平成25年(2013)【9月6日(金)】 リアル日本昔ばなし(遠野) 2日目

リアル日本昔話(遠野) 3日目スタートします。
まずは、雲海を見に高清水高原に向かいます。

帰り途、馬たちに遭遇。
寒そうに尻尾をぴしぴし振っていた。

伝説多き「続き石」。
弁慶が作ったという伝説があります。
これは続き石の手前にある、続き石もどき。
撮影に気づかずにはしゃぐ牛島くん。

続石の前に泣石という石がありました。
でかすぎます!

弁慶すら動かせなかった、不動岩!
牛島が単独で登りました。
これから愛宕神社に移動。
ヒアリングを開始します。

天明の飢饉の供養のために彫った岩が500体。
圧巻です。
昔の人たちの暮らしを想うと苦しい思いです。

とおの物語の館に来ました。
観光客も多いです!
語り部さんの語りを聞きました。
遠野物語以外も色々あり、1000ものお話があるようです!

遠野文化研究センターで3人がお話を聞き、2人が文献研究しました。
そしてなんと!なんと!
明日9時から私たちのために会場を用意して、
話していただけることになりました!
語りを習得します!
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●1日の流れ
5:00 起床、移動
6:20 高清水展望台
絶景(雲海)が見れる!
7:10 続石、泣石、不動岩見学
武蔵坊弁慶の伝説
8:50 愛宕神社参拝
9:10 五百羅漢見学
9:30 卯子酉神社
縁結び祈願
10:00 観光センター
お話を聞く
作戦会議
11:00 遠野物語の館
語り部の方のお話を聞く
館見学
12:00 昼食
13:00 遠野文化研究センター
3人お話を聞き、2人は文献で調べる
・遠野市について
・語り部について
・遠野物語の現在の情報について
・ザシキワラシについて
・かっぱについて
語り部の方に偶然お会いして、会う約束をさせてもらう。
15:45 今元さんと合流、出発
・山口水車でオープニングの撮影
・佐々木喜善邸宅でリポート
・姥捨山で
・さすらい地蔵で
・狐の関所で
18:30 夕食
19:30 駅に行く
20:10 道の駅で作戦会議
・撮影
・翌日、行く場所の確認、ミーティング
●本日の諸経費
朝食と昼食
約1,500円
●今日お世話になった方
[語り部]
内田さん
語り終わったあと、写真やインタビューなどを快く受けてくださいました。
[遠野文化研究センター ]
前川さん
遠野の歴史や昔話しについて、
突然行ったにもかかわらず、こころよくお話してくださいました。
●今日一番活躍した人
高岸
語り部の指導者の確保や遠野の道案内などで皆に貢献した。
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●高清水展望台
遠野の景色が一望できるということで行って見たが、
車で山道を抜けると馬が放牧されており
さらにそこを抜け展望台にたどり着いた。
本来ならそこには遠野の景色が一望できる…
はずがその日の天候により見えたのは
一面に広がる雲海であった。
前日まで懸念されていた台風の危険性がなくなり
その代りに出会ったのはあまりにもきれいな景色だった。
まるで天上世界に迷い込んだようで
遠野物語の120話目の物語に入り込んだような気持ちになった。
●五百羅漢
かつて天明の大飢饉において
亡くなった方々を供養するために参道の下から
上まで一つ一つの石に直接刻まれていた。
火山の噴火によって起こった飢饉、
天明の大飢饉は近世における最大の飢饉だったようだ。
その光景はきっと想像をはるかに超える悲惨な光景だろうが
それを供養しようと思えば普通のことでは足りないのかもしれない。
●遠野文化研究センター
遠野市や遠野物語についてのお話を
聴かせていただいた。
遠野市は江戸時代は鍋倉城城下町として栄え
市場なども盛んだった。
そしてそのため宿場町として盛んであり、
明治時代もとても栄えていた場所であった。
しかし、大正時代のSLの出現が宿場町としての価値をなくし
それが遠野の衰退のきっかけだったようだ。
そこで遠野物語により遠野に注目が浴びるようで
それまでは高原観光を売りとしていたそうだ。
自分が驚いたのは当初遠野物語は自費出版で350冊程度しか
出版されておらず、柳田國男の身内の者ほどしか広まっていなかったそうだ。
それが増補版や80年ごろの文庫本化などにより普及し、
遠野市自体も68年の岩手国体や高度成長期の古き良き景観への回帰により
再び注目されるようになり、この二つにより今の遠野があるようだ。
栄枯盛衰といえるような何ともストーリー性のある場所であろうかと感じた。
●撮影
ビデオリポートで撮影を行った。
遠野物語にまつわる場所で
その場所を紹介するわけだが
いかにキーポイントだけを抑え
コンパクトにまとめるのかが大事になる。
翌日は自分もしゃべることになる。
みんなの様子を見たおかげで勉強になった。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・遠野散策
高清水高原で雲海を見たり、続石という石を見たり、
五百羅漢という石に掘られた像の悲しい由来を知ったりした。
その中で、遠野物語に限らず遠野に伝わる昔話の場所などが
たくさん残っていることが印象的だった。
何もないようなところにも石碑などが建っていて、昔の話を伝えてくれる。
昔話探検なども出来そうでワクワクする場所だ。
・語り部さんのお話
