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●1日の流れ
1、維新発祥の地は、宇部だった!/
堀雅昭先生(作家・歴史研究家)
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●本日の気付き
歴史を勉強し、今を感じるのは
私たちがこれからの歴史を創るということ。
私は歴史で語られる人たちがまるで、宙を舞うように
学び得た事を活かして思考し、行動した精神に、
深く尊敬する。
その活動が、後に新たな歴史として語り継がれる。
私は講義の全てを理解しておらず、まとめて書く事が難しいが、
山口明倫館の楠公祭について、書かなければならない。
萩に明倫館があった(儒教が中心の学校)。
萩は指月城があったが、
海に近いため、外国からの攻撃で、大砲一発だ、と考えられたため、
山口市に山口城を造る(城が二つになったのだ)。
山口城に付随した藩校が、山口明倫館である。
儒教を教えた萩とは異なり、国学と洋学(キリスト教)、
(陽明学もとても関係が深い)を学ぶ場である。
近代的である(後の山口大学は、山口明倫館が母体である)。
1年後、ここで楠公祭が開かれる。
楠公祭とは、南北朝時代に南朝側で活躍をされた楠木正成
(皇居外苑に銅像がある)を祀る行事。
それを行う精神とは、南朝の復活と北朝(今の天皇である)
の転覆を願ったもの。
この楠公祭に参列した、宇部領主「福原越後」が、その翌月、
宇部兵を率いて京都に進撃する「蛤御門の変(禁門の変)」。
西洋では、トップを倒すことが権力を得ることだが、
日本では天皇を味方につけることが重要。
越後公は、楠公主義を持って皇居に攻め入ろうとする。
が、これに失敗。
幕府から罪を負わされ、山口県の岩国で切腹する〔明治維新の火種〕。
福原越後、琴崎八幡宮に祀られる(人を祀るのはめずらしい事)。
・太宰府天満宮に祀られた菅原道真
・安徳天皇を祀った、山口県下関の阿弥陀寺(後に赤間神宮へ)
・靖国神社(文明の近代化の象徴)が出来たのは、吉田松陰の招魂祭がきっかけ。
琴崎八幡宮(後に宇部護国神社へ)の福原越後。
そして、靖国神社では、吉田松陰と同じ石碑で祀られている方々をはじめ、
数多くの方が等しく祀られている。
ここに、キリスト教で学び得た魂、みな平等という考えがある。
たしかに、誰かが魂に優劣をつけたとしても、命を成すという
役目の魂は、皆重みが等しい。
この時代の宗教観は、もしかしたら、みんなが仏になる
という考えから遠かったのかもしれない、と私は推測している。
キリスト教が近代的であった、と堀さんは教えてくださったが、
日本の宗教観が偏っていた可能性も考えられる。
そこに、キリスト教(仏教から派生した)が新鮮で、且つ、
それまでの経緯もあって、近代日本に欠かせなかったのだろう。
禁門の変の2年後、
四境戦争が起こる。
長州藩と幕府の戦。イギリスの武器供給(薩摩との友好関係での、
英との三角同盟による)が長州にはあった。
そしてなんと、幕府側についていた孝明天皇が崩御。
長州藩が新しい天皇、明治天皇を担ぎ上げる。
鎌倉幕府を倒した時と同じように、
「錦の御旗」を天皇が将軍に与える、という形をとる。
西陣の大和錦等調達し、品川弥二郎が持ち帰る。
岡吉春という人が製造する(山口県庁の庭?にこの説明書きと碑がある)。
From:梶井友世@山口校1期生(山口芸術短期大学卒)
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