平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」2日目、JVU全国会議
●合宿2日目…1月8日(水曜日)
7:00 集合(民宿の大広間)
朝の散策では野山獄跡と岩倉獄跡を見に行きました。
密航の罪にとらわれ、松陰先生は野山獄に。
一番弟子の金子重之助は岩倉獄に監禁されました。
金子重之助は足軽であったので十分な生活を送れず、獄中で亡くなって
しまいます。
道を挟んですぐ近くにあった牢屋で身分の差によって悲しい事件が
起きてしまいました。
この出来事が身分の差に関係なく学べる松下村塾の環境を作ったと感じました。
また、松陰先生は牢獄の中で本を読み、教育活動をしていました。
牢獄という厳しい環境でも行動しつづけた松陰先生の姿が感じられました。
8:00 朝食
松陰先生の食事は米と味噌のみで質素なものだった。
24時間塾を開き、90名あまりの門下生を輩出したエネルギーは
どこから来るのかと思った。
それに比べ、今朝の私たちの食事は豪華すぎる。
人間にとっては少し足りないくらいの環境が適している、と感じた。
9:00 塾生たちの生家めぐり
民宿を出発し、門下生の跡を巡った。
活躍された門下生の数は本当に多いと感じた。
歩いて回れるほどの距離で門下生の生家が数多く存在しており、
松陰神社周辺の若者が日本を変えて行ったんだと思った。
10:00 上田俊成宮司の講義
松下村塾についてではなく講孟余話や士規七則についてのお話でした。
本を読んだり人と会うことで得られたことは鵜呑みにしていては
自分のものにならず、自分の意識が必要があるというお話が印象に残りました。
講孟余話の中では死して後已むという言葉が新鮮でした。
死ぬまで行動し続け、自分の寿命が尽きるまで精一杯生きぬく。
死してようやく終わるということでした。
松陰先生を表す言葉だと感じました。
択交という言葉があります。
この言葉の意味は、良い人に会うには自らを磨かなくては
ならないという意味でした。
松陰先生の考え方の根底には大和魂があり、
知行合一、名義、勇など日本にしかない考え方を学ぶ重要性を感じました。
11:00 上田俊成宮司の講義②(記念館にて)
松下村塾に入室することができました。
部屋のなかは暗く、広さも十分とは言えない環境でした。
しかし、昔この場では門下生たちが必死に学びに来ていたと考えると
当時は熱気に包まれていたと感じました。
この場所では日本の将来についての話し合いが行われ、
偉人が誕生していったと感じました。
講義では松陰先生の伊藤博文に対する姿勢が印象に残りました。
伊藤博文は天才ではなく、特別な人ではありませんでした。
しかし、松陰先生は伊藤博文の性格が好きですと言っており。
門下生一人一人に真摯に向き合って教育をしていたんだと感じました。
どんな人にも才能があり、環境が整っていれば、誰でも羽ばたいて
いけると感じました。
松下村塾は来年から入れなくなるかもしれないので
本当に貴重な体験をさせていただきました。
12:15 松陰神社記念館にてアウトプットと総括
全員のアウトプットと総括を行いました。
一人一人感じ方が全く違いました。
松陰先生の生き方は本当に奥が深いと思いました。
私は松陰先生の感化力を見習いたいと感じました。
人を感化させるためには、一人一人に真摯に向き合った松陰先生の
姿勢が大切かと思いました。梅地さんは「塾生を感化させたのはあふれるほどの
知識量があったから」と教えていただきました。
松陰先生は本を貸してもらい、すぐに移しては別の本を貸してもらったり、
人が読んでいる本を見て知識を吸収したりと、知識に対してとても
貪欲な方でした。
自分自身に置き換えた際に、貪欲に行動できておらず、
控え目な行動ばかりでしたので是非見習っていきます。
13:45 JVU全国会議
ベンチャー大學全国校講義が始まりました。
大阪校以外はベン大の目標を明確に持っており、
目標は何か聞かれた時上手く答えられなかったので、
課題が明確になりました。
東京校では岩手や滋賀、名古屋校では被災地研修など活動が活発的だと
感じました。
学生が主体的になって動き、活動を展開している印象を受けました。
大阪校では講義ばかりで受け身な姿勢が目立ちました。
何か一つ大阪校で新しいことを始めなければいけないと感じました。
16:15 萩の道の駅
途中、梅地先生が作られた資料館に立ち寄りました。
ここでは松下村塾が忠実に再現されていました。
音声によって当時の教育が再現されていました。
自分の立場ではどうするのかを考えさせ、意見をぶつけ合う
活発な様子が想像できました。
