平成24年(2012)【8月6日(月)】 『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』 『JVU全国会議』
2012/08/06
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~平和式典とパール判事記念碑をとおして~
■「平和」を願う瞬間(とき)
8月6日 8:15 ―――広島に原爆が投下された時間
あれから67年目を迎えた昨日、この時間に、
式典にいらしていた方々が黙とうを捧げた。
しかし、蝉の鳴き声しか聞こえないと思っていたら、
遠くでデモの声が聞こえていた。
誰かも言っていたが、初めて原爆の落とされた地で
同時刻を迎えた自分も同じことを思った。
・・せめて、この時間くらい、原爆で亡くなった方の喪に服すればいいのに、と。
平和の鐘が虚しく聞こえた。
でも、彼らだって、別のところで哀悼しているかもしれない。
かく言う自分だって、これまでの24年分は、この時間を意識したことがなかった。
・・・去年の自分は何をしていただろう? その前は? さらに昔は?
ヒロシマという地に来て初めて考えさせられた、「平和を想う時間」。
6日付けの日本経済新聞の「春秋」に、
「8月ジャーナリズム」という言葉が載っていた。
「この時期だけ、思い出したように戦争だ平和だと騒ぐ、
という指摘だ」(本文抜粋)
何とかかぶれではないけれど、8月のこの時期だけ、
思い出したように戦争や平和について考える。
自分だってそうだ。他の多くの人だって、そう変わらないだろう。
ご指摘が痛く胸をつく。
一方で、「めぐる夏ごとの、社会のさまざまな試みが、あの戦争をかろうじて
「現代」に押しとどめてきた」(本文抜粋)というのも事実だと思う。
式典のなかで述べられていたが、当時を経験した人々は年々減っており、
受け継がなければならない「あの夏」は薄れている。
市長による平和宣言のなかで、3人(当時20歳の女性、
13歳の少年、16歳の少女)の方の話が挙げられていた。
聞いていて、当時の惨状が思い起こされたが、
私の思考回路ではすべてを思い描くことはできなかった。
――それは当時を知らないからだ。
知る努力を怠っているからだ。
それでも、中学生の歳で死体を運ぶ/家族がどんどん死んでいく/
自分だけ取り残される・・・・そんな現状には耐えられない。
式典に出席している人たちが、皆バタバタ死んでしまって自分だけ取り残されたら・・、
もし、今一緒にいるベン大の皆が、今この場で死んでしまったら、どうしよう・・。
考えたら怖くなった。
自分にできることが何なのか、自分はどうしたら「平和」をつくることができるのか、
どうしようもなく分からなくなって、頭がぐちゃぐちゃになった。
そんなときに読み返していた「平和への誓い」。
つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
わたしたちは、想像することによって、共感することができます。
平和はわたしたちでつくるものです。
身近なところに、できることがあります。
違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。
思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。
なんだか「大丈夫」と言われている気がした。
一人じゃないから、大丈夫だと。
なんやかんや言っても、私は一人ではなく、
いつでも誰かに支えてもらって生きている。
平和について考えたり、平和を願うときは、人それぞれでいいような気がした。
誰かに揶揄されたり、人の嘲笑を買ったりするかもしれない。しかし、
大切なことは、絶対に「平和」を心から忘れないこと。
そうすれば、せめて私のまわりにいる人だけには「平和」を届けられる。
みんながそうなら、いつか世界は「平和」になる。
今はそう信じている。
1日をとおして、そう教えてもらった。
それが私にとって、式典に参加して得た一番重要なことだった。
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本照寺(広島市中区)にある、
ラダ・ビノード・パール氏の記念碑を皆で訪問・拝見した。
正直に申告すると、この方のことは聞いたことがある気がする・・というくらいの認識だった。
山近社長や住職さんのお話を聞き、自分でも彼自身のことをかいつまんで調べてみた。
極東軍事裁判において、日本の全面無罪を訴えた人――。
さまざまに思うところがあったが、以下に一番印象深かった点についてまとめさせていただいた。
■自分なりの判断 -パール判事の≪真理≫-
