東京校の講義レポート

【8月6日(土)】平和記念式典

2011/08/05
■原爆の記憶
66年前の出来事であり、今では当時を生きていた人は数少なくなっている。
被爆者の平均年齢が77歳であり、それを語り継ぐのは次の世代に移りつつあるだろう。
しかし、体験者でない僕らが、
説得力をもって平和への思いを語れるのだろうか。
日本人は、水と平和がタダで手に入ると思っている世界唯一の民族と揶揄されるように
本気で平和のありがたみを分かっているのだろうか。
もっと歴史を知ることと思いを感じることで、平和な国の偉大さを学ぶ。

投稿者:日本ベンチャー大學3期生 佐々木信(弘前大学卒、北海道出身)
1.平和宣言
被爆された広島で平和宣言をする。この平和宣言の沿革を調べてみると、
1947年に初めて当時の広島市長である浜井信三さんが宣言されている。
その当時の宣言が、「永遠に戦争を放棄して、世界平和の理想を地上に建設しよう」だった。
しかし、朝鮮戦争が行われた1950年には、GHQから平和祭が禁止され、
平和宣言はできていない。

2.核廃絶
今年の平和宣言では、改めて核廃絶の想いが強くなった。
福島原発事故によるためだ。
日本の電力の3割も支えている原子力発電所。
しかし、世界で唯一の被爆国である日本が、
なぜ世界中に原子力発電所をインフラとして推進しているのだろうか。
ふと思えば、矛盾している。
原子力発電所の廃棄はとても難しい。
時間もお金も想像を絶するほどの労力を費やす。
私たちを苦しめていた核が今では私たちの生活を支えている、どこか変な気持ちだ。
改めて、再生エネルギーや新エネルギーが必要とされる時代がもうそこに来ているのかもしれない。

3.かたちあるもの
→広島平和記念式典の近くには、原爆ドームや平和記念資料館などがある。
66年前の悲劇は今でも大切に残されている。
私は66年前にタイムスリップすることはできないが、
こういった残されたものを見ることによって想像することはできる。
66年前の8月6日。
想像を絶するほどの光景が目の前にあったのだと思う。
日頃の当たり前のありがたさに感謝する。
 
【氣づき】
"平和は手に入れるもの"
いろんな圧力や批判がある中で、多くの方の努力でこの平和記念式典は今も行われている。
そして、世界中がこの平和記念式典に興味や関心を持っている。
平和はつくられるものでも手に入るものでもない。
自分たちで努力して勝ち取るものだ。
今でも世界中のどこかで戦争が行われている。
何も罪のない人たちが被害に合っている。
私が当たり前だと思っていた"平和"は、日本人の先輩たちが何十年もかけて積み重ねた努力の結晶だ。
私は今まで平和であることを当然だと思っていたことを恥ずかしく思う。
いろんな人が平和について興味や関心を持っている。
だから、平和でいられる。そして、この平和記念式典のように絶えず平和を守っている。
私もこの平和を先輩たちが守ってくださったように興味や関心を持って後世に伝えていく。

投稿者:日本ベンチャー大學3期生 小田和浩(富山大学卒、山口県出身)

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