方言を用いて身ぶり手振り使って話されるお話は、本当にこちらに
伝わってくる。日頃から人前で話すことに慣れておられる方はやはり凄い。
小さい頃からお話を聞いていたということで、語られるお話は
子どもに語りかけるように優しく、楽しい。
やはり小さい頃から耳で聞いていたことだけに優しさに溢れていた。
・遠野についての調査
遠野文化研究センターという場所で遠野物語について調査した。
書籍を当たったが、同じ名前の別のお話があったり面白い発見が出来た。
現場を見ること、人に聞くことが一番大事だが、現場を見て
その上で改めて調べるということも大切なのだなと感じた。
現場へいくことはよくあるが、そこから一歩踏み込み調べることは
あまりしないので、今後はしてみる。
・遠野遠野を語る
遠野の伝承が伝わっているところをまわり、その地について語った。
その場について語ると、知っている所でも見方が変わり、
過去に何があったのか考えながらみることができた。
人に語るつもりで現場へいくといつもより深く見ようとする。
どこへ行くときも、その後、人に語るつもりで見てみる癖をつける。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●佐々木喜善と柳田国男
遠野物語を書いたのは柳田国男ですが、民話の話を集めて
柳田さんに語ったのは、佐々木喜善さんです。
喜善さんは小説家志望で、晩年は遠野物語の続編である
遠野物語拾遺を書いています。
喜善さんの人生を追うと、文学者との交流が多く、様々な経験をし、
とても行動家であることがわかります。
私も行動しなければならないと、刺激を受けました。
また、文化研究センターの人の話から、柳田国男さんの
文章の美しさの話を聞きました。
遠野物語は2人の力と想いの結実だと思います。
●遠野物語の魅力
文化研究センターの方のお話で、遠野物語の面白さが更に分かりました。
遠野物語の大元を辿るといくつかの説が出てきて、それを
深く探っていくととても興味深い話になっていきます。
たとえばザシキワラシ。
ザシキワラシは客神で、今は一般家庭に客間がないので、
目撃情報は民宿のみになっているようです。
遠野の河童の色は赤くて、それはザシキワラシと同じで、
河童が人を助けた話がザシキワラシに繋がったという説もあります。
他にも狐の話が多くありますが、それは狐が人と山との境に
よく出るからだそうです。実際に遠野にも多いようです。
鹿は少し奥にいるので、猟師さんしか見ません。
熊はほとんど出てきません。
そういう実際の研究を聞くと、とても面白いことがわかりました。
それが観光など、今にも繋がっていることを考えるとなお興味深いです。
これから更に深く学んでいきます。
また、今元さんと遠野物語について話し合ったことも、
大変勉強になりました。
深く考えることの大切さを実感しております。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●高清水高原
雲海で町は見渡せませんでしたが、まるで雲の上にいるかの
様で圧倒されました。
●続石
泣き岩とは、弁慶が(続き石の)大きな石をのせたら、
一晩中泣いた岩と言われている。
その後、場所を移動させて、
今の続石の場所に置いたという。
逸話を思わず信じてしまう程の
圧倒される光景で、
どうやって乗っているのか、
不思議な、遠野らしい場所でした。
●五百羅漢
第飢饉でしんだ人への供養に、
自然岩に羅漢像を掘る。
どれだけ、途方の無い作業だったのだろうか、
餓死者の無念やそれを掘った人の思い、
考えさせられる場所でした。
●語り部
方言や身振り手振りで、物語の情景を伝える、
遠野の昔話しは、ついつい面白く聞いてしまう。
これを、すらすらと話せる様になるのは、
ずっと寝物語として、聞いて覚えているだろうなと、
情景が浮かべられました。
●遠野文化研究
遠野の歴史や座敷わらしがなぜ、
お宿で目撃されるのかを、
具体的に教えてくださり、
納得のできるとても面白いお話でした。
国体から遠野の遠野物語、及び街づくりが、
本格的に稼働して行ったことや、
座敷という空間の意味、
さらには、語り部の方の紹介まで、
してくださり、本当に有難かったです。
●現地レポート
自分は、やはり喋りが弱点だと実感しました。
アドリブを入れて話せと言われた時に、
何度か、リテイクした上に、
上手く出来ず、ぎこちなくかみかみに、
なってしまいました。
自分は、薀蓄を語るのは上手いと褒められたので、
これからは、そっち方面をさらに伸ばしつつ、
アドリブなど噛まない様に務めます。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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平成25年(2013)【9月5日(木)】 リアル日本昔ばなし(遠野) 1日目
2013/09/05 18:49:12
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(台風が接近しているため、昨晩も1時頃から激しい雨が降る。
悪天候のなか、現場での遠野物語の学びとカッパ探しが出来るのか…?)
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いよいよスタート。岩手県北上市でレンタカーを借りて、遠野市へ向けて出発です。

