平成25年(2013)【8月20日(火)】 人生を考える/高瀬拓士先生(株式会社日本コンピュータ開発 相談役最高顧問)

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●1日の流れ
10:00 講義「人生を考える/高瀬拓士先生
(日本コンピュータ開発 相談役最高顧問)」
・高瀬社長の生い立ち
・日立製作所入社、コンピュータ開発へ
・京都の会社へ転職、取締役工場長に
・アメリカでの子会社設立、経営
・日本へ帰還、日本コンピュータ開発経営
11:45 高瀬社長と会食、懇談
・熊本講演で出会った、たくましい女性経営者達
・NCKの本の出版
・注目されるコマ大戦
12:07 ビデオ鑑賞
・障がい者雇用
・海老名工場の写真
12:30 講義終了、近くのマクドナルドへ移動
13:00 新聞アウトプット
・対話アプリ10億人突破(高岸)
LINEの可能性について
・街の喫茶店 チェーン化(佐藤)
街の喫茶店はどうなるのか?
14:10 終礼
14:32 解散
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●高瀬先生講義
・行動指針「本音で語ろう」
これができないから社会に閉塞感が生まれる。
社内でも同様に本音で語ることができないようなら
その場の流れや上司の意向に従わざるを得ない状況も生れるだろう。
高瀬先生の場合、本音を語れるような独自の社風にするため、
日本コンピューター開発を親会社の意向にも従わない会社にした。
そういった伸び伸びとしたところと、 誠心誠意に社会への貢献を
目指しているのが高瀬社長のように感じた。
・行動指針「出来高だけではなく、努力や誠意を含めて評価する」
失敗も含めてその過程も評価することが大事である。
アメリカから来た成果主義は日本人を傲慢にもしてしまった。
採用や配属の仕方が全く違うのに、自分が成果を上げたのだからと
会社を無碍(?)にしたり、他赤字部門で働いている人を差し置いて
自分の成果の主張ばかり するのはおかしな話。文化的背景の違う
アメリカの仕組みをそのまま持ってきたのがおかしいのだろう。
グローバリゼーションは単に外国の真似することではなく、
自国の良いところを維持しながら、外国の良いところを日本社会に
適するように消化して取り入れること。
日本のよさまで捨てて真似することではない。
・大事なのは年相応な基礎人間力と学力を持っていること
ベン大生は志も含めて大きなことを言うが
学生時代の学びが不十分で未熟なまま、大きなことを言うだけでは
中身が伴って来ない。
大事なのは、先ずは年齢相当の人間的成長に努め、その上で社会を見ると、
自分が何をしたら良いのかが分かってくる。
ベン大生活で様々な講師にお会いして体験や意見を聞いたり、 歴史施設を
巡るなどして学び、先ずは力量を身につけ、社会を見る 冷静な目線も大切である。
・今の社内教育は企業戦士を育てるだけ
高瀬先生が働かれていた時代の日立製作所では社員教育が充実しており、
社内教育で高等教育を受け、東大で学ぶこともできたそうだ。
今の教育との違いは地域・社会、そして企業も一緒になって人を育てるという感覚だろう。
今の社会では、親の子育ても教育も、人が育てるというよりお金が育てている
ような状況の為、お金が必要になり、お金が足らず、少子化にもつながる。
教育で一番大事なことは、内容云々以上に地域社会が人を育て、それが社会
に還元されるという構造に感じた。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・高瀬拓士先生の講義
人生というテーマで高瀬先生の社会人人生を話していただいた。
英語も話せない状況でアメリカで会社を作るなど、
そんなことできないと思うような状況でもなんとかし、
結果を積み上げてきたという中で、一貫して筋を通してこられた姿勢がすごい。
自分は少しの困難であきらめてしまうことが多いが、
高瀬先生を見習い、何とかする方法を模索して実行する。
お話の中で、まずは基礎学力などの基礎をつけて年相応の大人になることが必要だ、
というお話が特に印象に残っている。
ベンチャー大學に入って半分を過ごしたにもかかわらず、
自分はや るべきことができていなかったり、元気がないといわれたりすることがあり、
基礎がなっていないと改めて気付かされた。
社会人としての基礎を学ぶために入ったはず。
改めて自分の態度、行動を見直すいい機会となった。
態度・行動を改めて基本を徹底する。
アメリカへの子会社つくりに当って、賃金が安いからという理由で海外進出をするという
考え方はとらなかった。 それは安い賃金で利益を搾取して、給与水準が上がったら引き
上げるという考えが嫌だからだったそうだ。
そういう考え方ができることそのものがすごいと思うし、
目先の利益よりもそういう道理などを重んじられる姿勢がかっこいい。
こういう姿勢をを私も見習い、実行する。
うまいことしてやろう、と考える人はどこかでばれる。
日ごろから良いことをして、目先のこと以上のものを見ることができるようになる。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●人間力と志
第二回目となる高瀬拓士先生の本日の講義は、先生ご自身の人生についてのお話でした。
貧しい家庭に育ったゆえに普通高校、大学進学を諦めなければ
ならなかったということですが、
それからのチャンスをことごとく掴み、勉強できる場ももらい、
結果も残すのことができたということです。
環境に恵まれてきたようにおっしゃっていましたが、
先生の成功はチャンスを掴んで乗り越えてきた「人間力」にあると感じ、
その力が並の人と違うのだろうなと思いました。
先生はその力の元は、「貧しかったが幸福だった幼少期」にあるように
おっしゃっていました。
今の日本の多くの人は、金持ちだが不幸。
育ってきた土壌から生まれる差はとても大きいだろうなと思います。
私たちは貧しい幸福を体験するには遅いですが、高瀬先生のような
お話を聞いて実行していくことで、人として変われるのではないかと思います。
高瀬先生がご自身の会社で定めた二つの行動指針も印象に残りました。
・本音で語る。
・出来高だけでなく、社員の努力も評価する。
の二つです。
高瀬先生のお話は、全て本音なのだと感じました。
だからこそ説得力もあるのだろうと。
ベンチャー大學に対する厳しいご意見もいただきました。
しかし、先生はおっしゃいました。
大いに差し障りのある話をしなければならない、差し障りのある話を
聞かなければならない、と。違う意見をたくさん聞いて、自分の考えを
作り上げていかなければならないと教わりました。
それには本音でなければ意味がないでしょう。
