平成25年(2013)【10月26日(土)】 現地歴史学/大塩平八郎の乱の跡を巡る
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●1日の流れ
1、朝礼
2、新聞アウトプット
3、学生企画打ち合わせ
4、大塩平八郎の乱の跡を巡る
5、終礼、解散
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●気付き
・大塩平八郎について
1.連光寺
増長院日秀の開山で、慶長9年(1604年)建立された。
境内に大塩平八郎の墓があることで知られる。
昭和20年(1945年)大阪大空襲で焼失し、大塩平八郎の墓も
破壊されたが再建された。
大塩平八郎の墓以外にも大塩平八郎の乱でなくなった方の
お墓も存在していた。
お墓には現在でも多くの花が手向けられていた。
2.成光寺
大塩家・代々の菩提寺です。両親を早くに亡くした平八郎少年は、
祖父と祖父の後妻の影響を大きく受けます。
3.大阪天満宮
その昔、太宰府へと左遷され、非業の死を遂げた菅原道真公
彼が、九州へ行く途中に立ち寄った摂津大将軍神社には、
いつしか7本の松の木が生え、
夜ごと恨めしそうに金色に輝いたと言います。
その話を聞いた時の天皇が、新たにその地に天満宮を創建したのだとか
大将軍神社は今も天満宮の境内にあります。
大塩の乱の時に社殿が全焼していまいましたが、その後、
弘化二年(1845年)に再建されました。
4.川崎東正宮跡
元和 2年(1616) 4月17日に家康公が没したのち、2代将軍秀忠は
家康公を東照大権現として祀り、各地に東照社(のち東照宮)を
建立することを命じた。大坂(現・大阪)の地には、翌元和3年
(1617)、大坂夏の陣後にその戦功によって大坂を与えられ、
現在の造幣局から滝川小学校のある辺りに東照大権現宮を造営した。
現在、滝川小学校の建つ場所は、乱の当日、彼らが集合した
川崎東照宮のあった所でした。
皮肉にも、豊臣びいきの大阪人を屈服させるため力を入れて
建立された東照宮で蜂起しました。
5.大塩の乱槐
造幣局の正門前に大塩の乱槐という石碑がありました。
大塩の乱の時、大砲の攻撃によって裂けてしまった樹齢200年の槐
(えんじゅ・アカシアに似た葉っぱが小型の落葉樹)の木が
あった所でした。
2010年1月に、石碑の横に新たな槐の木が植えられました。
・実際の場所に行く大切さ
大塩平八郎と聞くと、大阪で大塩平八郎の乱が起きたことは
すぐに思い浮かびました。
しかし、大阪のどこで起きたのかなど詳しいことは全く
知りませんでした。
今回、見て回った石碑や乱の跡から、実際過去に「大塩平八郎の乱」が
あったと感じることができました。
どれほど激しいものであったかも、見に行くことでわかりました。
・わからない人にはわからないまま
今回、廻った石碑などは都会の真ん中にひっそりとたたずんでいて、
街行く人で気付くひとはいませんでした。
知っているかどうかで、立派な石碑や建造物に興味を持つかどうか
で差がついてしまうと思いました。
・知りすぎていくのがちょうどいい
大阪天満宮などでは石碑が多くありました。しかし、十分に
学習していなかったので何の石碑なのかわからないことが
多々ありました。
そのため、知りすぎた上で行ってみるのがちょうどいいと感じました。
●実行すること
田中角栄記念館(柏崎市)に11月終わりまでに行く
●感想
今日はいつもと違った課外講義でした。
大塩平八郎を深く知ることはできませんでしたが、
過去に大阪のこの場所で、多くの人を巻き込んで乱があったことを
感じることができました。
石碑にも意味があり、自分がもっと詳しく知っていればよかったと
感じました。
今後の上海研修や知覧ではしっかり事前学習を進めたうえで参加します。
人数の問題によって活発な議論や交流はできませんでしたが、
今回のような場合のベン大でも参加する、意味はあると感じました。
来週は学生企画です。頑張りましょう。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【10月19日(土)】 営業学/亀田朋孝先生(Kamedas 代表)
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●1日の流れ
1、朝礼
2、新聞アウトプット
3、亀田朋孝先生(Kamedas 代表)による
営業におけるコミュニケーションスキル
4、終礼、解散
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●気付き
[マジョリティーが正しいとは限らない]
本日の講義は営業におけるコミュニケーションスキル。
日本ではコミュニケーションスキルを学ぶ場がなく、
現場おいて超非効率な営業が行われているということでした。
携帯ショップにしても家電量販店にしても、話が長ければ
