平成26年(2014)【3月21日(金)】 リアル政治学/田中美絵子先生(政治家)

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9:00 朝礼、掃除
9:40 新聞アウトプット
10:30 事業創造ブラッシュアップ
12:00 休憩
13:00 田中美絵子先生講義「政治学」
・地方と都市の違い
・非正規労働について
・若者の雇用政策
・若者の投票
・女性ならではの病気
・陳情の仕組み
14:30 質問&ディスカッション
・どうすれば若者は投票に行くか
15:30 終礼
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●政治
私たちに近い目線で、政治に関して教えてくださった。
説明がとにかくわかりやすく、未だに苦手意識を持っていた政治だが、
お話が全て頭に浸透してきた。
政治の力で人の命を救うことができる。
だからやめられない、と先生はおっしゃっていた。
先生の議員生活の中で感じられた政治に対する熱意がよく伝わってきた。
そんな、政治家を体験された田中先生は、政治家が見えるものと、
市民が見るものにギャップがあるそうだ。
その差で、生まれてしまう批判もあると。
市民の多くは見えるものしか信じない。
とても難しい課題だと思った。
そのギャップを知り、どれほど誠実に対応できるか。
それこそが良い政治家とそうでない政治家の、真の境目であると感じた。
若い人に投票して欲しいと、声を大にしておっしゃっていた。
投票率のパーセンテージは年代に比例しているという。
どうすれば投票するかのディスカッションも行った。
若者が政治に身近さを感じるのが一番だと思い、中学・高校などでの
講義を提案したが、政党や政治思想がある、政治家が高校以下に出向くのは難しいようだ。
厳しい問題だ。
しかし、政治に深く関わる方のお話は大変勉強になった。
市民にとって政治がいかに大切なものか。
私たちは本当の意味でわかってはいないのではないか。
これからも他人事のように思わず、政治を学んでいく。
卒業間近だが、政治について意識が強まる講義に出会え、本当に良かった。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●学び
自分が、一番響いた言葉は、行政の時間と民間の時間は違うということです。
陳情書を見て実際に調べ、今まで出来ていないことが出来たとしても、
住民からは、喜ばれるどころか、遅いと罵られることもある。
地元の代表として来ているので、地元の事を知らなければ
的外れな行動をしてしまうこともある。
しかしこれは、お互いを知ろう、知ってもらおうとすれば問題ではなくなる。
向こう側は、政治の事を知ってもらおうとは、残念ながら行動をしていない。
だからこそ、こちら側は政治の事を知らなければならないと感じた。
周りの友人達と勉強して行きます。
[政治を身近に感じる時]
田中先生は、一緒に働いていた秘書達が続々と市議員選挙で当選して行くのを見て、
自分もできると思ったそうです。
この話は、起業にも通じると感じまして、次々と知り合いが起業していけば、
自分もできるのではと興味関心を持ち行動をするようになると感じた。
どんな友人を持つか、どんな友人になるかで多くの人の人生を左右させるのではと感じました。
より良い関係となれるように行動して行きます。
[代弁者]
田中先生は、政治家は市民の人の代弁者であるべき、だからこそ自分達は
意見を持って行動しなければならないと感じる。
自分達が、市のため、国のために何をできるか、何がしたいかを考えなければ、
どれだけ頑張ってくれたとしても、良くはなって行かないと思う。
一人一人が国を統治するための知識を得て行動する事こそが、より良い世界になると感じた。
[ディスカッション]
ついつい、自分の考えを喋ってしまった。
司会をするときは、司会に徹するようにしなければならない。
次の機会があれば、意識して場の流れ趣旨を考えて主導権を握るようにします。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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平成26年(2014)【3月19日(水)】 知覧合宿研修 2日目


