平成26年(2014)【3月12日(水)】 全国縦断遊学の旅 5日目
茶室麟閣の門前で一枚。
豊臣秀吉の怒りを買い、切腹されられたのち、
利休の血筋が途絶えるのは良くないと匿ってくれたお礼にと造った茶室。
長岡で山本五十六記念館のほか、河井継之助記念館を見学しました。
山本五十六記念館の展示を担当された、古田島先生と偶然お会いし、
1時間ほど館内の解説をしていただけました!
こういったところでの、偶然の出会いを大切にしていかなければと感じます。
会津藩校日新館の跡地を見る。
ここから多くの会津藩士が生まれたのだと感じる。
唯一形の残っている天文台前から
会津研修スタート!
西郷頼母宅跡を見学。
新政府軍が来た折り、
ここで家族など21名が自刃。
鶴ヶ城にて雪かきをしている人たちと出会う。
いろいろと教えていただいたお礼に
雪かきのお手伝い!
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●学び
・白虎隊記念館、早川館長
来客があったにもかかわらず、快く説明して下さり、
その言葉の節々から、祖父への尊敬の念や白虎隊への想いを
短い時間ながらも語って下さりました。
こうやって歴史を語り継いでいかれる人がいるからこそ、
自分たちは知って行けるんだ、と感謝とともに、
いつか、その役割を担えるようになりたい、と感じました。
・白虎隊隊士等の墓
訪れた人々の手で供えられ、深い祈りに包まれた場所だと感じました。
正面に自刀した隊士達や戦地で散った隊士達のお墓があり、
そこには缶ジュースが備えられていました。
何故かと思った直後に、ぐさっと胸に突き刺さるような思いとともに、
享年14~17歳にして、日本のためを思い、先祖や主への想いを
抱きならの自刃をするほどの、気高い魂を持つ、どんな人達
だったのだろうか?と胸が詰まるような想いが浮かび上がりました。
・蘇生した隊士、飯沼貞吉さんのお墓
墓前から道伝いに少し歩いたところ、その途中に、自刀した
隊士の中で唯一蘇生し、白虎隊の悲劇を後生に伝えた
飯沼貞吉さんのお墓がありました。
そこの説明文には仙台で没された、とありました。
それでも、会津に戻ってこられた此処で感じた重みは、
白虎隊の大いなる絆を感じました。
人を斬らなければいけなかった時代にこそ、温かなものが
あったのだのいう事が、ただ嬉しいと感じました。
・自刀の地
慰霊碑と、実際に隊士達がお城を観た方向が、白虎隊士が
その方向を見つめている石像にて示されていました。お城を囲む木々と、
現在の建物で最初は分かりませんでした。
遠目に天守閣が見えるくらいで、煙が上がっていたら燃えてる
ように見えるかもしれないと感じたました。
携帯電話がある時代ではありませんから、目で見た炎だけが情報で、
落城の現実を目の当たりにした時の、彼らの絶望を思うと、本当に心が痛みました。
また、現在の時代は、そう言う人達の犠牲の先に成り立ったものだと
感じることができました。
・山本五十六記念館、古田島先生
たまたま産経新聞の取材で来られており、
ここの展示を監督された元小学校の教員や校長をされていた
古田島先生のお話を聞くことができました。
ふとした時に、出会った縁は
大切にすれば、一生ものとなる、とこの旅では常々感じます。
・人間山本五十六
山本五十六さんの逸話はリーダーシップをどうとるかなどを
よく聞いていたが、凄い方だというのは知っていたが、
イマイチピンときていなかった。
しかし友達に書いた手紙の紙が足りなくなり、行間に文字を書いた話や、
地元への貢献、定年後のささやかな楽しみなど、人間味溢れる姿を
垣間見ることができ、今回の一件で非常に興味を抱きました。
今までは、あまり調べたりはしていなかったのですが、
これをきっかけとして、調べ知り学んで行こうと決めました。
From:高岸知広@東京校5期生(兵庫県出身・金沢学院大学卒)
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●会津若松
会津は昔の街並みを残していた。
現代の建物は少なく、居酒屋などの店も、派手な主張をしていなかった。
京都などよりも質実な印象だ。
骨董品店やギャラリーなど、そそられる店も多く、雪景色がまた良かった。