いい風潮があり、なんとなく正しいと思い込んでいました。
しかし、今回の講義を聴き、当たり前に間違ったことが
行われていると感じました。
日本特有の性質かもしれませんが、自分なりに少数派であっても
成功している人のやり方を真似しなければならない
と感じました。
[人がどこに価値を置くのか分からない]
営業において、交渉が成立する時はお互いの妥協点に達した時です。
お客さんが金額以上の価値を見出した時に、やっと交渉が成立します。
そのため、妥協点を探しださなければなりません。
妥協点を見つけるには本音を探るための工夫が必要です。
本音を探るためにはacceptableノートをつける必要があります。
このノートに何が理由で上手くいかないのか100通りの理由を書き出します。
そして、この理由の対応方法を100通り考え書き出し実践していきます。
100通りも必要なのかと感じましたが。
人それぞれ異なる考えを持っているので、徹底してどこに価値を
置いているのか考える必要があります。
[自分を主観的に見ることと客観的に見る大切さ]
自分が怒ってしまったときや不安なときは周りが見えないことが多いです。
その時に、自分がドラマの脇役だったら、自分の行動(主人公)は
どう見えるのか?を考えてみることが大切です。
自分のことを客観的に見ると、冷静な判断ができます。しかし、
客観的だと主観的に見るときよりも情熱が伝わらず、
常に客観視することが大切なわけではありませんでした。
なので、主観と客観このバランスを大切にしていきたいです。
[生き金と死に金]
お金は、使う人には回ってくるが、使わない人には回ってこない
さびしがり屋さんという話を前に聞きました。
しかし、どのようにお金を使えば良いのか分かりませんでした。
亀田先生は、お金の使い方についてお話してくださいました。
使い方には「生き金」と「死に金」がある。回ってくるお金は生き金である。
生き金は、人を喜ばせるために使うお金のことでした。
少しでいいので、相手が喜んでくれるようにすれば、
お金は回ってきます。死に金は、自分が損をするお金の使い方です。
せっかくご飯を食べさせてあげても、ケチケチして一番安いものしか
頼んではいけないなど、相手がいい気分にならず、
自分が損をします。
お金を出す価値があるかどうか?
この視点も必要だと感じました。
●実行すること
・学生企画が進まない理由100個考え
100個の対処方法を考える(1週間で)
●感想
本日の亀田先生の講義は、小手先のテクニックではなく
本質をついた講義でしたので、時間があっという間に過ぎました。
営業に対する不安が一気に消え、今日はベン大に来れて本当に
良かったと感じました。
質問の時には、リーダーとしての役割について聞きました。
リーダーは1人1人が居心地良く、自分が必要とされていると
感じさせないといけないというお話でした。代表を務めているので、
アドバイスは大変参考になりました。
話していて、とても話しやすいお方でした。
自分が社会人になったときに、亀田先生のように
親近感を持たれる人になりたい、と感じました。
今日は王さんが来てくれたので、中国に関して話を聞くことができました。
新聞アウトプットの際に、視点が日本寄りばかりだったので
王さんの考えはとても参考になりました。
王さん、野田君、来てくれてありがとうございました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【10月12日(土)】 感動物語コンテスト2013見学
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●1日の流れ
1、朝礼
2、新聞アウトプット
3、「感動物語コンテスト2013」見学
4、終礼、解散
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●判断基準は損得ではなく純粋な感情
感動物語では6つの企業がプレゼンをしてくださいました。
どの企業のプレゼンにおいても、行動する動機がお金や利益ではなく、
人の役に立つためであったり笑顔になってもらいたいなど
純粋な感情でした。酒井商會という会社のプレゼンでは、
難病の娘さんに千羽鶴を送るというお話でした。お客様の娘さんが
難病だと知り、三日で千羽鶴を折ろうと決心し、行動し達成しました。
当然、周りやお客さんの協力が必要ですが、従業員の方の
気持ちが伝わり、三日という少ない日数で達成できたと思いました。
純粋な感情が人を動かす原動力となる、そう感じました。
●企業の取り組みは様々
コンテストに参加している企業はすべて魅力的でした。
理念はとても立派でした。高齢者の方でも自分の意思で
好きに暮らせる社会をつくる。などとても具体的で、魅力を感じました。
理念をどうやって行動に結びつけるかが徹底されていました。
朝礼で理念の共有をするであったり、スタッフを俳優、女優と
