【平成25年1月26日(土)】 『コミュニケーション学』 大西恵子先生(大西恵子事務所 代表)
~講義の気づき~
≪ネットワーク作りの大切さ≫
仕事上で問題が発生した時や手に負えないことが起きた際に、
相談する相手がいないと対処できない可能性が高い。
こういった危機的状況を回避するためにも、
「ネットワーク作り」、「人との縁」が大切になってくる。
ベンチャー大學でかかわった方たちとの繋がりを大切にし、
つまずいたときに気軽にアドバイスを頂けるような関係作りをしていきます。
≪若手社員でも積極的に発言≫
上司の方に相談しなければ仕事が進まないにもかかわらず、
「声をかけずらい」、「怒られるのではないか」などの理由で相談しないという若手社員が多くいる。
上司の方にとっては、部下にいろいろとわからないことを
相談してもらい仕事を進めてほしいと思っているのだそうだ。
こういったことから、とにかく遠慮せずに上司に相談や自分なりの提案をしていきます。
そうしていくうちに、上司との関係性も深まり、仕事がさらに楽しくなっていくのではないか。
≪今の若者≫
メールなどでコミュニケーションが簡単に取れるようになっている時代なので、
対面型のコミュニケーションが苦手な若者が増えつつある。
時代のせいにして、対面型のコミュニケーションを避けてはならないのである。
メールを使用することで無礼だと思われたり、
思うように意思が伝わらなかったりすることがあるので注意が必要である。
できる限り、メールは避けて、電話をしたり、
直接会ったりすることを心がけていくべきである。
もう1つ、若者の欠点を挙げると「元気な挨拶ができないこと」である。
大きな声でハキハキと挨拶をすることで第一印象は変わってくる。
社会人となり、お客様にいい印象をもっていただくためにも、
ベンチャー大學で常日頃、実践している挨拶、態度を生かしていきます。
~全体の感想~
大西恵子先生の講義には4回とも参加させていただきました。
4回分の講義を受けて、一連のコミュニケーション技術を身に付けることができました。
最近は、社会人の方と会う機会が多くなってきているので、
大西恵子先生の講義を思い出して、自発的に実践していきます。
From:山本健勝(広島修道大学4年)@JVU広島校1期生
■気づき
「指示に従う」
特に新入社員は仕事に対して十分な理解ができておらず、ノウハウやスキルもない。
「ほう・れん・そう」を通じて上司が考えている仕事の優先順位ややり方を共有し、忠実に実践する。
意見などを述べるときも控えめな提案にとどめることで仕事を前に進めやすくなる。
「聴く、と、訊く」
聴くというのは、相手主体で内容を掘り下げていくこと。
訊くというのは、はっきりしないところや進むべき方向について質問をし、方向付けを確信すること。
ふたつの「きく」を意識して使い分けることで、仕事への理解が深まり、より良い仕事につながる。
「入社3ヶ月はしっかり失敗して、叱られるのが仕事」
叱られることを恐れて、何もわからないままやり過ごしていると、
4ヶ月目以降に「まだそんなことを聞いているのか」ということになり、よけいに評価も悪くなる。
「いま忙しいから」などと言われることを恐れずに、分からないことは聞く。失敗はすぐに報告する。
遅れるほど取り返しがつかなくなる。嫌味を言われても、上司は解決のために動いてくれる。
新入社員は、トラブルを上に報告した時点で責任はほとんどなく、
上司が解決しなければならない場合が多いという事情もある。
「自分の限界を知っておく」
自分の限界を知らずに出来ない仕事を出来ると言われるほうが大きな問題である。
できなかった仕事は、その後の会社勤めの中で挽回すればよい。
「仕事のタイプは4種類」
A.ルーティンワーク
ちょっとした変化に対して「ほう・れん・そう」をする。
B.スポット的な仕事
急ぎのものが多く、遅れては困る。
仕事の優先順位を上司に相談し、遅れそうになった時点ですぐに報告を行う。
C,上司の承認を得て取り組む仕事
上司からの指示ではなく、他の仕事などを考慮して、自分から提案する。
やり方についても上司に相談し、承諾を得る。
D.突発したトラブルに対処する仕事
「自分の顧客なので、自分が責任をもって解決する」ことが求められていない場合がある。
顧客は組織として対応してほしいかもしれない。
課題の本質をよく理解し、周りを巻き込んで解決する。
「優秀な社員=ほう・れん・そうができる社員」
一人でできる仕事というものはなく、仲間内でコミュニケーションをとっておく必要がある。
特に司令塔となる上司とは考えの違いを埋め、仕事の優先順位を合わせることで、
会社全体としてのパフォーマンスが向上し、顧客満足につながる。
また上司は忙しいので、全部説明するより、分からないところを聞いてほしいと思っている。
