平成26年(2014)【3月29日(土)】 5期生 卒業式
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●卒業式
式の間、今までやって来たことを思い出した。
本当にあっと言う間の1年だった。
来る日も来る日も驚きと未知との遭遇の連続で、本当に刺激的な日々でした。
かつての私は、行動するたびに、何かをする時の心理的ハードルが下がっていましたが
いつしか物怖じをほとんどせず、何事もやることが出来る様になっていました。
自分の心身ともに、多くのプラスなものをいただいただけに、
数々の研修、多くの社長のご講義、日本中周った旅、色々やった達成感と
ともに、もう終わりか…と思う喪失感が、同時に押し寄せて来て、
気がつけば、涙が出ていました。
多くの人が卒業式にお越し頂き、たくさんのお祝いの言葉をかけて頂きました。
この方々のお陰で、自分の曖昧だった志が、明確になって行き、
前に進む力を与えてくれました。
中でも心に残った言葉は、卒業は終わりではない、新たなる始まりだ!と言う言葉です。
これから新入社員として、また新しい世界への扉に手をかけています。
今まで此処で得て来た感覚・体で覚えた体感感覚の必ず役に立つと感じています。
広島で充分に此の1年間に身につけた其の感覚を発揮し、ますます精進していきます。
この1年多くの人に支えられて来ました。
また、今後も精進していきますので、よろしくお願いします。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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●卒業式
このように日報を書くのも最後になると考えると、また感慨深い。
日報によって文章力は磨かれ、その日の学びをより深くすることができたと思う。
そのように、ベンチャー大學でのすべてが終わる。
自分がこうして卒業までやってこられたことが、信じられなかった。
卒業、終わりはつまりは始まりで、出発だ。
喝を入れていただいた行徳先生の「野鴨」のお話は心に刻まれた。
ベンチャー大學での学びを活かしていくのはこれからだ。
活かさなければならない。
必ず、続けなければならない。
さらに、さらに芽を成長させなければならない。
沢山の先生に来ていただいた。
有難い。
卒業のスピーチは自然と湧き出てきた。
本心の吐露だったからだ。
今の私を、ぶつけることができたと思う。
私は入学当初、本当にスピーチが苦手だった。
言いたいことが何も言えずに、時間だけが過ぎてしまうこともあった。
思い残すことがない、スピーチができる日が来るとは思わなかった。
しかし、「志」自体はまだまだ甘い。
勉強も人生経験も、まったく足りない。
本当に、これからが始まりなのだ。
今まではベンチャー大學の中での日々だったが、
これからは外の世界へ踏み出す。
これからのための、ベンチャー大學なのだ。
中條学長は最後のこの、卒業式の日まで、私たちのために講義をしてくださった。
ベンチャー大學を卒業する私たちが、若い私たちが、
日本を背負う存在にならなければならない。
山近理事長は私たち一人一人にメッセージをくださった。
松下村塾合宿での出会いが印象的だと、おっしゃってくださった。
私にとっても、それがすべての始まりで、そのときの理事長との
出会いがなければ、どうなっていたかわからない。
日本ベンチャー大學で一年間学ぶことができたことを幸運に思い、心から誇りに思う。
今後は卒業生として、この大切な学び舎のこれからを支えていく。
山近理事長、中條学長、今元事務局長、事務局の田中さん、松本さん、
鳥越先生、井上社長、今後もお世話になる橋本社長、講師の先生方、
実行生の南出さん、小林さん、井浪さん、広島校の依田さんはじめ
助けてくださったOBの皆さん、分校のみんな、日本中でご縁のあった、
お世話になった皆様。5期生の大森くん、牛島くん、高岸くん。
本当に一年間、有難うございました。
このご恩は生涯忘れません。
恩返しのためにも、夢、志は必ず成し遂げます。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●卒業式
今まで学校の卒業式で
これほどに思いが深かったものはない。
学生の発表の時、始まるまでは非常に緊張したが
話しているうちに緊張ではなく言いたいことを言っていた。
1年間の事業創造で教育について考え、
縦断の旅で日本各地の教育を学び、
下田で「私の志」の大詰めをしてきた。
