【5・7(土)】大森貴之社長(株式会社オオモリ) 『リアル経営学』
【分離礼】
分離礼をきっちりされる方でした。
Welcomeボード、きっちりした挨拶、とてもきっちりしている第一印象を受けました。
挨拶は大切。
【生きた師匠を持つ】
大森様の人生において、要所ごとに学校の先生、海外の友人、叱ってくれる上司、小山社長に出会われた。
生きた師匠を持つことで、今・リアルタイムでその人から感じることができる。
メンターという言葉もあるが、自分も尊敬する人物や師匠につき学び、その人を大切にする。
【人間は環境に即して変わる】
その環境におかれることで、変わらなければならない状況になる。
大森様は、大学のときリーダーを体験され、それが貴重な経験であった。
体験を嫌がっていては、何もしない人間になるとも仰られており、まさにそのとおりだと思った。
逆を取れば、自分を変えたければ、環境を変える。
様々な所に飛び込んで経験をつんで、自分を強くします!
【叱ってくれること】
ありがたいこと。怒ることは、パワーがいること。
人間に関心を持てること。自分も遠征先で、部活の先輩にビンタされて怒られたことがある。
そのときは、理不尽に感じたが、今でもよく面倒を見てくれ、喝を入れてくれる先輩。
ありがたい存在。大切にする。
【日本人のコミュニケーション】
大森様の留学の経験から。日本人は、英語を正しく話そうとして話さない。
他国の留学生は、でたらめな英語でもコミュニケーションを取ろうとする。
目的は、コミュニケーション。
手段にとらわれて目的が見えなくなっている。
論語にも出ていて大切な部分。目的と手段は、両方しっかり見る必要がある。
【環境整備】
人間頭でわかっているだけでは、うまくいかない。
見える化の重要性・効果を感じた。
見えることにより情報を共有でき、またスムーズに片付けることができる。
【答えは教えない】
答えが分かっていたり、改善点に気づいても、教えない。
答えは、経営計画書の中にある。
それを探させることで、できる人を作る。
答えは教えず、ヒントくらいしか上げないという考え方。
違う場所のいい部分をもって帰れる人間を目指す!
《総括》
師匠の教えを大切にする。
一見いやな体験や厳しい体験も自分を変えるチャンスと捉えることもできる。
体験をためらわずに挑戦していくこと、挨拶と人を大切にしていくことを感じました。
実践しなければただの感動で終わる。
実践
→鳥取に帰ったら、自分の部屋と学校の机を環境整備。
→挨拶をしっかり一言プラスして行います!
日本ベンチャー大學大阪校1期生 小田祥三(鳥取大学大学院)
「環境整備」
本日は、現地に赴く形の講義であったため、環境整備はいたしませんでした。
しかし、環境整備に力を入れる大森社長の会社は非常に綺麗で、見習う事がたくさんありました。
少しの工夫で、非常に使いやすい環境になるのだなとつくづく実感しました。
今後、私達日本ベンチャー大學大阪校生が成長していくには、些細な事にも気付き、
どうすれば改善されるのかを考えられるようになるかが大きな鍵となると思いました。
掃除をして、清清しい気分になるだけでは無く。
それを通じて、次はどうすればもっと清清しく、
使い勝手が良くなるのかと、貪欲に探求したい。そう感じました。
「大森貴之社長」
右往左往、山有り谷有りで人生の山を登るか、スマートに真っ直ぐ山を登るかは、人それぞれ。
非常に共感しました。
今、氷河期といわれる時代を生きる私達は、真っ直ぐ上る為の道が落石事故で封鎖されており、
迂回するしかなくなって居るように感じたからです。
その際、地道に迂回して登るのか。危険を顧みず無謀と言われる道を進むのか。
決めるのは自分なんだと思い知らされ、その決定には「人」が必要不可欠なのだ。
と思いました。
「新聞アウトプット」
近くの公園で新聞アウトプット。初めての経験です。
これから増えていく恒例行事となりそうなので、早々に慣れる事が出来るようにします。
常に誰かに見られている。
誰に見られても恥ずかしくない、堂々とした行動を身に付けることが出来れば、
とっさに前に出るような事があっても、自分の言葉を紡ぐ事が出来る。
その予行練習だと思うようにします。
内容では、自身の課題点として、端的にきちんと要領良く伝えるようにすると言うのが有るのですが、出来ませんでした。
