【4月24日】山近義幸理事長代行 『歴史と人間力 -赤塚不二男記念館、B29墜落現場-』
2010/04/25
○山近社長のプチ講義より
▼僕だって一割バッターなんだよ
赤塚先生がTV関係者に残した言葉。
当時、娯楽を先攻していた、漫画、アニメの巨匠もなかなかヒットは生み出せない、と言った内容。
→技術だけでない。
ひらめき力がとてもすごいと感じた。
今お笑い芸人を目指す感覚に似ている感じがした。
▼やらせてよ、先っっちょだけで良いから
赤塚先生は、不細工ではないが、ものすごくかっこ良くもない。
人柄が彼の一番の武器だろう
→ここからの気付きは、
何より、何を言うかでなく、誰が言うか、という事である。
漫画家だから、とか、アイドルだからとかではない。そんな者を超えた、何の害もない、
すばらしい人だったんだと気付いた。
▼トキワ荘の話
藤子不二夫を初め、今となっては神様の域の漫画家が頑張っていた建物。
映画の話しかしないの。と先生。
これは多分実話だろう。
赤塚先生初め、これらの面々は漫画に対して、あえて熱く語らなそう。
→三宅君が、トキワ荘の間取りを見て、
のび太の部屋に似ているという気付きをだした。なるほどと思った。
どの部屋にもあった狭い、押し入れに、ドラえもんを寝かせてしまおうという発想が生まれそう。
○久保副社長のお話~B29墜落現場
▼B29が青梅に約200機も。
B29が大人数で操縦する飛行機だとは知らなかった。
吉野村飛行場を狙っての事。
一人の日本兵が、飛行機で突っ込んで墜落させた。
→たくさんの敵機にあきらめない心。
日本に対する想いが伝わる。
知覧でも教わるが、日本、国というのは、自分の故郷だ。
故郷を守るための行為だと気付いた。
▼飛行機墜落現場
野村さんの残した石碑
墜落現場の少し手前に小さくたててある。
お塔婆も今年の彼岸の物。
当時吉川英治先生が米兵も、しっかりと埋葬してあげた事に、
いま、これを大切にしている想いが伝わる。
→周辺住民の皆様の想いも
あの竹やぶ、杉の山に詰まっていた。
とてもきれいな山。
▼小川さんのお話
出会う人すべてが先生だ!
というベンチャー大學の精神をまさに実感した日。
当時4歳の小川さんが体験した事。
右とか、左とか、じゃない本当に純粋な想い。
そして、山の向こうに日本軍の飛行機が墜落したことに対する事実の非公表。
なぜ、アメリカ軍の飛行機は取り上げるのに、国の為になくなった人を取り上げないのか。
→自分自身にもピュアな疑問になった。
当時の事実、日本の心は絶対に忘れてはならない。
日本ベンチャー大學2期生 大美賀章裕(琉球大学卒・群馬県出身)
本日は青梅にて赤塚不二夫記念館、B29墜落現場を訪れました。
赤塚不二夫記念館では、赤塚先生の子供のように笑う姿に魅せられて、夢中で見て回りました。
好きな漫画の一つであり、色々と思う所がありましたが、
その中でも、やっぱり、これでいいのだ!とニャロメの精神は忘れてはいけません。
青梅駅で流れる音楽がひみつのアッコちゃんだったのは最高です。
何かする時は、ある程度のアウトラインさえあれば、良いと思います。
脱線するくらいが私には丁度いいし、自由にノビノビ出来るしワクワクします。
しかし、何があっても受け入れなければいけません。
小川さんのお話は、とても悲しい気持ちになりました。
怒りさえ覚える程でした。でも、小川さんや、吉川英治さんのような人もいます。
そんな素晴らしい人が私の周りには沢山います。おかげで、これでいいのだ!と前を向いて歩けます。
感謝です。
周りの素晴らしいものから学び、いつか私も少しでも近づき、知らない所で、結果的にそんな存在になれてたら嬉しいです。
その為にも、私は私の出来る事を一生懸命やり、歩き続けます。
日本ベンチャー大學2期生 依田裕尚(長野県出身)
■住吉神社
・手の清め方
⇒正式な方法を今まで出来ていなかったことに気づいた。
伝統的な作法をひとつ身につけています。
・神社の会談の上がり方。
一段一段静かにあがる。
・神社の中、装飾
⇒昔の人たちの技術の高さを思い知らされました。
手抜きがない、非常に優れた芸術作品であった。