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朝一番、女子プロレスラーの中島安里沙選手にスクワットの指導と
闘魂注入をしていただき、完全に目が覚めた。
その後、女将さんの案内で、特攻隊にゆかりのある地を巡った。
特攻隊の方々が駐在したという三角兵舎跡、そこには祠が建てられていた。
鬱蒼とした森の中のひっそりとした場所だった。
そこでは当時、何を想い、何を仲間と語り合ったのか。
笑顔でいられることは出来たのか。
自分が同じ立場で、例えば最後の一夜を過ごすようになったらどうするか。
想像するだけで、恒久の平和を願わずにはいられなくなった。
この日は一寸先が見えなくなるほど、濃い霧だった。
森を抜け、田畑に囲まれた一本道に出る。驚いた。
全面、見渡す限り霧が立ち込めている中、昇った太陽だけが、
くっきりとまあるく存在していた。
まるで霧の下地に浮かび上がった、金色の日の丸のようだった。
女将さんもおっしゃっていた。
「今まで何十回、何百回と来ていますが、こんな光景見たことありません。」
特攻隊の方々が何かを伝えようとしていたのだろうか。
未来を担う宿命の、私たちを激励してくれていたのだろうか。
そう思わずにはいられない。
恐らく一生忘れられない光景だろう。
知覧護国神社や弾薬庫も見学した。
やはりその現場に立つと、向き合えるようになり、心で感じられるようになる。
●富屋旅館
富屋旅館は軍の息がかかっていなかったから、人間らしく生きられた。
当時の女将さんの鳥浜トメさんに会えた嬉しさで、思わず車から落ちて
しまったという隊員もいたようだ。
特攻隊の方々にとって、本当に心の拠り所だったのだろう。
現在の女将さんである鳥浜初代さんが、私たちに講話をしてくださった。
鳥浜トメさんのこと。
現代の私たちが何を思って生活をしているのかということ。
女将さんに問いかけられると、自分がいかに奢り、考えの薄い、
自分本位の毎日を送っているかがわかる。
家族に何をしてあげているか。
学校での役割は何か。
地域に何をできているか。
特攻隊の、私たちが飛び立てば、きっと平和な世が来る、と信じたこと。
自分より仲間を助けたい、命より大切なものがある、という信念。
人にはそれぞれ使命がある。
使命とは「使う命」。
私は命を使っているのだ。
どのように使っているだろうか。
確かに現在は平和な世の中になった。
先人たちもそれを望んでいたはずで、この平和はずっと紡いでいかなければ
ならない。
しかし、その平和とともに高潔な精神は無くしてはいないか。
鳥浜トメさんが戦後の人に言ったという一言が印象的だった。
「皆さんは、みんな威張ってらっしゃいますよ」
私は威張ってはいないだろうか。
今のような不自由のない世の中こそ、富屋旅館は必要なのだろう。
この旅館や女将さんが教えてくれたことを、終生大事にする。
●ホタル館
かつて富屋食堂だった場所が資料館となっていた。
入る前に「俺は、君のためにこそ死ににいく」のダイジェストを見たが、
資料館とリンクして、いくつかのエピソードが思い出された。
宮川三郎さんはホタル館の名前の由来になっていて、光山少尉が
アリランを踊った場所も残されていた。
壁には特攻隊員のひとりひとり、詳しい紹介がされていた。
鳥浜トメさんと笑っているところや、子犬を抱いている写真を見ると、
やはり私たちと変わらない若者に感じた。
遠い存在のようには思われなかった。
しかし写真に映る目は澄んでいて凛々しかった。
そればかりは心なしか、大きく見えた。
●名古屋校・山口校卒業式
富屋旅館大広間で、名古屋校、山口校の卒業式が行われた。
東京校は、3月29日。
東京校も挨拶をさせていただいたが、いよいよ卒業という実感が迫ってくる。
私たちはまだ学生。
卒業してからが、やはりスタートだと思う。
一年間学んだことは着実に芽吹きはじめているが、それはさらにこれからも続くのだろう。
分校の仲間が、ご縁や、学ばせていただいたことに感謝すると言っていた。