裸でいることの大切さをまた学ぶことができました。
私も本当の意見で生きていける人間になります。
自分だけ楽しむという生き方は社会を利用しているといいます。
高瀬先生は「言うこととやることが一緒でなければならない」という
信念のもと、社会のために、日本のために、「志」をしっかりと掲げて
働いてきたのだと思います。
高瀬先生は最後に人生で一番大切なのは「人間力と志」とおっしゃいました。
私もこれから様々なお話を聞いて人間力をつけ、志を高く掲げて、
長い人生を駆け抜けていきます。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●1分間スピーチ
今日は、久しぶりということもあったが、
声が小さく、話もまとめ方が下手だった。
最初の出番だったので、
もっとしっかりとしなければならなかった。
次は、声に気を付けてアウトプットするようにしたい。
●高瀬拓士先生の講義「人生を考えよう」
高瀬先生のお話を聞き特に感じたことは、
普通が間違っているという事を感じられているといことです。
「人生の楽しみ方」
最近の流行りである人生を、楽しむではなく、
楽しむところを自分でつくる。
社会や日本を一方的に利用するだけではなく、
自分も社会の維持発展に何らかの形で貢献すること、
それが一人の日本人としての責任だと言われていた。
「努力を評価する」
従来の成果主義のように、出来高だけをみるのではなく、努力も評価する。
誰かに決められて、たまたまやったことなのか、
または、自分一人で決めてやったことなのかなど、
一人の意思を大事にし、利益は一人ではなく、
全体で共有することを大切にしているようにする。
「社内教育」
今の若者は、社内教育を基準として、
会社を選ぶ人も多く、自分もその一人であった。
しかし、今の会社で行われる教育は、
企業のコマを作り出すためのものになっており、
一人の人間を育てるものではない。
教育を施されたとしても、
それは、会社の利益にのみ還元され、
社会に貢献がされない。
自分たちベン大生は、社会に貢献するために、
何ができるかを考え取り入れた
ビジネスモデルを考えて行かなければならない。
「ビデオ鑑賞」
障がいを持った人のためと思って作った制度より、
働く中で、彼らが仕事をし易い様に工夫して作った制度の方が、
役に立ったという話が印象的だった。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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・新聞アウトプット
チャットアプリが注目されているという記事と、
ネスレが喫茶店に看板を貸し始めるという記事について議論した。
チャットアプリについて、今日本ではラインが広く使われている。
過去のやり取りもメールのようにいちいち開かなくてもぱぱっと見れるし、
広告も自分の興味のあるものを能動的に見ることができる等、
企業で使っているところも多くあるそうだ。
個人の視点からしか普段見ないが、確かに企業目線でも遠くの人と
会議をし、議事録も書かなくていいなどメリットが大きい。
今後どんな使われ方が出てくるのか見ていく。
ネスレが喫茶店に看板を貸し始めるという記事で、
仕組みとしてお互いにwinwinの関係にあることがいいなと感じた。
また、看板貸しでいくということは雰囲気などは店によって違い、
本当に味(香り)のみで勝負ということだ。
ネスレのコーヒーを意識して飲んだことはないが、どんな味なのか少し気になる。
流行るかどうかが一番大事なので、見かけた時はのぞいてみる。
●一分間スピーチ
静岡県富士市のB級グルメであるつけナポリタンを軸とした、
地域の活性化についてスピーチした。
お盆休み前のスピーチで指摘されたことを意識しながら発表したが、
声の大きさと時間配分に対しての配慮が足りていなかった。
松本さんが最初の一声で指摘して下さらなければ、声を出せない
ままでスピーチをしていたことだろう。
ハッキリと声を発すること、特に出だしにおいては、印象を変える
要素となりうるだろうと感じた。
また、規定時間を越えて焦るのではなく、1分間の中に、
どうにかして収めてスピーチをしようという意欲が、自分には必要だ。
●講義での気付き
(株)日本コンピュータ開発の高瀬拓士先生から、人生を歩む
上での考え方の基本を、ご自身の経歴を交えて御教授いただいた。
グローバル化が日々進む現状の日本の奇妙な点を変えていくためには、
アメリカ発の、形を真似ただけの成果主義を脱し、日本文化に
沿うような企業風土を広めることなのではないだろうか。
それが、個人の幸福感の増進を促し、ゆくゆくは、日本という国と
しての個性を磨くことに繋がり、真の意味でのグローバル化が起こる。
以上が、高瀬先生のおっしゃられたことを私なりに解釈した結果である。
単に英語が話せるからという理由で、国際人になれるのではない
ということを、高瀬先生の海外での経験のお話も含めて、学ばせていただいた。
また、細かいことではあるが、講義中、高瀬先生は「人間に
完璧な人はいない」ということをおっしゃられた。その後よく
聞いてみると、先生自身が、「~と、私は思います」という風に、
全てを結論づけないような言い回しをされていたことが付いた。
あくまで、これは一つの意見であって、より様々な物の見方が
できる、という高瀬先生のお考えの表れだったのだろうか。
今日の講義には、これからの人生を考えるためのヒントが多く、
特に、今出来ることを、出来るときに、精一杯、信念を持ってやる
ことが、初めの一歩だと感じた。
From:和田将寛(神奈川出身、富士常葉大学1年)JVU東京校5期生ダッシュ生
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●「生き方について」
日本コンピュータ開発相談役の高瀬拓士先生のお話を聞かせて頂きました。
本質的なお話でした。
なぜ起業をするのか。
行う事業にどんな意味があるのか。
起業するのであれば、この問いに、自分も相手も納得させられる答えを
持っていないといけない。
答えられないようであれば、まず基礎を固めて、自分をしっかり
作ってから起業をすべきで、そうすれば、自分が何をやるべきか
自ずと見えてくると、教えて頂きました。
仮に起業をしたとして、何をもって成功というのか。
お金を稼げたら成功か。モノやカネがあれば幸せか。
そこをしっかり考えないといけない。
高瀬先生は、小さい頃、貧しい家計で育ったそうです。
しかし、それが良かったと言われます。
今の子は、1つでも思い通りにいかないとキレる。
しかし、高瀬先生の幼い頃は、何か1つでも良いことがあると
幸せを感じられた。