③「いま忙しい」と言われた場合に、ただ引き下がらない。
空いている時間を聞く、文面で報告するなどの工夫をする。
④今回の授業には社会人の方々も来られ、主に上司の立場から様々なご意見をいただいた。
社会に出て仕事をしていく上で迷った時には、今回のアドバイスを思い出し、
上司の考えから自分のするべき仕事や行動を考えるということも有効だと思う。
大西恵子先生はいつものように、やさしく、分かりやすく、丁寧に
「ほう・れん・そう」について教えてくださった。
先生の授業をされる姿からは、どうすれば伝えたいことを相手が受け入れてくれるか、
どうやって良好な関係を築くか、など多くのことを学ぶことができた。
From:河本将治(広島大学4年)@JVU広島校1期生
【平成25年1月19日(土)】 『就活の振り返り』
○実行すること
10年後の目標を決める
○感想
「意思ある選択が人生をつくる」
就職先に納得がいくかどうか、それは意思のある選択ができたかどうかだと思う。
考えることがその人の意思をつくる。
選んだ先が、結果的にすごくいいところだったとか、よくなかったとか、
自分の選択があとあと間違っていたとか、そんなことはどうでもよいと思う。
意思のある選択こそが、自分の人生を創っていくのではないだろうか。
「やりたいことと、できること」
・やりたいこと (WANT)
・できること (CAN)
・やるべきこと (MUST)
仕事というのは、つまるところ上記の三点なのかなと思う。
CANはそのままにしておいても伸びる。周りに求められるので、経験が積み重ねられるからだ。
自己分析の結果、やりたいことが見つからないのなら、
出来ることを活かせる仕事についたら良いと思う。
「自己実現難民」
私は就活をはじめてしばらくは、広告業界を熱望していた。
コピーライターやCMプランナーなど、決まった答えのない仕事なら、
自分の隠れた才能が開花すれば、何年か後にはたいした苦労をせずとも仕事ができて、
評価もついてくるのではないかというようなことを考えていた。
そういったメディア関係のものを見ているのも好きだし、楽しく仕事もできるだろうと。
本当に甘かった。
3年の夏休みに就活情報を集めだして、それに気づいたのが翌年の2月。
そこから第一志望を思い切って、大変だけれどもやりがいのありそうな他業界にシフトした。
あのときの判断は本当に良かったと思う。
現実を見ずに、憧れや理想だけで就職を考えるのは本当に危険だと思う。
それで開ける道が全くないわけではないが、それを実現できるのは本当に強い意志を持ち、
苦境に立たされても諦めないほど、その道に没頭できる人の中の、さらに一握りだろうと思う。
From:河本将治(広島大学4年)@JVU広島校1期生
今回は、中村友里さんが某企業を受験するということでエントリーシート作成などの就活相談会を実施した。
日本ベンチャー大學・広島校で内定を貰っている人たちが自分たちの書いた
エントリーシートや履歴書を持ち寄り、中村さんに自己分析のポイントや面接での注意点などを教え合った。
私は昨年の5月上旬ごろに内定を頂いたため、
就職活動の大変さや難しさを忘れかけていた。
アドバイスを言いあっていく中で、「私ももっと○○しておけば、
内定を簡単に得ることができただろうに…」と思うことがあったので、
就職活動をする前にこういった話を聞きたかったというのが本音である。
今回の就活相談会をきっかけに、今年の4月から勤める企業の
志望動機や自己分析などを改めて確認することができた。
内定を頂いた企業でも、就職活動をしていた際には、
正直、企業のことをほんの一部分しか理解できていなかったため、
エントリーシートの志望動機や会社で実現したいことが抽象的すぎると今更ながら感じた。
しかし、内定者懇親会や内定者研修などを重ねていくうちに、
企業全体を肌で感じることができるようになってきつつある。
したがって、今の時期は具体的に会社で実現したいこと、
取り組みたいことを考えていく必要があると思う。
今日から、将来の具体的な自分を創造し、意識の高い社員となれるよう頑張っていく。
From:山本健勝(広島修道大学4年)@JVU広島校1期生
【平成25年1月7・8日】 『松下村塾合宿』
≪研修合宿においての気づき≫
●日本ベンチャー大學での学び
改めて松下村塾で行われていた教育方針を理解することができ、
日本ベンチャー大學で学ぶことの意義を再確認できた。
「将来の宣言」を形式的なもので終わらすのではなく、
有言実行の精神をこれまで以上に持ち、行動していかなければならないということを痛感した。
あと約3カ月間しか学ぶことはできないが、
1つ1つの講義を大切にし、実行できる人間になれるよう努力していく。
●吉田松陰の凄さ
吉田松陰が1年1カ月という短期間に数多くの偉人(伊藤博文、高杉晋作など)を輩出できたということに感銘を受けた。
