平成24年(2012)【9月15日(土)】 今元英之事務局長 (株式会社ザメディアジョン・エデュケーショナル 代表取締役) 『吉田松陰学』

①1日の流れ
9:00~ 朝礼
10:00~ 講義「吉田松陰学」
13:15~ 新聞アウトプット
14:45~ 終礼
②講義の気付き
【吉田松陰先生は、何をした人か】
今回の講義を聞いて一言で表す事ができなく、
奥が深いと感じる事ができた。
また、話しを聞くうちに普通の人なら野山獄(現在でいう刑務所)
に閉じ込められたら絶望感で過ごしいくはずなのに
吉田松陰先生はポジティブ思考の考えを持ち、
その中で感じた今できること(その時代の日本と自分)に対して
最善手を尽くした結果、松下村塾のベースとなった。
この真相を知りどんな状況に置かれて自分が信じた道が否定されようとも
今、自分にとってその選択が正しいと信じていきたいです。
【吉田松陰先生が亡くなった後】
亡くなる直前に書かれた「留魂録」に託された
塾生へ向けたメッセージにより実際に行動していった人々、
また現代でもその名言により自分の行いを振り返る人々、
吉田松陰先生のゆかりの地で決断する人々。
こういう人々がいるから、今でも語り継ぐられていると感じ、
吉田松陰先生の偉大さが、改めて今回の講義と
事前に調べることで感じ取ることができた。
③実行すること
今、自分ができる事、人のために自分ができる事を見つけていき、
その中で自分にとって最善の手を尽くします。
④全体の感想
今回の講義を通じてベンチャー大學という形式が
松下村塾という形式に習う形でできたのか少しでも感じる事ができた。
そして、吉田松陰先生を師として仰ぐ理由を今回の講義で感じる事ができました。
今回の講義を終えて自分はまだまだ足りない所があると自分を振り返り
今後それを1つずつ、改善していきたいと感じました。
From:金山竹伯(広島工業大学4年)@JVU広島校1期生

□気づき
■学問に対する姿勢 ⇒ 自分を磨くことであり、相手とも共有すること
松陰先生は、「先生と呼ぶな。私は教えることはできない」とおっしゃっていたという。
それは、「教える」のではなく、「一緒に学ぶ」の姿勢を持っていたためだ。
『講孟余話』のなかでも、「記聞(きもん)の学は以て師となるに足らず」(孟子より)
という語を用いていたように、誰かの為に教えたいと思って学んでも、
それは誰かに教えられるものではないという。
学ぶことは常に自分のためであって、
そうやって学んでいけば、自然と誰かの師になっている。
これを聞いて、今の学校の先生はどうだろうか、と思いめぐらせた。
大概の先生を目指す人は、「子どものため」「生徒のため」と考えているだろう。
だから、生徒に振り回されることや、
うまくいかないときに生徒のせいにするのではないかと考える。
松陰先生の言うような姿勢を持つ、大学の教授や学者、
科学者などの人たちの方が、「誰かの師となる」にはふさわしいと、今回そう感じた。
上記に挙げた人たちが壇上に立つときを想像すると、
そのなかには、「一緒に」という語がキーワードとして浮かんでくる。
彼らのやっていることは人には理解されにくいことがほとんどだ。
だからこそ、一緒に感じて、一緒に考えて、一緒に学ぼうとする。
そうやって、相手と気持ちを共感・共有していくことが、
学びの最終形態なのだと考える。
それって、本当に素晴らしい!!
この歳になって、改めて、学問の本質について考えさせられた。
それを知ってか知らずか、「教えることはできない」
とおっしゃっていた松陰先生は、やはり只者ではない。
ベン大の在り方についても、改めて考える良い機会となった。
→小さくて、「変」だと思われても、自分が純粋に学んで、
それを共有することができれば、学問の輪が広がって、
自分の学習範囲も広がると考える。
■「至誠」の心
先日の講義でも気づかされた、「宣言し実行することで、夢を実現させる」
とても素敵だが、自分はまだまだ出来ていないと感じる日々。
そんななか、本日は、宣言し実行するときの心の持ち方について考えさせられた。
宣言するのは「志の現れ」「心のあり方」をかたちにして示すことだが、
そこには「誠実さ」が大切で、
自分が、その夢に・宣言したことに・宣言を聞いてくれた人たちに、
どれだけ誠実でいられるか、ということが求められていると感じた。
松陰先生は、脱藩したときも、藩主へ上書を提出しようとしたときも、
たとえ投獄中であっても、自分が(一緒に)学ぶことも、
またこれ以外にも、そのときの自分の意志に、常に誠実であった。
本当に正しいと思ってやれば、絶対に通じる!と感じた。
自分も、ただ宣言するのではなく、その誠実さを取り入れなければいけない。
□実行すること
・自分のやりたいこと、好きなことから逃げない
今、振り返ってみると、私はどこか、やりたいこと・好きなことから逃げていた。
きっと追いかけても、やり遂げられない・手に入らないのが怖かったのだと思う。
けれど、そこで躊躇していたら、自分の人生にウソをつくことになる。それは嫌だ。
「好きから逃げない」と言うと「何だそれ」と言う人がいるだろうが、
真の自分と向き合う意味でも、逃げずに向き合う。
・意識を変える
「宣言をする」ことはもちろん重要。でもそれ以上に、
今回は「意識を変える」ことが重要だと感じた。
宣言することで、自分の意識・周りの意識を変えていく。
環境が変わらなくても、自分を変える気概を持つ!
とりあえず、できなくても「次はできるさっ*」くらいのポジティブ思考を持つ。
□本日の感想
吉田松陰先生については、今回の講義前後をとおして、初めてその言動やお考えにふれた。
周囲の人々が「松陰先生は凄い」と言っていた意味が、今なら分かる。
けれど、それもまだほんの一部でしかない。
学ぶ姿勢は大変尊敬するが、一種、自分が学びたいから学んでいる、
自分勝手な人なのか?と思える部分もある。
今元さんがおっしゃっていたように、時間をかけて学んでいく必要があろう。
あと数年すれば、彼の亡くなった歳に追いついてしまうが、
まだ何も成し得ていない自分がちっぽけに思えた。
だが、そこでしょんぼりしていては先に進めない、とも思う。
松陰先生のように、超絶ポジティブ思考の人間になりたい!
「吉田松陰」という人物を知るきっかけを与えてくださった今元さんに感謝です。
もっと松陰先生のことを学んで、また講師としていらしていただき、お話伺いたいです。
From:横澤彩子(広島大学大学院 修士2年)@JVU広島校1期生

