平成27年(2015)【8/6(木)・7(金)】 もうひとつの特攻隊 人間魚雷「回天」大津島合宿
2015/08/06
●回天記念館
回天は敵国に恐怖を与えるほどの兵器だった。
身近な人(家族や恋人)を守るために、当時の若者が志願した。
回天を操縦するために座学、観測訓練を行った。
操縦方法も複雑で難しい。
●講義「歴史と人間力」
歴史を知ることでルーツ、戦い方等を学ぶことができる。
敵の空母を沈めることで、1日でも長く本土決戦を引き延ばすことができる。
その間に作戦を練られる。自分なりの考え、意見を持つことが大切。
●ビデオ鑑賞「出口のない海」
今の日本からは考えられないことが多く、どの様な心境でいたのかを
想像することができない。
出撃したのに、回天の故障で乗ることができず陸に帰ってきたとき、
「仲間が特攻したのに、自分だけが生き残ってしまった」と罪悪感を持つ。
そして、「次こそは、必ず死んでやる」と決意する。
当時の環境が異常だった、ということは簡単に想像できた。
死ぬことが素晴らしいことだと教えられ、死ねない自分は臆病者だと周りから思われる。
お国のために立派だと小さい頃から教えられた。
しかしそれが当たり前の環境にいると、生きていることに罪悪感をもってしまう。
人間は、周りの人に認められない辛い。どんな環境であっても、
周りの人に認められると救われるのだと感じた。
●大橋広宣先生の講義
1、毛利勝郎さんは、人間魚雷「回天」を操縦するために来た人達の世話や
宿舎の管理をした人物だ。
終戦後は、亡くなられた遺族に遺品を渡すために全国を回った。
2、児玉源太郎さんは日露戦争の勝利に貢献した人物。
文部大臣、陸軍大臣、内部大臣を務めた。
台湾は武力で統治せず、道路、鉄道等を建設した。
●合宿全体の感想
「回天」をよく知るまでは操縦士のことしか注目していなかったが、
学んでいくうちに整備士の必要性を知ることができた。
そして、操縦士と整備士との信頼関係が重要なのだと感じた。
20歳前後の若者が、どういった思いで自分の死を受け入れたのか。
または、受け入れることができずにいたのか。もし自分だったらできなかったと思う。
今の日本からは考えられないことが多く、どんな心境でいたのか本当のところ
想像することができない。
今こうして生活できるのも、あの時戦った人達がいるからなのだと思う。
この研修で「回天」を通して戦争について考えたい、と思った。
From:地川修平@広島校4期生(広島国際学院大学4年)
---------------------------------------------------
コメント
コメントはありません