どちらが幸せか。
僕は、幸せや成功について勘違いをしているかもしれない。
それが生き方にもつながってくる。
From:井浪康晴(京都府出身、鳥取大学卒)JVU4期生ならびにJVU実行生
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●会社で大事にしている、2つの行動指針
人を育てるうえで、日本コンピュータ開発様が大切にする、2つの行動指針に
ついて教えて頂きました。
一、本音で語る
二、出来高ばかりでなく、 誠意・努力も含めて評価する
です。
未だに日本は成果主義のために、会社では失敗を周りに言いずらく
なっていると先生はおっしゃいます。
失敗をしてもごまかさず、一生懸命した失敗は許し合える環境。
伸び伸びと働ける社風は大事です。
二つ目の行動指針は、日本企業で働く人は、アメリカの成果主義と
同じ考えで、個人が成果の対価を主張をするべきではない、
とおっしゃっています。日本では会社の都合で自分の勤務先は
配属される、一方でアメリカはまず先にプロジェクトを立てる。
人の評価は売り上げだけでは計れないので、会社の行動指針として
きちんと誠意や努力を認める環境である事も、人を育てる上で
大切なのだと感じました。
●自信なんて無い。ただ目の前の事に真剣になる
高瀬先生は日立製作所に入社した後も、当時赤字だった
愛知県の工場の取締役になり会社の建て直しをしたり、
その工場の命令でアメリカへ行かされ、会社を作ったりと
人並み以上の苦労を経験をされています。
先生は「出来る自信なんてなかった。ただ、やるしかなかったから
努力したらできてしまった」とおっしゃっています。
しかし、先生の断らずただ目の前の事に誠実に向かう姿勢と、
何があってもへこたれないたくましさがあるからこそ、
ここまでやって来れたなのだと感じさせて頂きました。
社会や人生とは初めての事だらけで、任された事を出来る自信が
初めからある方は稀だと思います。
ただ自信はないけどやるしかない状況のとき、断らずに目の前の事に
一生懸命になれる高瀬社長の様な方と、諦める方で差が出てしまう
のだと感じました。
私も途中で諦めて、「あの時やっておけば良かったな…」と後で
思い返すことがよくありますが、ただ目の前の事に真剣に臨み、
がむしゃらに出来る事を尽くせる人間を目指します。
そして自分の為だけではなく、日本の国の役に立てる仕事を
したいです。
From:小林諒也(北海道出身、公立はこだて未来大学院卒)JVU4期生ならびにJVU実行生
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平成25年(2013)【8月10日(土)】 世田谷松陰神社通り教室 開校イベント「クワガタ・カブトムシ無料配布」開催」

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●1日の流れ
1.イベント準備
2.世田谷松陰神社通り教室 開校イベント
「クワガタ・カブトムシ無料配布」開催
9:00 集合、朝礼
9:30 リハーサル
・本番のように通しでリハーサル
・反省会
10:30 準備
12:00 交代で昼食
13:00 松陰神社通り教室の開校イベント 第一部開始
①カブトムシ、クワガタの捕まえ方
②カブトムシ、クワガタの育て方
③カブトムシ、クワガタ対決
・各自パート毎に分かれて講座
・終了後にカブトムシ、クワガタ無料配布
14:00 第二部開始
15:00 第三部開始
16:00 片付け
18:00 打ち上げ
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●リハーサル
自分たちがやったのは幼児向けで
寒い・・・とのことだった。
子どものイメージがうまくいってなかったのだと感じる。
佐藤さんと二人での発表だったのに
二人での打ち合わせや練習が足りなかったと感じた。
つかみの流れやテンポなど
聴きやすく飽きないように
聴き手のことを考えて内容を考えなくてはいけなかった。
●イベント開始
実際に発表をしてみると
1回目はあまり改善されてなかったのか
反応が良くないように感じた。
練習がきっちりできてなかったのが
発表の時の恥ずかしさや
子どもの反応を探りながらやるような
変な間を作っていたのかもしれない。
2回目は佐藤さんに代わって和田さんが
発表に加わったが、
上手に笑いを入れてくれたことで場も和んだ。
虫の捕まえ方の説明も当然大事だが
笑いをどのように入れるかというのも
事前に相談してうまく取り入れるべきだった。
3回目は佐藤さんともう一度やったが
幾分かよくなっていたと感じる。
ただ自分の反省としては
発表の時に具体的な数字を使ったが
有効な使い方ではなかったことだ。
これからは言葉の一つ一つにも
聴き手にどういう印象を与えるのか
ということを考えながら発表をしていく。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・イベント開催準備
リハーサルや場所のセッティングをした。
まずリハーサルを今元さんに見ていただいたが、
小学生ではなく園児向けになっているとご指摘を頂いた。
私はあまり小学生と関わることがないため、実際より
幼いと思い込んでいた。
その分、子どもがおられる今元さんは実情を正確に把握されていた。
関わってみなければ実情が分からないという良い例だ。
ベン大で関わらせて頂いている世界以外にも、
自分で世界を広げていかなければ。
・イベント開催
イベントを実際に行ってみるとクワガタやカブトムシを
配る人の配役など想定していなかった部分があった。
今回については実際にやってみたからわかったこととも
言えるが、はじめから最後まで通してリハをしたり、
一人ででも流れを考えてみれば必要なことは分かったはず。
事務局に全て任せて、自分たちは与えられた環境に
身を任せてしまっていた。
こういう部分が受け身と言われる所以。
全体を通して自分に何ができるのかもっと考えなければ。
意見を多少言おうとも根本を考えなければ同じことだ。意識する。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●開校イベント「カブトムシ・クワガタ無料配布」
13時、14時、15時と、3回行った。
9時に集合し、始まるまでの時間を準備とリハーサルに使った。
考えてきたリハーサル通りやってみると、対象年齢が
低すぎて寒いと指摘された。
幼稚園児対象のようになってしまっていて、年齢の
感覚が掴めていなかったことに気づく。
話し口調など、場に合ったものに臨機応変に変えなければ
ならないと思った。
井浪さん、牛島くんによる、カブトムシ・クワガタ対決の
リハーサルは完璧だった。