まさにその通りだ。
この奇跡のような学校は、ご縁で成り立っている。
山近理事長や中條学長、今元事務局長にはもちろんだが、支えてくださっている
全ての方に感謝して、あと少し学ばせていただき、心して、本校の卒業式にのぞむ。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●知覧卒業研修2日目
[特攻兵が旅立った道]
朝靄のなか数メートル先も見えず、黄色い太陽がぼんやりと浮かぶ中、
特攻兵が旅立つ前に歩いた道を自分たちは歩いた。
こんな情景は初めてだと女将さんは言い、
自分は、まるでこれからの世の中を表しているかのようだと感じた。
今の自分の状況は、まるで濃い霧の中を歩いてるかのようで、
先導に任せるまま歩き、独りで歩くことがまだできていない。
しかし、これから仕事をして行くことで、
靄が少しずつ晴れて見通せるようになり、一人で歩いていけるようになるかもしれない。
願わくばそんな中を、仲間と共に勇気を持って歩き進めるような未来に進んで行きたい。
[女将さんの話]
これから、戦争体験者はもっと減るだろうし、
自分の下の世代には、戦争体験者と接することなく生きて行く人もいるかと思う。
そうなれば、伝えれるのは自分達しかいないという状況が必ずでてくる。
その時、何を話すのか、何が話せるのか、
今の国に対して、何を思い、行動してきたのか
そういったことを語れるように、行動していきます。
[ホタル館]
遺品一つ一つが目に痛かった。
ハーモニーのふるさとが流れる中、遺骨の代わりに石が帰ってきた人、
遺品を受け取る人がいない戦死者、新聞紙に書かれた絶筆どれもこれもが、
見ていて涙が込み上がってきた。
逃げれば、卑怯者呼ばわり、運良く生き残れば、家族の前にも出て来れない。
そんな人たちがここに集ったのだ感じ、ホタルの止まった梁を眺めていると、
特攻兵隊の魂を感じれるような気がした。
[分校卒業式]
名古屋、山口の生徒の1年の思い、
これまでのことを、これからをの事を言葉を聞き勇気をいただいた。
自分達は、なんといってもまだ学生と社会人の真ん中といった立場にある。
時間的余裕はあるが、責任や重圧は、あまりない。
しかし、これからは違う。
壁にもぶつかれば、色んなところで板挟みになるかもしれない。
うまくいかないことも多々あるだろうし、
前に進めなくなる時も出てくると思う。
しかし、そんな時は一度立ち止まって、この1年を思い出すだろうと思う。
多くの事話を聞き、ひたすらに基礎を積み重ね、行動を続けた日々。
ゆっくりと血肉となり、自分のかけがえのない財産となった出来事。
もう少しで、卒業だということを意識し、今までの事を思い浮かべ整理して、
次のステージへの準備を整えていかなければと感じました。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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平成26年(2014)【3月18日(火)】 知覧卒業合宿1日目
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●薩摩
薩摩はイメージ通りの場所だった。
鹿児島中央駅は、偉人を多数排出した加治屋町に近く、薩摩留学生の像を始め、
西郷隆盛、大久保利通はじめ、多くのモニュメントが立っていた。
偉人の方々の誕生地の石碑は密集している。
街はどこか豪快な印象で、外国文化をそのまま取り入れた、維新からの流れをそのまま感じる。
偉人たちを生み出したという誇りも感じられた。
加治屋町の中心に建つ、維新ふるさと館も訪ねた。
今まで吉田松陰先生を中心に歴史を学んできたので、長州についてはよく
触れることができたが、薩摩にしっかりと踏み込んだのは初めてだった。
あまりにも巨大で、多くの偉大な人物が生まれていることがわかる。
この夜、中條学長も加治屋町について触れ、それは教育の成果だと教えてくださった。
中でも、大久保利通は強く印象に残った。
冷静沈着。西郷隆盛、長州の木戸孝允とともに維新の三傑と言われていて、
その中でも一番深く政治に関わった。