読み込みが浅いのに、他の情報と組み合わせたりしてしまい、軸がぶれてしまったように感じました。
軸のぶれない伝え方をする為に、脱線しないよう記事の深く深くをアウトプット出来る様頑張ります。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 住田 欣哉(大阪産業大学)
【株式会社オオモリ】…
創業60年以上。
現在の大森貴之社長は3代目。
主に医療・理化学などに用いられる製品の企画・製造・販売。
新卒採用今年が3年目。
『理不尽な体験から逃げない!』…
大森社長の大学時代・前の会社にお勤めの際のエピソード。
⇒理不尽な体験はその時はとても辛い。
が、「叱る」事はとてもエネルギーを使う。
「叱る」事は相手に関心が無いと叱れない。
このように査定的意味づけをする事が出来るようになったのは、
今ご自身が経営者という立場だから…とも言える。
『社員は方針があるから頑張れる。』…
大森社長が講義の後半で
「こんな事、社員の前でも喋った事ない」
「答えはすべて経営計画書の中に書いてある」
と仰っていた。
⇒社長がいくら社員とコミュニケーションを取っても、
社長の考え・会社の方針が明確でないと、
社員はどこに向かって働けばいいのか分からない。
『人は他責ではなく、自責の念でしか始まらない』…
他人の責任にしてしまうと、自分が変わることを忘れてしまう。
自分の責任と捉えると、改善策を考える。
⇒人が成長するかしないかの重要な分かれ目と言える。
よく武蔵野小山社長が、「雪が降るのもポストが赤いのも小山昇の責任」と仰られている。
社長が変われば社長が変わる。他責の念で終わらす社長では会社は
成長しない。
『ベンチマーキング(会社見学)』…
武蔵野サポート企業の会社には何社からお伺いさせて
頂いた事があるが、それぞれ特徴があって面白い。
オオモリでは工場があるので、ドアの開け閉めの部分も細心の注意を払い、ドアの開閉部分がマーキングされていた。
また本棚の書籍全てをまとめてテープを斜めに貼っていくことで、
定位置の見える化がなされていた。
書籍の整理にはとても効果的である。
『アウトプットタイム』…
まだ、ダラダラしているなと自分自身で感じた。
もっと声を出すようにしていく。
手を挙げる際、声を出すという点では今回実践できた。
それがもっと当たり前かつ大きな声になるよう自分から出していく。
――――
総括
――――
もっと「学生で大阪校を創っていくんだ!」という気持ちを持っていきたい!
口コミで次から次へと学生が来てくれるようになるのが一つの目標でもある。
そうなる為には、自分たちがモデルにならなければならない。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 川辺聖弥(大阪商業大学)
【4・30(土)】野口秀人先生(株式会社ロジック 代表取締役社長) 『リアル経営学』
【課題】
アウトプット時、自分の課題が明確に分かった。
時間をかけてまとめることは出来るが、即行でアウトプットするのが非常に苦手である。
頭の中ですぐに、自分の意見を持つこと・まとめることくせを付けよう!
また、質問はたくさん思い浮かぶのだが、それを自己解決してしまう傾向がある。
これはどういうことだろう
⇒おそらくこういう意味だろうという流れになってしまう。もっと質問力を高める。
【オーラ】
野口先生の第一印象。小柄で、かわいらしい方ですが、柔らかで包み込むような大きなオーラを感じました。
その目で見られると、心を透かされるようでした。
⇒オーラをまとう。色々な方の色々な雰囲気(オーラ)があるが、このようなオーラは、初めてだった。
自分も、自分なりのオーラを感じさせられる人間になる。
【人は必ず死ぬ】
人は死ぬ。死ぬとお金はもちろん体も、もっていくことはできない。
⇒先を見つめて生きていくことが出来る考え方。100年カレンダーをおく企業にも通じると思った。
【一流に触れる】
野口先生は、若いうちから貯金をし、たまると、コース料理、美術、お茶、能をはじめとする一流のものに触れる機会を設けられた。
文化に触れて目を肥やすことは大切。
商品や経営は文化に通ずる。 日本は、今は三流かもしれないがかつて一流であった。
それは、遺伝子にも残っている。日本の一流な文化や“粋"に触れることは、後の役に立った。