吉田松陰は人柄、人間性、知性などあらゆる面で能力が高かったということで、
様々な人を引き付けることができたのであろう。
私自身、大学時代の内に教職課程を履修し、
非常勤の教員免許状を取得したということもあり、未熟な教育者として吉田松陰の教育方針を参考にしていきたい。
現在の学校教育では、教師が一方的に知識を伝え、
児童生徒が自分たちの力で考えて答えを見い出していくという教育があまり行われていない。
また、国際学力調査の結果を見ても、「知識、理解」は良いにしても
「考える力、思考力」に課題が残っているという現状がある。
松下村塾で行われていた議論・参加型の教育を現在の教育の中で実践していけば、
本当の意味での学力が身につくのではなかろうか。
できれば教員の研修制度の中で、「松下村塾研修」というものを取り入れ、
「知行合一」の精神、議論・参加型の教育を児童生徒に伝えることのできる教員を育 成してもらいたい。
吉田松陰のもう一つのすごさは莫大な読書量である。
人を教育するというのはそれなりの準備や覚悟をもっていないといけないということが伝わってきた。
塾生たちのために、何を聞かれても困らないように
豊富な知識を蓄えていたという勤勉な姿勢を見習っていきたい。
私自身も日本ベンチャー大學に入って、今まで以上に新聞を読んだり、本を読むようになった。
こういった積み重ねもあって、多くの社会人の方たちと話す際にも話題についていけるようになった。
社会人になっても新聞や読書の時間をきっちり確保し、
常日頃から自分自身を鍛えて、立派な人間を目指していきたい。
●全体の感想
今回、松下村塾や吉田松陰などについて深く学べたことについては
多くの方たちの協力があってこそのものだと痛切に感じた。
旅行気分で学ぼうとする姿勢ではなく、
「研修」という意識を持って過ごせたということが私自身、深い学びに繋がった。
意識次第で頭の中に入ってくる情報量は雲泥の差があるように思う。
これからも旅行をする際には学ぶ時には学ぶ、
遊ぶ時には遊ぶというメリハリをつけて行動していくようにする。
From:山本健勝(広島修道大学4年)@JVU広島校1期生
~萩・松下村塾研修(合宿)に参加して~
以前、講義にて「吉田松陰学」を受講し、松陰先生に関する多少の知識はあった。
今回はそれを踏まえたうえでの歴史現地学であり、
吉田松陰という人間がいったいどんな人物であったのか、
地元ではどう知られているのか、伝えられているのかを知る研修となった。
実際に訪れて、自分の五感で触れた萩・松下村塾には、考えさせられることが多々あった。
下記に、特に感慨深かった点をアウトプットさせていただく。
■“生きていた"という事実
松陰先生の生まれた団子岩を訪れ、実際に杉家や門下生、そして松陰先生のお墓を目の前にして、
そこで初めて、「松陰先生は実在していたんだ・・」という感情が芽生えた。
「松陰学」も受講して本も読んで、「吉田松陰」という方が
百数十年前の世界に存在していたことは根本的な事実であった。
なのに、いざお墓を目の前にして、そこに松陰先生の遺髪が埋められていると聞いたら(注1)、
あんな凄い人がこの世界(日本)に存在していたんだと、感慨にふけっている自分がいた。
心のどこかで、勝手に松陰先生を「夢物語」にしている自分がいることに気付いた。
会ったことも話したこともないが、現在でも知られる著名人は世界各地にいらっしゃる。
歴史の教科書にしか出てこないような方からメディアで頻繁に扱われる方まで、
みな、誰かの創った架空の登場人物ではなく、
私たちのいま生きている、この同じ世界を生きてきた方なのだと、改めて感じた。
自分たちの立つ、この21世紀の世界の、日本の歴史の“厚み"を感じた瞬間であった。
歴史に内在する重みは、きっとここにあるのだろう。 改めて、“歴史のロマン"も感じた。
この体験は、現地でしかできないので、この場所を訪れて松陰先生の存在を確認でき、心から良かったと感じる。
注1)ここには遺髪が収められているが、亡骸は東京都荒川区に埋葬されている。次回、こちらにも行きたい。
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■「吉田松陰」の人間的魅力
松陰先生は兵学や洋学に詳しかっただけでなく、教育の真髄にも触れていた。
だが、門を叩いた者たちは「知識」を学んでいたのではない。
梅地さんによれば、4日で去る者もいたという。高杉だって、約1年ほどしか通っていない。
彼らが惹かれていたのは、まさに松陰先生の個性的な教育であり、人間的な魅力である。
無鉄砲で、失敗しても挫けない。誰にでも、分け隔てなく平等に接し、皆と学ぶ姿勢。
だが、現地で強く感じたのは、松陰先生の優しさ。