●感想
長いようであっという間に二日間が終わりました。
この研修に参加する前は松下村塾は何の事だかよくわかりませんでしたが、
この研修を通じてようやく理解することができました。
現地に行くことでわかることがたくさんありました。
萩の雰囲気であったり、距離感など足を運ばなければ絶対にわからないことでした。
松下村塾は最高の環境があったと思います。この塾の存在は日本に
取っての誇りであると感じました。
松陰先生の死後、明治維新が起き、教育の成功事例は、まさにここではないかと
思います。
この松下村塾の考えを実行していくことがベン大生の使命だと感じました。
このような貴重な機会を与えていただきありがとうございました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成26年 1/7(火)・1/8(水) 吉田松陰先生の故郷・萩「第5回 松下村塾合宿」1日目
●合宿1日目…1月7日(火曜日)
12:30 杉家幽囚室と松下村塾を見学
萩市の松陰神社に集合しました。松陰神社は東京の世田谷にあるものと
比べると規模が大きく、
まさに発祥の地に来た、という印象を受けました。「明治維新胎動之地」と
書かれた巨大な石碑もあり、この場所からすべてが始まったと感じました。
松陰神社にはかなり早めに到着しましたが、言われるまで参拝を
しませんでした。
これからは礼儀として、すぐに参拝するようにします。
松下村塾を見学する際には、井戸の石を触るように教えられた。
現場でしか感じることができないものをつかむため、些細なことでも
見逃してはならないと感じました。
松陰先生の幽囚室は三畳ほどの小さな空間でした。この小さな空間で
本を読み続け、教育を始めた松陰先生の熱意はすさまじいものでした。
13:00 梅地先生による歴史ウォーク
・吉田麻呂生家跡 ・伊藤博文旧家
・玉木文之進旧宅 ・杉家と門下生の墓 ・松陰先生誕生地
松下村塾にゆかりのある人の場所を巡りました。
梅地先生はとても詳しく説明してくれましたが、私の準備不足で
話の内容についていけない部分もありました。知識面では準備不足でした。
伊藤博文など明治維新の中心となった人たちのゆかりの地が
歩いて行ける範囲内にあり、
身近な人たちを集めて教育をしていると感じました。
松陰先生のお墓も見に行きました。
お墓には常に花が飾られているそうで、松陰先生の影響力を感じました。
お墓には松陰先生の弟子たちの名前が刻まれており、
自分たちで行動を起こした証を残していました。
松陰先生が常に手本を見せてきた行動する精神が受け継がれていると
感じました。
他の門下生のお墓は松陰先生より、小さく作られていました。
松陰先生誕生地も見学しました。
上級身分の武士の家からは、かけ離れており、松陰先生は恵まれた環境では
ないと感じました。
しかし、父親である玉木文之進からは厳しい教育を受けていました。
14:30 至誠館見学
一番印象に残ったのは留魂録でした。
松陰先生は尊皇精神のもと日本のことを本気で考え行動していました。
「至誠を貫き自らの命を持って伝え、自ら伝え後世への種をまく」
と書かれており、この言葉通り明治維新が起きました。
日本全国を旅し、現地に行き日本の国防を支えている人に会い、行動を起こす。
志が明確であるからこそ、なしえたことだと感じました。
また、資料館には世界地図も展示してあり、松陰先生が日本だけでなく
世界も視野に入れていたと感じました。当時は外国とは何であるか
多くの人が知らない中、世界に目を向けていたのはすさまじいと感じました。
多くの人が常識だと思っていることを、松陰先生は打ち破っていったと思いました。
16:00 萩城下町、高杉晋作生家
高杉晋作が松下村塾に夜な夜な通った道を歩きました。
高杉晋作は上級武士であったので、生家周辺は今でも趣を感じさせる
雰囲気でした。
身分によって住む環境が全く違うと感じました。
ここから松陰神社まで歩きましたが、想像以上に長いと感じました。
身分の高い人が住む地区から離れ、なぜ松陰先生に会いに行きたいのか
考えていました。
川を越え、山に向かって歩きました。当時は人の目を盗むために
夜中に歩いていました。
松下村塾では身分に関係なく、自由に意見を交わすことのできる環境が
あったので、労力をかけてでも行きたいと思ったのではないか感じました。
当時の常識からかけ離れており、周りの人から咎められても行きたいと
思えたのは、自分の強烈な意思があったからだと感じました。
19:30 松陰先生に迫る講義
今元さんがわかりやすく説明をしてくれました。