⇒一流に触れること、物としては残らない形の自己投資。何事も経験。自分も一流に触れる機会を今後作っていく。
【困るということ】
野口社長が明日、手形が切れなければ倒産という危機の状態で、偶然寄った易者に何も困っていないといわれる。
野口社長は、企業が倒れても、技術を持っていらっしゃるので生活はしていける。
このことから、いいカッコしいの自分が困っている・自我に苦しんでいることに気づかれる。
⇒失敗を恐れているのは、見栄を張っているから。
いたずらっ子は恥をかきなれているから社会に出てから強い。
自我に苦しまずに、失敗を恐れず挑戦することが大切。
若い頃は特に、恥をかくための時期という言葉に勇気を頂きました。
【人は鏡】
嫌な人、それは自分に似ている人。
その人がいるということは、今の自分のテーマがそこにあることを示している。
嫌でなくなるということは、自分を許したということ。
⇒鏡の法則。自分も、山近社長のかばん持ちを始めてから、少し変わり始めた。
縁を感じて縁に感謝すると縁が広がり、周りの人も変わった気がする。
不思議。相手を教訓に自分の課題を見つけ取り組むことは大切だ。
そして、周りの人間に感謝。
【今を生きる】
人間は、今しか生きられない。過去―終わったことをあまり思わない。
未来―起こったときに考える。恥を恐れない。
≪統括≫
はじめは、野口先生の生い立ちのお話で、見えないものが見える不思議な世界を感じた。
こういう方にお会いしたのは初めてでとても興味深かった。
自分の人生を見直した時、不思議な偶然がたくさんある。
そういったものが、偶然でないかもしれない。
ご縁を大切にすることを改めて感じた。
自分の、かばん持ち前の人生は、失敗を恐れて何も出来なくなっていた。恥を恐れないことの大切さを再確認した。
恥を恐れず、一流に触れる機会を作って、人生に挑戦していきます!!
日本ベンチャー大學大阪校1期生 小田祥三(鳥取大学大学院)
【朝礼】
未だ、分離礼の息が合わず。
今後の目標として、「分離礼を完璧にする」を設定し、
皆で高めあう必要があるとひしひしと感じた。
特に、とっさの状況で瞬時に行動出来る様に心掛けたい。
【環境整備】
想像よりは汚れていなかったが、
それなりに汚れていたので一週間の重みとして受け止め、
次の場所のワックス掛けを行った。
やはり、終わった後の清清しさはこれから頑張るんだという
スイッチの入れ替えに役立っており、
公私のケジメをつける境目となるのだと感じた。
【新聞アウトプット】
個人的に最初の方が少し切り替えが出来なかった。
環境整備の最中にきちんと切り替えられる様心掛ける事にする。
始まってからは、かなり充実させる事が出来たと思う。
意見として、発言中の人の顔は見るべきだと感じた。
新聞を追う事に必死で、意見を流し聞きしている様に
見える事もしばしば。
高瀬君が、非常に人の顔を見て話を聞いていたので、
真似しようと思う。
【野口秀人先生ご講義】
非常に為になるお話を伺うことが出来、
今後の考え方に大きく影響の有る有意義な時間を
過ごせたと感じました。
本当に苦しいと感じている時、それは自我が苦しいと
感じているだけであって、本当の自分は全く困っていない。
最終的には逃げなければ良いのだという事。
目標無しでも人に親切にする。
それは、返って来るときは返って来るし、来ないものは来ない。
どちらにしろ、生かされているという事を実感しているだけで、
ものの本質の見方が大きく変わり、
先を見据える力がつくのではないかと感じた。
過去は変えられず、未来を分かって進むことは出来ないのだから、
過去や未来に縛られず、「今」を懸命に生きる事が大切。
そう教えられました。
成る程と思います。いくら悔やんだところで、
何も変わりませんし、未来の予想が確実に当たる訳ではないので、
今を生きるしかない。
だから全力で向かう。非常に共感することが出来ました。
[小田君の誕生日会]
小野さんと高瀬君の計画で、野口先生の講義の後、
敢行されました。座学としての講義は始めてだったので、
緊張していた分、軽く羽目を外す感じでした。
小田君が喜んでくれてよかったと思います。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 住田 欣哉(大阪産業大学)
【4・23(土)】歴史現地講座『大阪護国神社』