少しずつ固められた自分の志が自然と言葉となって出てきた。
そのため、当初言うつもりもなかった宣言や誓いまでたててしまった。
おそらくそれが自分の正直な気持ちで志なのだろう。
これから仕事をする中でも忘れず少しずつ実現に向けていく。
式が進むにつれ、式が終了に向かうことを感じると、
一秒一秒がとても惜しいものに感じた。
これからがスタートであることはわかっていても
自分の人生が変わった一年間を過ごしたベン大に
どうしても名残惜しいものを感じてしまった。
だがそれでもこれがスタートであり、一年間学んだことをこれから
社会人として実践していくのだ。
自分の活躍がベン大の功績になるようこれから一所懸命に働いていく。
一年間お世話になり本当にありがとうございました。
たまにベン大に顔を出させてください。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
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●卒業式
ベン大生活一年の締め括りである卒業式。
社会一般では、卒業とはおめでたいものだという認識がある。
しかし、行徳先生からは、卒業とは、「生業を卒えること」であると
いうお言葉をいただいた。これを聞いて、本来は決しておめでたい意味の
言葉ではなかったと学んだ。
加えて、卒業という一つの節目を迎えてなお、脱皮をするが如く、
成長を続けるべしとの解釈をした。
また同時に、これまでベンチャー大學にて講師の方々から学んできた内容を、
これから社会に出て、行動、実践という形で、真の意味でアウトプットを
する段階に移ろうとしているように感じた。
これまで5期生と共に学んだことを胸に刻み、チャレンジしていく
姿勢を忘れず、精進していきます。
5期生の皆さん、本当にありがとうございました!
From:和田将寛@東京校5期生ダッシュ生(神奈川出身・富士常葉大学1年)
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平成26年(2014)【3月24日(月)】 下田踏海 2日目
●宝福寺
坂本龍馬の脱藩の罪の許しを得るため
幕臣・勝海舟と土佐藩主・山内容堂が謁見した地である。
普通では絶対に、あり得ない。
いかに坂本龍馬が恐ろしく人間力を持った人物だと想像できる。
その後の海援隊などにつながる。
非常に感慨深い場所であった。
●吉田松陰拘禁の地
密航に失敗した当時の松陰先生にとっては
とても悔しい思いでいっぱいで
来ることになった場所であろうが
その後の松陰先生の活躍を知って訪れると
ある意味ここからさらなるスタートを切るようで
少しワクワクした。
世の中の成功者を見ると
まるで失敗をしたことのなさそうな人もいるが、
松陰先生の足跡をたどると
何より失敗に負けないことが大切であることを学べる。
これからの人生きっと失敗も恥ずかしい思いもたくさんするだろう。
しかし松陰先生を見習い、その失敗から
力強く立ち上がり生きていく。
●弁天島
昼の弁天島は前日の夜の姿とは
また違う景色であった。
「踏海の朝」と題された松陰先生と金子重輔の像は
海を指さし、新しい日本を作るというエネルギーに満ち溢れており
下田の海も光り輝いていた。
4月からは自分も社会人として働いていく。
松陰先生が立ち向かった困難に比べれば大したことではないだろうが
それでも壁にぶつかることはあるだろう。
新しい時代を作ろうと決死の覚悟を決めた松陰先生のように
困難に立ち向かい、失敗に負けず、これからの人生を生きていく。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
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皮肉にも、ペリーの来航によって、下田は少なからず発展をしていった。
史跡はいたるところにある。
勝海舟と土佐藩主である山内容堂が会談し、坂本龍馬の脱藩が
許されたという、宝福寺に向かった。
土佐の一介の下級藩士が、藩主に脱藩を解かれる。
龍馬は勝海舟はじめ、多くの人に愛されたから、数々の偉業を
成し遂げることができたのだろう。
人としての魅力、人間力を改めて思い知った。
また吉田松陰拘禁の地にも行った。
昨夜の弁天島から繋がる場所と考えると、様々な考えが巡る。
踏海に失敗した松陰先生は数日間、何を思ったのか。
金子重ノ助をただ心配していたのか。それともこのときも、
日本の行く末を考えていたのか。
史跡を訪ねると、歴史上の人物がそのとき何を想ったか、深く考えることができる。
