平成25年(2013)【8月6日(火)】 平和記念式典参加(in広島)、大津島・回天合宿一日目

--------------------------------
●1日の流れ
7:00 旧広島球場正門前集合
8:00 広島平和式典開始
8:45 山近義幸理事長代行の講義
・平和公園内交番
・マルセルジュノー博士の石碑
・パール判事の石碑
10:30 徳山へ移動
13:00 徳山へ到着
14:10 フェリー乗り場合流
14:40 フェリー出発
15:14 大津島到着
15:30 回天記念館見学
17:00 山近義幸理事長代行の講義
・回天には生存者がいない
・他にも特攻として桜花、震洋などがある。
・やなせたかしさんの弟さんは回天特攻兵
・アンパンマンマーチは弟を思っての歌。
・夫婦特攻というものも行われた。
17:45 夏川和也先生(水交会理事長、第22代海上幕僚長)の講義
・海から見た中国という国
・海洋国家と大陸国家
・中国の戦略
・中国の行動パターン(主張、プレゼンス、実効支配)
・尖閣問題について
・日本の自衛隊について
・邦人輸送についての矛盾
・ポジリスト日本とネガリスト米
・日本は情報に対する認識が足りない
19:00 回天カレー
20:30 映像で見る回天
22:00 懇親会
--------------------------------


●広島平和式典
原爆ドームのすぐ近くで行われたが
昔に一度来たことがあるはずだ。
原爆に関する史料館に行ったと思うが
そのときの記憶がほとんどない。
それだけ不真面目だったということだと思う。
あの一体が原爆によって廃墟になったと考えると恐ろしいものがある。
想像もできない。
それにその廃墟からあの町を復興させた日本人の力もすごいと感じた。
ただ今回山近社長のご案内で知った
マルセルジュノー博士について
何も知らなかったことが
今思うと恥ずかしかった。
この方は赤十字国際委員会の派遣員として
広島への原爆投下の実情を知ったあとで
GHQに医薬品を手配し、広島の実情を知ったあとは
世界で毒ガスや原爆の非人道性を主張したそうだ。
この方について知ることができてよかった。
その後はパール判事の碑を見に行った。
日本無罪論で知ってることもあるが
もっと知りたい。
戦後日本で講演されたときに
30分沈黙し、日本の現状を涙を流しながら
嘆いたという話が印象的だった。
パール判事は若い頃、
インドで日本の日露戦争の勝利に歓喜したという。
そういった思いもきっとあったのだと感じた。
●回天合宿一日目
1、史料館
徳山からフェリーで大津島へ向かったときのきれいな海は
『出口のない海』を読んだせいか、
とても色も質も重々しく見えた。
大津島について史料館にいったが
その入り口には神聖な空気が漂っていた。
史料館玄関まで続く道は
回天でなくなられた方々の名前が刻まれた碑が並び
一歩一歩亡くなった命を数えるような感覚だった。
史料館の中には様々なことが書かれていたが
肌で感じたのは若者の情熱だったように思う。
日本の戦況を打開するために
人間魚雷の開発を上申した黒木・仁科両名の思い、
訓練中になくなった黒木・樋口が書いた遺書の熱意、
残された隊員の「黒木、樋口に続け!」という情熱は
特攻という悲劇的な出来事の中でも
日本を救おうと前向きに使命を果たそうとする
若者の青春を感じた。
戦争や特攻の間違いは当然だが
現地でしか学べない熱のようなものを
肌で感じることができた。
2、山近社長講義
回天は生存者がいない。
その言葉が改めて印象的だった。
他の特攻と違う大きな点であり
忘れてはいけない。
お話の中で回天で亡くなったやなせたかしさんの弟さんのこと、
アンパンマンの歌詞のことも出てきた。
史料館にあったのが
特攻された方々の言葉だとしたら
歌詞に込められたのは
残された人の思いなのだと感じる。
あの歌にそれほどの深い思いがあるとは知らなかったが
聴いていると胸が苦しくなった。
敗戦後の特攻として
神州不滅特攻隊の話も出てきたが
なんと願いのこもった隊名であろうか。
特攻にはただ捨て身で相手を滅ぼすだけでなく
他に深い精神的な意味合いがあるように感じた。
夫婦特攻についても
日本への思いだけでなく
パートナー同士の絆があったから
生まれたのだと感じた。
3、夏川和也先生講義
中国について多く話されていた。
尖閣の問題には海の資源、恩恵が深く絡んでおり
貿易、資源、環境の恩恵をめぐった争いというのが本質のようだ。
夏川先生は感情的にならず
理論的に中国の戦略や日本の現状を話してくださった。
中国の戦略としての
主張、行動、反対者をやっつける
とあう行程は強引であるが
確かに中国のやり方は上手とも感じた。
From:大森俊通(東京都出身、琉球大学卒)JVU東京校5期生
--------------------------------