2011/04/23 23:10:12
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午前 朝礼、掃除(環境整備)、新聞アウトプット
午後 大阪護國神社
【リーダー】
今回リーダーを務めさせていただきました。
全体の流れを意識しつつ、自分のアウトプットを
まとめる同時作業に苦戦しました。
また、分離礼を率先して崩していました。
⇒冷静に多くのことを考えていく必要性を感じました。失敗は仕方ないので、もう少し落ち着いて、次に改善を活かします。
【環境整備】
本日は、教室の床のワックスを行いました。
剥離剤で、力強く30分近く磨き、丁寧に重ねてワックスを塗りました。
床磨きでは、体力的には疲労しましたが、皆で汗を流しながら、頑張ることは楽しかったです。
掃除した所と、していないところの美しさの違いは驚きでした。
⇒自分で苦労してきれいにすることで、きれいな状態のありがたさをしり、
その場所・物を大切にするようになるという繋がりを実感できました。
大阪護國神社
【外観】
大きい。
前日偶然、和歌山縣護國神社を参拝していたが、比較しても大きかった。
神社は、基本的に落ちるものは置かないとしており、常緑樹が多いとされています。
その影響もあってか、やはり神社独特の涼しいがパワーを感じる空間でした。
【手水舎】
作法。自分は今まで左右反対で行っていたことに気づきました。
今までは、やってはいたが、深く考えていませんでした。
⇒『郷に入りては郷に従へ』こういう部分では形式を大切にします。
【説明】
權宮司様に大阪護國神社の沿革をご説明いただきました。
神社の真ん中の道は、「正中」といい神様の通り道。
人は中心を避けて通るものと知りました。
⇒神社は行く機会が増えてきたが、知らない作法がまだまだ多い。
これを期に少しづつ神社のことを知る機会にする。
【間(ま)・質問】
權宮司様の話の間、質問をしていいのか迷いました。
タイミングが難しかったです。
大西校長の質問のタイミングは上手く参考になりました。
⇒迷ったら、実行の気持ちで挑戦。質問力も高める。
【浪速宮(なにわぐう)】
護國神社は、敗戦後、GHQからの指令で、存続のため名称を変更しなければなりませんでした。
そのため、「浪速宮」という名称に変わっていました。
勝者は、どこまで敗者をせめられるのか疑問に感じました。
米側から見ると仲間を殺した者を祭っている。許せないことだろう。
ただ、戦争はお互いに殺しあっている。
勝者は英雄、敗者は犯罪者。人の悲しい部分だと感じました。
⇒靖國神社の權禰宜様からお話を聞いた時のことを思い出した。
靖國神社は、明治側のために戦った者を偲ぶために作られた。
そのため、幕府側(旧体制)の方は、英霊・御祭神として扱わない。
ただし、新体制側の敵という罪は許される。
戦争中は悲しい。
旧体制の近藤勇(新撰組)は、交渉に行き捕らえられた。
当時、坂本竜馬を殺したのは新撰組とされていたので
それを思った新体制は近藤を許さず、処刑。
しかも、農家出身のため切腹は許されず斬首。
靖國神社の考え方では、新撰組も御祭神ではないが、現在罪は許されている。
戦争はお互いに殺し合い。
死んだもの・敗者だけ、責め続けるべきかに疑問を感じた。
(当事者は許さないかもしれないが)
戦争を繰り返さないという教訓が大切だ。
【泥まみれになって必死にもがく】
最後に宮司様のお話を伺いました。
宮司様は、一度社会に出られてから神社に入られた方。
経験豊富で、非常に面白いお話でした。
人は生まれる前に、世の中のために、神様から素晴らしい才能を与えられる。
しかし、生まれた瞬間全て忘れてしまう。ただし、2~3%は覚えている。
人生の岐路、人はその2~3%を思い出すため迷う。
その突起必死に迷い悩んで決めることで、後に後悔がなくなる。
泥まみれ、血まみれになって頑張ればよい。
そうすれば、神様が与えてくださったものの鉱脈を掘り起こすことが出来る。
⇒心打たれました。こういう方のお話を聞くのは大好きです。
それは、自信が歩まれた体験を踏まえたお話だから。
経営者様のお話を聞く面白さと同じだと感じる。
自分も、たくさん苦しんだり成功したりして、自分に与えられたものを見つけ・発揮して、後に人にこういうお話を出来る存在になります!
漠然としているが、目標が見えた!