街のいたるところに会津の教育の言葉が見られた。
「ならぬことはならぬものです」
あいづっこ宣言というものもあった。
一、人をいたわります
二、ありがとうごめんなさいを言います
三、がまんをします
四、卑怯なふるまいをしません
五、会津を誇り、年上を敬います
六、夢に向かってがんばります
会津の什の掟の現代子版だろうか。
街の人々は皆親切だった。
歩いているとほとんどの方が話しかけてくれる。
道を教えてくれたり、私たちのことを訊いてくれたりした。
それも、会津の教えが今にも息づいているからだろうか。
高尚な文化の誇りが見えていた。
日新館跡、鶴ケ城、西郷頼母邸跡、新島八重誕生地と、たて続けに訪ねた。
日新館は現代にも新しく作られ、鶴ケ城も当時のままの姿を再現。
史跡を街全体でもって大切にし、歴史をしっかりと浮かび上がらせていた。
●白虎隊
会津といえば、一つは白虎隊の悲劇だ。
白虎隊記念館に行き、ベンチャー大學の講義をして下さった
こともある、早川廣中館長に迎えていただいた。
早川館長は政治家で、会津若松市長を務めたこともあるそうだ。
白虎隊隊士や藩主松平容保、新島八重などの会津の人たちから、
山県有朋などの明治維新を成し遂げた志士たちまで、
幅広い資料が展示されており、とても充実した学び舎だった。
戊辰戦争での籠城で、約1ヶ月間も新政府軍の攻撃を耐えたのは異常で、
会津の教育、魂がいかに強靭であったかがわかる。
しかしそんな会津魂から、白虎隊のような悲劇が生まれたのは切ない。
記念館は若き隊士たちが自刃した山の麓に建っている。
生き残った酒井峰治や西郷頼母も含め、幕末の会津の人々は私たちに
高潔な魂を教えてくれる。
その現出は今も会津にある。
●山本五十六
なんて魅力的な方なのだろう。
至誠の人。
どんなときにも誠意を見せる。
文人の家系に生まれた知将で、筆の才にも恵まれ、その上、体力もある。
合理主義者だが、故郷のことになると人が変わり、長岡を心から愛した。
長岡の山本五十六記念館はそんな長岡市民の、山本五十六を敬い
慕う想いから生まれた場所だった。
館の中央には、山本長官が乗っていた機体の左翼が迫力をもって横たわる。
パプアニューギニアに残っていたその機体の一部を、日本に持ち込み、
見てもらいたい。
そんな長岡の人たちの想いが記念館誕生のきっかけだという。
理事の古田島さんに丁寧に説明していただき、人間山本五十六の魅力に
気持ちが満たされ、長岡の人々のように敬愛の念が生まれた。
完璧ながらも、故郷長岡を贔屓にする人間らしさ。
賭け事も好きだったという。
山本五十六は太平洋戦争の一番の、反対論者だったという。
もうアメリカでもそのような認識は浸透しているようだ。
根っからの軍人でありながら、平和を切に求めていた。
武士道や高潔な日本精神のヒントは山本五十六長官にあるのではないかと思う。
●河井継之助
山本五十六と同じ長岡藩の風雲児、河井継之助。
好きなように生きて、正直。
道理や義理も大切にする。
早くから商人の時代が来ることを見抜くなど、先見の明もあった。
松陰先生のように、現代の私たちもその人生から生き方を学ぶべき
お方だと思った。
河井継之助も大事にした長岡藩の「常在戦場」の精神は
山本五十六にも受け継がれているし、質実剛健な米百俵の教えもある。
まだまだ長岡も奥が深い。
多くの偉人がそうなように、河井継之助も司馬遼太郎の小説から
一般に知られるようになったようだ。
まずは河井継之助を取り上げた小説、「峠」を読む。
●長岡空襲
長岡戦災資料館も訪ねた。
長岡にも空襲があった。
東京や沖縄の悲惨な被害はよく知られているが、地方各地の空襲は
あまり知られていないのではないか。
知らなかった。まだ勉強不足だ。
自らの無知を実感するとともに、普段生活をしていていかに
戦争に関する情報が絞られているかがわかった。
こうして全国を回っているからこそ、知ることができた各地の情報かもしれない。
From:佐藤洋一@東京校5期生(神奈川県出身・玉川大学卒)
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白虎隊記念館に到着。
早川館長の説明を受け見学する。
お忙しい中、わずかでも時間を作っていただき
ありがとうございます!