●学んだこと
・平和記念式典参加
広島で、平和記念式典に参加した。
多くの方が参加しておられたが、毎年式典を開くことで
原子爆弾が落とされたという事実を忘れないようになっている。
海外から来られたような方もたくさんおられた。
原子爆弾を落とした立場、落とされた立場、第三者の全てが
おられたと思うが、それぞれがきちんとその場にいる、
という事実はかなり大きいと思う。
風化しつつある戦争体験を次世代に伝える上でも
こういう式典が永続していくことが大切だと感じた。
また、その後パール判事の碑を山近社長に案内して頂いたが、
現場で碑を見るだけではなく、一緒にお話を聞くことは
とても大事だなと改めて実感した。
一部だけとはいえ無罪を主張された方がパール判事以外に
おられたという事実を私は知らなかった。
戦中戦後について改めて勉強する。
・回天合宿一日目
合宿で一番感じたことは「私がどうにかするのだ」という
意思を持っていたからこそ、特攻という作戦にも身を投じる
ことができたのだろうということだ。
今の日本に一番足りない意識だと思う。
かくいう私も人任せにしてしまいがちだ。
自分が、という意識をもつ。
山近社長の講義で、特効兵器がたくさんあげられたが、
それだけなくなられた方がおられるということだ。
ここについて私たちは知識が不足している。
次世代に伝えるためにももっと知らなければならない。
また、アンパンマンマーチの歌詞については初めて知った。
思わぬところから関連が出てきて、過去に本当にあったこと
なのだと改めて意識できた。
夏川和也先生の講義では中国との関係について話していただいた。
諜報を日本はしておらず、情報を海外に頼っているのが現状だそうだ。
それで成り立っているのが不思議なくらいだ。
まさに平和ボケしているのが現状なのだなと感じた。
尖閣諸島についても対応が場当たりなため、問題を許している。
私たちも含め、周りに問題提起していくことで対策を
とらなければまずいという空気を作り出さなければならない。
From:牛島知之(熊本県出身、熊本県立大学卒)JVU東京校5期生
--------------------------------