館内で人形から、遠野物語の話をするお話を聞く。
犬の足が四本になった由来は弘法大師さまがプレゼントしたためだそう。

遠野物語のオシラサマをお祀りしている「オシラ堂」。
布にはお願い事が書かれているが、雰囲気は中々怖い。

カッパ淵に到着。
カッパ釣りに勤しむ佐藤くんと大森くん。
やはりいる気配がしないので、カッパの像に祈ってから上流に行く。

食事。半額だった食パンをさらに半分コして食べる大森くん。

ここで強い雨が降ってくる。
あたりも真っ暗になり、探索が難しくなってきたので、雨風がしのげそうな場所を探す。
しかし今夜は、道の駅で野宿することになった。
長椅子の上で寝る牛島くん。
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●1日の流れ
1、遠野博物館、見学
2、語り部、八木さんのお話
3、産業振興部、立花さんのお話
4、遠野市内探訪
7:30 出発
8:10 レンタカー屋さん到着
8:30 車で出発
10:00 遠野駅前に到着
10:30 博物館見学
遠野物語と遠野の歴史について学ぶ
12:00 市役所へ聞き取り、昼食
観光振興部へ行くといいと教わる
12:45 語り部・八木さんのお話
昔の遠野の様子を伺う。
・以前は若者も多く活気があった。
・芸者さんもいて、普段から誰に対しても丁寧に
接する姿に憧れたとのこと。
・遊郭などもあり、昼間はその中でかくれんぼなどを
したらしい。
・八木さんが大人になったときには、子どもが列車に
乗るべく走る姿を見て、何時の列車に乗るのか
分かったりしたとのことだ。
・今はバイパスが出来、駅前から交通の便が良い地へ
若い人が出て行ってしまったらしい。
ただ、大学生は結構、観光で来るとのこと。
14:30 産業振興部立花さんのお話
遠野の観光について遠野物語との関わりを伺った。
・やはり遠野物語は、遠野を語る上では避けられないほど
密接に繋がっているとのこと。
・震災前は海外からの観光客も結構来られており、
それは外国人向けの観光案内に遠野が載っていたため。
・今は遠野への観光客を増やすために、大学生に
遠野の観光資源について調べてもらっている。
・今はSLを走らせようとされたり、
語り部を1000人作るなどの試みをしているとのこと。
15:30 伝承園、見学
16:20 カッパ淵で、カッパの捜索
17:30 高清水高原へ向かう
深い霧と雨、暗さに阻まれ、途中で断念。引き返す。
野宿できそうなスポットを探す。
20:30 道の駅到着
21:00 就寝
●本日の諸経費
・5つの施設に行ける割引チケット
1050円×5
・半額食パン2斤
150円
・眠気覚まし用のコーヒー
108円
合計
5508円
●今日お世話になった方
[道の駅売店のおばちゃん]
遠野のスポーツや道の駅で野宿できることなど
教えていただきました。
[歴史語り部の八木さん ]
遠野の昔や方言について語っていただけました。
[産業進行部の立花さん ]
突然きたにもかかわらず、
遠野物語の与えた影響について
教えていただけました。
●今日一番活躍した人
佐藤さんが一番活躍していました!
今日一日、運転してくださり、無事に
色々な場所に行けたのも、佐藤さんのおかげです。
ありがとございました!
明日は、変わるがわるで運転者を変えて行きます。
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・博物館見学
遠野市の図書館の三階にある博物館に行った。
予想以上に近代的な設備で驚いた。
展示内容は遠野物語についてのものから
遠野の昔についてのものまで
遠野を知るのに必要な様々な展示があった。
遠野はかつてほとんど湖の地だったとも言われ、
そこから川が多くできた。
その川を利用できたこともあり
遠野では市が栄えたり、馬の産地であったことなどもあり
人の往来が盛んな地だったそうだ。
今の遠野を見ると想像がつかないことだった。
そこでFM岩手の方からお話を聴け、
遠野でいくべき場所について教えていただいた。
・語り部さん
遠野に2歳から住んでいるというおばあさん(八木さん)から
遠野の歴史について教えていただいた。
遠野は、かつて政治と経済の中心地であり
商店街もかつては盛んだった。
宿屋や風呂、遊郭など様々なものがあったそうだ。
その名残で今も飲み屋はたくさん残っているのだとか。
しかし若者の地域離れや
バイパスの開発により商業施設ができたことで
若者はその地域から少なくなり
バイパスを隔てて若者がいる地域と
いない地域がはっきりと別れたようだ。
遠野には遠野物語だけでない
歴史的な面白さがたくさんあるのだと感じた。
・遠野産業振興課
突然訪問したことについて
社会人から学生への叱咤もあったが、
そのあとに30分くらい話してくださった。
ここでは遠野物語の観光への効果などについて
お話を聴くことができた。
遠野は人口3万人で
観光客は、年間200万人。
昭和40年代の岩手国体をきっかけに
遠野の観光に芽が出たそうだ。
また震災前には外国人観光客が年間3500人いたそうだ。
これは遠野の政策などではなく
外国人観光向けの本に遠野がたまたま載たことがきっかけ。
カッパ捕獲許可証は、年間で2万枚発行されており
通常で200円、写真付きつの割高もある。