≪統括≫
物事は体験しなくては身につかない。その背景を自分で感じる必要がある。
自分は、何故今日本で普通の暮らしが出来るのか、
何故この部屋はきれいなのか。
自分で掃除して、自分で足を運んで、自分でその場を感じて、
自分でその人から話を聞く。
この大切さを再確認しました。
これからも、自分で行動して・体験して学ぶことを大切にします。
追伸
あの宮司様をお招きして、(もしくはこちらからお伺いして)
講師になっていただいて、もっとお話を伺いたいと思いました。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 小田祥三(鳥取大学大学院)
【美化活動】
全員必死。全力投球で床磨き。
一人頭6面のタイル(計24面)をワックス除去剤でひたすら磨く磨く磨く。
床は真っ白になりました。そして手がミイラの如くカピカピに…
その後ワックス掛けに移行。
ワックスを掛けては伸ばし掛けては伸ばし…床はペッカペカ、手はテッカテカになりました。
爪が皮膚呼吸を求めて止みませんでした。
現在筋肉痛です。主に二の腕が。
この活動でわかった事があります。まだまだ私も捨てたものじゃないなという事です。
必死になれました。何より終了後のスッキリ具合は尋常じゃない。些細な事で腐っていた自分に蹴りをかました気分です。
きっと次の講義で汚れているのを見たら、「ちくしょう次もピカピカにしてやんよ!」ってくらいの闘争心が生まれます。ほぼ確実に。
多分、参加者全員が闘争心を持って次回も頑張ると思います。
自分の性格にも気付きました。几帳面、らしいです。
ちょっとした事でも気付きってあるんですね。
日本ベンチャー大學のメンバーは仲間であってライバルでもある。
張り合いの有る一年間を過ごせる予感がしました。
【一分間スピーチ】
纏めた!ほぼ無理矢理に。偶々あった教授の方の話が断片的に残っていたのですが、思い出しつつ、自分の調べた事も混ぜつつで何とか1分に纏めきりました。
脇坂君のスピーチも面白く、聞き入っていました。
大まかな流れや数字を出したりと的確な内容になっていたように感じます。
私は数字を入れたりするよりは、ぼやかしたような話方をしてしまうので見習いたいと思います。
【新聞アウトプット】
事前に新聞を読んで言いたい事を決めておく事って大事なんだなと、前回と今回、朝5時起きで新聞読んでて思いました。
考えたこと、言いたい事、それを伝えるための要点を余裕を持って探せたのでよかったと思います。
緊張のあまり、纏めきれませんでしたが…
話をきちんと繋げて行く。これが私の今後の課題になりそうです。
全体的に見て、みんなの積極性は凄いと思います。
週一回だからこそなのかは分かりませんが、アウトプットに対してもきちんと自分の考えを述べて、述べられた側はきちんと受け止めて総括できたように感じました。
【大阪護国神社】
怒涛の豪雨の中、大阪護国神社に参拝させていただきました。
宮司の方々のお話を伺い、大阪護国神社内を見せて頂いた後、講義アウトプットという流れだったのですが、
分離礼が微妙に上手く行かないというアクシデントも有りつつ、有意義な時間を過ごせたと思います。
特別攻撃隊の像があるのですが、側面に「御国のため」「家族のため」と覚悟を決め、
勇気を振り絞って散った方々の「日本人としての心」を忘れてはならない。という内容が書かれていました。
自分が、このような覚悟が出来るか。そう考えた時、胸が痛くなりました。
そう簡単に出来るものじゃない。分かっていても、譲れないものもある。
覚悟を決めて散った方々を忘れては「日本人」とは言えないのだ。と肌で理解できました。
小野さんのアウトプットが印象に残っています。マナーとして知っていても、意味を理解し、
実際に行えている人は少ないのではないか。という疑問に確かにそうかもしれないと自分の今までを振り返って感じました。
【総括】
今回の授業は、肉体的にも精神的にも成長する事の出来た内容でした。
まだまだ仲間は少ないですが、今後増えるでしょう。
私もその一端を担わなければなりません。
その地に赴き、その地で何を感じ、何を思い、何を吸収するかは人それぞれですが、どんどん、自分を磨き、
大阪校だけでなく、東京校の皆様とも切磋琢磨できればと思います。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 住田 欣哉(大阪産業大学)
「掃除」
6面のタイルを一心不乱に擦りました。
あんなに狭いスペースだけをひたすら磨いたのはきっと今までで初めての体験でした。
出過ぎたことを申しますが、この時間で正直に思った事はあの狭いスペースを磨くために時間を取りすぎなのでは?という気持ちでいっぱいでした。
(失礼なことを言ってほんとうにすいません。)
もう既に5分くらいで綺麗になってるのに何故まだ擦るのだろう?