山近社長のお話のなかで、パール判事は
「(私が日本が無罪と言っているのは)日本のためじゃない。
自分なりに調べて、自分なりの判断を下したからだ」
というような内容を仰っていたと伺った。
調べると、次のような一節をパール判事が仰っていることが分かった。
わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の
歴史を2年8ヶ月かかって調べた。
各方面の貴重な資料を集めて研究した。
この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
それをわたくしは判決文の中に綴った。
このわたくしの歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
2年8カ月にもわたり、日本のあれこれを調べていただいた、その精神に感謝だが、
この数文を読んだだけでも、パール判事がどれだけ丹念に事実を調べ上げ、
他の判事たちと相対していたかが伝わってくる。
それは決して日本を擁護しようとか弁護しようとかしたわけではないのだ、と。
ただ、自分の信ずる≪法の精神≫を貫き通しただけなのだと感じる。
自分のなかに絶対に譲れない、法の在り方や国際正義があって、
それが正しいと思ったから、もしくは他国の判断が間違っていると思ったから、
主張しただけにすぎない。
真理をつかむことはとても難しく、それを主張できるパール判事は非常に凄い人だ。
今まできちんと知らなかった自分が申し訳ない。
今の自分は、正しい判断をしているのかどうか、不安になる時が時々ある。
確かめようもないのだが、人に相談したり、自分と向き合ったり、色々してみる。
そんななかで、最近気づいたのは、
「自分に自信がないなら、色々調べてぶつかってみること」。
これまでのやり方はみな、内にしか向いておらず、
外に向かって自分の正当性を主張することを避けてきていた。
それでは、いつまでも内巻きスパイラルからは抜け出せないのは当たり前だ。
写真だけ見ると分からないが、おそらくパール判事だって
「怖い」と思うことがあったはずだ。(・・と、私は思っている)
自分なりの判断をしたいなら、自分に自信を持ちたいなら、
まずは自分の姿勢をプラスに変えるべく努力して、正していかないと、
賛同や自信、ひいては自分の生き筋は得られない。
パール判事の言葉を見て、改めてそう思った。
+α)
私は、パール判事の主張は、正しいと思っている。
子どもの喧嘩は、起こってしまうとどちらが良いか悪いかなんて関係なくなってしまう。
けれど、「戦争」は違う。
もし、日本とドイツだけが悪いと言うのなら、
パール判事の言うように、正義も法律も真理もくそもない。
パール判事には、その主張から約65年後となったが、
遅ばせながらの「有り難う」を伝えたい。
参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-pal.htm
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~第1回 日本ベンチャー大學・全国会議に出席して~
□内容
テーマ:①大學をとおして、自分に身についたこと・続けていること
②これからのJVUにおいて、変えていきたいこと・改善点
・出席者全員の挨拶
・今元さんによる進行・意見聴取・まとめ
・事務連絡
□気づき・まとめ
■「なんでもやってみる」
色々な方が口ぐちにおっしゃっていたこと・・それが「まずは、やってみる」。
徳島校では、校長が「死にはしないからガンガン行け」と仰っているとか。・・かっこいい。
「自分から」「行動」しなくては、意味がない。 そうして「実践する」ことに意味がある。
大人はヒントを与えて見守るだけで、やるのは自分たち。
このような内容を聞いていて、自分は口先だけじゃないかと思った。
「やってみる」とは言っても、最後の最後、尻込みして出来ていないこと、やり過ごしていること、沢山浮かぶ。
京都研修や回天研修も、ドッキリでも参加させてもらえば良かった。
徳島校の方たちが、自分たちでPV作ったり、
大学でアピールしようとしたり、とても力強い前向きベクトルを感じた。
頭で分かっていても身体で行動しないと、本当の理解ではない、と最近教えられ、
「知合同一」を目指しているが、やはり難しいし、これらのお話を聞いていて、
自分にはまだ程遠いと突き放された感覚だ。
だからこそ、こんな「自分をどうにかしたい」。
頭で考えるより、まず行動したい。
いつまでも教わってばかりの自分を卒業して、自分から行動できる人間になりたい。
やはり「人生、やってみなくちゃわからない」のだと、改めて思う。