観光産業とし勉強になると感じた。
・伝承園
遠野の昔ながらの生活を伝承するための施設。
雪隠し(トイレ)や水車などもあったが
一番印象的だったのはおしらさまの堂だった。
かつてある父親が娘と馬が結婚したことに怒り、
馬を桑の木にくくりつけ殺したところ
娘と一緒に天に昇っていったことから
供養のためにまつられるようになったという話が
オシラサマである。
その堂があり1000体のオシラサマがまつられていた。
少し不気味でもあったが、
おしらさまに着せる着物に願いを書くと叶うとのことで
たくさんのお願い事がかかれていた。
そこには一つ
「仮説住宅の人たちが幸せになりますように」
という願いが最近の日付であった。
改めて東北に来ていることを感じた。
・カッパ淵
かっぱ釣り用の棹と胡瓜があった。
それがなければただの川にしか見えないようなところも
それだけで観光地になる。
しかもカッパ捕獲許可証がなければ、とってはダメとのことで
商魂たくましいと感じた。
正直イメージと違った。
カッパはもっと上流にいるはずだ。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・博物館見学
遠野物語についてと、遠野市そのものについて学ぶことができた。
遠野周辺は、元々は大きな湖だったものが、水が抜けていって
陸地となったそうだ。
遠野市はカッパに特に力を入れているように感じたのだか、
そういうところも関係するのだろうか。
また、遠野の物語を聞くと、妖怪のお話にも関わらず、
あまり悲惨なものというのはないのだなと感じた。
殺された、祟られた等の話がなく、話が優しい。
遠野物語がずっと親しまれているのはそういうところにも
関係しているのかなと感じた。
・語り部・八木さんのお話
昔の遠野の情景を伺った。昔は立派な旅館や遊郭などもあったそうだ。
学校へ行く子どもたちも多くて、とても賑わっていたとのことだ。
お話を伺うと、やはり実際に見られたことだけあって、
光景が目に浮かぶようにリアルだった。
今はそんなに賑わいも大きくないが
とても楽しそうに話される姿に元気を頂いた。
・産業振興部にてお話を伺う
産業振興部の立花さんに遠野物語と、遠野の関係についてお話を伺った。
やはり遠野の観光は遠野物語が大きく影響しているそうだ。
外国人観光客も来ていたそうで、観光のPRは成功していたようだ。
ただ、震災以降観光客が減ってしまっているそうで、SLを走らせる、
語り部1000人計画などで再び観光客を呼び込もうとしているとのこと。
忙しいなか突然訪れたにもかかわらず、質問に丁寧に答えて
くださった。本当に感謝。
・遠野散策
カッパ淵や、伝承園などをまわった。
散策していて、遠野は特にカッパに力を入れているのかなと感じた。
お土産物のキーホルダーなどはカッパばかりだし、お地蔵さまもカッパだった。
やはりカッパは親しみやすくて有名ということだろうか。
観光、特にカッパに特化した町だと感じた。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●遠野市
本日から遠野物語の旅が始まりました。
まず博物館で遠野物語や遠野市についての知識を深めました。
博物館はリニューアルしたばかりでかなり豪華な作りになっていました。
映画のようなスクリーンがあり、水木しげるさんのアニメなど、
遠野物語がかなりわかりやすくなっていました。
遠野市はかつては城下町で、政治と経済の中心地だったようです。
それがだんだんと衰えましたが、遠野物語ができたことで、
それをベースにして、観光地として盛り返したようです。
市役所の方がそのようにおっしゃっていました。
年間200万人もの観光客が訪れるようです。
ただ、外国人の方々は震災を期に少なくなり、かつての中心街は
村の過疎化に見舞われているようです。
町を歩いていても人が少なく、お年寄りが多く、観光客自体も
少なかった印象でした。
東京から大学生を呼んで地域活性化策を考えてもらったりと、
取り組みに苦心しているようでした。
市役所の方には、遠野物語に出てくるカッパは赤いはずなのに、
カッパ自体は緑の印象なので、観光に使うカッパは緑だという話や、
年間2万枚売れているというカッパ捕獲許可証のお話など、面白い
お話をたくさん聞けました。
明日はもっと遠野市を暴けるように感性を働かせて行動します!
●語り部さん
遠野市のあるお店に語り部さんがいて、昔の遠野市のお話を
たくさん聞くことができました。
遠野市が馬の産地だったことや、昔は宿屋や風呂屋がひしめき合って
いて非常に栄えていたことや、それから過疎化で中央通りですら、
シャッター通りならぬカーテン通りになってしまったこと。
若い人は一回は都会に出るが、それからときが経ってしばらくしたら
戻ってくること。
遊郭もあり、語り部さんは子どもの頃遊郭内でかくれんぼなどをして
遊んでいたこと。(映画などで出てくる遊郭そのものだったようです)
遊郭の人ではなく、芸者さんもいて、芸者さんたちは子供のときの
語り部さんに大人と同じように接していたようです。
動きが優雅で完璧で、プロ意識への憧れを今でも持っているようでした。
他にも数々の興味深いお話が聞け、昔の人のお話を聞くだけで
これほど勉強になるのかと思いました。