その冷徹なイメージで、のちに西郷とは意見を異にし、西南戦争で西郷が
果てるまで至ったので、良くない目で見られがちかもしれない。
しかし、大久保に関して次のような文章があった。
西南戦争で西郷が亡くなったことを知ったときの大久保利通を見た、妹みね子の言葉である。
「あの背の高い兄が、座にいたたまれず、焦燥しながら、座敷と廊下の間を
鴨居に頭をぶつけながらぐるくる歩き回って、そして目には一杯涙を湛えていました…」
他にも凄いエピソードがあった。
権力の座に長く居座った大久保は、多くの蓄財があると思われたが、
暗殺された後残った財産はわずかなものだった。
しかも借財はそれを遥かに上回る、1億にもなるものだった。
私利私欲を捨て、国のために不足した公金を、自分名義の借金で補っていたという。
そこまで公に身を捧げた人物は、稀なのではないか。
人間らしい西郷とのエピソードも含め、強く惹かれた。
維新ふるさと館は展示の充実ぶりが見事で、大いに勉強になるところだった。
今回は次のスケジュールが差し迫っていたので、離れなければならなかったが、
加治屋町、鹿児島の他の場所を含め、また近いうち、勉強のために訪ねることを決めた。
●知覧入り
知覧での卒業合宿。
北から、日本を縦断して来て迎える最後の合宿は、気持ちの強さもひとしおだった。
歴史に学び、先人たちに学ぶ旅の、締めくくりとなった。
●知覧特攻平和会館
あまりにも多くの、特攻で亡くなられた方の遺影や遺書に囲まれ、その想いに
胸が張り裂けそうだった。
遺書の文字は綺麗で立派だった。
多くが家族や恋人、友人に宛てたもので、そこには「笑って行きます」
「国のために」「喜んで行きます」などが書かれていた。
本当に、特攻隊の方々は笑って、国のために、喜んで、命を投げ出したのか。
私は必ずしもそうではないと思う。
遺書の、その裏側に隠れた、真の感情が直接胸に迫ってくるようで、心を打たれた。
「笑っています」と云いながら、文字が揺れているものもあった。
愛する人を安心させたかったのだろう。
特攻隊の方々は何のために征ったのか。
それは国、愛する人、家族のために違いない。
特攻隊の方々が守ろうとした血は脈々と続いていて、それは今の私たちに繋がる。
つまりそれは私たちのためであり、特攻隊の人々が築いてくれた平和を、
必ず紡いでいかなければならない。
決して忘れてはならない。
特攻隊の方々の強靭な精神は、武士の精神だと思う。
日本人の精神だと思う。
私も、日本人として恥ずかしくない生き方をしたい。
現代を精一杯生きなければならない。
●山近義幸理事長の歴史講義
山近理事長からは、一年間を通して、歴史を学ぶことの大切さを学んだ。
入学当初はその大きさを実感できていなかったが、今ならよくわかる。
過去の偉大な方々の人生を学ぶことは、人間としての力の向上に直接繋がる。
そのなかで、菅原道真、二宮尊徳、福沢諭吉という勉強偉人が教科書から
消えかけているというのは、信じられない。
しかし結局のところ、真実の歴史は隠し、消し去ることなどできないと思う。
それらの真実を学ぶためには、多くの本を読み、色々な人の話を聞いて、現地に行くしかない。
特攻隊の方々の記念碑ができていることは素晴らしいことだと思う。
宮川三郎さんと穴沢利男さんの名前を受け継いでいる方いるということも、とても驚いた。
歴史は受け継がれていく。
私たちはそれらを学んでいかなければならない。
●中條高徳学長の講義
今、私たちはこの日本を、先人たちに胸を張って見せられるだろうか。
歴史を忘れた民族は滅びるという。
私たちは忘れかけてはいないだろうか。
アメリカの日本占領政策は巧みだったが、アメリカが引き揚げたあと、
日本の責任は自らにあるというお話があった。
歴史は、それが起きた時点に立ち戻って、その時点に立って考えなければ
ならないと、おっしゃっていた。
それには誠実さが求められるようだ。
わずか500年前に還ると、アメリカはまだない。
それに対して日本では銀閣寺などの独自の日本文化が隆盛を極めている。
私たちに見えるものは小さいのだ。
元寇で、日本が元の侵攻を退けたのち、ときの執権北条時宗は、
その弔いのために円覚寺を建てた。
それはなんと日本と元、両軍の弔いのためだという。
