【3月16日】寺子屋社中、寺尾敏生先生&学生講義、陳韋仁 『日本と台湾 偉人伝「八田與一」』
2010/03/16
陳 先生
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寺尾敏生 先生
・講義内容 「台湾統治と八田與一」 台湾統治の歴史とその頃に活躍した日本人について学んだ。
・講義アウトプット
台湾
⇒多くの国家から中国として認識されている。「独立国家」として国交を開いているのはバチカン市国やアフリカの小さな国々26カ国のみである。
台湾の人は中国からの完全な独立を求めている人が多い。
修身
⇒戦前の教育で一般的におこなわれていた偉人を学ぶ授業のこと。
道徳を学ぶにもうってつけのもので、アメリカでも数年前の銃乱射事件後に取り入れられ、急速に広まっている。
偉人を知ることは自分がどう生きていくのかといったモデル(目標)を得るために重要なことである。
八田與一
⇒明治の技術者であり、近代化の遅れていた台湾に技術を持ち込み、烏山頭ダムを建設し不毛の地を穀物の収穫できる豊かな土地へ変えた。このことから台湾の歴史教科書には必ず登場する日本人であり、現地の人に今でも慕われている。
このような人が日本にいたことを単純に誇らしく思い、また自分も本当に困っている、生きることにも精一杯というような人の役に立てるようになりたいと感じた。
日本ベンチャー大學1期生 中村寛(鳥取大学、鳥取県出身)『日本と台湾』
○日本の台湾統治
⇒1895~1945の間台湾は日本に統治されていた。日清戦争で得たものだ。しかし、日本には植民地という概念は無かった。そこで日本は、台湾を植民地にするのではなく日本国の内地として扱うことにした。本島以上に台湾では、教育やインフラ整備が進んでいた。
○台湾部族
⇒台湾には原住民がすんでいて多くの部族があった。日本が統治するまでは統一の言語が無かったため、交流も無かった。日本が日本語を普及させたことにより部族間で対話ができるようになった。第2次世界大戦中、原住民は日本軍として大いに活躍した。
○台湾海峡
⇒シールート。日本の海上輸送ルートで非常に重要なポイントになる。
○農業
⇒台湾はお米と、サトウキビの生産が盛んである。お米は日本人が開発した蓬莱米で外国にも輸出している。サトウキビは新渡戸稲造氏の指導により普及した。
○八田与一
⇒台湾では知る人ぞ知る日本人。世界最大ともいわれるダムの建設をした。農民に神の如く祭られ、台湾には銅像が建てられている。永遠に台湾の人々から慕われ、その功績が称えられている。
八田与一さんは技術だけでなく、人としても大変優秀な存在だった。差別もせず、家族を大切にし、何よりも社員一人ひとりを大切にしていた。日本精神を持った、誇れるべき人物である。
○修身の教科書
⇒日本の偉人伝が搭載されている。戦前は教科書として使用されていた。
現代の日本人は、偉人伝をまなぶべきである。そして日本という国に誇りを持ち、日本人である自分を誇りに感じる事が大切だと感じた。
日本ベンチャー大學1期生 河田修一(岡山大学、岡山県出身)コメント
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