優秀な久坂でも、融通の利かない高杉でも、素直なだけの伊藤でも、誰でも受け入れる度量の広さ。
いつもニコニコとして、「怒られたことがない」という門下生までいるほど(注2)。
松陰を詳しく知る方からお話を伺ううち、自賛肖像の絵のような、少しきつそうで真面目な方ではなく、
穏やかで朗らかな人柄のイメージが、自然と出来上がった。
こんな人なら、私も会いに行きたい! (とてつもなくタイムマシーンが欲しくなった)
こんな人だからこそ、色んな人の心を打つことができたのだと、とても納得がいった。
このイメージはこれからも大切にしたいし、
もっともっと松陰先生のことを知りたいという思いにもつながっている。
注2)「怒られたことがない」とは言うが、松陰先生は怒る時は烈火のごとく怒ったという。
梅地さんによれば、これは人格を否定されるような怒られ方でなかった、という解釈が当てはまる。
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■弟子と現地の人の努力、継承 -過去と現在、そして未来-
松陰先生自身は失敗ばかりで「成果を収める」ことはできなかったが、
弟子の久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文らが、松陰先生の遺志を継ぎ、当時の日本を良くしようと実際に行動を起こした。
そうして、先生の留魂を残そうとした。
そして現在――。
起業する方々など多くの者が松陰先生に感化され、そのお一人である、文化映像麟駆代表の梅地さんが、私たちに講和して下さった。
梅地さんは、後の世の、若い世代にも松陰先生のことを知ってほしい、自分の生きる道を見つけてほしいと、
私たち学生に対してお話して下さっている。
ご自分の体調が優れず、取り返しのつかないことになるかもしれないにもかかわらず、である。
「伝えたい」「自分の口で話したい」という強い思いに突き動かされていらっしゃった。
そんな梅地さんのお姿を見ていたら、性懲りもなく、うじうじ悩んでいる自分が恥ずかしくなった。
『二十一回猛士』や梅地さんのお話の内容では、久坂や高杉ら門下生は『論語』のような書物を集成してはいない。
(知識が未だに浅薄であるため、見落としがあったら謝ります。)
それは師の教えである「知行合一」を優先させたためであろうし、
梅地さんはご自分が出来ることで、松陰先生の魅力を、その留魂を伝えていこうとされている。
過去と現在で、松陰先生の魅力を伝えられているならば、
後世に伝えていくのは、私たち若い学生やこれから生まれてくる者の役目だ。
どのように伝えていくかは定まらないが、ここ萩の地で感じた、
松陰先生の魅力や門下生の方たちの想い(=“大和魂")の継承をしていかなければならない。
もし松陰先生を知らなかったら、
「至誠」について知ることも、教育や学問の根本について考えることも、どんな状況下からでも立ち上がることができることも、知らないままだったろう。
それを若いうちから知ることができた自分は、本当に恵まれている。
私たちのように、もっと気付く人を増やしたい気持ちがある一方で、
継承されつつも薄れてきている“大和魂"を、自分に落とし込んで自分の道を切り開く努力も欠かせない。
歴史的な場所や偉人ゆかりの地が、単なる「観光スポット」になってしまうことを残念に思っていたが、
今回、後世に残るように保存・継承しようと努力してくださっている方々の想いにふれ、
改めて、伝えようとしてくれている方々への感謝を述べたい。
本当に、有り難いことである。
□全体をとおしての感想□
上記以外にも、感じたこと・学んだことは数多くありすぎて、説明しきれないほどだ。
やはり現地に行って、現地の方に話を聞いたり現地で学習したりすることの意義は大きい。
(楫取素彦[小田村伊之助]や山田昭義など、地元・群馬にゆかりのある人物がいたことも驚いた!)
また、帰ってきてからこうして振り返ってみると、疑問や、現地での学びと資料との比較ができて、とても楽しい。
何よりも、以前講義を聞いたときより、
「吉田松陰はいかなる人間なのか」が、自分のなかにイメージでき落とし込めたことが、本当に良かった。
松陰先生が「先生」というより、「素敵で変わった、とにかく優しい人」という風に、
近い存在に感じられるようになったことは、ひとつ歴史の厚みを解読できたようで嬉しく思う。
現地でお世話になった、梅地さん・宮司さん・萩の家の女将さんに、心から感謝。
改めて「知行合一」の重要性も感じさせられた。
頭で考えるだけでなく、実際に行なわなくては意味がない――。
また、薄れてきていた「至誠」の心も、改めて感じることができた。
社会に出る前に、この二つを頭に焼き付けられるような経験ができ、本当に勉強になった。
From:横澤彩子(広島大学大学院2年)@JVU広島校1期生