日本の天皇には、古来から「中庸の道」という考え方があった。
白色人種が有色人種を植民地にしていた第一次世界大戦時、日本は人種差別撤廃案を提案した。
日本民族自体にも、中庸の道の考えが生きているのかもしれない。
私はそんな日本を誇りに思いたい。
享楽に走ることは良くない。
国のことは誰かに任せて自分だけ金稼ぎなんて、そんなことはとんでもない
ことだと、中條学長は強くおっしゃっていた。
日本の国家のことを考えなければならないことは、みんな勘付いているという。
そのエネルギーを集めることが大事だと。
最後には私たちに、リーダーになって欲しいというお言葉があった。
私自身が先頭に立って歩む気持ちで、これから突き進んでいく。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●日本縦断の旅11日目、維新ふるさと館
[大久保利通]
維新や改革は、前に進んで引っ張って行く人だけでなく、
大久保利通の様な、冷静沈着、清廉潔白な人がいなければ
成せなかったと、西郷隆盛と対比して特に思う。
新しい社会を形成していく上でこうした人物は絶対必要だと感じた。
●知覧特攻平和会館
[隊員の手紙]
何十人何百人もの遺書、絶筆を見て感じたのは、当時の若者の覚悟です。
残された手紙は、笑ってくれ、悲しまないでくれ、日本は勝つ、不要金を送るなど、
みんながみんな残してきた人の事ばかりで、何も言えなくなった。
誰か一人でも、行きたくないなどと書いていないかと必死に探したが、
どこにもなかった。
どれもこれもが色んな思いがあった中で、、短い文章でしっかりとした言葉になり、
強く想っていた家族であったり友人のことも、書かれていた。
これが、日本のためになる唯一のことだと信じ、そして散っていた心意気を
自分が繋げなければと強く心に決めました。
●特攻の成功
訓練や目標などと書かれているが、最後に書かれていた幸運という字が
ものすごく印象に残った。
どれだけの時間をかけ、どれだけの意思を持って行おうとも、
最後に必要なものは幸運かと思う。払った犠牲の割に思わしくない戦果、
精神的なものを加えれば多大な戦果ではあったと思いたい。
●山近社長
韓国や中国に遠慮をするあまり
教科書から消えている3人の勉強偉人、菅原道真、二宮金次郎、福沢諭吉を
兄弟、友人に伝えてくれと真剣な顔をして、おっしゃられた。
今日、教科書の中身が削られていたものが戻ってきた中、
自分達の世代が知らないままで、過ごしてきたかもしれないものを、
下の世代は当然のように知っている。
これを機会に、歴史の教科書で勉強し直した方がいいのではと感じました。
●中條先生
この場所に連れてくる事が良いと先生は言われた。
よく、若者が来たいと言うだけの人がいるが、実際に連れてくる、
呼び込むことをする必要がある。
いうだけでなく、人のために教えることのできるように行動します。
[氷雪の門]
歴史の真実を忘れてはならない。
士官学校で教わった、相手の歴史を消せばそれだけでいとも簡単に
相手の国は瓦解する。
そう言われた時、愕然とした。
そのことが本当なら、自分達はもはや瓦解寸前ではないかと感じたからです。
歴史の認識、その場において、お互いの国の状況立場に立って考えることが
重要だと教えていただいた。
まずは、日本、次に、対戦国、その次に周辺諸国その立場立場に立って考えて行きます。
[マンデラ]
民主差別を唱えただけで、終身刑。
今の私たちでは、決して考えられない。
その後ノーベル賞を受賞したが、繋がれた長い時間は戻ってこない。
それだけの長い間、奴隷制度、人種差別があったのは許されない。
しかし、自分達の民族である日本が、第一次世界大戦時に、
民主差別の撤廃を提案したのは、本当に誇るべきことだと思う。
しかし、このことをどれだけの人が知っているのであろう。
[戦えるか]
国民の8割が、国家が危機に瀕した時に、
逃げたすと答える国で本当にやっていけるのか。
自分は、思っているだけですが、いざという時には、多くの人が
戦いに出ると思っている。
しかし、いくら戦いに出たとしても、準備もなければ、犬死だ。
何をすれば国が守れるか、何を行えば家族が守れるか
それは、まだ自分にはわからないが