またその記憶は、簡単には消えない。
ベンチャー大學を卒業しても、「行く」という行動を続けていく。
●決意
弁天島の近くには三島神社という場所があり、そこには松陰先生の
勇ましい銅像があった。
刀を手に遠方を見つめる姿は武士らしく、今まで見たことがない姿だった。
像の名前は頭山満のものだった。
後の世の、あまりにも多くの方に影響を与えていることがわかる。
そのあとふたたび弁天島に訪れ、これから社会に出て行く前の決意をした。
この日は晴天で、海岸がよく見渡せた。
港は円状に切り取られ、弁天島によく似た島も、いくつか浮かんでいる。
近くの公園には松陰先生と金子重ノ助の踏海の像があり、海の向こうを
指差す姿が、はっきりと描かれていた。
ここは志の決意の場所なのかもしれない。
どんな困難がたちはだかろうと、
松陰先生のように、勇ましく向かっていく。
荒波に、小舟でも立ち向かうことを誓った、ベンチャー大學最後の研修になった。
沖には黒船が、今でも走っていた。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●宝福寺
ここは、坂本龍馬の脱藩の罪を許してもらえるよう勝海舟が当時の山内容堂に
話をしたところだ。
ここも、明治維新のターニングポイントの一つだ。
坂本龍馬が大きく羽ばたけたのはここで罪を許されたからに他ならない。
歴史が動いた場所に立ち、龍馬の像を見上げた時、自分も大きな人間になろうと決心した。
●拘禁の地
吉田松陰先生がペリーの船へ乗り込んだ後、自首をされた場所だ。
死罪とされる可能性が高いなか自首をされたが、その胸中が如何だったのか。
松陰先生ならばそのときでさえも前向きに日本の将来を考えていたのだろう。
拘禁の地にあった松陰先生の詩からもそれが伺える。
●踏海の朝
松陰先生と金子重助がアメリカを指している像があった。
アメリカへ踏海して、その先を夢見たであろう希望を感じた。
私たちベンチャー大學生もこれから社会に旅立つ。
最後にこの場所に来ることができてよかった。
From:牛島知之@東京校5期生(熊本県出身・熊本県立大学卒)
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平成26年(2014)【3月27日(木)】 下田踏海 1日目
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私たちはこれから、日本ベンチャー大學の枠を越え、未知の世界に踏み出す。
吉田松陰先生は、日本の国防のために
あえて外の世界を見据え、
下田の地からペリー艦隊を目がけて荒れ狂う波に踏み出した。
卒業前に下田の、松陰先生が踏海を実行した場所に行き、
その「猛」の行動の大きさを肌で感じた。
海岸に今も居座る弁天島。
祠がある、不思議な質でできたその島に、松陰先生は身を隠し、
黒船に乗り込む機会をうかがっていたという。
日本のために国禁を犯してまで
至誠を貫き、好奇心にも突き動かされて、嵐の中で小舟を進めた。
最後の機会だったのだろう。
しかし、どれだけ危険なことか。
松陰先生の、実行、挑戦への、意志の強さを最もはっきりと学べる場所だった。
踏海の一歩は大きい。
それは志に向かうことを教えてくださる場所に同じだと思う。
この夜、この場所で学ぶことができたことを生涯忘れないようにする。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●ペリー上陸記念碑
日本人なら誰もが知っているであろう、お馴染みの人ですが、
ここに来て、そういえばゆかりの地などは行ったことがないことに気づきました。
日本人の偉人だけでなく、日本が動いたきっかけとなった場所も意識して行きます。
●日本の転機
ペリーが来たことで、日本の文明が急速に発展し、同時に多くの
偉人達が活躍するきっかけとなったその場所に立った時、
まさにここから時代が始まったと感じた。
これから自分もベンチャー大學を卒業し、新しい場所に行くことになる、
過去の自分の想いをもととし、行動し、精一杯頑張ろうと心に決めました。
●弁天島
松陰先生が密航のために舟を漕ぎ出した地。
松陰先生が身を隠したとされるお堂や岩場の洞穴は、当時の雰囲気が残っており、
ここで、金子と松陰先生はどんな話をしたのだろうかきっと、
わくわくしながら、ペリーにどう手紙を渡すかや渡した後迎えに来て
くれるのではなどと話したのだろうと想像が膨らみました。
実際に洞穴に立って海を眺め、ここに松陰先生と金子が死を覚悟して
