平成26年(2014)【2月8日(土)】 課外講義/大阪企業家ミュージアム見学
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●1日の流れ
1、朝礼
2、新聞アウトプット
3、大阪企業家ミュージアム訪問
4、終礼、解散
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●気づき
[イノベーションを生み出すことが成功]
企業ミュージアムでは多くの企業家について知ることができました。
その中で共通していたことは、イノベーションを起こし、今までに無い製品で
成功を収めていました。常識では考えられないことを考えだし、
多くの人に知ってもらうことで成功につながると感じました。
日ごろから、常識を疑うことが必要だと感じました。
[大阪には企業家が生まれる環境があった]
江戸時代から大阪は堂島の米取引所をはじめとして、全国の物資が大阪に集まり
経済は活気に溢れていました。
貨幣経済と流通経済が成熟し、合理性が持ち込まれます。品物の値段の
乱高下に影響のないよう先物取引も生まれました。
ですので、企業家が生まれるような国際経済が存在していました。
大阪が恵まれた環境であり、いかに環境が大切であるか感じました。
[今ある形が正しいとは限らない]
金融が成熟する前の銀行はリスクを取らず、自己資本のみを融資し、
今の形とは全く違いました。
今の野村証券の前身である大阪野村銀行の創始者である、野村徳七は銀行に
欧米のスタイルを取り込み、勘と経験による融資から市場調査による
融資の仕組みを作りました。
東京UFJ銀行の前身銀行の頭取であった、岩下清周は今のベンチャーキャピタルの
元を作り、人物本位、事業内容本位の融資を行いました。日本生命は初めて、
科学的算術による保険料算出を行いました。
同じく東京UFJ銀行の前身銀行の頭取の小山健三は「金を貸すときは
自分のお金を貸すように貸せ」という言葉を残しています。
このようにその時代のあり方が正しいとは限らず、金融ならば先見性を持った
企業家が道を開き、成熟させていったと感じました。
●感想
新聞アウトプットでは意見を交わすことによって、
自分の意見をよりよいものに変えることができました。
新聞アウトプットを朝活としても行い、
自分の知識を増やし、ベン大の活動をもっと知ってもらえるようにします。
大阪発祥企業は多くあると聞いていましたが、その数の多さに驚きました。
新聞社では毎日、朝日、産経新聞が大阪発祥で驚きました。
安藤百福さんのようにイノベーションを起こした人105名を目の当たりにし、
刺激をもらいました。将来、自分も企業家ミュージアムに紹介されるほどの
仕事をしたいと感じました。
共通して感じたことは、社会への使命感が非常に強いことです。
社会に役に立つ商品を開発したから、成功したわけであって、
利益のために社会に役に立つ商品を開発していました。
また、イノベーションを起こすのは難しく、認められるのも難しいです。
企業家の方々は、決してやめることなく継続していました。
成功するまでやり続ける姿勢が感じられました。
From:大上直哉@大阪校3期生(新潟県出身・同志社大学4年)
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