松下村塾は、名も無き青年たちが日本をひっくり返した塾である。
当時、藩校270校+寺子屋2万軒。
寺子屋が人口比率でいうと、今のコンビニの数ほどあり、
その中で、松下村塾は特別な存在でした。
松下村塾には無料で通うことができ、24時間開いていました。
当時の常識にとらわれることなく、松陰先生の志を果たすために
作られたと感じました。
松陰先生の感化力には驚きました。
塾生には成績をつけず、一人一人に異なる指導をしていました。
松陰先生が本を通じて膨大な知識量があるとともに、
何かをするために読書をしていたからだと感じました。
梅地先生の講義では松陰先生には家族の支えがあり、
生活は貧しいが心は豊かであったことを教えていただきました。
子供のころから私を消し去り公のために働くということを指導されてきました。
松陰先生は学者にはならないことを念頭に置き行動していました。
問題を解決するためにどうすればよいのか考え実行する。
実行の繰り返しが松陰先生の生き方でした。
話を聞いていると松陰先生は失敗が多いと感じました。
21:30 懇親会
松下村塾研修には全国から多くの方が参加されていました。
この場所は、経営者の方から見ても学ぶべきことがある場所だと実感。
懇親会では、鈴江社長からお話を聞くことができました。
銀行はリアルがない仕事であり、自分の志のために働くのは難しい。
銀行に使命感が感じられない、とおっしゃっていた。
梶井社長からは、心の天動説、心の地動説のお話を聞くことができました。
梅地先生からは松陰先生の塾生に対する教育姿勢について聞くことができました。
塾生が他の場所に行く際に、松陰先生は根回しをして塾生を売り込んでいました。
塾生に対する思いやりを感じることができました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【12月23日(月)】 リアル経営学/大西昌宏先生(株式会社リビアス 代表取締役)
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●1日の流れ
1、朝礼、掃除
2、大西昌宏校長による「リアル経営学」
3、1年間の振り返り、目標決め
4、終礼、解散
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●気づき
・成功するためにはものの考え方が必要
成功するためには能力でもなく、才能でもなく正しい考え方が必要である。
考え方にはプラスとマイナスがあり、間違った方向に進んでしまう可能性がある。
そのために、本を読み、多くの人に会い、経験を積むことが必要である。
毎日、体験を積むことはできないので、読書などできることから進めていけばよい。
とにかく素直さをもって、いかに正しい考え方に軌道修正することが
できるかが大切だと感じた。
・人が嫌がることがビジネスチャンス
リビアスが今あるのは、入浴施設での事業があったからだ、というお話がありました。
身近な業者に断られ、リビアスに依頼がいたそうです。
副社長のお話にもありましたが断らないことが大切でした。
特に、誰もやりたがらないことにビジネスチャンスがあると感じました。
・内容でなくスピードで競うべき
上司の人から頼まれた仕事をする際に、内容であっと言わせようとしても難しい。
なので、スピードで驚かせるべきという話がありました。
期待以上のことをしようとしても自分の負担になってしまうので、
スピードで競うしかありません。
●感想
大西社長のお話は、改めてお聞きすると新たな発見と気付きが多かったです。
成功するためには正しいものの考え方と行動しかないということを教えていただきました。
教えてもらったことを実行するのは難しく、ベン大に入学して以来
継続して実行できていることはありません。ですので、とにかく一つでもいいので
実行していけるようにします。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【12月21日 (土)】 山根寿徳先生
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●1日の流れ
1、朝礼、掃除
2、新聞アウトプット
3、山根寿徳先生による
「これから社会に出る人に伝えたいこと」
4、終礼、解散
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●気付き
・人から聞いた話を自分のものにする
山根先生は人から指摘を受けた際に、「自分の知識が
10から11になり儲けた」という考え方を実行されていました。