13時からの捕まえ方講座を大森くんとやったが、散々なものだった。
テンポは悪いし、声も出ない。抑揚もつけられなかったし、
反応も悪かった。初めに子ども達が入ってきたときは
気分が高揚して楽しくなって、上手くいくのではと思ったが、
いざ前に立つと全くできなかった。
伝えることを意識して、子どもたちと対話できれば
良かったのだが、全然できなかった。
自分の描くイメージを、前に立つと全くできなくなる。
次の回では外されてしまった。正直悔しかったのと同時に、
安心したという気持ちも強かった。
逃げたい気持ちは強かった。
しかし代わってもらったヤングダッシュ生の和田くんが
成功すると、このままでは終われないという思いも出てきた。
そんなときに今元さんに3回目をやらせていただいた。
直前だったのでとても焦ったが、機会をいただいて
本当にありがたいと思う。
結果は満足できるものではなかったが、一度目よりは
良かったと言っていただいた。
これから、人に伝える、教えるという技術を私なりに磨いていく。
多くの人の前で話すというのは怖いが、ベン大である以上、
恐れず挑戦していく。
貴重な経験をさせていただいた。
●子どもたちに必要なもの
イベントは大成功で終わり、そのあと公園にも子ども達が
いるというので、欲しい子にはまだいるカブトムシをあげる事にした。
行った時は数人しかいなくなっていたが、女の子3人と
お母さんがいて、カブトムシに興味を持ってくれた。
興味はあるも、怖がる女の子たち。
箱を開けて、出したりして見せてみる。
するとはじめは怖がっていた子達が徐々に近づいてきた。
「きれい」、「かわいい」というようにもなり、
ついには手で持てるようになってしまった。
お母さんは怖がるも、女の子たちはカブトムシにベタ惚れで、
「飼いたい!」とねだる。
そしてお母さんもOKを出し、女の子たちは笑顔で
カブトムシを持って帰った。
女の子達と会話をし、カブトムシに興味を持って、
だんだん好きになってくれたのが、たまらなく嬉しかった。
お母さんも怖がりながらも、子どもたちがカブトムシと
触れ合っていることが嬉しそうだった。
やはり親御さんも子ども達のそのようなふれあいを
求めているように感じた。
なんだか、もの凄く大切なことをしたような気がした。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・イベント開催準備
リハーサルや場所のセッティングをした。
まずリハーサルを今元さんに見ていただいたが、
小学生ではなく園児向けになっているとご指摘を頂いた。
私はあまり小学生と関わることがないため、実際より
幼いと思い込んでいた。
その分、子どもがおられる今元さんは実情を正確に把握されていた。
関わってみなければ実情が分からないという良い例だ。
ベン大で関わらせて頂いている世界以外にも、
自分で世界を広げていかなければ。
・イベント開催
イベントを実際に行ってみるとクワガタやカブトムシを
配る人の配役など想定していなかった部分があった。
今回については実際にやってみたからわかったこととも
言えるが、はじめから最後まで通してリハをしたり、
一人ででも流れを考えてみれば必要なことは分かったはず。
事務局に全て任せて、自分たちは与えられた環境に
身を任せてしまっていた。
こういう部分が受け身と言われる所以。
全体を通して自分に何ができるのかもっと考えなければ。
意見を多少言おうとも根本を考えなければ同じことだ。意識する。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●【イベント終了】
東京校学生がクワガタ・カブトムシの採取を鹿児島県に
行って行い、1500枚のチラシ配りをして準備に準備を
重ねたイベントを遂に行いました。
どこか地域の商店街に入ってイベントをする事は、
5期生には初めての経験です。
私は子ども達の前で、初めて講座を行いました。
与えられた時間は10分と短かったですが、自分がうまく
喋れるのか、子ども達に受け入れられるのか・・・不安と緊張で
いっぱいでした。
私は"クワガタ・カブトムシの育て方"について、
〇×クイズを作って講座をしてみました。子どもが楽しんで
学ぶには、クイズ形式が最適だと思ったからです。
結果は、うまくできたと思います。子ども達が「へぇー」と頷いたり、
「知ってる!はいはい!」や「2番!」みたいに答えてくれて、
反応が結構見られたからです。
大人の反応も良くて、(自分の感覚ですが)大きなうなずいたり、
目を丸くして聞いて下さる方が多かったです。
講座後に親に質問された時は、自分の話をきちんと
聞いてくれたのだと感じて嬉しかったです。
やってみて感じたことは、子供達に何か教えるためには、
「子どもとの対話」が1番大切だということです。
大人が誰かの講座を聞く場合でも、講師と見る側に対話がなく、
一方的に喋る講演や講義はつまらないものです。
子どもは大人より集中力がないため、同じ様に講座をしても
きっと集中して聞いてくれないでしょう。
集中力が続かない子どもに講座を聞いてもらうには、
①子どもとの対話する事が必須。そして②子どもが普段から触れている
ツールやもので教える事、が良いのだなと学ばせてもらいました。
今回実際に子供達の前で話せて、とても楽しかったです。
一方的にものを教える時間にせずに、ただ子供と話をしに来た
くらいのつもりで話しました。それ位お互い肩の力を抜いて
話すのが良いのでしょう。
From:小林諒也(北海道出身、公立はこだて未来大学院卒)JVU4期生ならびにJVU実行生
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平成25年(2013)【8月9日(金)】 クワガタ・カブトムシ無料配布イベント準備
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●1日の流れ
1、チラシ配り
2、イベントのリハーサルや準備
9:00 朝礼
9:20 チラシ配り
11:00 昼食
11:30 翌日のイベントの打ち合わせ
椅子の配置やイベントのリハーサルなど
14:00 クワガタ・カブトムシ、仕分け、餌やりなど
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●チラシ配り
配る中でおじいさんから胡散臭いと言われた。
理由はチラシの下に書いてある教室について
値段の表記がなかったことにあり
信頼できないとのことだった。
反応が過剰にも見えたが
納得のいく部分もあった。
どのようにして信頼を得るかというのは
チラシを作る段階でも大事だと感じた。
●イベントリハーサル
子ども向けにどのように魅せるかというのは