吉田松陰先生の人生は、とても面白いものでした。
生きている人の数だけドラマがありますが、
松陰先生の生き様はまた興味深い所が数多くありました。
私は今回の講義とその予習とで初めて松陰先生について
少しばかり学びましたが、歴史に名を馳せた人だけあり、
なかなか波乱万丈でとても潔い最後であった事が驚きでした。
松陰先生が、処刑された時刻、ご両親のもとに
夢の中で別れのあいさつをされた点も、
彼の優しさを表しているいるように思えます。
松陰先生が黒船に乗り込んだ事は、ペリーをとても驚かせました。
それは、ペリーが予測していたよりも
はるかに日本人の好奇心・知的欲求が強かったことによります。
松陰先生のしてきたことはきっと単なる失敗で片付けるものでは無いのだと
講義を受けている時に思いました。
何故なら、自分の意思を曲げない心の強さを人々に見せ、
またその行動によって人々の行動のきっかけにもなりました。
私が感じ取った事は、どんな酷い状況下にあっても
考え方次第で良い方向になるものであることです。
他にも、誰かを想いながらする行動には、その時には分からなくても
必ず何処かにその見えざる意味が隠れているのだということも感じました。
このことは『情けは人のためならず』ということわざに表れています。
他の誰かにしてあげた事は、きっといつか廻りめぐって自分に返ってきます。
失敗を恐れずに挑む事が何かに繋がっていくことを認識しておく必要性がある。
そして出来た事出来なかった事、それらに付随して生じた結果を引きずるのではなく
潔くそれらを受け入れる器が大切であることを学べた、有意義な講義でした。
この学べたことをこれからの生活に組み込んでいけば、
もっとよりよい人生に変えていけるはずです。
すぐには無理ですが、少しずつ実行していきます。
From:中村友紀(広島文教女子大学4年)@JVU広島校1期生

1、「ブレたときの原点は、松下村塾」
これこそ今の自分のための言葉だと思いました。
仕事などいろいろとあってベン大から遠ざかっていたこともあり、
自分でも知らず知らずのうちに士気が落ちているのを
今回依田さんから注意を受け痛感しました。
私自身も2年前初めて受けたベン大の講義が
この吉田松陰学だということもあり、
まさに初心に戻るための講義でした。
2、二十一回猛士
今回の教科書のタイトルでもあるこの言葉に
松陰先生のすべてがあると聞いたときにはハッとしました。
猛とはいわば「死を覚悟した行動」であり、
自分個人のためでなく公のために行動したからこそ
松陰先生は死してなお輝きを放つ人物になられたのだと感じました。
3、教育者としての松陰先生
私は塾講師であることもあり、
やはり教育者としての松陰先生に目がいきます。
明治維新の始まりが牢獄での授業であったこと、
一介の寺子屋に過ぎないところで
「神国の幹たらん」と高い理想を掲げておられるところから、
やはり私も将来松下村塾を理想とした塾を経営すると決意しました。
日々の業務でも、「松陰先生ならどう教えるか、
どう動くか」を考えつつ仕事をしていきます。
4、師が見ているものを見る
私にとっては、松陰先生ご自身が
「私は先生ではない」と明言されているのが印象的でした。
一緒に勉強するというスタイルが、結果的には塾生も
松陰先生が目指しているものを見ようとするようになったことが
塾生が育つきっかけになったのではないかと考えました。
松下村塾の方法論を学びなおしてみて、合理的だと感じるようになりました。
5、今後の広島校
「最初は元気がなくていい」という今元さんの一言を聞いて、
やはり広島校も変わっていかなくてはならないと強く感じました。
立ち上げ当初から広島校に関わっている者として、
学生の模範となり広島校を活性化させる一員となるべく行動します。
From:川上将(AS進学センター)@JVU広島校社会人コース