平成24年(2012)【6月16日(土)】 『歴史現地講義~阿波踊り会館』
2012/06/16
●阿波踊りは徳島城の築城を起源とし、その祝賀行事として、
築城に携わった人や城下の人達が踊ったのが始まり。
●現在までに社会状況の変化により何度も踊る事を禁じられてきたが
阿波踊りを今まで残した、この熱い思いを知れたのが嬉しい。
●ビジネス視点で阿波踊りを見る
当時利用者が多かったラジオで阿波踊りの実況中継を流した。
耳に残る掛け声、踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
デザインの良い阿波踊りポスターを全国各駅に掲示。
この三点が県外観光客誘致に繋がった。
私は徳島に生まれ育ち今まで生きてきたのですが、
自分はあまりにも無知だと実感しました。
何故なら私の阿波踊りについての知識は他県から来た学生と変わらず、
自分の生まれ育った街の伝統芸能を説明することすらできなかったのです。
しかし同時にこれを説明できれば
自分に大きくプラスになるということも実感しました。
今回、知識不足で感じた悔しさをバネにベンチャー大學の建学の精神である
「歴史」「文化」「伝統」
これらを次の世代に伝えられる人間になります。
From:井上透@JVU徳島校1期生
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■気づき
・阿波踊りの時期じゃなくても沢山の人が阿波踊り会館に来る
・念仏、世直し、盆踊り、観光と踊る目的がシフトしているにも関わらず
なお大衆を惹きつける阿波踊りの魅力
・盆踊りとしての阿波踊りから100年 今日まで急激に華美に発展した阿波踊り、戦後の反動か
・抑制されると物事が発展・爆発する威力が増す(EX.ええじゃないか)
■実行すること
・自分のフィルターで物事を見れる人間の特性を活かす
インプットをそのままアウトプットしても意味がない。それは機会でもできる。
せっかく自分の中に入って自分のフィルターを通してアウトプットするのだから
人間にしかできない掘り下げること、疑問を持つこともっと意識をしなければ
・なぜ、人は念仏・神様など見えない力に固執してしまうのか を調べる
■感想
【念仏、世直し、盆踊り、観光と踊る目的がシフトしているにも関わらず
なお大衆を惹きつける阿波踊りの魅力】がわからなかった。調べます。
徳島に住んでいるにも関わらず見えてないものがたくさんある。
阿波踊りだけにとどまらず、多くのことに共通して言えるが、
「見よう」としなければ何も『見えない』。
疑問を持とうとしなければ見える世界で満足して終わってしまう。
いかに人は もったいない 生き方をしているのか、考えさせられた。
先週の講義で取り上げた「生き方」のなかで
有意注意という言葉があります(75項)。
目的を持って真剣に意識や神経を対象に注ぐこと。
物事の核心や本質を見極める力、物事を判断する力は
この有意注意の少なさもあるのかなーと今日実感しました。
From:上田恵子@JVU徳島校1期生
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気づき
●阿波踊りの起源
阿波踊りの元となったのは祖霊踊りや死者供養の盆踊りなどが挙げられるが、
一番、起源として有力なのは、徳島城築城を起源に踊ったことである。
●変化、吸収する阿波踊り
その後も阿波踊りは「ぞめき」という誰でも自由に飛び入り参加できるやり方が主流になる。
九州のハイヤ節など多くの外来要素を吸収しながら発展していった。
●盆踊りから阿波踊りへ
明治時代に日清戦争の勝利を祝って踊る。
その後も戦争での勝利の喜びを表現するものとして踊られる。
が、1929年の世界恐慌のあおりを受け、阿波踊りを観光向けにシフトする。
「阿波踊り」というネーミングは1929年に林鼓浪さんによってつけられる。
●阿波踊り禁止から復活
日中戦争中に阿波踊りは禁止になる。
敗戦で自粛することになったが、民衆の阿波踊りを続けたい。
中止に絶対させないとの熱い気持ちから復活し、今に至るまで発展を続ける。
●なぜ、阿波踊りが広まったか?
観光事業として成功している。
「阿波踊り」というネーミングをつけたこと、ラジオで宣伝したこと、手軽に参加でき、
多くの人を巻き込めるものであったこと。
それらの要素から地元を巻き込み、多くbのファンを作ることで広まっていった。
実行する事
●「なぜ?」を考える
物を見るときは「なぜ?」を考えながら見る。
普段の生活から疑問を持ち考えながら行動することで、物事の本質を考えていき調べる。
●アンテナを広く、周りをみる
なぜを考えるため、アンテナを広げ、多くの物を見ていく。
看板などにも注意を向け、「なぜあんな形をしているのだろう?」
「なぜあんな色をしているのだろう?」と考える。
●阿波踊りで感じた「なぜ?」を調べる
なぜ、女性は夏でも暑い格好をして踊るのか?
そもそも人はなぜ踊るのか?自分で調べ、疑問点から勉強していく。
全体の感想
●阿波踊りがいろいろな踊りを取り入れながら発展していったと知り驚いた。
私は徳島県独自に発展していったものと考えていた。
それでは、他の踊りよりも阿波踊りがこれだけ有名になったのはなぜなのだろう?
観光事業としての成功もあるが、阿波踊りだからこその魅力があるのではないか。
その魅力をもっと調べ、もっと深く阿波踊りについて考える。
From:安藝崇文(徳島大学)JVU徳島校1期生
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■気づき
阿波おどりは、死者供養が目的で旧暦7月14日に踊られていたものが最初だという説、
徳島城が築城されたときに踊られたものが最初とういう説があった。
現在の阿波おどりには商業目的のため、踊り自体も見世物のためにテンポが早く、
派手な踊りに変わってきたようだ。
その時代に求めているものや目的によって、変化することが大切だと感じた。
阿波おどりが広がった理由は、娯楽が少ないのでその時代が求めていたからかもしれないし、
当時の最新の媒体であったラジオを使ったからかもしれない、
精神的な要因があるかもしれない。
私が気付かなかった魅力があるかもしれない。
今回だけではわからなかったので、調べていこうと思う。
■実行すること
・今回疑問におもったこと、なぜ阿波おどりが広がったのか、
なぜ女性はあのような服装で踊るのか、
今と昔の楽器の違いなどを調べる。
・生活していくなかで疑問を持ち続ける。
なぜできたのだろうか、なぜ広がったのだろるか。
④感想
徳島といえば阿波おどり。ただ、徳島に住んで4年目の私ですが、
阿波おどりについて、
数多くの連がお盆時期にやっていることしか知りませんでした。
今回私たちが行ったときには、
東京から来た人や、岡山から来た人と県外の方が多く来られていて、
お盆時期でもないのにと思いつつ、
それでも見に来られた人を惹きつける阿波おどりの魅力に、興味が湧きました。
それを調べて、何らかの形でアウトプットしていきたいです。
From:瀧口和也(徳島大学4年)@JVU徳島校一期生
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