大人以上に工夫がいると感じた。
難しいことを言っても退屈だし、
かといって子ども扱いしすぎても冷めてしまう。
どのようなリアクションになるのかも想像しづらくて
苦心した。
どれくらいの年齢が来るのかを想像したりして
反応をイメージしたりもするが
それが難しいのは子どもと接する機会が少ないからだろう。
ターゲットについて知らないと
何をすればいいのかというのを考えるのも難しいと感じた。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・イベント開催準備
小学生向けのクワガタ・カブトの無料配布イベントのための準備として、
ビラ配りとクワガタ・カブトムシの移動を行なった。
移動、保管をしてみてカブトムシの力の強さや、クワガタの気性の
荒さなどで大変だった。
荒々しくたくましく。虫の王者の貫禄を感じた。
ビラ配りは興味を持ってくれる人が多く、受け取っていただきやすかった。
ただ、渡すだけとなってしまい興味を持ってくれるための工夫を
あまりしなかったことが課題だ。
次はいかに来てもらうか、の工夫をしてみる。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●松陰神社通り教室の開校前日
開校イベントである、クワガタ・カブトムシ
無料配布イベントの準備を行った。
駅や教室前でチラシ配布を行ったが、反応は良かった。
世田谷・若林の皆さんは温かく、カブトムシ・クワガタ無料配布という内容も
関心を持ってもらいやすいものだったと思う。
チラシ配りはとにかく積極的に向かうべきだと思った。
どんな人が反応をしてくれるかは向かってみないとわからない。
意外な人からご家族などに伝わり、来客に繋がることも多いのでは、と思った。
イベントは無料配布だけでなく、捕まえ方や育て方の講座、
カブトムシ・クワガタ対決を分担して行った。
私は大森くんと捕まえ方講座を担当し、この日は練習とリハーサルを行った。
形は二人の対話形式で寸劇のようにすることに決定。
はじめにアドリブでやってみたが、私は全然できなかった。
やはり脚本を書いてやるしかないと思い、その日に書いて次の日の
準備に備えた。
アドリブでできなかったのは非常に悔しかったが、私は私のやり方で
やるしかないと、気持ちを切り替える。
この日は準備が終わらず、また買い物もあって終電を逃す。
松本さんを含めた数人で宿泊。
クワガタ、小虫たちとともに一夜を明かしたが、意外と楽しかった。
次の日のイメージトレーニングをしっかりしたかったが、体力が続かず就寝。
翌日に懸ける。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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平成25年(2013)【8月7日(水)】 大津島・回天合宿二日目、日本ベンチャー大學・全国会議、 児玉源太郎ツアー(希望者のみ参加)

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●1日の流れ
6:00 ラジオ体操、スクワット、海に向かってヤッホー体操
6:30 回天発信訓練基地跡散策
7:30 朝食
9:30 回天とは
・池田勝武先生のビデオ視聴
・鹿屋についてアウトプット
10:30 全員でアウトプット
各一人一人アウトプット
11:00 日本ベンチャー大學・全国会議
各校ごとに独自の取り組みなどを発表や意見交換
13:00 大津島出発
13:14 徳山到着
14:00 児玉源太郎のゆかりの地めぐり
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●回天訓練基地跡散策
基地までのトンネルはとても閉塞的で
重苦しいものだった。
あそこを通って基地に行くというのも
考えてみればとても嫌なものだと感じた。
基地に行って見ると廃墟ではあったが、
当時の形を想像するには十分なだけは
形が残っていた。
夕日がきれいな場所として
観光地としてもアピールしていくようだが
それと同時に回天について忘れないために
多くの人に来てほしい。
●ベンチャー大学全国サミット
各分校の取り組みを知ることができた。
聴いてみると独自の取り組みも多く
名古屋校などは株を運用したり、
自分たちで朝の勉強会を設けたりしているようだ。
東京校も毎日あるだけに
他の分校にないところがあるのは当然だが、
他の分校にも負けないように
分校の良いところを取り入れながら
本校ならではの取り組みを行っていこう。
●児玉源太郎めぐり
大津島から戻り
児玉源太郎生誕の地、徳山をめぐる。
児玉公園にある銅像は
今元さんや陳さんにとって思い出深いものだそうで
自分たちも記念の写真を撮った。
児玉源太郎といえばキーワードは
日露戦争と台湾であるが
児玉公園と児玉神社のすぐ近くに
台湾から持ってきた松が植樹されていた。
台湾には児玉源太郎の銅像があって
徳山には無かった。ようやく銅像ができたそうだ。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・回天合宿二日目
朝の散策からスタートした。
どういう気持ちで練習や発進のための洞窟を通られたのか
想像しながら歩いてみたが、
怖いという感情が大きかった。
これを克服した先が、あの写真などで見た笑顔なのかと思うと、
20才になるかどうかの年代でそこまでに達した方々は
やはりすごかったのだなと改めて感じた。
基地あとは昨年も見たが、新たに気づくこともあり、
現場に一度いくだけで満足してはいけないのだなと感じた。
今回もまた、知識や気づき力が足りないために
気付けなかったこともあるのだろう。
また来て新たな気付きを得る。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●大津島
朝は散歩をして回天訓練場、回天記念館をまわった。
訓練場へはトンネルを抜けて向かう。
回天の訓練は常に死と隣り合わせだという。
国や大切な人を守るためとはいえ、命を差し出すために、
命をかけた訓練に向かう。
回天の操縦は難しく、特攻兵器の中でも一番訓練を要するという。
訓練を乗り越え、回天に乗って発進をした隊員の強さには
心から敬服する。
訓練場は跡がしっかり残っていて、回天を降ろす穴などが
しっかり見えた。
皮肉にも景色がすごく綺麗だった。
回天のこと以外は、長閑でとっても魅力的な島だった。
トンネルの途中に当時の拡大写真があり、回天隊員の
一人の遺書も書かれていた。
「お父さん
お父さんの髭は痛かったです。
お母さん
情けは人の為ならず。
和ちゃん
海は、私です」
和ちゃんとは兄弟だろうか?恋人だろうか?