●広島平和祈念式典
前日の前夜式典から見に行ったが、様々な想い、行動が
渦巻いている空間だったと感じた。
平和を祈る人々、原爆被害者を供養する団体、政権に抗議する団体、
それぞれの想いを表現するアーティスト。
平和への願いは同じなれど、それまでの行動、道順は
様々なのだということが複雑だった。
今私に何ができるだろうか。
今回の式典に参加して、また回天合宿に参加して、尊い「平和」
というものについて改めて考えることができた。
誰もが望むもの、現在の生活のありがたさを忘れてはならない。
この日感じたことをまずは周りの人に伝えていく。
式のあとはパール判事の石碑に行った。
靖国神社、京都の方は行ったので、元々行きたいところだった。
パール判事の人生について、山近理事長に語っていただき、
極東軍事裁判後も病身を奮い起こして日本への想いで再来日し、
「無言の演説」をしたお話などを聞いた。
日本のために動いた判事の人生には胸を打たれた。
あの時代であるだけに、その勇気はかけがえのないもので、
心から敬意を表したい。
また、平和祈念公園に原爆被害者のために命を落とした
外国人の方の石碑もあった。
もっと歴史を勉強し、日本と世界について考えていく。
●回天記念館
回天合宿へ大津島に向かった。
横山秀夫『出口のない海』を思い出しながら、フェリーからの
眺めを見て向かった。
とても綺麗な島で、そこに、死が待っている恐怖と戦いながら
向かった乗組員の心境を考えると、それだけで胸が痛くなった。
まずは、回天記念館に向かった。
回天を考えたときにまず不思議に思ったのが、乗組員の方々の
精神の強さだ。
記念館の中には回天の模型があったが、中を覗くと無機質な
圧迫感でとても恐ろしくなった。
しかし実際に突撃した方は何十名もいらっしゃったし、
出撃前には笑顔を見せている写真もあった。
何がその強さを生んだのかというと、やはり大切な何かを
守りたいという想いだろう。
京都研修で、「武士道」というのは守りたいものを
守るための道であると学んだ。
その日本の心を強く受け継いでいるのだと思う。
昔の人たちの天皇陛下への想いは何よりも強い。
今、私たちはそれを失ってしまっているし、それを取り戻す
必要もないだろう。
ただ、何かを守りたいと思い、そのために命をかける強さは
学ぶべきだと思う。
私たち若い世代の中にそれだけの強さを持っている人は
どれだけいるのだろう。
「平和を未来へ」という言葉もあった。
特攻隊の方々は私たちに平和を届けてくださったのだ。
二度とその平和を侵してはいけないし、私たちはその平和の
中で必死に生きなければならない。
回天の乗組員の方々が教えてくれた。
●「特攻」講義
山近理事長に「特攻」というテーマで講義をしていただいた。
特攻には神風、回天以外にも様々な種類があるということだ。
桜花は知っていたが、ボートだという震洋は知らなかった。
回天もベンチャー大學に入る前は知らなかった。
恥ずかしいことだと思う。
知らなければならないことだろう。
今勉強できて良かった。
きっとまだまだ知らないこと、国民のほとんどが知らない
戦争の真実がたくさんあるのだろう。
いずれにしろ戦争が絶対悪なのは間違いない。
決してそのことを忘れてはならない。
今回の合宿で、その想いがさらに強くなった。
特攻隊から学ぶことはやはりもの凄く大きい。
●夏川和也先生
元海上幕僚長の夏川和也先生に講義をしていただき、
中国との尖閣諸島の問題など、現在の国際情勢に関しての講義を
していただいた。
まず「海洋を制するものは神を制す」というお言葉が印象的だった。
海は資源の宝庫、宝である。
その視点は抜けていた。
尖閣の問題も本質が少しわかったように思う。
また日本は危機への自覚が欠けているという。
確かにその通りだろう。
今危機が来ないという保証はない。
情報、諜報に関して日本は実行性がないという。
自分の国は自分で守らなければならない。
平和のために、まずは私たちが勉強して正しい現状を
見ることが大切だと思った。
これから正しい情報を得る努力をし、勉強をして平和のために
真剣に考えていく。
From:佐藤洋一(神奈川県出身、玉川大学卒)JVU東京校5期生
--------------------------------





●平和記念式典
成人してから参加したのは始めてだが、
黙祷をした後いつも思うことがある。
今一体、どれだけの人が黙祷しているのだろうか。
原爆のこと、被害者のこと、戦争のこと、
色々と考えている人もいれば、
ただ目をつむっているだけの人もいるだろう。
しかし、確実に黙祷する人、戦争を
放射能の恐ろしさを意識する。
毎日考えなくてもいい。
1年に一回、その瞬間だけも意識することで、
もしくは誰かと話をすることで、
何かが変わるかもしれない。
●回天記念館
誰もが、誰も大切な人や国を護るために
死ぬと書いてある。
日本の戦争は、死ぬため戦い
アメリカは生きるための戦い
という話がある。
時代なのだろうが、死ぬより、
みっともなく逃げて欲しかった。
この作戦を受理した上官、
作戦として上げた参謀、
冷徹にはならなければならないかもしれないが、
これでは、ただの備品のような扱いで、
やるせない怒りを感じた。
●山近社長の講義
特攻が、どれだけ多くの人が行ったのか、
次男が特攻兵に選ばれたことなど
知らなかったことを教えていただいた。
特に、やなせたかしのアンパンマンが、
弟のことを思って作った、
特攻兵としての弟のことを歌にしたことを聞き、
確かに、歌の歌詞やアンパンマンの内容は、
自己犠牲、何をするかなど
特攻に関する話に通じていると感じた。
次に、アンパンマンを見るときは、
知らず知らずの内に見ていた時よりも
作者の特攻を忘れないでという
国のために散って行った人達のための
メッセージなどが読み取れるのでは無いかと思う。
●夏川先生
自衛隊を生かすにはどうすればいいか。
今のままでは、自由度が少なく、
うごきたいときに動けない。
しかし、こう言った現状を国民が知っているのか。
もちろん、知っている人も多くいるし、
現状を嘆く人もいる、けれども表立っては出てこない。
自衛隊も動けないことに対する
憤りは感じていたとしても、
国民に知ってもらう行動を行わない。
だから、前に進まない。
知らないままで、過ごしそのことが許される
そんな世の中だからこそ、
少しでも関わる機会のある自分達が、
発信して行く。
そうすることで、まず知ってもらい
各々の結論を出し、世の中に反映させていく。
どうなるにしても、自分達で出したものなので、
納得も出来るし進むこともできる。
このようなことを、自分がして行きたい。
●滑らない話
滑らない話で滑りました。
多人数にむけてしゃべる難しさや、
話の持って行き方をもっと学ばなければならない。
From:高岸知広(兵庫県出身、金沢学院大学卒)JVU東京校5期生
--------------------------------