これからも年配の方々と接する機会を大切にしていきます。
●観光地
実際の観光地にも行ってみました。その日に行ったのは
カッパ淵と伝承園というところです。
カッパ淵はカッパがかつて出たという伝説があるところです。
本当に雰囲気はかなり出そうでした。運悪く遭遇することは
できませんでしたが、空気を感じることはできました。
思ったのは真面目なことばかりでなく、案内など全てが
遊び心が込められていたということです。
とっつきやすく、観光客が楽しみやすい環境作りに努めていることが
伝わってきました。
また伝承園にはおしら様という伝説を祀った館がありました。
ゆかりの地かというと、そうではないようです。
観光のために作り、それに人々が願いを書くことによって
人気が高まり、今では旧正月に毎年お祭りの行事をやっているようです。
人々の願いは込もっているので、観光から本物になってしまったと
いうことが言えるかもしれません。
そこには佐々木喜善記念館もありました。
柳田国男に話を提供した人物のようです。
宮澤賢治などとの繋がりもあり、文学者としても著名だということです。
研究に没頭したりと、努力家でもあったようです。
私も見習ってこつこつと成長できるような行動をしていきます。
まだまだ色々なスポットに行きます!
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●道の駅
置物や鈴、切り絵、湯呑、
変わったところでは、
河童のジンギスカン鍋など。
同じモチーフで多くの切り口で多くの物があり、
とても面白くここまで、つなげるのかと勉強になった。
●博物館
遠野物語の世界は、語り部の話と共に絵があり、
まるで、紙芝居の様な体裁となっており、
遠野の物語の風景が、すんなりとはいってくる。
とても、わかりやすく面白い物でした。
また、遠野の昔の人の暮らしがわかる展示物もあり、
勉強にもなりましたが、
近代的すぎて、遠野の雰囲気とは
そぐわない印象も受けました。
●語り部の八木さん
主に、遠野の昔の情景などを教えてくださった。
バイパスが出来てから、若者と老人の
住む場所が別れ始めたことや、
昔の街並み、今は閑散としているが、
昔は、大晦日とお盆くらいしか。
休めないほど盛況だった商店街の
お話などがとても、興味深い内容でした。
特にご自身のお話で、子供の頃は花街があり、
まるっきり遊郭と同じ情景で、よく台所から、
忍び込んで遊んだというお話が
臨場感たっぷりで面白かったです。
かくれんぼをしている姿が、
目に浮かぶようでした。
●産業進行部の立花さん
突然アポも無しにお邪魔しましたが、
こころよく色々お話して下さいました。
特に、外国人が作っている外国人向けの
日本紹介のフリーペーパーに
遠野が載っていた事が驚きでした。
選ばれた理由も遠野物語が良いからだという
事で、海外でも注目されているのだと感じ、
古くから伝わる伝統の奥深さを感じ取れました。
●遠野市内
至る所に木彫りカッパが、
置いてあり、遠野に着いたんだという実感が湧いた。
特に駅前の赤河童はリアルで、
今にも動き出しそうな、独特の雰囲気を放っていた。
●おしら堂
1000体のおしら様が飾られており、
何か言い知れぬ、不可思議な気を
感じました。
ここでは、祈願もでき、
自分も、オシラサマに今後の道しるべをしてもらうべく、
手を合わせ祈願しました。
●かっぱ渕
残念ながら、かっぱを見つけることはできなかった。
しかし、何かいるような
気配がしたことも確かであり、
人に見つからない様にしているだけかもしれない。
今度行く時には、もっと注意深く見渡してみます。
●山口の水車
村を支え、その責務を全うし、
それでもなお元気に動く姿に、
自分はとても、感動しました。
がたんごとんと音を立てながら動く姿は、
いつまで聞いていても飽きない、
心地よいリズムを刻んでいました。
自分もこの水車の様に、いつまでも、
元気に働ける様頑張って行きます。
明日から、どんどん天気も不安定になってきますが、
台風をそらせるくらいの気合いで、
乗り切ります!
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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平成25年(2013)【9月4日(水)】 電車移動、岩手県遠野市へ向けて
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●1日の流れ
18切符での電車移動
11:30 池袋駅に集合。
11:44 池袋駅 出発
13:28 宇都宮駅(栃木県) 到着
13:36 出発
14:27 黒磯駅(栃木県) 到着
14:32 出発
15:34 郡山駅(福島県) 到着
15:37 出発
16:24 福島駅 到着
16:32 出発
17:53 仙台駅(宮城県) 到着
18:57 出発
20:35 一ノ関駅(岩手県)到着
20:42 出発
21:23 北上駅(岩手県) 到着
あまりにも悪天候のため、北上市にて一泊。
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仙台駅で、一旦休憩中。
そばを食べる牛島。
(早速贅沢をした事で、周りから責められる)