何日も何時間もいたのだと考えていたら、その凄さに鳥肌が立ってきました。
●黒船
突然アメリカから未知の技術で脅され、開国を迫られ多くの人が
どうしようもないと右往左往する中で、ペリーに頼み込んで
文化を学ばせてもらうしかないと決意し、実行するのは、どれだけの志が
あればできるのだろうか。
きっと死ぬことも厭わないほどの好奇心と、日本のすべての人が
自分の肩に乗っているという想いがのしかかっていたのではないかと思うが、
それでも、やり通すことは驚きの極致です。
結果として連れて行ってもらうことは、失敗してしまったが、
ペリーに日本人の凄さやその心意気を知ってもらったことは、
大きな意義のあることだったと感じました。
●踏海
自分達が行った時は、海は穏やかでペリーの船が停泊していたところも
近く見えすぐ行けそうにも思えました。
しかし、辺りが暗くなってくると昔に比べると灯りがあるはずなのに
とても暗く周りがよく見えない状態でした。
松陰先生が踏海した日は海は荒れ今以上に何も見えない中、
辿り着けず海の藻屑となっていたかもしれないのに、
そのことを恐れもせず、向かって行ったのだと思います。
それに比べれば、自分達がこれから新入社員として、悩むこと、
困難だと思うことがいかに小さい事かと思うことができます。
いつか、思い悩んだ時は、ここに来て、松陰先生のことを思った日を
思い出し、悩みを吹き飛ばします。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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暗くなった下田の海を弁天島から見ると
かつて松陰先生がどのような光景を見ていたのか
少なからず感じることができた。
踏海に成功していれば
松陰先生にとって長らく見ることのなくなる
日本の景色である。
自分だったら感慨深く感じるが、
松陰先生の気持ちになって考えたら
むしろ景色などに感慨にふけらず
アメリカに行くことで頭はいっぱいであるように感じた。
きっと金子重輔とアメリカに行くまでのことや、
行ってからのことを話し合って
踏海実行までの時間を過ごしたに違いない。
命がけの旅に臆することなく挑んだ松陰先生の覚悟の地で
自分たちもこれからの覚悟を表明したが、
まだまだ松陰先生の覚悟に比べたら甘いものであった。
それはまだまだ問題意識が低く、
自分の将来のこと、日本の将来のことについて
ぬるい考えしか持っていないからだろう。
これから仕事をし、社会についてより多く知る中で、
世の中の問題点に気づくこともあるはずだ。
その時には松陰先生の覚悟を思い出し、
もし忘れそうになったら下田に再び来て、
日本を良くするための行動をしていく。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
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松陰先生が下田踏海を行った下田の弁天島に松陰先生が踏海したで
あろう時間に立った。
前科もあり、見つかれば今度こそ死罪かもしれないという状況下で、
松陰先生は失敗など考えず、当然成功するものだという意識で踏海された。
その結果失敗こそされたがペリーの心を動かしたのだからとんでもない。
私たちが見たとき海こそ穏やかだったが、岸壁が険しく、当時は
ばれないよう真っ暗な中で船出をされたそうだ。
船に慣れていようはずもない松陰先生はよく動いたなと感心した。
最後に松陰先生が黒船を見ていたであろう場所にて将来の志を
発表したのだが、始めは現実的で小さいものしか言えなかった。
視界を広げ、世界を見渡し、大きな夢を掲げられる人となる。
From:牛島知之@東京校5期生(熊本県出身・熊本県立大学卒)
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平成26年(2014)【3月25日(火)】 教育問題を考える/高瀬拓士先生((株)日本コンピュータ開発相談役最高顧問)
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●異世代との交流
同世代だけでは、意見が似かよるからだ、と教えてくださった。
確かに、昨日の事業創造でも、社会人の方からの意見は、今までの自分たちからはでなかったたものなので、その通りだと思った。
働いてるから、引退された方、色んな立場の人から話を聞き、見聞を広げることが重要だと感じた。
●何が幸せか?