戦うための準備を進めるためにも、考えて感じて、仲間を集め力を蓄えて行きます。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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平成26年(2014)【3月16日(日)】 全国縦断遊学の旅 9日目

横井小楠記念館を訪れました。
展示物を拝見し、館長さんからもお話を聴けました。

横井小楠は、国是三論、国是七条など
明治の国政に影響を与えた才覚をお持ちでした。
人を感化させる力があり、松平春嶽、由利公正等と関わり
福井藩の藩政に影響を与えました。
坂本龍馬も直接彼と会い、その魅力に惹かれたそうです。

四時軒
この場所で横井小楠と坂本龍馬は
日本の行く末について熱く議論し、
意見の対立に至ったようです。

横井小楠は穏やかな風景を眺めながらも
日本の行く末を冷静に広い視野で
考えていたのだと感じます。
平成26年(2014)【3月15日(土)】 全国縦断遊学の旅 8日目

長崎に到着し
亀山社中に行きました。
この地を拠点に龍馬が活躍した
と考えるとゾクゾクします。

長崎を見下ろせるこの場所で
龍馬も社中の仲間たちと日本の未来を語ったようです。
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●亀山社中
日本で初めて生まれた商社で、
海援隊の社訓や、どんな行動をしていたか?がしっかり書かれており、
写真を見ながらこの人たちが、どういう想いで新しいとこをやり、
成功させたのかを学ぶことが出来た。
初めてのことをする事は、それだけ勇気のいることだったと思う。
最初の商社が藩や日本のためを思って作られたのは、そこに仕事いうものの
本質があるからだと感じる。
自分も誰かのために新しいことを考え行動します。
●グラバー園
ここには多くの観光客の方が訪れる。
自分達は時間が合わず、外から見るだけで終わってしまったが、
それだけでも、ここが魅力的な場所だと分かったので後ろ髪を惹かれる思いだった。
外から見るだけだったが、
見えた建物は意外と重厚は造りではなかった。
しかし、醸し出される幕末の雰囲気が大変よく、
質素ではあったが、逆にこれこそが、幕末の町並みだったのではないかと感じました。
次回、長崎に来た時には、必ず見学すると心に決めた。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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●亀山社中
この地で坂本龍馬は新しいことを始めた。
社中に至るには少し山路を登り、住宅の立ち並ぶひっそりとした細道を抜ける。
見晴らしの良いところもあり、龍馬のブーツのモニュメントがあったりもした。
龍馬の望んだ眺めだと思うと感慨深い。
亀山社中は日本で初めての会社で、企業社会である現代を考えると、
今の社会の始まりの地だとも言える。
世の中の破壊だけでなく創造も成し遂げたのだと思い、龍馬が天より高く立つ
巨人のように思われた。
社中は増築されたものの、ほとんど昔の姿を残しており、大きな志を持って
長崎で奮闘した、若い志士たちを想うことができた。
はじめは小さな場所だったのだ。
龍馬は今の社会を見て、何を思うとのか。
「今の若者もやるのぉ」、と雲の上から言っていただけるように、私も日本を背負って立てる存在になる。
●長崎
歴史が息づいている街だった。
江戸時代、出島を通して外国人の出入口として広く開かれていたこともあり、
中国や西洋の影響が濃い。
煌びやかなハイカラ文化が繚乱し、異質な美しさを保っていた。
グラバー園に続く道の外国建築街は、観光地として華やかな賑わいを見せていた。
歴史の特色をうまく活かしている。
はじまりの新天地・長崎の空気は、今でも新鮮だった。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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