長旅の電車移動のあと、岩手県の南西部にある
北上市に到着。明日に備えて、ホテルへ移動する。
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●移動日
池袋に集合しそこから岩手県北上へ。
高岸さんが事前にしらべていたおかげで
スムーズに移動ができた。
事前準備と当日の行動と、とても手本になった。
北上について感じたのは宿についての不安がなかったことだ。
京都研修を通して宿交渉や野宿を経験し
神経が図太くなったように感じる。
ゆっくり休んで明日以降の遠野に備える。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●電車移動
半日ほどかけて岩手県北上まで移動した。移動中は本を読んだり
読んだりして過ごした。
次の日の天気や、泊まる場所など、高岸くんに頼りきりのところが
大きかったので、
今後は自分でも必要なことを調べて共有し合う。
仙台で夕食のために一度駅を出た。
パッと見ただけだが、ビルがけっこう建てられていて、思ったより都
会的で面白い。
行くという行為は目的以外でも発見があって楽しい。
せっかく来たのだから今後も多くの学びを得ていく。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●遠野へ
朝から高岸くんがリーダーとして、行き方、計画、台風対策など、
連絡のほとんどをやってくれて、そのおかげで無事に着くことができた。
活躍した人は間違いなく高岸くんだろう。
私も明日から活躍できるように、率先して動いていく。
移動中は遠野物語や読みたかった本の読書、日経新聞、就活論執筆に費やした。
長い移動時間、なかなか有効活用できたと思う。
特に就活論は書いていなかったので今日から取り組んだが、
案外スムーズに書くことができた。
着手半分、ものごとはやってみなければわからない。
もっと早く取り組むべきだった。
そして初めての岩手入り。
京都研修とは違った東北の地を全身で感じていく。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●遠野への移動
今日は、朝になってばたばたとしていた。
天気や、もしもの時の泊まる場所など、
本来なら、事前に調べておくべき事が、
できていなかったからだ。
一人だったら、大まかな事を決めるだけでも良いが、
他の人がいる場合などは、
安全面や不足の事態に備え、
しっかりと考えておくべきだった。
今回は何とかなったが、
次も行き当たりばったりで、
上手く行く保証は無い。
しっかりと準備を整えて何事にものぞみます。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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平成25年(2013)【9月3日(火)】 DJ学/横前忠幸先生(株式会社いと忠 代表取締役)