裕福になって不幸せになった人が多くなった、お金でなんでも買えるせいで、ちょっとしたことで喜ぶことが出来なくなったそうです。
周りと合わせ、他人と同じであることに固執するのではなく、個性的に、強い子どもに育てるためにも、信念を持って家は家、他所は他所の精神で、何事にも幸せを感じれるような子どもに育てます。
●教育
何が良い教育なのか?
貧しかった時代は大学に行けず、勉強出来る機会を得ると、勉強することを嬉しいと思う時代だったが、今は、勉強は卒業に必要な単位取得の為にやむを得ず行うだけ。大学進学が会社に就職するための手段としてしか使われなくなって来ている。
そんな中で高瀬先生は、教育・学びは学校教育だけで終わるのではなく、社会に出たら与えられた仕事の単なる処理屋になるのではなく、仕事や先輩を通じて自ら学ぶ姿勢ことが大切だ、とおっしゃられた。
それらの話から、ただ、営利活動に効率よく働く、いわゆる企業戦士になるのではなく、先輩の姿から学び、自立したよき社会人、社会との間でGive&Takeのでいる社会人にさせることのできる会社こそが、最良の教育機関なのだと感じました。
社会に生かされ貢献することのできる社会人となれるように努力してゆきます。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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●人生学
私たちはこれから、社会に出て行く。
学校の枠を越え、次のステップに進む。
高瀬拓士先生に最後の授業としてお越いただき、人生についての講義をしてくださった。
人間の教育には家庭教育、学校教育、社会人教育があり、仕事を教材として社会人としても、会社で学ぶことができる。
さらには、異世代、異業種とも交流する必要がある。
様々な人生に触れ、他の世界も知らなければならない。
社会は自分のやりたいようにやればいい、というようにはできておらず、まずはそのことを知らなければならないという。
私は仕事を始めて、社会人経験をしたいと思っていたが、それは小さな枠組みにとらわれていたと感じた。
社会を知る。それこそが大切なことだと思う。
高瀬先生は、最高に贅沢な生き方をしたい、とおっしゃっていた。
最高に贅沢な生き方とは何か。
それは金持ちになることでも、好きなことをすることでもないという。
先生の今まで生きてきた中で、導き出されたという、人生の鍵とも言えることも教えていただいた。
全世界、人は誰でも、幸せを願って生きている。
幸せとは得られる物やお金の量ではなく、喜ぶ機会の多さであって、多くの場合、苦労によって得られる。
そういうものだ、とおっしゃっていた。
人間の幸福の核心をつくようなお話だと思う。
やりたいことをやることが必ずしも幸せにはならない、とはおっしゃっていたが、夢を持つことは大事だという。
こうありたい、こうなりたいという夢を持つことで、それが原動力となり、その実現にも近づくことになる。
先生のお考えは海のように深く、それら全てがご自身の経験に基づいていることがわかる。
講師の方のお話は最後かもしれないが、やはり勉強になるお話が詰まった、濃密な時間だった。
今後の人生の学びは自分で掴んでいく。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●学び
人が成長する上で、何かを学ぶ上で、異世代と交流することは非常に大切であるとまずお話ししてくださった。
新聞を読むときも、これから仕事をしていく中でも、付き合いやすい人より、色々な世代のいろいろな人間と関わることが
自分の人間の幅を広げていく。
新聞で中国に関する記事を取り上げたことから最初の話題は中国についてであった。
中国の人口13億人という市場はたしかに魅力的なものであるが、その経済的な魅力だけにひかれて中国に進出するというのはアメリカ的発想であるとのことだ。
アメリカにはそういった発想をする社会的な成り立ちがあるからそうなるのであり、日本が真似をする必要はない。
高瀬先生は明確に 「人口、経済で一番になってもしょうがない。幸せかどうかが問題」
とお答えしてくださった。
そして幸せというのはお金を持つことでも好きな仕事に就職できることでもなく、「苦労したことや何かを乗り超えたとき」