最後の一行が胸に響く。
この方の存在と想いは現代の私たちにも届いたようだ。
●アウトプット
大阪校、名古屋校、山口校と、全員でアウトプットを行った。
大人数でのアウトプットは圧巻。
他のみんなからの学びも多かった。
回天乗組員から、自分がなんとかするという
他人任せにしないという考えが伝わってきたということや、
昨年講義をしてくださったという池田さんの映像に
心を動かされたという意見にも共感できた。
私個人のアウトプットは、長々としてまとまりのない
ものになってしまった。伝えることを意識して、
わかりやすくすることを心掛ける。
次回の全国合同の場では、東京校は格が違うと思って
もらえるように、これから成長していく。
最後の大阪校事務局の安井さんの「今回の合宿のことを
一日一人に伝える」という具体的目標が参考になった。
私も今回の経験で得た学びは最大限に生かしていく。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●大津島回天合宿2日目
朝回天の発射台やトンネルを散策しました。実際その場に
行くと、何か悲しげな雰囲気の場所でした。
そこで特攻隊員がどんな気持ちでこの場所を歩いたの
だろうかなど色々なことを考えながら散歩しました。
少しでもその方々のことを思いながら歩きました。
この2日間、非常に短い時間でしたが、何も回天や特攻隊の
ことを知らなかった私が、実際その現場で過去の話を聞き
目でその場所にいるだけで色々なことを知ることができました。
今の自分が何不自由なく平和に暮せているのは、
先代の方々が国の為に自らの命を犠牲にして
この国を守ったということを忘れずに。
感謝という気持ちを忘れずにこれからを生きます。
私は式典にいけなかったので、一人で原爆ドームを
見に行きました。
あそこで一瞬にしてたくさんの人の命、人生を奪うという
現実が広島であったということを、実際に行ったことで
本当に考えさせられました。
今回このような貴重な体験をさせていただき、本当に
ありがとうございました。これからは日本の歴史に
目を向けて生きていきます。
From: 中村亮介(東京都出身、城西大学3年)JVU東京校5期生ダッシュ生
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平成25年(2013)【8月6日(火)】 平和記念式典参加(in広島)、大津島・回天合宿一日目

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●1日の流れ
7:00 旧広島球場正門前集合
8:00 広島平和式典開始
8:45 山近義幸理事長代行の講義
・平和公園内交番
・マルセルジュノー博士の石碑
・パール判事の石碑
10:30 徳山へ移動
13:00 徳山へ到着
14:10 フェリー乗り場合流
14:40 フェリー出発
15:14 大津島到着
15:30 回天記念館見学
17:00 山近義幸理事長代行の講義
・回天には生存者がいない
・他にも特攻として桜花、震洋などがある。
・やなせたかしさんの弟さんは回天特攻兵
・アンパンマンマーチは弟を思っての歌。
・夫婦特攻というものも行われた。
17:45 夏川和也先生(水交会理事長、第22代海上幕僚長)の講義
・海から見た中国という国
・海洋国家と大陸国家
・中国の戦略
・中国の行動パターン(主張、プレゼンス、実効支配)
・尖閣問題について
・日本の自衛隊について
・邦人輸送についての矛盾
・ポジリスト日本とネガリスト米
・日本は情報に対する認識が足りない
19:00 回天カレー
20:30 映像で見る回天
22:00 懇親会
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●広島平和式典
原爆ドームのすぐ近くで行われたが
昔に一度来たことがあるはずだ。
原爆に関する史料館に行ったと思うが
そのときの記憶がほとんどない。
それだけ不真面目だったということだと思う。
あの一体が原爆によって廃墟になったと考えると恐ろしいものがある。
想像もできない。
それにその廃墟からあの町を復興させた日本人の力もすごいと感じた。
ただ今回山近社長のご案内で知った
マルセルジュノー博士について
何も知らなかったことが
今思うと恥ずかしかった。
この方は赤十字国際委員会の派遣員として
広島への原爆投下の実情を知ったあとで
GHQに医薬品を手配し、広島の実情を知ったあとは
世界で毒ガスや原爆の非人道性を主張したそうだ。
この方について知ることができてよかった。
その後はパール判事の碑を見に行った。
日本無罪論で知ってることもあるが
もっと知りたい。
戦後日本で講演されたときに
30分沈黙し、日本の現状を涙を流しながら
嘆いたという話が印象的だった。
パール判事は若い頃、
インドで日本の日露戦争の勝利に歓喜したという。
そういった思いもきっとあったのだと感じた。
●回天合宿一日目
1、史料館
徳山からフェリーで大津島へ向かったときのきれいな海は
『出口のない海』を読んだせいか、
とても色も質も重々しく見えた。
大津島について史料館にいったが
その入り口には神聖な空気が漂っていた。
史料館玄関まで続く道は
回天でなくなられた方々の名前が刻まれた碑が並び
一歩一歩亡くなった命を数えるような感覚だった。
史料館の中には様々なことが書かれていたが
肌で感じたのは若者の情熱だったように思う。
日本の戦況を打開するために
人間魚雷の開発を上申した黒木・仁科両名の思い、
訓練中になくなった黒木・樋口が書いた遺書の熱意、
残された隊員の「黒木、樋口に続け!」という情熱は
特攻という悲劇的な出来事の中でも
日本を救おうと前向きに使命を果たそうとする
若者の青春を感じた。
戦争や特攻の間違いは当然だが
現地でしか学べない熱のようなものを
肌で感じることができた。
2、山近社長講義
回天は生存者がいない。
その言葉が改めて印象的だった。
他の特攻と違う大きな点であり
忘れてはいけない。
お話の中で回天で亡くなったやなせたかしさんの弟さんのこと、
アンパンマンの歌詞のことも出てきた。
史料館にあったのが
特攻された方々の言葉だとしたら
歌詞に込められたのは
残された人の思いなのだと感じる。
あの歌にそれほどの深い思いがあるとは知らなかったが
聴いていると胸が苦しくなった。
敗戦後の特攻として
神州不滅特攻隊の話も出てきたが
なんと願いのこもった隊名であろうか。
特攻にはただ捨て身で相手を滅ぼすだけでなく
他に深い精神的な意味合いがあるように感じた。
夫婦特攻についても
日本への思いだけでなく
パートナー同士の絆があったから
生まれたのだと感じた。
3、夏川和也先生講義
中国について多く話されていた。
尖閣の問題には海の資源、恩恵が深く絡んでおり
貿易、資源、環境の恩恵をめぐった争いというのが本質のようだ。