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●1日の流れ
9:00 掃除、朝礼
9:35 DJ学 横前忠幸社長
はじめに
9:50 体験DJ
大森「言葉のいらないギターリスト」
10:45 体験DJ
牛島「今への応援歌」
10:15 体験DJ
佐藤「魅惑の音楽ミュージシャン UKロックバンド」
11:50 体験DJまとめ
13:00 DJ学後半
イナセなこだわりミュージック
ブリーフ&トランクス
13:20 エンニオ モリコーネ 講義
エンリオ・モリコーネに影響を受けた曲
映画音楽
14:45 感想文
15:15 掃除、終礼
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●成功法則
ベン大生の将来の宣言について
まだまだ具体性がない、ということで指摘をされた。
具体性がないと夢を実現するための道のりもぼやけ、
夢自体もぼやけてしまうという。
数字や詳しい名称を使って具体的にして
夢を実現できるような将来の宣言にする。
●定点観測
横前社長のDJ学では
ドラゴン・クエストの序曲のマーチの変遷が取り上げられた。
ファミコン時代の音楽から最新作の音楽になるまでには
徐々に進化し最後にはオーケストラの演奏にまでなった。
一つのアーティストに絞ることでその変化の大きさを強く感じることができ、
曲についてだけでなくゲームの進化の歴史にもつながったことがわかる。
こういったテーマの絞り方をして、説明をコンパクトにまとめることが
できれば聴き手がそのテーマについて詳しくなれた、と思えるような発表に
近づけると感じる。
●学生の発表
自分の発表は10点中9点いただいたが
改善点は多かった。
聴く人の興味を惹けるような大切な情報を言いそびれていたり
曲の順番の構成も甘かったりと次回の改善も指摘していただいた。
他の人の発表への横前社長のアドバイスを聴いてもとても勉強になり
基本アーティストにさん付けしない、大事なコンセプトを
言いそびれてはいけない。
説明はコンパクトに凝縮させる、情報に裏があるかも大事であるなど、
横前社長ご自身が実際にされているからこそ頂けるようなアドバイスで
とても勉強になった。
●エンニオ・モリコーネ講義
イタリア人、映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネの曲についての
講義をしていただいた。
名前は聞いたことがあったがほとんど知らず曲も知らなかった。
曲をきくと10曲すべてがまるで違う人の作曲のようで
さまざまな曲があったのが印象的で確かに人に教えたくなるような
すごい曲だった。
昔の映画音楽はそれ自体にお金をかけ、力を入れており
今の映画音楽とは大きく違う。
昔の音楽と今の音楽を比べたときに
今の音楽ももちろん好きだが、音楽にとって良い時代があったのも
確かなのだろう。
最近の曲だけでなく、もっとさまざまな曲を聴こう。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・DJ学発表
発表をしてみて、自分が紹介するアーティストが割と有名だったため、
当然ある程度知っているだろうという前提で話をしてしまった。
知っているかどうかの確認、それでなくとも簡単な説明くらいは
入れるようにしなければ。
これはこの講義に限らず、普段のプレゼンテーションでも
言えることだ。意識していく。
・DJ学横前忠幸社長の講義
ブリーフ&トランクスでは、着眼点が面白いなと思った。
日常の身の回りにあることに目を向けてそこから面白いことを
作り出す。この視点は見習いたい。
また、エンニオ・モリコーネという人を学んだ。
教えていただいた曲は映画音楽とのこと。
これまで歌詞のつかない曲にはまるで興味を持たなかったが、
聞いてみると情景が浮かび、面白い。
特にモリコーネという方は、一人で様々な種類の音楽を作り出されてていた。
同じ人が作ったということが信じられないほど多様性があった。
たくさんの音を聴き込んだのだろうな、と感じた。