の喜びであり、そういう喜びの機会の多さが重みのある幸せになるということだった。
日本人が幸せになれていない背景には教育の問題が大きな理由としてあるようだ。
教育には、大きく分けて家庭教育・学校教育・社会人教育の3つがある。
家庭教育を担うのは親兄弟である。
かつての日本は貧しいながらも不幸ではなかった。
なぜなら貧しいということは喜ぶ機会が多いからである。
しかし今の日本は豊かになったため文句が生まれやすくなってしまった。
だから貧しいのが良いということではないが、豊かになれば幸せになるというものではない。
親が子供にものを与えすぎていることが問題である。
つまり親自身が教育をわかっていないのである。
子どもが欲しいと言うままにものを買うのは金による子育てである。
そこで「うちは貧乏だから買えないよ」と教えること自体が教育である。
そしてそのことで子供がいじめなどを受けないように
家庭が子供を支え育てることが本来すべき教育である。
何でも欲しいものを与えるのが子育てではなく、
あるものを生かす人間力を養うのが
家庭教育の大切な部分であるとのことだった。
学校教育の担い手は小中高大の学校である。
しかし、教育機関であるはずの学校が今行っている教育は
偏差値や良い就職など目先の利益を求めるようなものばかりである。
学校がすべき教育は、
わからないことにぶつかった時に調べ勉強することのできる"基礎学力"と
年相応の大人になるという"人間力"を育むことである。
このことは家庭教育も同じである。
特に大学であれば企業と連携するなど
異業種と手を組むことでより充実した教育を行うこともできる。
大学生の、授業時間以外の時間は暇な時間ではなく、自ら勉強をする時間であり、
改めて、学校という場が勉強するための場であることを
学生も大学も理解しなくてはいけない。
そして社会人教育の担い手は企業である。
今の企業で社内教育を充実させているというところは
まだ所詮企業戦士を育て利益を獲得することが目的である。
しかし高瀬先生が思う企業教育は全く異なる。
高瀬先生は仕事で海外経験を積んだことから国際感覚を身に着けた。
また日立の「コンピュータ技術は目先の損得の為ではなく、
将来の日本にとって必要な技術である。日立がやらなくて誰がやる」
という姿を見て働いてきた。
高瀬先生が受けた社内教育とは、社会の貧しさをカバーする企業の社会貢献の一部であり、
現在の社内教育のような企業戦士育てとは全く違った。
仕事はお金を貰うためにやむを得ず行うものではなく、仕事こそが自己成長の教材であるとのことだった。
だからこそ高瀬先生は社員の評価を成果主義ではなく成長したかどうかで決める。
このような素晴らしい会社が日本にもっとあれば 日本は立派な大人が増える。
高瀬先生は「子どもは親の背中を見て育つ。
見せれる背中を大人は持っているだろうか」 ともお話ししてくださった。
立派な大人はまだ少ないように思う。
教育というと対象は子どもと考えがちだが
生涯を通して大切なものなのだと強く感じた。
個人的な質問として
日本の若者とアメリカの若者での歴史の関心の差について質問したところ、
一つはアメリカが強い競争社会であること、
二つ目に愛国心が強いことを教えてくださった。
日本では愛国心というと偏ったイメージがいまだある。
しかし、今の誇りを失った日本とアメリカとの差には
愛国心も重要な要因であると感じた。
愛国心を教育に直接組み込むのは難しいが
それが勉強や成長への意欲につながると考えれば
教育の質を上げる重要な構成要素であるはずだ。
今の日本には必要なものである。
海外の教育や人の育ち方を見比べることで
見えるものがあるのだと分かった。
これからも様々な教育について勉強していく。
From:大森俊通@東京校5期生(東京都出身・琉球大学卒)
平成26年(2014)【3月24日(月)】 事業創造/鳥越昇一郎先生、日経新聞学/細矢明信先生
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9:00 朝礼
9:45 新聞アウトプット
13面「クラウドファンディング普及」by佐藤
クラウドで、どんなものなら応援したいと思うか議論
1面「社員の発明報酬に基準」
この制度でどう変わるかについて議論
7面「ロシア、2基地を管理下」