どうせならいっそのこと部屋中やってしまえば?と思いました。
しかし、関西理美容の皆さんもこの方法で掃除を続けているとお聞きして、
自分なりにこの掃除の意味を見つけようと磨きながら考えてみました。
おそらく、一般的な感覚からすればあの掃除の時間はどう考えても長いです。
前回の掃除は時間までにたくさん拾ってやろうと始まる前から意気込んでいましたが、今回のは先の見えないマラソンみたいなものでした。
あれこれ考えているうちにワックスがけに入りました。
思った通り綺麗になっていました。
皆さん一同に「こんだけ綺麗にしたからもう絶対汚したくない!」といったような事を口々に仰ってました。
僕も同じ気持ちでした。
きっとこの掃除には単に床を綺麗にするというだけではなく、長時間磨いたという思いにより、床を汚したくない!という気持ちを自発的に気付かせるためのものなんだと思いました。
掃除したというよりも精神の修行みたいな事をしてたのですかね。
これから働いていく場合に、自分より上の立場の方が自分の考えにそぐわない、または理不尽な事を言ってくる事があると思います。
しかし単に反発、または嫌々やるのではなく、まずは人の違いというものを認め、受け入れ、まず相手になってみるくらいのつもりの柔軟な発想で受け入れていこうと思いました。
完全に相手の意見や行動に賛同出来ない事があるかもしれませんが、やはり、人はそれぞれが違って個性というものですからそれでいいと思いました。
しかし、絶対に意味のない事なんてないでしょう。
その人なりに良かれと思ってやっていることで、それを変に思ったりすることがあっても、
自分なりの解釈でもいいので何かプラスに変えていければその人の良い所がきっと見えてくるでしょうし頑張っていけると思います。
「新聞アウトプット」
原子炉の問題について討論しました。
みんな新聞に記載されている記事を踏まえ、更に自分の知っている+αの情報をわかり易く教えてくれました。
今回は始まる前の読み込みが浅く、力不足を感じました。次回からは住田君を見習ってじっくり予習してから臨みます。
「護国神社」
昨日、アウトプットの時に読ませて頂いた遺書が悲しかったです。
死ぬ前に妹に立派な母になれと言った気持ちの裏にどんな気持ちが隠されていたのか、また残された家族の気持ちは辛くて想像できません。
東北地震による津波の影響でたくさんの方がお亡くなりになられました。
SNSで見たある日記には亡くなった家族の事が綴られていました。
流されて体が満足な状態ではなかったそうですがそれでも彼はまだ遺体が見つかっただけでも良かったと仰っていました。
一方ある記事でも遺体が見つかった家族の事が取り上げられていました。
知り合いの方に「遺体が見つかっただけでも良かった」と言われたそうです。
しかし僕は見つかっても悲しいものは悲しいし親族のかたの気持ちに寄り添う事は難しい事だと思います。
自分はああだこうだと慰めの言葉をかけるよりも一緒に悲しんできちんと弔う事が大切なのだと思いました。
亡くなった大尉さんに黙祷。
「総括」
掃除の時間に考えた事が自分の中では大きかったです。
人の気持ちを考える事。
僕はよくこの言葉を口にしますが、単に思いやりを持つという意味だけではなく社会で成功していく上での秘訣でもあると思いました。
この1年でたくさんの社長さんや熱い気持ちを秘めた人に出会うのでしょう。
完全には分かりません、時に疑問を持つ時もあるでしょうが、この気持ちを念頭において頑張っていきます。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 高瀬 翔太郎(関西外国語大学)
【4・16(土)】歴史現地講座『適塾』
《緒方洪庵先生~適塾~》
・幕末における洋学研究の第一人者。
多くの蘭学(オランダ)を翻訳し、著書を残した。
また大阪「適塾」という学塾を開いた。
『近代ヨーロッパの先進的な科学技術やものの考え方を
取り入れて、日本国家の近代化の大事業を果たす人財を輩出する』
事を目的として、日本全国、合計1000名以上にも達した。
【緒方洪庵先生】…
1、幕末という、外交のみならず国内事情までもが不安定な時にも
関わらず、蘭学を全面的に取り入れるというスタンスは、
現代の、特に企業が行う教育方針と似るところがある。
⇒歴史を遡って学んでるにも関わらず、
これから必要とされる教育方針を学ぶことが出来た。
歴史に学ぶと、物事の原理原則・本質に気付きやすい。
2、「ヅーフ辞書」という蘭和辞書に塾生は食い入るように集まった。
現代とは違い、ネットで単語を調べる事もできない当時。
普段目にすることのない外国語を読み取ろうとする姿勢が、