先の日報にも書いたが、自分はなんだかんだ孤独(ひとり)ではない(はず)。
だからこそ、自分が失敗したら、その分を助けてくれる人は絶対にいるはずだ。
だから、もう少し勇気を出して、人を信じて、
その先の扉を越えて、行ってみたい。
■ 常に「相手」を意識
まずは、「相手の意見を受け止めること」
次に、「自分の意見を、相手が分かってくれるように、発信すること」
よく、「相手に分かりやすく、自分の意見を伝えなさい」と言われる。
が、この場にいた人の多くがまず受け止めることからと仰っていて驚いた。
私も「相手の意見を受け止めること」から始めたいと、常々思っている。
相手が色々聞いてきたり話しかけられたりすると、自分は大概ひいてしまう。
それで自分が失敗したこともある。
自分が言っていることを相手が分かってくれるとすごく嬉しい。
が、それは裏を返せば、相手だって同じことをされたら嬉しいはずで、そうしてほしいはずだ。
両者受け手だと先に進まないので、自分も発信しなければならないが、
やはり、まずは投げられたボールをキャッチすることが先決なのだ、と考えさせられる。
ボールに例えて気づくが、自分からボールはいつでも投げれるけれど、
受け取ることは相手が投げてくれないと出来ないし、いつ投げてもらえるかも分からない。
新訳聖書の「初めに言ありき」ならぬ、「初めに相手ありき」を、もっと意識したいと感じた。
そうしたら、今より相手のことを知ることができて、もっと好感をもてるだろう。
私は、アメリカ型プレゼン方式(相手に分かりやすく自分を伝える)より、
日本平安型和歌方式で、相手のちょっとした言動から気持ちをくみ取り、
やんわりじわじわ仲良くなっていきたいと思う。
□実践すること
・広島校改革!(・・と言っても、まだ詳細はなし汗)
とりあえず、良いと思ったことはなんでも詰め込む
・寛大で包容力のある人を目指す!
とりあえず○○○○○、まずは君の話をいっぱい聞いて、
心を包み込める大きな人間になります。
ターゲットになったが最後と思い、覚悟しときんしゃい!
□全体を通しての感想
JVU関連の会議に出席させていただくこと自体が初めてなうえ、
かつ、いきなり全体会議に出席することになって焦りました。
テーマ①で、いきなりテーマから逸れた内容を長々しゃべってしまい、
とてつもなく反省&後悔しております。
また、最大の反省点としては、広島校のまとまりの無さが目立ったことです。
かなりショックを受けました。
他校の方々は、みな自分たちがどういう活動をしていて、どういうことを学び、
それらをしっかり受け止めて自分のものにしているのに、
広島校は、まとまりが薄く、どういう人がいるかも知らず、
情報の共有がまったくできていません。
徳島校の「教え合い」(=支え合い)の精神も、熊本校のストイックなやり方も、
大阪校の方の、一人でもしっかり務めを果たしているお姿も、
東京校のバラバラな個性なのにどこかまとまりを感じる雰囲気も、
みんな素敵に見えましたし、尊敬すべき姿でした。
広島校、一歩どころか、数十歩、出遅れた感があり、本当に反省の極みです。
この気持ちを忘れず、広島校の皆と協力して、広島校を再生させていきたいです。
あと半期しかありませんが、できることは何でもやって、
後悔しないように過ごしていきます!
色々気づかせていただき、本当に有り難うございました!!
From:横澤彩子(広島大学大学院修士2年)@JVU広島校1期生
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はじめて平和式典に参加し、
私がすべきことは自分の周りの小さな平和を守ることだと感じた。
「世界平和の実現」という大きな概念では、
自分が何をして良いのか分からなかったが、
今回の式典に参加することでそのことに気づくことができた。
また日本は「広島を繰り返さない」と言い、
アメリカは「パールハーバーを忘れない」と言っている。
戦争の悲惨さを忘れず、戦争を繰り返さないことは必要だが、
こういった活動には相手国に対する批判も込められていると感じる。
過去の出来事を互いに許しあうことができなければ、
心の戦争は終わらないのだと思う。
私も個人のレベルで日常における様々な出来事を許せる
心の広い人間にならなければならない。
午後からのJVU全国会議では
各校の特色を知ることができ、大変良い刺激になった。
また今回ご指摘いただいた「ほうれんそう」や基本的なマナーなど、
社会に出てからJVUの名に泥を塗らないよう、しっかりと実行していきたい。
From:河本将治(広島大学)@JVU広島校1期生
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