夏川先生は感情的にならず
理論的に中国の戦略や日本の現状を話してくださった。
中国の戦略としての
主張、行動、反対者をやっつける
とあう行程は強引であるが
確かに中国のやり方は上手とも感じた。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
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●学んだこと
・平和記念式典参加
広島で、平和記念式典に参加した。
多くの方が参加しておられたが、毎年式典を開くことで
原子爆弾が落とされたという事実を忘れないようになっている。
海外から来られたような方もたくさんおられた。
原子爆弾を落とした立場、落とされた立場、第三者の全てが
おられたと思うが、それぞれがきちんとその場にいる、
という事実はかなり大きいと思う。
風化しつつある戦争体験を次世代に伝える上でも
こういう式典が永続していくことが大切だと感じた。
また、その後パール判事の碑を山近社長に案内して頂いたが、
現場で碑を見るだけではなく、一緒にお話を聞くことは
とても大事だなと改めて実感した。
一部だけとはいえ無罪を主張された方がパール判事以外に
おられたという事実を私は知らなかった。
戦中戦後について改めて勉強する。
・回天合宿一日目
合宿で一番感じたことは「私がどうにかするのだ」という
意思を持っていたからこそ、特攻という作戦にも身を投じる
ことができたのだろうということだ。
今の日本に一番足りない意識だと思う。
かくいう私も人任せにしてしまいがちだ。
自分が、という意識をもつ。
山近社長の講義で、特効兵器がたくさんあげられたが、
それだけなくなられた方がおられるということだ。
ここについて私たちは知識が不足している。
次世代に伝えるためにももっと知らなければならない。
また、アンパンマンマーチの歌詞については初めて知った。
思わぬところから関連が出てきて、過去に本当にあったこと
なのだと改めて意識できた。
夏川和也先生の講義では中国との関係について話していただいた。
諜報を日本はしておらず、情報を海外に頼っているのが現状だそうだ。
それで成り立っているのが不思議なくらいだ。
まさに平和ボケしているのが現状なのだなと感じた。
尖閣諸島についても対応が場当たりなため、問題を許している。
私たちも含め、周りに問題提起していくことで対策を
とらなければまずいという空気を作り出さなければならない。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
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●広島平和祈念式典
前日の前夜式典から見に行ったが、様々な想い、行動が
渦巻いている空間だったと感じた。
平和を祈る人々、原爆被害者を供養する団体、政権に抗議する団体、
それぞれの想いを表現するアーティスト。
平和への願いは同じなれど、それまでの行動、道順は
様々なのだということが複雑だった。
今私に何ができるだろうか。
今回の式典に参加して、また回天合宿に参加して、尊い「平和」
というものについて改めて考えることができた。
誰もが望むもの、現在の生活のありがたさを忘れてはならない。
この日感じたことをまずは周りの人に伝えていく。
式のあとはパール判事の石碑に行った。
靖国神社、京都の方は行ったので、元々行きたいところだった。
パール判事の人生について、山近理事長に語っていただき、
極東軍事裁判後も病身を奮い起こして日本への想いで再来日し、
「無言の演説」をしたお話などを聞いた。
日本のために動いた判事の人生には胸を打たれた。
あの時代であるだけに、その勇気はかけがえのないもので、
心から敬意を表したい。
また、平和祈念公園に原爆被害者のために命を落とした
外国人の方の石碑もあった。
もっと歴史を勉強し、日本と世界について考えていく。
●回天記念館
回天合宿へ大津島に向かった。
横山秀夫『出口のない海』を思い出しながら、フェリーからの
眺めを見て向かった。
とても綺麗な島で、そこに、死が待っている恐怖と戦いながら
向かった乗組員の心境を考えると、それだけで胸が痛くなった。
まずは、回天記念館に向かった。
回天を考えたときにまず不思議に思ったのが、乗組員の方々の
精神の強さだ。
記念館の中には回天の模型があったが、中を覗くと無機質な
圧迫感でとても恐ろしくなった。
しかし実際に突撃した方は何十名もいらっしゃったし、
出撃前には笑顔を見せている写真もあった。
何がその強さを生んだのかというと、やはり大切な何かを
守りたいという想いだろう。
京都研修で、「武士道」というのは守りたいものを
守るための道であると学んだ。
その日本の心を強く受け継いでいるのだと思う。
昔の人たちの天皇陛下への想いは何よりも強い。
今、私たちはそれを失ってしまっているし、それを取り戻す
必要もないだろう。
ただ、何かを守りたいと思い、そのために命をかける強さは
学ぶべきだと思う。
私たち若い世代の中にそれだけの強さを持っている人は
どれだけいるのだろう。
「平和を未来へ」という言葉もあった。
特攻隊の方々は私たちに平和を届けてくださったのだ。
二度とその平和を侵してはいけないし、私たちはその平和の
中で必死に生きなければならない。
回天の乗組員の方々が教えてくれた。
●「特攻」講義
山近理事長に「特攻」というテーマで講義をしていただいた。
特攻には神風、回天以外にも様々な種類があるということだ。
桜花は知っていたが、ボートだという震洋は知らなかった。
回天もベンチャー大學に入る前は知らなかった。
恥ずかしいことだと思う。
知らなければならないことだろう。
今勉強できて良かった。
きっとまだまだ知らないこと、国民のほとんどが知らない
戦争の真実がたくさんあるのだろう。
いずれにしろ戦争が絶対悪なのは間違いない。
決してそのことを忘れてはならない。
今回の合宿で、その想いがさらに強くなった。
特攻隊から学ぶことはやはりもの凄く大きい。
●夏川和也先生
元海上幕僚長の夏川和也先生に講義をしていただき、
中国との尖閣諸島の問題など、現在の国際情勢に関しての講義を
していただいた。
まず「海洋を制するものは神を制す」というお言葉が印象的だった。
海は資源の宝庫、宝である。
その視点は抜けていた。
尖閣の問題も本質が少しわかったように思う。
また日本は危機への自覚が欠けているという。
確かにその通りだろう。
今危機が来ないという保証はない。
情報、諜報に関して日本は実行性がないという。
自分の国は自分で守らなければならない。
平和のために、まずは私たちが勉強して正しい現状を
見ることが大切だと思った。
これから正しい情報を得る努力をし、勉強をして平和のために