●8/6 平和記念式典
私は原爆平和式典の参加は初めてでした。
平和は当然良い事であるが、こうして年に一度戦争や
核兵器の残酷さ・恐怖を思い出す事も大切な事だと思う。
正直、私も去年まで原爆について他人事であった。しかし
この式典に参加する事で悲惨さを肌に感じられた。
こうした人類の教訓を風化させてはいけない。
100年後、数百年後この式典が残っているかわからない。
人々には今後も核兵器がどういう存在であるかずっと考え続けてほしい。
それと日本時間の8:15に米国も黙祷を行ってはどうだろうか。
勝戦国で核兵器の使用が全く責任論にならないが、唯一の
使用国なのだから死者を尊ぶ事をしてもよいのではないか。
From: 高田朝輝(群馬県出身、北里大学4年)JVU東京校5期生ダッシュ生
----------------------------------------------------------------



●回天記念館
徳島港からフェリーで大津島に向かい、
何も知らずに大津島で回天研修が始まった。
最初に回天記念館での見学をした。
入る前に亡くなった方々の碑を出身地を見ながら歩いた。
山口近辺だけでなく、北海道や青森、秋田、東京など
大津島から遠く離れた出身者が多くいることを知りました。
回天記念館の中ではその当時の写真や解説などの資料が並んでいた。
意外にも、その資料や当時の品が少ないということに気付いた。
終戦後回天の資料を焼却処分したからでしょうか。
私はメモを取りながら解説や写真を見た。
その中で一番印象に残った写真が、特攻隊員が回天の上に立ち
仲間に笑顔で手を振りながら別れを告げる写真です。
どういう思いで笑顔で手を振っているのだろうか。
なぜこの先のことを理解しながら笑顔になれるのか。
自分が同じ立場だったら、色々考えました。
彼らの笑顔の裏は本当はすごい言葉では言い表せないくらいの
感情ではなかったのでしょうか。
また一番資料の中で一番心に残ったのが、訓練中に亡くなった
黒木さんと樋口さんが書いた遺書「黒木、樋口に続け!」
という言葉です。それはほかの特攻隊員にさらにやる気に
させるための起爆剤のようなものだったのではないかと。
普通ならこの2人の死で怖くなって逃げだしたくなる人も
出るでしょうが、この遺書で続いて俺も行ってやると
思った人たちが沢山いたのではないでしょうか。
●山近社長講義
特攻というテーマで山近社長に講義をしていただきました。
今まで私は「特攻」の意味を理解していなかった。
特攻とは何かを教えていただいた。
その中でも一番印象的だったのは、やはりアンパンマーチの
歌詞に込められた意味だ。
当時は次男が戦争に行くということ傾向があったため、
アンパンマン作者の原作者やなせたかしさんの弟の
ちひろさんは自ら海軍に志願して特攻隊になった。
人間魚雷回天の乗組員として国の為に22歳の若さで亡くなったのだ。
その弟のことを歌詞にしたのが、アンパンマンマーチだと
いうことをお聞きしました。
これは今回1番印象に残りました。今まで幼いころから
普通に聞いていた歌ですが、これほど深い悲しい意味が
込められていたとは。
兄として弟の無念を子供たちや後世に伝えたかった
メッセージなのでしょうか。
●夏川和也先生講義
元海上幕僚長の夏川和也先生には昨今の国際情勢、主に
日本と近隣の中国との国交についてお話をしていただきました。
中国の巧みな戦略やこれから日本がどのように国交
していくかというお話です。夏川先生からお話を聞いて
わかったことは、日本が中国を少し甘く見ているということ。
そしてなにより自衛隊員という現場を知っている方々が、
日本の防衛面での統制が出来ればこの国の外交がいい方向に
行くのではないかと改めて思いました。
From: 中村亮介(東京都出身、城西大学3年)JVU東京校5期生ダッシュ生
---------------------------------------------------------------