好きなものに本気で向き合うことを私もしていく。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・DJ学発表
発表をしてみて、自分が紹介するアーティストが割と有名だったため、
当然ある程度知っているだろうという前提で話をしてしまった。
知っているかどうかの確認、それでなくとも簡単な説明くらいは
入れるようにしなければ。
これはこの講義に限らず、普段のプレゼンテーションでも
言えることだ。意識していく。
・DJ学横前忠幸社長の講義
ブリーフ&トランクスでは、着眼点が面白いなと思った。
日常の身の回りにあることに目を向けてそこから面白いことを
作り出す。この視点は見習いたい。
また、エンニオ・モリコーネという人を学んだ。
教えていただいた曲は映画音楽とのこと。
これまで歌詞のつかない曲にはまるで興味を持たなかったが、
聞いてみると情景が浮かび、面白い。
特にモリコーネという方は、一人で様々な種類の音楽を作り出されてていた。
同じ人が作ったということが信じられないほど多様性があった。
たくさんの音を聴き込んだのだろうな、と感じた。
好きなものに本気で向き合うことを私もしていく。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●成功法則
一日まるごとDJ学の日になり多くの時間、横前忠幸社長より
たくさんの学びがありました。
まず、成功法則です。
それは目標を具体的にする、ということでした。
志がぼんやりしていては進むべき道がわかりません。
将来の宣言をこの日もしましたが、まだまだ具体的ではないと
いうことでした。
とても納得しました。
宣言を具体化していきます。
●初DJ
気合は入っていましたが、上手くできませんでした。
まず、音楽を流しながら説明をしてしまったということ。
聞いている人の立場を考える力がまだ弱いと思いました。
次に、話したいことが多すぎて、大事なことが伝えられなかった
ということです。
相手がどのくらいの知識を持っているかなどがわからなく、
人に好きなものを伝えることの難しさを痛感しました。
戸惑ってしまって曲名など大事なことを言い忘れるなど、
話す技術もまだまだだなと思いました。
●エンニオ・モリコーネ
映画音楽の作曲家の授業をしていただきました。
映画音楽はかつては音楽の売り上げランキングなどに
よく入っていたようです。
現在ではそのようなことはほとんどなくなってしまいました。
メディアの発達とともに聴く音楽の幅が狭まっているのだろうな、
と思います。
映画音楽は聴きやすく、変化に富んでいて、コンパクトで、
聴くためにも適している音楽だと思います。
ある一曲を聞いたときは天にも昇るような気持ちでした。
エンリオ・モリコーネ、絶対に聴きます。
自分の音楽の幅もさらに広くし、奥行きもさらに深くします。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●体験DJ学
テーマを決めることが大切。
15分間しかないので、広すぎたら、何が何かがわからなくなる。
ある程度、狭めて、一つの視点、場所で、
テーマを捉え、一貫性のある物にし、
相手に何かを伝える事を目的としてする。
プレゼンのやり方とほとんど同じなので、
次回自分がやる時には、
今回皆が注意されていた所に
気を付け臨みます。
●DJ学 後半
・ブリーフ&トランクス
身近な事を歌にする、どんな事でも、
しっかりとした、歌になる証拠の様だった。
・エンリオ・モリコーネ
シンプルだがそれゆえに強烈に印象に残る主旋律、
音数を減らし、間を重視したサウンド。
全く違う3つのリズムを合わせ、
1つの物となった曲など、
ともすれば、不協和音になりかねない音をまとめあげる力。
これは、これからなるべき経営者の
姿なのでは無いだろうかと思います。
違う個性の人達をまとめ、一つの方向に向かせる
エンリオモリコーネの様な経営者を目指します。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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