そして、人から聞いた話を自分の話のように話すことが得意だという
お話がありました。
指摘を受けても我流を貫くのではなく、素直になってすべてを
受け入れる大切さを実感しました。
・毎日を懸命に生きること
毎日ぼーっとしていてはいけない、中身のない人間になると何回も
お話されていました。
日経を毎日読む、人間観察をする、自分の給料に満足しないなど、
何かに関心を持つことが大切と感じました。
どんなに小さいことでも真剣に向き合う必要があると感じました。
・平均点はいらない得手を伸ばす
社会では平均点は必要とされず、得手が必要とされると山根先生は
おしゃっていました。
山根先生は経理畑を歩んできましたが、経理畑が自分の得手の
分野でないかと実感しているそうです。
得手を伸ばすためには自分自身をよく知っている必要があります。
自分の場合、一体何が得手なのか把握できていませんでした。
そのため、まずは自分をよく知り得手を伸ばす必要があると感じました。
●感想
山根先生は銀行との取引をされており、将来の自分に直結するお話を
聞くとことができました。
将来自分が仕事をする際には、山根先生のようなお方を相手に
話を進めなければならないと感じました。
今の自分では全くの力不足であると感じました。
お話の中で人との幅についてのお話がありました。人との縁は
理屈で説明できるものではなく、いかに自分が生きるかにかかっていると
感じました。25歳までにはどのような人生になるのか決定されます。
ですので、今後必死に行動しなければならないと感じました。
あと三か月余りで社会に出ますが、今回の講義でより実感させられました。
残りの学生生活も3カ月しかないので、ベン大で頑張ります。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【12月6日(金)~10日(火)】 上海研修
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●議事録
12/6(金)
関西国際空港発
浦東国際空港着
宿泊予定のホテルにチェックイン
合田さんに中華料理をごちそうしていただく
12/7(土)
リビアス上海店の掃除(30分間、床磨き)
大西社長による講義
自由行動
ユエンにて3チームに分かれ行動
夕食は火鍋をいただく
12/8(日)
外灘新館にて上海の租界地、金融、歴史を学ぶ
高杉晋作が衝撃を受けた外白渡橋を見学
上海井上電器有限公司の斎藤様の案内より工場見学
移動中に質問タイム
懇親会
12/9(月)
3チームに分かれ自由行動
水郷を巡る
18時に外灘集合
熊本に本社がある味千ラーメンを食べる
12/10(火)
帰国
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●気づき
・公の意識が存在しない
地下鉄の駅、飲食店など、日本では公共の場所と考えられている場所で、
一切、公の存在を感じることができませんでした。電車の中で電話に出て、
大声で話したりするのは当然で、場所に構わず食事をするなど、
他人への気配りや配慮を感じることができませんでした。
人の目があるから、迷惑になることをやめようと思えるのは
日本の文化だと感じました。
・生きるのに必死
上海では外灘をはじめとした旧租界地では格式高い建物も多く、
日本よりも活気に満ち溢れていました。
その一方で、電車のなかで物乞いをする人や商売をする人、
断られてもモノを売り続ける人など格差を感じました。
海外にはものすごい格差があると聞いてましたが、貧富の差は衝撃的でした。
その中でも、どんな手段を使ってでも商売する人たちの必死さには驚かされました。
・日本で持ったイメージが正しいわけではない
日本との違いに衝撃を受けた上海研修でした。しかし、
すべての上海にいるすべての人が悪い人というわけではありませんでした。
老人に席を譲る人もいました。バスが動かない理由をわざわざ日本語に翻訳して
伝えてくれる人もいました。挨拶をしたらタダで水をくれる店員さんもいました。
親切にしてくれた人もたくさんいました。
日本では中国では反日教育が行われていて、親切にしてくれる中国人など
いないと思っていましたが、大間違いでした。
・あいまいな言葉が一切ない
自由行動の時間に買い物をする時間がありました。そのなかで、
中国の方は自己主張がとても強く、あいまいな言動がありませんでした。
その一方で、私たち日本人がどれでもいいと言ってしまうと
主導権を向こうに握られてしまいました。商品に対して値札がほとんど