塾生のその後の活躍にも繋がったのだと感じた。
※(塾生が集まった部屋は「ヅーフ部屋」とまで名付けられた。)
⇒志ある人が、長い時間ひたすら歩き、大坂に学びに来た、
その数1000人以上というエピソード聴くと、頭が下がる想いである。
最近では、分からない漢字があると無視して読んでいたが、
分からない漢字・単語があれば“逐一調べる"ということを癖付ける。
3、適々斎(=洪庵先生)の意味である
『自分の心に適しするものを適として楽しむ』は、
「~しなくちゃいけない」という受け身ではなく、
自分で取り組む能動的な姿勢で学ぶ事を教えられていた。
⇒この「適々」という思想があったからこそ、適塾の指導要項第1条が、
“人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本業とす"
となったのではないだろうか。
まさに「十のやりたいことを一つに決める心」=“志"である。
【適塾】…
1、大阪の淀屋橋というオフィス街のビルに囲まれるように
ひっそりと建っている。
江戸時代の建物が残っているのは大変貴重である。
私は秋頃、はじめて適塾の存在を知り、行こうとしたら
改修工事が行われていた。
適塾自体、何度も改修工事が行われてきており、
大阪の残したい文化としての力の入れようも感じた。
⇒「いつまでも残したい。」と思えるものがある事は
素晴らしいことである。
約150年経つ今でもこうして洪庵先生に学ぶことが出来るのは、
脈々と人々の想いが積み重なってきたからである。
大切にしたいと思う心を行動に移す。
2、適塾内は、至る所段差がひどく、
高齢者の方にはとてもじゃないが、「無理だろう…」と
思ってしまうほど階段も急であった。
しかし、そんな中でも庭園のスペースはきちんと確保されており、
松下村塾と比べても広々とした風通しの良い建物であった。
⇒どんな窮屈な中でも庭園を持つというのは、
当時の人にとっては当たり前とも言えるくらい必要な
ものだったのだろうか…?
どんな切り詰めた中でも一瞬の安らぎを感じる事は、
心のゆとりを持つという事でも忘れずにいたい。
――
総括
――
今回の講義では、大阪特有の精神文化を感じ取る事が
出来たことが一番の収穫であった。
適塾内にある記述の中で、
学びに来た塾生の動機に
「大阪という町は自由で、社会的にも特質である…」
という風な記述が多かった。
私は「阪大医学部は凄い」と周りが言う環境の中で育ったのだが
その謎のルーツを辿る事が出来た今回。
自分の生まれ故郷でもある大阪の文化、
学問に対する姿勢に触れる事ができた。
また、最後のアウトプットの時間を
長く取った事によって、
適塾に皆で尋ねたという体験をより濃いものにできた。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 川辺聖弥(大阪商業大学)
「教室から適塾まで」
初顔会わせから、既にご一緒した事がある方々まで、幅広く関わりあうことが出来たと思います。
全体の流れから、新聞のアウトプット、おあしも運動や掃除の割り振りなどをしましたが、全員が真剣に取り組めていたと思います。
新聞のアウトプットでは、事前に日経新聞を読み、ある程度の大まかな内容を把握していたお陰か、スムーズにどの記事をアウトプットするかを決められたので、ある程度自分の意見や疑問点を述べる事が出来ました。
それに対して、JVU大阪校の皆様の意見・見解を伺い、なるほど確かに。と取り込んでいける内容が多く、見方の違いでここまで考え方が広がるのかと驚きました。
大阪校の皆さんのアウトプットも、記事に、この内容はこうだだからこうするべきだと私は考えます。と的確なコメントを述べており、レベルの高いアウトプットになっていたと思います。
今回の新聞アウトプットは、自分の見解を述べ、周りの意見を取り入れ、総括によってまとめて行くような形で終わりました。
今後は、内容によっては意見を戦わせる必要もあるかもしれないと感じました。
私は声が大きい方では無いので、おあしも運動では、少し声が嗄れそうになりました。複式呼吸が大事ですね。
「おす」
「おはようございます」
「ありがとうございます」
「失礼致します」
「申し訳ございません」
「今日も1日よろしくお願いします」
この言葉だけで全体の士気が上がった気がしました。
まだまだ分離礼は息が合わず、バラバラでしたが、今後、少しづつ合わしていければと思います。
掃除では窓拭きを担当させていただきました。
バイト先で6年近く窓を拭いているからか、窓を見て時間的にピカピカとまではいかなくても全力で拭くぞと意気込んでしまい、8階から落ちそうになりながら拭いてきました。