呼ぶ会社もありました。企業独自の取り組みは真似して
ベン大に取り入れていきたいと感じました。
●今しかできないことがある
物語をプレゼンした企業には介護を行う企業が多数ありました。
その企業のプレゼンで印象に残っている言葉は(また今度)という
今度がないということです。
介護に関して、自分が無知なので言われて確かにそうだな、としか
感じませんでした。
しかし、プレゼンで100歳の方のファションショーを行う話がありました。
100年の歴史の一部となっている洋服をもう一度、輝かせることが
どんなに高齢者の方に幸せかというお話でした。
これは今しかできない。という感情がなければ
できなかったと感じました…。普段から今しかできない、
今度はないと考える大切さを学びました。
●実行すること
自分の感動物語を一つ考える
●感想
講義の参加人数は4名でした。一人見学生が来てくれました。
1分間スピーチの主旨や進め方を見直すいい機会でした。
わかっているつもりでも、忘れていることが多くありました。
新聞アウトプットでは進め方が上手く出来ず、議論が進みませんでした。
一度、討論の仕方について考え直す必要があると感じました
感動物語コンテストは普段行く機会がないので、参加でき本当に
良かったです。
参加企業は、どれも熱い思いが伝わってきました。
コンテストに参加する企業はどこか普通の企業とは違う雰囲気でした。
理念がしっかりしているので、実現のため頑張る姿勢が魅力的でした。
山口校校の長梶井社長のご縁で、この見学を実施できました。
梶井社長ありがとうございました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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平成25年(2013)【10月5日(土)】 リアル歴史学/チキンラーメン発明記念館
●金儲けのためでなく明るさのために働く
インスタントラーメンの開発者は安藤百福(ももふく)という方。
インスタントラーメンを開発した想いは「社会を明るくしたい」という想いでした。
インスタントラーメンは単に食品を売っているわけではなく「時間を提供」している。
この食品を通じて人々に幸せになってもらいたい、という想いが伝わってきました。
そのため、せっかくの特許も公開し、インスタントラーメンが発展
していくようにしました。
ベン大を通じて会う方々は、
どなたも単にお金のためだけに働いている、とは考えていらっしゃらない。
自分自身も何のために働くか?を明確にしなければならないと感じました。
●日常の中に発明は転がっている。
画期的なインスタントラーメンの開発方法を学ぶことができました。
いくつか例を挙げます。ラーメンのフタは、飛行機の機内食の
マカダミアナッツのフタを見て、思いつかれました。
また、カップを麺にかぶせる方法は自分が宙吊りになったことから。
そもそも、カップラーメンを開発しようとした理由は、欧米の方が
箸を使わなかったことにあります。
このように、開発のきっかけや理由はとても平凡なものでした。
しかし、安藤百福さんは、小さなきっかけに気付くことができました。
気付くかどうか? これが成功のカギを握ると感じました。
●時は命なり
この言葉は記念館の入り口にありました。時は「金」ではなく
「命」と書かれてあり、初めは意味が分かりませんでした。
刻一刻と刻まれています。つまり命が一秒一秒刻まれている。
だから、切迫感を持って生きるべし。
私の周りの人で、切迫感を持っている人は少ない。
私自身もこの切迫感が全くありませんでした。講義に50分も
遅刻してしまいました。自分の考えの甘さが時間の使い方に
現れていました。本当に反省しました。
●生産しやすい商品を開発の第一目標にしてはいけない!
カップラーメンの開発にあたって、安田百福さんが口にした言葉です。
まず、理想を作り、次に生産設備を作り、理想通りの商品を作るべし。
生産しやすい商品を開発の第一目標にしてはならない。
自分の目標に関して、妥協した目標であってはならない、と感じました。
いかに理想を実現させるために、努力をするかどうかが大切だと感じました。
●実行すること
日報の気づきを毎回4つ書く
●感想
インスタントラーメンは、手軽なもので当たり前なもの、としてとらえていました。
しかし、記念館ではラーメンに込められた情熱が伝わってきました。
宇宙食であったり、飢餓を救うなどまだまだインスタントラーメンの
活躍は広まりそうです。
自分は理系であるのにも関わらず、発見や気づきに対して情熱が
足りないと感じる記念館でした。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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