ウクライナの問題についてどんな問題なのかを確認し、議論
11:05 事業創造/鳥越昇一郎先生による講義
・事業創造が今後必要になってくる
・先輩の事業創造
11:45 昼休憩
12:40 事業創造発表
・今泉さんのビジネス発表「企画会社」
・牛島事業創造発表「ワークショット」
14:05 休憩
14:15 再開
・佐藤くん事業想像発表
「文壇バー+シェアハウス+ゲストハウス」
・大森くん事業創造発表「偉人塾」
・高岸くん事業創造発表「自転車リサイクル」
15:25 聴講生による感想
15:30 事務局松本さんのお話
15:35 鳥越先生による総括
15:45 休憩
15:50 クラウドベンチャー大學の説明/今元事務局長
16:30 休憩
17:00 「日経新聞の読み方」細矢明信先生の講義
・景気指標や景気動向の見方
・川上、川中、川下から将来の農作物や金属の値段が分かる
・内閣府も採用している景気指標の読み取り方
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●事業創造
鳥越先生の私たちへの格別のご支援には、本当に心から感謝している。
お忙しい中、メールなどでも丁寧なアドバイスをくださり、
この最後の授業でも、私たちへの、ベンチャー大學への想いを熱く届けてくださった。
発表はまだ至らないことが多い。
この日は学生さんが多かったが、卒業式では経営者の方々がほとんどで、
また違う環境だ。
ベンチャー大學でも最も大きな講義である事業創造で作ってきた成果を、
しっかり伝えられるように、心構えをしてのぞむ。
「志」という言葉を強調しておっしゃっていた。
志とは、社会に貢献する熱い意志。
そのような信念が、結局のところ、一番の力になると思う。
志を高く、事業創造で培ったベンチャー魂を忘れず、今後も邁進していく。
●日経新聞学
日経新聞は情報が多く、読み解くのは特に難しいが、細矢先生はその鍵を
示してくださる。
お話を聞いていると、難しいと思った数字に関して、その繋がりの根拠が見えてくる。
ずっと放棄してきた数字情報の紙面にも、その航路が浮かんでくるようだった。
情報を取り活かす。
実際の生活で使うための日経新聞学だ。
それ以上の魅力があるだろうか。
一年間を通して、私たちに将来へのお導きをくださった。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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●最後の事業創造
主に志と夢の違いを語ってくださった。
自分がいなかった最初の頃にもいわれた事があるそうですが、
最後に言われて本当にそうだったなと感じました。
この1年、進んだり戻ったり全く別の方向に進んだり
いろんな模索をしました。
ヒアリングの重要性や、一見ビジネスにならない物でも、見方や筋の通し方で
魅力的なビジネスにかわる事などいろんな事を教わりました。
結果として、今できている私の事業は、一つ一つが小粒な物でロマンがないと
言われる事業ですが
しかし、あと3日最後の締め切りまで、わくわくするロマンのある物を作り、
今まで根気よくつきあってくださった、鳥越先生に恩返しをできるように
最後まで練り直してしきます。
●今元さんのクラウドファンディングの説明
何となく引きつけられる。
目線や声の掛け方、声量などプレゼンをする上で
いつ聞いても勉強になる。
特に、これから卒業式のスピーチをはじめ
これからの社会人、起業人となる上で、
絶対に必要な要素だと感じる。
相手に熱意が伝わるプレゼンができるように
考えて練習していきます。
●日経新聞学
今回で、何回目になるか分からないが、
毎回違う話し方切り口で話してくださるせいか飽きがこない。
日経新聞の読み方は難しい。
しかし、何度も聞いているうちに少しずつ分かってくる。
難しい事を分かりやすく噛み砕いて説明できる事は
社会人として必須だと考えていますので、
細矢先生のような話し方ができるように訓練していきます。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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