他の方々と会話し、連携しながら掃除するべきだったのですが、黙々と拭き続けてしまい、失敗したなぁと思いました。
「緒方洪庵の私塾-適塾-」
実は来たのは始めてで、凄く期待していました。
中に入ると、当時の光景がどのような物だったのかということがわかるジオラマや当時使われていた物があり、不思議と引き込まれていきました。
私が、「適塾」内を歩いていて感じたことは、当時の生徒達と現代を生きる学生達とのやる気の違いでした。
それはヅーフ小屋や、当時の生徒達の生活に生々しく刻み込まれているように思います。
『扶氏医戒之略』から「医の世に生活するは人の為のみ、おのれの為にあらず」という言葉があるのですが、これは医療に関わらず、人が何かをしようとする際の、理想の考え方だと感じます。
緒方洪庵先生は名を章、字を公裁、号を適々斎だそうですが、短歌を章と名で残しています。
のちのよの 闇のためにも 焚きのこせ
ふくる夜川の 瀬々の篝火 章
未来は分からないけれど、後世に語り継いでいく光を絶やしてはならないのだということを伝えたかったのだと思います。
塾徒部屋の畳からは狭くても寄せ合いながら協力して生きて行く大切さを感じます。
町医者番付表など、まるで相撲のような格付けがあり、競い合いの精神も大切にし、床の間の壁の塗りなおしからは、適塾のある場所の重要性や何度も繰り返し使う、日本人らしい物を大切にする心を垣間見ました。
塾徒たちは、資料を模範するのに、ヅーフ部屋にある辞書を調べ物をするために、奪い合うように使っていたそうです。
そして、人に教わる事無く、自分で考え、解説をつけて、塾生同士で互いに学力を戦わすことを誇りにしていた。
今の学生には中々無い、力強い根性だと思います。
模範するということの大切さを含め、見習うべき点であり、狭くても不便でも、やる気によっては何処でも最高の環境に変えられるのだと教えられました。
勉学に打ち込むその反面、柱への刀傷など、当時の若者らしい勇ましさも持ち合わせている。
このような二面性は、今の自分に必要なことだと思います。
気持ちの切り替えが出来るようにならねばと思います。
緒方洪庵先生の「適塾」を訪れて、何かをやりぬいて行く大切さを教えられた気がしました。
緒方洪庵先生は医療でしたが、何かをやりぬく事によって、周りに認められ、更なる人との関係を持つ事によって、更にやりぬくための足がけになって行くのだと感じました。
日本ベンチャー大學大阪校1期生 住田 欣哉(大阪産業大学)
【4・9(土)】日本ベンチャー大學 大阪校 『第1期生 入学式』
アウトプット
全然発言出来ませんでした。
もっと考える時間が有ればと感じましたが、
同時に目標が出来ました。
思考時間を減らしつつも、
自分らしい発言力を保ち、発言数を増やす!!
ここに思い至っただけでも収穫だと思っています!
日本ベンチャー大學 大阪校一期生 住田欣哉(大阪産業大学)
まず歴史的な1ページに参加できたことを大変光栄に思います。
山近理事長のスピーチ、来賓の方のお言葉、大西校長のスピーチ、
今元事務局長の説明、懇談会などを通して、
たくさんの方とお話できたことを大変嬉しく思います。
以下、気づきを3つにまとめてアウトプットさせていただきます。
「継続した感即動」
まず山近社長のお話を聞いて、
今まで2回の失敗があったものの
3回目でベンチャー大學を開き、今があることを聞き、
諦めずに継続し続ければ物事は実るものだろ感じました。
またそれを成し遂げるためには
感即動が大事であると分かりました。
一瞬だけ動くのではなく、習慣化できる動きを目指します。
「伝えたいことを明確にするスピーチ」
経営者の方々の話す言葉1つ1つ深く重みを感じ、
心に響くものばかりでした。
私も今回始めにスピーチを行わせていただきましたが
何を伝えたいのかいまいちハッキリしないもとなりました。
何が自分には足りないのかを考えますと
一番は伝えたいことをまず3つまでに決めることであります。
人は頭に入れることはできるのは多くて3つまでと言われます。
簡潔でなければ人を説得させたり、納得させることは出来ません。
そのために今後のスピーチをするときは必ず伝えることを
3つまでに絞ったもので行います。
「期待以上に動く」
今回片付けの際、ベン大3期生が関西理美容サービスの方から
雑巾など借りて掃除しようとする姿を見て、自分の動きが
まだまだであると気づきました。
周りを見る力、自分がどのように役に立てるかという意識が
高いことにも悔しく感じたので今後は自分が周りに
どう役に立てるかを意識した行動をします。
言わずとも期待以上に動くことできるようにします。
日本ベンチャー大學大阪校一期生 脇坂勇輝(兵庫県立大学大学院)