子たちの名前が刻まれており、
自分たちで行動を起こした証を残していました。
松陰先生が常に手本を見せてきた行動する精神が受け継がれていると
感じました。
他の門下生のお墓は松陰先生より、小さく作られていました。
松陰先生誕生地も見学しました。
上級身分の武士の家からは、かけ離れており、松陰先生は恵まれた環境では
ないと感じました。
しかし、父親である玉木文之進からは厳しい教育を受けていました。
14:30 至誠館見学
一番印象に残ったのは留魂録でした。
松陰先生は尊皇精神のもと日本のことを本気で考え行動していました。
「至誠を貫き自らの命を持って伝え、自ら伝え後世への種をまく」
と書かれており、この言葉通り明治維新が起きました。
日本全国を旅し、現地に行き日本の国防を支えている人に会い、行動を起こす。
志が明確であるからこそ、なしえたことだと感じました。
また、資料館には世界地図も展示してあり、松陰先生が日本だけでなく
世界も視野に入れていたと感じました。当時は外国とは何であるか
多くの人が知らない中、世界に目を向けていたのはすさまじいと感じました。
多くの人が常識だと思っていることを、松陰先生は打ち破っていったと思いました。
16:00 萩城下町、高杉晋作生家
高杉晋作が松下村塾に夜な夜な通った道を歩きました。
高杉晋作は上級武士であったので、生家周辺は今でも趣を感じさせる
雰囲気でした。
身分によって住む環境が全く違うと感じました。
ここから松陰神社まで歩きましたが、想像以上に長いと感じました。
身分の高い人が住む地区から離れ、なぜ松陰先生に会いに行きたいのか
考えていました。
川を越え、山に向かって歩きました。当時は人の目を盗むために
夜中に歩いていました。
松下村塾では身分に関係なく、自由に意見を交わすことのできる環境が
あったので、労力をかけてでも行きたいと思ったのではないか感じました。
当時の常識からかけ離れており、周りの人から咎められても行きたいと
思えたのは、自分の強烈な意思があったからだと感じました。
19:30 松陰先生に迫る講義
今元さんがわかりやすく説明をしてくれました。
松下村塾は、名も無き青年たちが日本をひっくり返した塾である。
当時、藩校270校+寺子屋2万軒。
寺子屋が人口比率でいうと、今のコンビニの数ほどあり、
その中で、松下村塾は特別な存在でした。
松下村塾には無料で通うことができ、24時間開いていました。
当時の常識にとらわれることなく、松陰先生の志を果たすために
作られたと感じました。
松陰先生の感化力には驚きました。
塾生には成績をつけず、一人一人に異なる指導をしていました。
松陰先生が本を通じて膨大な知識量があるとともに、
何かをするために読書をしていたからだと感じました。
梅地先生の講義では松陰先生には家族の支えがあり、
生活は貧しいが心は豊かであったことを教えていただきました。
子供のころから私を消し去り公のために働くということを指導されてきました。
松陰先生は学者にはならないことを念頭に置き行動していました。
問題を解決するためにどうすればよいのか考え実行する。
実行の繰り返しが松陰先生の生き方でした。
話を聞いていると松陰先生は失敗が多いと感じました。
21:30 懇親会
松下村塾研修には全国から多くの方が参加されていました。
この場所は、経営者の方から見ても学ぶべきことがある場所だと実感。
懇親会では、鈴江社長からお話を聞くことができました。
銀行はリアルがない仕事であり、自分の志のために働くのは難しい。
銀行に使命感が感じられない、とおっしゃっていた。
梶井社長からは、心の天動説、心の地動説のお話を聞くことができました。
梅地先生からは松陰先生の塾生に対する教育姿勢について聞くことができました。
塾生が他の場所に行く際に、松陰先生は根回しをして塾生を売り込んでいました。
塾生に対する思いやりを感じることができました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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