吉田松陰学

吉田松陰学

【吉田松陰学】吉田松陰先生の人生、スピーチ大会

2009/11/20
【後藤虎南】
松陰先生の記憶に残ったエピソードを紹介
ペリー来航
ペリーが日本の首都江戸に来航したとき江戸はパニックであった。
そんな中松陰先生は言葉も全く話せないのに幕府の為ではなく国の為にアメリカに行き海外を勉強しようと考えた。
当時鎖国をしていた幕府から見れば不法渡航であるので死罪の可能性が高い。
そこまでのリスクがありながら決断した松陰先生の視野の広さがスゴいと感じた。
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【松本由真】
○吸引力
松陰先生の志の高さが、多くの師と出会い、
多くの門下生が集まった所以だとあらためて感じた。
○突破力
松陰先生はたびたび、脱藩や黒船
考えられないほど突飛かつ大胆な方法で自分の志を発揮した。
松陰先生は『至誠』という考え方を心から信じていたのだろうなと感じた。
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【中村寛】
脱藩とは無許可で藩をぬけだす行為で重罪である。
1851年、吉田松陰先生は宮部鼎蔵らとともに東北へ遊学することと友のあだ討ちを助太刀するため旅の許可を願い出た。
しかし予定していた期日に許可が間に合わなかったため友との約束を優先し脱藩を犯したのである。
死罪にもなりうる重い罪でありながら自分の「大切にすること」のためには命も惜しまぬという行動力がすごい。
しかもこのとき21才という若さであった。
この事件はのちの下田踏海や松下村塾での教授といった「至誠」をつらぬく行為のさきがけとなる大きなターニングポイントである。
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【河田修一】

⇒吉田松陰先生は、自分の命と引き換えに志を世に残した。志という美しい日本語は、現代人の心にも、深く刻まれている。
独房で学ぶ
⇒松陰先生にとっては、全てが学びの場。すべてが師である。独房の中の人たちや、看守までもが松陰先生の講義を聞き、皆で学びあっていた。絶望の場所である独房が、希望の場所に変わった。このようなことは、おそらく世界中でも類がないであろう。それだけ吉田松蔭先生という人物は、魅力があったのだろう。

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