存在しないので、値段交渉が始まります。
その際に、強引にでも自分の希望する値段を提示しなければ、
高い買い物をせざる負えませんでした。
・ブランドの安心感
上海ではローソン、吉野家など日系企業やコカコーラ、スターバックス、
マクドナルドなどのグローバル企業のお店が数多くありました。
現地での食事が口に合わず、日本料理を食べたいと思った時も多々ありました。
その中で、見慣れたブランドを目にすると安心感を抱きました。
懇親会の際もコーラを頼んでしまいました。
ブランドの安心感の誘惑に負けてしまいました。
コーラをはじめとした全世界で親しまれているブランド力を実感しました。
・租界地であった歴史
アヘン戦争後に上海はイギリス、フランス、アメリカなどの租界地となりました。
記念撮影を行った外灘などでは租界地時代の建物も多く存在しており、
18世紀からの街並みが残っている印象でした。
まるでイギリスにあるような時計を目にしたときはここは本当に
中国かと疑いたくなるほどでした。
ユエン(観光地)では上海に来ていると実感を持つことができましたが、
外灘には負けていると感じました。
上海にとって租界地であったことがプラスの影響であったと感じましたが、
自国ではなく外国によって発展したと考えると悲しいと感じました。
・上海の物価上昇は今なお続いている
上海では建築中の建物が数多く存在していました。上海丸興さんのお話の中で、
上海から工場が移転していて、郊外に移っているという話がありました。
会社の家賃も年々上昇していて、いかに物価が上昇しているのか
伝わってきました。新聞では中国の経済成長が減退しているという
記事もありましたが、現地では全く減退しているとは感じられませんでした。
むしろ、発展途中で減退が見えませんでした。
・激しい貧富の差
ユエンは観光地であるため全体的にモノの値段が高めでした。
繁華街から少し離れた場所に移動すると、街並みががらりと変わりました。
ユエンでは30元、40元で売られていたものが半額の15元程度で売られていました。
時間にして数十分歩いただけで値段がこんなにもかわるのかと思いました。
そのため、道行く観光客に店を持たずに商売が成り立つと思いました。
●感想
上海研修は初めての海外でした。目に付いたものすべてが新鮮でした。
海外では常識が通用しないや、きれいなのは日本だけとよく耳にしていましたが、
実際に行ってみて日本との違いを感じました。
上海に行く前は、中国でも大都会なので大丈夫だと思っていました。
ガイドブックなどに掲載されている写真をみて上海を甘く捉えていました。
実際に上海の地に降り立つと、空気や街の汚さ、言語が理解できない苦しみに遭遇しました。
英語がわかるなら何とかなるだろうと思っていましたが、違いました。
空港やホテルを離れると英語は役に立ちませんでした。
現地のひとに何を言われているのかもわからず、
言葉の壁にとても不安を抱きました。事前準備が足りませんでした。
行く場所にしろ言語にしろ、事前準備をしっかり行うべきでした。
現地では思うように調べることができず、とても苦労しました。
出発の飛行機は9時30分発の予定でしたが、2時間遅れのフライトになりました。
また、自由行動の日には周荘行きのバスがスモッグによって運転取り止めになっていました。
滞在時の上海の空気の悪さはひどかったです。
そして、町中に鳴り響くクラクションの音や、あふれかえるごみ、あってないような信号
など日本の常識が全く通用しませんでした。
デパートのような場所では、店員の人が売り場を前にして昼食を取っていたり、
大声で歓談していたり、日本との差に驚きました。
日本でのサービスがいかに質の高いものであるのか実感しました。
逆になぜ日本ではあそこまでサービスを高くしているのか疑問がわきました。
今回の研修では自分自身積極的に動くことができていませんでした。
何が何でもモノを買わせようとする人や、いくら断っても根気よく話し続ける人
を見ていると自分自身の積極性のなさが際立ちました。
現地の人は他人を気にすることは一切なく、遠慮や配慮は一切感じられませんでした。
どこであっても自分を貫き通している印象がありました。
公という意識がないからこそ、自己主張が強くできるのではないかと感じました。
今回は上海に行くことができ本当に良かったです。
国内では絶対にわからない考え方の違いを実感できました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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