現在まで残っている文化作品は優れている。
もっと現地でいろいろ見ます。
■赤塚不二夫記念館
⇒
人の名前そのままの博物館が建つってすごいなと感じています。
赤塚不二夫はそれだけの人で、戦後の日本を元気にする原動力の一人だったのだろうと感じた。
赤塚不二夫さんから見習えることはたくさんある。
■小川さんの話
・リアルな話で、非常に意義があった。
(山近社長の知りたい、したいを現実にする行動力に感服しました。)
⇒「本当に日本はおかしい」ということばが印象に残っています。
・B29墜落の話。
アメリカ兵でも、死んだら人間みんな一緒という考えで、丁重に供養した。
⇒日本人の暖かさを感じました。
日本人が昔のよさをとりもどし、かつ夢を描けるようになれば、日本は変わる。
日本ベンチャー大學2期生 銭谷 純平(北海道大学大学院・山口県出身)
■住吉神社
○青梅には初めて行きました。
駅降りた瞬間からレトロな雰囲気を醸し出していて、
東京とはとても思えませんでした。
⇒徹底した町作りへのこだわり。
私も将来は町創りをしたいので、青梅の町を参考にさせていただく。
○神主さんのご厚意により拝殿まで上がらせていただく。
⇒最初は何気なく手を合わせていたが、お話を聞くのと聞かないのではやはり感謝が違う。
素晴らしい彫刻からも感ぜられるように、住吉神社を建立するには
多くの人たちと多くの時間がかかっている。
それに多くの文化が詰まっている。
昔の人と感じる心を共有できる。
“神社は感謝の気持ちを伝えるところ"
■赤塚不二夫記念館
○トキワ荘
⇒同じ志を持った者たちが住んでいた。
人は一人で学ぶより多くで学ぶ方が色んな発見、気付きが生まれる。
ある意味寮生活も“切磋琢磨できる"仕組みである。
寮生活のこの1年、寮生との時間も大切にしたい。
○手塚治虫さんから赤塚不二夫さんへ
「一流の漫画家になりたかったら、いい映画を観なさい。
そしていい漫画からマンガを勉強するのはやめなさい」――by手塚先生
⇒これを聞いた赤塚先生は、お金が無い時でも、
映画館には通い続けたみたいです。
○「どうして漫画を描いたの?」という質問に。。。
「漫画はお金をかけずに監督も脚本も役者も大道具も
全て自分一人でやれるんだ。自分の世界観を表現できる最良の手段。」
⇒ビジネスでも同じことが言える。
やはり差別化は図らなければならないので、
同業種より他業種からの学び、気付きのほうが多いはず。
○山近社長から「3ヶ国語話せる人は人の気持ちを掴むのが上手い」
⇒○○語→日本語にという風に頭の中で訳しているからだそう。。。
このお話を聞いてなるほど~と納得した。
英語など外国語嫌いを少しは解消できそうなフレーズである。
■青梅市郷土博物館+B29墜落慰霊碑
○日本とアメリカのエンジンの違い、、、
⇒勇猛果敢に日本の為に戦った英霊様たちに感謝しなければならない。
この心が日本人として当たり前の心。
慰霊碑も墜落現場の近くに住んでいた野村哲也さんがわざわざ周辺の土地を購入して自費で建立したもの。
この志というか精神はこれからの日本を創っていく立場の者としても
受け継ぎ大切にしていきたい。
■小川秋子さんのお話
○赤塚不二夫記念館の時もそうだが、山近社長の行動力は凄い。
探究心が半端ではない。
⇒山近社長がいなければ小川さんのお話を聞く事も出来なかった。
中條先生も仰っていたことだけれども
「何も求めなければ得ることはできない。求めれば必ず与えられる」
実践が大切である。
○小川さんから「戦争が終わってからの日本はおかしいですよね?」
⇒亡くなった人に手を合わせる。人種、宗教は関係ない。心である。
住吉神社の時も慰霊碑の前でもそう。
手を合わせる時は自然と背筋がピンとなる。
しっかり日本人のDNAを受け継いでいると実感。
私たちの世代でこの精神を終わらせてはならない。
これが日本人の心の原理原則である。
手を合わせることのできる動物は“人間だけ"である。
日本ベンチャー大學2期生 川辺聖弥(大阪商業大学休学中・大阪府出身)
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