真剣に考えていく。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
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●平和記念式典
成人してから参加したのは始めてだが、
黙祷をした後いつも思うことがある。
今一体、どれだけの人が黙祷しているのだろうか。
原爆のこと、被害者のこと、戦争のこと、
色々と考えている人もいれば、
ただ目をつむっているだけの人もいるだろう。
しかし、確実に黙祷する人、戦争を
放射能の恐ろしさを意識する。
毎日考えなくてもいい。
1年に一回、その瞬間だけも意識することで、
もしくは誰かと話をすることで、
何かが変わるかもしれない。
●回天記念館
誰もが、誰も大切な人や国を護るために
死ぬと書いてある。
日本の戦争は、死ぬため戦い
アメリカは生きるための戦い
という話がある。
時代なのだろうが、死ぬより、
みっともなく逃げて欲しかった。
この作戦を受理した上官、
作戦として上げた参謀、
冷徹にはならなければならないかもしれないが、
これでは、ただの備品のような扱いで、
やるせない怒りを感じた。
●山近社長の講義
特攻が、どれだけ多くの人が行ったのか、
次男が特攻兵に選ばれたことなど
知らなかったことを教えていただいた。
特に、やなせたかしのアンパンマンが、
弟のことを思って作った、
特攻兵としての弟のことを歌にしたことを聞き、
確かに、歌の歌詞やアンパンマンの内容は、
自己犠牲、何をするかなど
特攻に関する話に通じていると感じた。
次に、アンパンマンを見るときは、
知らず知らずの内に見ていた時よりも
作者の特攻を忘れないでという
国のために散って行った人達のための
メッセージなどが読み取れるのでは無いかと思う。
●夏川先生
自衛隊を生かすにはどうすればいいか。
今のままでは、自由度が少なく、
うごきたいときに動けない。
しかし、こう言った現状を国民が知っているのか。
もちろん、知っている人も多くいるし、
現状を嘆く人もいる、けれども表立っては出てこない。
自衛隊も動けないことに対する
憤りは感じていたとしても、
国民に知ってもらう行動を行わない。
だから、前に進まない。
知らないままで、過ごしそのことが許される
そんな世の中だからこそ、
少しでも関わる機会のある自分達が、
発信して行く。
そうすることで、まず知ってもらい
各々の結論を出し、世の中に反映させていく。
どうなるにしても、自分達で出したものなので、
納得も出来るし進むこともできる。
このようなことを、自分がして行きたい。
●滑らない話
滑らない話で滑りました。
多人数にむけてしゃべる難しさや、
話の持って行き方をもっと学ばなければならない。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
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●8/6 平和記念式典
私は原爆平和式典の参加は初めてでした。
平和は当然良い事であるが、こうして年に一度戦争や
核兵器の残酷さ・恐怖を思い出す事も大切な事だと思う。
正直、私も去年まで原爆について他人事であった。しかし
この式典に参加する事で悲惨さを肌に感じられた。
こうした人類の教訓を風化させてはいけない。
100年後、数百年後この式典が残っているかわからない。
人々には今後も核兵器がどういう存在であるかずっと考え続けてほしい。
それと日本時間の8:15に米国も黙祷を行ってはどうだろうか。
勝戦国で核兵器の使用が全く責任論にならないが、唯一の
使用国なのだから死者を尊ぶ事をしてもよいのではないか。
From: 高田朝輝(群馬県出身、北里大学4年)JVU東京校5期生ダッシュ生
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●回天記念館
徳島港からフェリーで大津島に向かい、
何も知らずに大津島で回天研修が始まった。
最初に回天記念館での見学をした。
入る前に亡くなった方々の碑を出身地を見ながら歩いた。
山口近辺だけでなく、北海道や青森、秋田、東京など
大津島から遠く離れた出身者が多くいることを知りました。
回天記念館の中ではその当時の写真や解説などの資料が並んでいた。
意外にも、その資料や当時の品が少ないということに気付いた。
終戦後回天の資料を焼却処分したからでしょうか。
私はメモを取りながら解説や写真を見た。
その中で一番印象に残った写真が、特攻隊員が回天の上に立ち
仲間に笑顔で手を振りながら別れを告げる写真です。
どういう思いで笑顔で手を振っているのだろうか。
なぜこの先のことを理解しながら笑顔になれるのか。
自分が同じ立場だったら、色々考えました。
彼らの笑顔の裏は本当はすごい言葉では言い表せないくらいの
感情ではなかったのでしょうか。
また一番資料の中で一番心に残ったのが、訓練中に亡くなった
黒木さんと樋口さんが書いた遺書「黒木、樋口に続け!」
という言葉です。それはほかの特攻隊員にさらにやる気に
させるための起爆剤のようなものだったのではないかと。
普通ならこの2人の死で怖くなって逃げだしたくなる人も
出るでしょうが、この遺書で続いて俺も行ってやると
思った人たちが沢山いたのではないでしょうか。
●山近社長講義
特攻というテーマで山近社長に講義をしていただきました。
今まで私は「特攻」の意味を理解していなかった。
特攻とは何かを教えていただいた。
その中でも一番印象的だったのは、やはりアンパンマーチの
歌詞に込められた意味だ。
当時は次男が戦争に行くということ傾向があったため、
アンパンマン作者の原作者やなせたかしさんの弟の
ちひろさんは自ら海軍に志願して特攻隊になった。
人間魚雷回天の乗組員として国の為に22歳の若さで亡くなったのだ。
その弟のことを歌詞にしたのが、アンパンマンマーチだと
いうことをお聞きしました。
これは今回1番印象に残りました。今まで幼いころから
普通に聞いていた歌ですが、これほど深い悲しい意味が
込められていたとは。
兄として弟の無念を子供たちや後世に伝えたかった
メッセージなのでしょうか。
●夏川和也先生講義
元海上幕僚長の夏川和也先生には昨今の国際情勢、主に
日本と近隣の中国との国交についてお話をしていただきました。
中国の巧みな戦略やこれから日本がどのように国交
していくかというお話です。夏川先生からお話を聞いて
わかったことは、日本が中国を少し甘く見ているということ。
そしてなにより自衛隊員という現場を知っている方々が、
日本の防衛面での統制が出来ればこの国の外交がいい方向に
行くのではないかと改めて思いました。
From: 中村亮介(東京都出身、城西大学3年)JVU東京校5期生ダッシュ生
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